第9話 青葉の頃(4)

 三十二型のテレビと、三人がけのソファーだけが置かれたリビング。フローリングの床はピカピカに磨かれている。

 光輝は光沢を放つその床に正座していた。させられたのではない。自分からしたのだ。

 解放されたガラス戸からは保育園のグランドが見え、外で遊ぶ小さいこどもたちの声が聞こえる。ガラス戸の先は縁側になっている。

「確かに何も言わずにシャワー浴びに行ったボクも悪いと思うけどさあ」

 その周りを次郎花が回る。先ほどまでとは違い、腰までの長さのロングタンクトップとジャージだった。どちらも色は紺だ。豊満な胸が少し小さめのタンクトップに張りついて光輝は目のやり場に困り、ずっと下を向いていた。

「話すって言ったボクを少しぐらい信用してくれてもいいんじゃないかなあ」

 そう言われて光輝は何も言えない。頑なに理由を話すのを拒んでいた次郎花が突然話をすると言ったので少しばかりいぶかしんでしまったのは事実だ。それから次郎花どこかに行こうとしたものだから、どこかに逃げられると思ってしまっても仕方がないともいえるのだが、見てしまったあとでは全て言い訳でしかない。

「それにボク、待っててって言ったよねえ」

 光輝の前に立ち、次郎花はビシッと言った。

「おっしゃるとおりです」

 言われるたび、光輝は縮こまっていく。

「とまあキミをからかうのはここらへんにしておいて」

「からかっていたんですか……?」

 光輝は驚いて、次郎花を見上げる。

「それ以外に何があるのさ。わざと覗いたわけじゃないんだし」

 次郎花は苦笑していた。どうやら本当に光輝をからかっていたらしい。

「それよりさ、なんでキミはボクが休んだ理由を聞きたがるの? よっぽどの理由があるんだよね、引き下がらないってことは」

 急に真顔になって次郎花は光輝を問いただす。

 自分が理由を言う前に、光輝がそんなにもしつこく聞いてくる理由を聞いてやろうという算段だ。

 次郎花はもう自分が話すと言っているので、光輝もここで話さなければフェアじゃない。

「えっと……それは……」

 まさか自分が理由を話すことになるとは思っていなかったのだろうか、光輝は少しばかりたじろいで、けれども申し訳ないと思ったのだろう、依然正座のままで光輝は話し始める。

「特に……理由はない、というか……」

「はあああ?」

 衝撃の一言に次郎花は大いに呆れた。立っているのもアホらしくなって、ソファーに座り込む。柔らかい感触は次郎花のお気に入りだ。地べたに座り込むほうが好きな家族の反対を押し切って買っただけのことはある。

「いや……違くて、なんていうか、そんな立派な理由じゃないと言うか……」

「いいよ、それでも話して」

「なんていいますか、僕はヒーローに憧れていて、それでヒーローになれてすごく嬉しいんです。だから一ヶ月間とはいえ、休まずに働きたいんです」

「まあ、確かに基本休みなしだからそれも可能だけど」

 職業ヒーローは職業に分類されながら、数多くの例外が存在する。そのひとつが休みがないことだ。

 ハローワークや求人広告で職業ヒーローを探しても休日に関する記載は一切ない。それもそうだ、悪の組織はいつ攻めてくるのかわからない。それに対応するために基本的に休日は存在しない。

「でも制度が緩いからね、完全週休二日制にするものできるっちゃできるよね」

「だとしてもジロウさんはそういうのにしてないんでしょう。だったら休まず戦わないと。ヒーローは市民の味方ですよね」

 それは光輝の理想で、さらには押しつけだった。だからだろうか、次郎花は長広舌で語る。

「理想はそうかもしれないけど、ボクにとっては少し違う。言っとくけどね、この世界のヒーローが全員、正義とやらのために戦っていると思ったら大間違いだよ。職業ヒーローが人気の高い職業だったりするのはね、悪の組織が滅びない限り、収入や仕事が安定しているし、給料が、正確には手当だけどね、それが高いんだ。だから正義のため、というよりお金のために戦っている人間だってたくさんいるよ」

 若干つりあがった目は光輝に対してむきになっているようにも感じられた。

「でもそんな人はきちんと戦ってますよね。ジロウさんみたいに休んだりしないですよね」

「そうだね、ボクはお金目的でヒーローはやってないよ」

 金目的なら休まない。戦ったほうが儲かるからだ。けれど次郎花は平然と休む。だからそれ以外の理由がある、と光輝にはバレている。

 次郎花もオーディションのことを言うと決めたのにまだ抵抗があるのか、なかなか話を切り出せずにいた。だが、そんなことをしていては終わらない。

「ボクはこどもたちの憧れになりたいんだ」

「だったら、なおさら、戦うべきです。ヒーローに僕が……じゃなくてこどもたちが憧れるのは悪と戦うヒーローがカッコいいからじゃないですか」

「じゃあそのヒーローの見た目がカッコわるかったら?」

 その言葉で光輝は次郎花の言いたいことがなんとなくわかったような気がした。

「結局ね、こどもたちが憧れるのは見た目がカッコいいヒーローが悪と戦うからなんだよ。特撮で冴えないおじさんがヒーローにならないのはこどもたちと一緒に見るお母さんも虜にしようっていう商法戦略で、奥さんにしたら、ヒーローなんて関係ない。ただカッコいい人が見たいだけ。けどそれとこどもたちは一緒なんだ。カッコいいヒーローが見たいんだよ」

「違いますよ。こどもたちは、僕たちはどんなにダサくても、一生懸命戦うヒーローに憧れる。その姿をカッコいいと感じるんです」

「そうだといいね。でも実際は違うよ。カンデンヂャーとチャレンジャー、どっちのフィギュアが売れ行きがいいと思う? スーツのカッコいいチャレンジャーのほうが売れ行きがいいんだ。販売担当の人がいつも嘆いていた」

 それって結局、姿がカッコいいヒーローに憧れるって証明じゃない? 次郎花は悲しそうにつぶやいた。

 それは違うと光輝は否定したかった。

 しかし、そこまで言われてなんと言えばいい?

 光輝にはわからなかった。それでも、それでもだ、

「それは違うと思います」

 光輝にも譲れない一線はあった。光輝は次郎花の訴えを聞いても、こどもたちが憧れるのは悪と戦うヒーローがカッコいいからだ、という光輝の考えは変わらない。

 だから、ヒーローの姿がカッコいいからカッコいいという次郎花の考えを光輝は認めることができない。

「無理に理解しようとしなくていいよ」

 どうせ話したところでそうだろうと次郎花は思っていた。

「ボクはカッコいいヒーローになりたかった。けどカンデンヂャーはカッコわるいから、たまにいやになるんだよ」

 だから気休め程度にサボってリフレッシュしたいんだ、と次郎花は言った。

「失礼を承知で言いますけど、だったら辞めたらいいじゃないですか」

 わざと次郎花を怒らせるかのような癪に触る言い方だった。

「確かに失礼だね。そして新人のくせに生意気だ」

 それでも次郎花は冷静さを保ち、言い放つ。

「ボクはヒーローという称号は手放したくない」

 職業ヒーローは称号だ。その地域、会社を守っているという称号。それだけでも名誉のあることだ。だから次郎花は手放したくない。

 ずうずうしいとは思いつつも、それが本心かどうか光輝に読み取ることはできなかった。

 おそらく次郎花はまだ何か隠している、光輝はそう直感した。いっそ、何を隠しているのか問いただしてみようと好奇心に駆られたが、休んだ理由をしつこく訊いたことさえ失礼なことだ。これ以上は怒らせるばかりで何も答えてくれないかもしれない。

 どうしようか光輝が迷っていると、

「ジロキチー! 遊ぼうぜー!!」

 開いたガラス戸から謎の来訪者が現れる。次郎花はその来訪者に柔和な笑みを向ける。

 その正体は青葉保育園年長もみじ組のガキ大将、板橋頼明だった。身長一二〇センチメートルのぐらいの頼明だが、親が身長が高くなるのを見越してLサイズを着ているため、青い制服と黄色い半ズボンはぶかぶかだった。

「なん……ですと……!?」

 光輝のその不可思議な驚きは板橋頼明自身にでも、名札に書かれた『いたばし らいあ』という名前に向けられたものでもなかった。

 光輝は頼明が手に持つフィギュアに驚いていた。

 ハイパー戦隊シリーズが始まったことで円満に終了した以前の戦隊シリーズのフィギュアが再販されているのだが、それは大量生産されるものではないうえに、懐かしむ人も多く、大人気で手に入れるのもなかなか難しい。プレミアがついているものだってある。そのフィギュアのひとつを頼明は持っていた。うらやましすぎる。その感情が、光輝を自然と驚かせたのだ。

 ずいぶんとそのフィギュアで遊んだのだろうか色が剥げ落ち、シンケンレッドの「火」の形をしたマスクプレートが「人」という形になっていた。

 ああ、もったいない。なんてもったいないんだ。フツーは飾って鑑賞すべきだ。

 こどもの無邪気さを悔やむように光輝は胸中で嘆いてしまう。

「どうしたんだ、光輝?」

 フィギュアを凝視していた光輝を不思議がって次郎花がたずねてきた。なんでもないです、と光輝は視線をそらしてごまかす。

「ジロキチ、早くー」

「ボクは今ちょっと話をしてるんだ。少しだけ待ってよ、頼明」

 ジロキチというのは次郎花のことらしい。次郎花が頼明に近寄りしゃがみこむ。

「はなしってなんのはなしだよぅ」

 文句をたれながし、頼明は次郎花の背後に誰かいることに気づく。

「ってかそいつだれ? もしかしてジロキチのかれしー?」

「違うって」

「うわー、ひていするところがあやしい。なにせジロキチ、つんでれだからなあ……」

「ツンデレじゃない! ってかそれわかって使ってないだろ」

 頼明の言葉を即座に否定して次郎花は質問を返す。

「ふふん。おれ、てんさいだからな。なんでもしってんだぜ。つんでれっていうのは、はいをいいえっていうやつのことだろ。となりのはたらいてないにいちゃんがそうおしてくれたからな」

「そのお兄さんの言うことは真に受けてはいけません!」

 次郎花は頼明の頭を軽く小突く。光輝と話しているときとは違って、その顔はずいぶんと明るい。もっとも光輝との話は内容が内容なだけに明るい表情で話せるものではなかったわけだが。

「それよかジロキチー。遊ぼうぜ!」

 頼明は縁側から靴を脱いでリビングへとよじ登る。

「だからボクは今、話してる……」

「ジロウさん。もういいです。なんとなく自分のなかで整理がつきました」

 光輝は職業ヒーローの誰もが正義のために、人々を救うために戦っているものだと思い込んでいた。

 けれど実際は違った。職業ヒーローは決してそうではないのだ。

 光輝の思い描いた理想とは違うとヒーローになってすぐに気づいていた。でも認めたくなかった。

 だからたまたま一番近くにいて、自分の理想とはかけ離れた青葉次郎花を問い詰めたのだ。

 そして言い争っているうちに、光輝はなんとなくだが理解してしまった。ヒーロー全員が、光輝の理想であるはずがないのだ。認めたくはないけれど。

「しつこく聞いてごめんなさい」

 光輝は謝った。次郎花としても歯切れは悪いが、それで引き下がってくれるならちょうどいい。

「なんだよ、かれしー。なんかジロキチにしたのかよ。せくはらってやつだぜ、それー。となりのはたらいてないにいちゃんがいってたぜ。ふよういにおんなにさわるとおれみたいになっちまうって」

 一方、光輝の謝る姿が気になった頼明は光輝を放ってはおかない。

「いや、それちょっと違うから。いいかい頼明。隣のお兄ちゃんの話はもう聞いちゃだめだ」

「なに、言ってんだよ、おれととなりのはたらいてないにいちゃんはさいこうのともだちなんだぜ。このまえもだいずおーでーえっくすとがんばらないどのカードくれたんだからな」

 ムキになって頼明は反論する。どうにもだめだと感じた次郎花は

「わかった。わかったから。ともかくそのお兄ちゃんの件は置いておこう」

 頼明をなだめて次郎花は光輝のほうに向き直る。

「光輝。キミがそう言うんだったらボクとしても、この件は終わりにしたい」

「わかりました。僕もしつこく訊いてすいませんでした」

「謝りすぎだよ。ボクはそんなに気にしてないから」

「ジロキチー、はやく遊ぼうぜー!」

 頼明が次郎花のジャージを強く引っ張る。

「わかった、わかったから」次郎花は頼明をなだめて光輝に問いかける。「頼明が急かすから、ボクは行くけどキミも遊んでいくかい?」

「いや、僕は遠慮しときます」

 そう言って、光輝は立ち上がる。

 しかし正座していたせいで、足がもつれうまく立ち上がれない。

「ギャハハハ、かれしー、あしがしびれてやんの!」

 頼明がそれを見て笑い、

「こら、笑わない!」

 次郎花に怒られ、頬を膨らませた。

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