第8話 青葉の頃(3)

「あーあ、やっちゃった」

 白烏しろう橋から下に流れる水落みずおち川を見渡し、次郎花はため息をついた。白カラスのレリーフが立ち並ぶその橋は弓山市のちょっとした名物でもある。

 緑色の木の葉が船のように川を下っていく。コンクリートで両端を固められていない、今時珍しい自然がそのまま残った小川だった。川は澄み切っており、平時なら思わず川に下りて足をつけて涼みたくなってしまう。

 けど次郎花はそんな気分じゃなかった。

 ――面接は落ちちゃっただろうなあ。

 悔しいといえば悔しいが、仕方がない。しかし次郎花は思うのだ。

 特撮ヒーローと職業ヒーロー、そのふたつに貴賎はない、と。だからこそ助監督のように特撮ヒーローを見下すのは許せなかった。

 しかしその一方で、次郎花はオーディションなどで職業ヒーローを休む自分が職業ヒーローを無意識に下に見ているという自己矛盾に気づけていなかった。

「こんなところにいたんですか、探しましたよ、ジロウさん」

 振り向くとそこには息を切らした光輝がいた。

「どうやって、ここに?」

「どうやっ、ても、何も、通信番号を登録した相手なら〈i-am〉を使えば探せるんですよ……」

 とはいえ、それではプライベートも何もあったものではないので、相手が外出時のみ利用可にするなど、いろいろ設定ができるのだが、それを設定していない次郎花は〈i-am〉の探索機能自体を知らないらしい。

 〈i-am〉の初期設定では『相手が外出時のみ利用可』となっているため、探索昨日を知らない次郎花の〈i-am〉はそうなっているはずだった。

 その初期設定の仕組みを片方が知っているカップルなどは浮気現場を見つけられたりとトラブルは絶えないが、それでもその設定が初期設定として残っているのは、小学生の行方不明時の捜索に成果をあげているためだ。

 喋りながら光輝は息を整える。

「それよりも、なんで今日、休んだんですか。いえ、今日だけじゃなくて昨日もです」

 わざわざそれを糾弾するために光輝は次郎花を探していたらしい。

 白香さんよりも厄介だ。

 次郎花は内心、そんなことを思った。

 伴や寧色、それにグレイスは大らかな性格をしており、一日二日休んだところで何も言ってこない。唯一ガミガミ言ってくるがオペレーターの白香だが、白香も光輝のように追いかけて理由を問いただしたりしない。

 もっとも、光輝はヒーロー好きらしいから、いろいろとヒーローに理想があったのだろう。その理想と現実がずいぶんとかけ離れていることを知らないのかも、と次郎花は勝手に推測を立てる。

「だって、カッコわるいから」

「カッコ……わるい? それって休んだ理由になりますか?」

「ならないかな? ああ、じゃあこういうのはどう? カッコわるいヒーローにはなりたくなかった。だからやる気を失って休みがち」

「じゃあなんでヒーローになったんですか?」

「ヒーローにはなりたかったんだよ。でもカッコわるいのはいやだ」

「わが……」

「わがままだっていうのはわかってるよ。とっくに」

 光輝の言葉から続く言葉を先読みして、次郎花は言葉を紡ぐ。

 確かにカッコわるいのはいやだ。けれどヒーローは辞めたくない。

 だから比較的カッコよくてヒーローでもある特撮ヒーローになろうとしたのだ。

 体のいい逃げ道。根本的解決になるのかはわからない。

 わがままだっていうのはわかっている。

 けど、それでも次郎花にはこの方法しか思いつかなかった。

 言い放つだけ言い放った次郎花は光輝から逃げるようにその場を去ろうとした。

「どこに行くんですか!」

 それでも光輝はついてきた。

「ついてくるな!」

 昨日、一昨日、入ってきたばかりの光輝には何もわからない。

 確かに仕事を休んだ自分が悪い。けれどその理由を話したら、光輝のこの性格ではきっと踏み込んでくる。そんなのは煩わしい。迷惑。

 光輝を納得させるつもりはなかった。

 だから話を切り上げて、去ろうとしたのに。

 光輝は食い下がった。話は終わってないとばかりについてくる。

「ついてくるなよっ!」

 小さくつぶやいて、歩を速める。それでも後ろから足音は聞こえた。

 どこまでもついてくるつもりだ。

「くそっ!」

 言葉を吐き捨て、次郎花は走った。

 日頃から鍛えている次郎花と、二日前に入った光輝とでは月とすっぽん以上に差は歴然。

 しばらく全力で走って後ろを振り返ると、光輝の姿は見当たらない。

 ようやくまいた、と呼吸を整えながら角を曲がると、そこには光輝がいた。

「な、んで……?」

「ですから〈i-am〉を使えば探せるんですって」

 息を乱しながら、光輝は握り締めた〈i-am〉を見せる。どうやら次郎花が行くだろうと思う道を予想して先回りしたらしい。

「あまり僕もこういうことには使いたくないんですけど、ジロウさんがなんで休むのか知りたいんです」

 ジロウという愛称も今は癪に障った。光輝が9Vスパークになった次の日、午前中だけ出勤していた次郎花は、次郎花さんと呼ばれたのが久しぶりで、妙にくすぐったくて、ジロウでいいと自分から言っていたが、その慣れ慣れしさが今はムカつく。

「理由なんてなくても休むよ、ボクは」

 そんな説明で光輝は引き下がらないだろう、それは次郎花にはわかっていた。それでも次郎花だって言いたくないものは言いたくない。それに光輝が理由を聞きたがる理由がわからない。

 次郎はそれだけ言い放って、来た道を戻り出した。

「待ってください」

 来るな、と言っても光輝はついてくるだろう、だったら無視するまで。

 次郎花は早足で歩き始め、そのまま保育園へと入っていく。

「へっ!?」

 戸惑いの声をあげたのは、そのままついて行った光輝だ。

 なぜ次郎花がそこにずけずけと入って行ったのかがわからない。

「次郎花の彼氏……じゃないよな。あいつがこんな年上の子好きなはずないし」

 困惑する光輝に話しかけてきたのは、めたぼりっくと印字された赤いエプロンを着た痩せぎすの青年。顔立ちはとてつもなく次郎花に似ていた。

「いや、僕はジロウさんの仲間で……」

「ああ、ヒーロー関係の人か。だったらどうぞ。勝手に入っちゃって」

「え、でも……」

 入るのを躊躇う光輝に青年は保育園の外壁を指す。その外壁には『青葉保育園』と書いてある。

「ちなみにおれの名は青葉太郎丸。あいつのお兄さんってとこかな」

 太郎丸はにこりと笑って保育園のなかに入っていく次郎花を指した。

「保育園と家がつながってるんでね、次郎花のあとを追えば、我が家へたどり着くと思うよ。何の用かはわからんが、まあよろしく頼む」

 言われて光輝は走り出した。次郎花は角を曲がったため、姿を見失えば家への行き方がわからなくなるかもしれない。つながっているから、迷わないかもしれないが万が一もある。それに〈i-am〉の探索機能は保育園のグランドなどでも室内とみなされ、使えなくなる。

「ジロウさん、待ってください」

 保育園のなかでその声が聞こえたとき、次郎花はギョッとした。さすがに入るのを躊躇うだろうと思っていた。

 けれど次郎花は外に兄がいたことを思い出した。

 あの兄貴なら事情を知らなくても、知り合いだとわかれば中に入れてしまうだろう。

 しかし光輝も光輝だ。ここは次郎花の家なのである。

 バカ兄貴に促されたからとしても遠慮して欲しい。

 ――なんで追ってくるかな。

「ジロウさん、なんで休むのか理由を……」

「ああ、もうわかったわかったから」

 あまりのしつこさに次郎花はこちらから折れることにした。

 次郎花はこどもではないのだ。いつまでもこどもっぽく意地を張るのも大人気ない。

 オーディションのことを話せば、引き下がってくれるだろう。

 そうは思いつつも、重要な部分は喋るつもりはなかった。そこにはまだこどもっぽい意地がある。

「話すからちょっとリビングで待っていてよ」

 そう言って光輝をリビングへと促すと、次郎花は廊下の奥へと消えていく。

「ちょ……ジロウさん、どこに行くんですか」

 話してくれるばかりだと思っていた光輝はかなり油断していた。

 慌てて追いかけて次郎花の消えていった部屋の扉を開ける。

 すると次郎花は驚いて、脱ぎかけていたシャツをもとに戻した。

 引き締まったお腹とおへそ、妙に色っぽい下着が見えたが、光輝は目をそらす。

「シャワーぐらい浴びさせてよ」

 頬を赤らめながら次郎花は怒鳴った。

「ごめんなさい」

 光輝は慌てて扉を閉める。

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