124G.マスタースタディ ノーロード

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 聖エヴァンジェイル学園。

 本校舎、8階教室A。


 聖エヴァンジェイル学園は、完全単位制を採用していた。

 つまり、卒業に要する単位、それを得る為の授業を生徒が自由に選択していく。というワケなので、特定の学年やクラスといったモノは存在しない。

 なお、どれだけ授業予定を短期間に詰め込んでも、卒業要件を満たすのに2年以上かかる単位数となっている。

 もっとも、そこまで熱心に単位を取得しようという生徒もいないが。

 卒業するか否かを決めるのは、生徒ではなくその親の都合なのだから。


 学年やクラスといった枠組みが存在しない以上、生徒間の交流も個人同士によるモノが主となる。

 故に、いつの間にか新顔が増えていた、などという事象も、本学園では珍しくない。


「ねぇあれ……あの方って? 前の講座にもいらしたかしら?」


「いや、いたら分かりますよあんな綺麗な方。あの方を見逃していたら委員会・・・は無能のそしりを免れませんわ」


「え? オッパ…………ゴホッ、お胸とか凄すぎません? 制服のサイズはあれで適正ですの??」


「こ、コレは大変なことになりますわよ!? エルルーン様と双璧を成す素材ですわ!」


 文学史基礎、必修科目。

 2時限目に入るこの教室の中は、ざわめきに満たされていた。

 不意の新入生。

 それ自体は学園の制度上特別でもなんでもないが、それが美麗にして可憐極まる赤毛の美少女となれば話は別だ。

 最上段の後部席に楚々そそとして座る新入生に、教室の全ての女子が密かな視線を送っていた。


 そんな不可視の圧力集中砲火にとばっちり喰らっているのが、赤毛の新入生こと村雨むらさめユリの隣に座るスレンダーな金髪少女、クラウディア・ヴォービスである。


 それほど友人が多い方ではないクラウディアだが、それでも1年以上学園にいれば、それなりに知り合いは出来るもの。

 その隣にいる超絶美少女は何者だ、という疑問が自分にぶつけられるのは、必然と思われた。

 学園内ではデータネットワークの使用が制限されており、個人情報端末インフォギアを用いての通話は特別な事情が無い限り、原則・・禁止されている。

 時代錯誤はなはだしい校則だと憤る他ない、と思っていたが、今だけはありがたいと思わざるを得ないクラウディアであった。


「『むらさめ』~って、村雨さん皇国のヒト? 皇国系の名前っぽいけど」


「申し訳ございません、ナイトメア様。この学園に入るにあたり、私の出自は話してはならないという事になっていまして…………」


「あー、ごめんごめん。そういうヒトも結構いるよねーこの学園。

 村雨さんオッパイ大きいよね。何センチくらいあるの?」


 しかし、脅威はすぐ身近にもいたりする。

 赤毛の少女を挟んでクラウディアの反対側の席、神をも恐れぬデリカシーゼロな質問をブッ込んでいるのは、跳ね気味なミドルヘアを縛ってまとめているフリーダム少女、ナイトメアであった。


 バストサイズの質問の時に、周囲でガタッという動揺が走っていたが。


「ナイトメアさん、はしたないにも程が――――」

「92センチですね」

「――――貴女も答えない!」


 友人をたしなめようとする常識人クラウディアだったが、想定外の方向から流れ弾が飛んできた。

 思わず声を荒げてしまうが、いかんせん本人からの申告とあっては、咎める筋合いもなく。

 いったい何をほがらかに口走っているのかこの赤毛の美人さんは。


「…………聞いた? 92だって。スゲェですわ。フローズンさんと同じくらいかと思ったけど、2センチ差くらい?」


『////////////!!』


 自身の胸を寄せて上げて比べながら、驚きを言葉に口にするナイトメア。

 話を振られた紫髪の無口少女は、恥じらいを通信メッセージにして、ついでにペシペシ相手の肩を叩いていた。


 一層ざわめきを強くする教室内。

 『なん……です、と!?』や『大きな脅威、いや胸囲メナスが!?』といった驚愕に、お嬢様たちが揺れている。

 揺れるほど無い者などは、特にだ。


               ◇


 間もなく文学史の授業が始まると、流石に乙女生徒たちもそちらの方に集中する。

 お嬢様とはいえ真面目な生徒ばかりではないが、必修科目となると回避は出来ない授業だ。卒業資格を得る為には、必ず合格要件を満たさなければならない。


 全てが電子器機で完結できる時代にもかかわらず、聖エヴァンジェイル学園の授業では、紙の教科書テキストを参照し紙の帳面ノートで内容を書き留めるのを推奨されていた。

 個人情報端末インフォギアの使用までは禁止されていないが、補助程度に用いるという認識だ。

 加えて、授業内容の録画は許可されていない。


 紙媒体を用いるなど、まるっきり古代人の所業である。博物館に保管される、惑星入植期の遺物と同レベルだ。

 しかし、この紙製媒体を手にして、古典文学を読み上げる赤毛の新入生の姿は、誰から見ても堂に入っていた。

 落ち着いた艶のある声色に、生徒達は聞き入ってしまう。


 制服にしても、入学2日目の着こなしとは思えない。

 環境EVRスーツを着けず、肌に直接下着と制服を身に着けるという学園の規則に、入学当初は戸惑う者も多かった。

 ところが、この赤毛の新入生は、そんな古い習慣を違和感無く自分のモノとしている。


 先のナイトメアがしたような質問に答えられない、ワケありでこの学園に入れられた為に、自分の身の上を明かせないという生徒は何人もいた。

 しかし、その赤毛の少女が古く格式のある名家の出なのであろうということは、誰にでも想像できた。


               ◇


 知り合ったよしみか同室のしがらみか、赤毛の新入生を他の生徒に紹介するのは、自然とクラウディアの役どころとなっている。

 娯楽に乏しい学園内のこと。そして女子生徒ばかり。

 見目麗しい赤毛の美少女の存在は、格好の噂話のタネだった。


「えー、ユリさん。こちらは『ヴァルゴの後宮』会長のエルルーン様。

 ヴァルゴの後宮というのは、授業外で生徒が自主的に交流を持つのを促す会になりますね」


「紹介ありがとう、クラウディアくん。そして、はじめまして村雨ユリくん。

 入学三日目にして女の子たちの関心を独り占めしている噂の新入生に会えて嬉しいよ」


 そんな噂話が届いて早々、クラウディアは学園の王子様に、赤毛のルームメイトへの紹介を頼まれる事になる。

 聖エヴァンジェイル学園にて1位2位を争う新旧美少女突然の邂逅、と生活棟のガーデンテラスに居合わせた野次馬少女たちは、こっそりテンションを上げていた。

 噂の当人たちは、ただお茶をしているだけなのだが。

 そして仲介役のクラウディアは、超美形の王子様と赤毛の超絶美少女に挟まれ、場違い感に溺れるような錯覚を覚えていた。


「時にユリくん、まだ学園に慣れている最中で時期尚早だとは思うが、落ち着いたらヴァルゴの後宮に入ることも考えてみてくれないか?」


 うららかな昼下がり、ハイソサエティーズも珍重するというお茶ティーのカップを傾ける、麗しの王子様。


 そして、地味に追い詰められて表情が引き攣りそうになっている赤毛の新入生。

 ここに来てケミカル物質の洗礼が。脳神経に何かが強制されていそうな感じがする。絶対お茶じゃないこれ。

 しかしそこで、エルルーン会長の要請は助け舟となった。


「私がヴァルゴの後宮、にですか? あの会長、私は先日入学したばかりですし、正直何が出来るとも思えないのですけれど」


 と言いつつ、これ幸いとティーカップを置く赤毛の生還者。メイドさんがカップを代えようとするのを超高速のハンドスピードで阻止。

 美少女同士のお茶会にしか目が行っていない周囲は気が付かない。

 手の動きが見えないほど、この赤毛は必死だった。


「ヴァルゴの後宮は、早い話『不夜祭』や『花道会』といった季節イベントの運営が主な仕事になるんだ。後は、まぁ普段は会議室でお茶をしながら雑談をしているだけだが。

 しかし他の課外活動と違い、ヴァルゴの後宮は学園の生徒達のイメージリーダーとなる事も求められている。

 つまり、誰でも良いというワケではないんだな。

 聖エヴァンジェイル学園の、現状はどうであれ・・・・・・・・、誇りある淑女レディの肖像を過去から未来へ受け継いで行くという理念は尊いモノだと思っているよ。

 ユリくんなら、それを体現するのに相応しいのではないかな」


 要らない子供の隔離先になっている、という現実を踏まえつつ、それでも学園には肯定すべき部分がある、と言う学園の王子様、エルルーン会長。

 だが、正直唯理ユリは自分にその資格は無いと思うし、申し訳ないが引き受ける気もない。

 自分が会長に誤解させるほど完璧なお嬢様を演じていられるのは、昔取ったなんとやらのおかげだ。


 後はマリーン船長の物真似である。


 何にしても、時期尚早は赤毛の新入生3日目ではなく王子様会長もそうではないか、と思う旨を伝え、返事は保留という話になった。


 ついでに、


「今の私の立ち居振る舞いは擬態かもしれませんよ?」


 と、ほんわか船長スマイルで予防線も張っておいた。


               ◇


 寮の部屋に戻ると、消耗し尽くした細身の金髪少女が、ベッドに倒れ込んだ。お行儀が悪いが、自室でくらい息を抜かねばやっていられないだろう。

 赤毛の擬態お嬢もヒトの行儀をとやかく言える立場ではないので、お疲れだなぁ、と同情の念しか湧かない。

 半分くらい自分のせいだというのも分かっているので。


「エルルーン会長は本気のようでしたが、驚きました。恐らく、ヴァルゴの後宮も、それなりの実績を積んだ生徒を招くものなのでしょうに」


「うーんまぁユリさんならお声かけがあっても不思議じゃないと思いますよ?

 この学園で安易に入学前の事を聞くのはタブーって暗黙の了解のようなモノがあるけど、聞かなくてもユリさんは前から礼節に厳しい教育をされてきたんだろうなぁ、っていうのが伝わってきますから」


 そしてここにも、赤毛の擬態生物に騙されているお嬢様がひとり。

 確かに実家はその辺厳しかったし、その後の仕事では訓練も受けたが、結局上っ面にしか身に付いていないと思う村雨ユリむらせゆいりである。


「そういえば、ヴァルゴの後宮以外にも課外活動というのは行われているのですか?

 エルルーン会長が、それらしい事を仰っていましたけれど」


 自分に対する誤解にはなるべく触れて欲しくないので、話題の変更を試みる赤毛の潜伏者。

 ついでに、気になった事を聞いてみる。


 うつ伏せになっていたクラウディアは、コロンと横に転がると、仰向けの状態から身を起こした。

 赤毛のルームメイトが初日からほぼ全裸を晒していたので、自分もある程度緩んだところを見せても平気だと思っている。


「課外活動のクラブを作るのは生徒の自由ですからね。よほど問題が無い限り、学園側も好きにやらせてくれます。

 生徒の自主性を尊重する……というお話ですけど」


 自分でも信じていないことは、そのセリフも自然と空虚になる。

 学園が生徒の課外活動を概ね認めているのは事実だ。

 しかし、それは生徒の自発的な活動を促すというような理由ではなく、生徒の気を逸らすか、あるいは放し飼いにしているかのような意図を感じるのは、クラウディアの気のせいなのだろうか。


「今あるクラブの例としては……詩作クラブ、放球クラブ、名画クラブ、アヘッドクラブ……は、アレは非公認か。

 創作クラブ、サークルクラブ、あとはウォーターリークラブに……これも非公認だけど、ノーブル委員会などがありますね」


 指折り数えて教えてくれるルームメイトだが、いかんせん赤毛のユリには何がどのようなクラブなのか大半分からない。

 大体のクラブの創設が審査無しで通るにもかかわらず、非公認クラブが存在しているというのも怪し過ぎた。

 にもかかわらず、『ノーブル委員会』とやらはヴァルゴの後宮に次ぐ学園内の一大勢力だという。

 活動内容を聞くのが少し怖いが、それはともかく他にも気になっている事を思い出した。


「クラウディアさんは何か課外活動を? あのエイムに関わる事ですか?」


 このルームメイトとはじめて出会った、学園袖の奥にある倉庫。

 クラウディアがそこにいた事も、またそんな場所に軍用エイムが保管されていたのも、唯理の心に何となく引っかかっていた。


「私は、課外活動は特に何も……。

 あのエイムは元々学園の警備に使われるはずだった物のようです。ここに来る時に見たかもしれませんけど、警備隊が外に船を揃えたので、結局使われないまま放置されているようですね」


 セリフに力がなくなる華奢なルームメイト。

 自分の事は言葉少なく、後は自分の知るくだんのヒト型機動兵器の来歴を説明する。


 課外活動に希望を見出したことはあった。

 しかし、第一歩を踏み出す事も叶わなかった。

 そんな過去を思い出していた。


               ◇


 ルームメイトが寝静まった気配を察知すると、赤毛の少女は部屋を抜け出す。

 一見して古風な建物の学生寮だが、生徒の保護と監視という観点において、その態勢は厳重だ。

 建物の各所には隠しセンサーが設置されており、範囲内に捉えた生徒の情報を把握する。

 門限以降に寮を抜け出そうものなら、即座に警備ドローンが飛んでくるという仕組みだ。


 ただし、やり手のウェイブネット・レイダーからすると、穴だらけで旧式極まりないザルなシステムだ、という話。


 実際に唯理も、個人情報端末インフォギアのツールを用いた電子操作で、簡単に寮から出ることが出来た。

 データ上は、赤毛の新入生、村雨ユリは部屋でお休み中である。

 ちなみに、学園の倉庫で警備ドローンを黙らせたのも、似たようなツールのひとつだ。


『思ったより上手くやってるやーね。「プリアポス」にいた頃のユイリ見てたら、絶対学園で浮くと思ったけど。

 なんか逆方向に目立っちゃってるのなー』


『物珍しいだけだろう。そのうち気にもしなくなるよ』


 寮と同様、学園の境のセンサーも騙し、赤毛の少女は敷地の外に出る。

 その間も、個人情報端末インフォギアで秘密裏に用意された通信ネットワークにアクセスし、柿色の髪の少女と通話中だった。


 柿色の少女、ロゼッタは唯理の学園生活を支援するウェイブネット・レイダーである。

 元々学園の生徒だったが、諸事情で一時期離れていた。

 今回は唯理の入学に合わせて戻った形だ。


『んで、ルームメイトの方は? 当面はひとり部屋になると思ったけど、まさかあんなタイミングで空きが出るとは思わんかったし。

 プリアポスの時みたいにズボラな事やってると、早々にボロが出るぞー』


『クラウディアさんなら問題ない。ハダカでいても、あんまり気にはならないみたいだし』


『いやだからそれをやめろッつーに。アンタの乳尻は同性でも破壊力あり過ぎるんだからさー。メモリーも言ってたろ、そっちでも十分客が取れるって』


 サポートスタッフの苦言を聞きながら、赤毛の脱柵者は学園から少し離れた一般住宅風の建物に入る。

 とはいえ、そこは無人だ。形ばかりの、撮影のセットのような家であった。


 屋内に隠してあった4輪バイクに跨ると、赤毛のライダーは道路に出るや、モーターの回転数を一気に上げて加速する。

 

『ロゼ、「アルケドアティス」までの最適ルートをロケーターに出してくれ。

 ルート上と、それに寮の部屋の方の監視もよろしく』


『あいあい分かってますよーッと。システムの方はどうとでもするけどさー、人間の目は誤魔化せないからねー。

 出欠点は全体の25%。まず卒業資格取るのが最低限の目標な。忘れてない?』


『分かってるよ勿論。明日の第1限までには戻る』


 張りぼてのような街中の道路を、テールランプを流し一台のバイクが疾走する。

 目的地は、唯理がここ『スコラ・コロニー』に隠した宇宙船、フランシスカ級『アルケドアティス』だ。


 聖エヴァンジェイル学園を内に収める為だけに存在する、楕円形のコロニー構造体。

 学園以外は、生徒の心理的影響とやらを考慮して配置されただけの、見せ掛けの街並みしかない。

 中央の河は大規模な水質調整槽でしかなく、星空を映すのは一面の巨大スクリーンであった。


 モーターの駆動音サウンドが徐々に甲高くなり、センサーから隠されたバイクは空気を切り加速を続ける。

 目撃者のいない河川沿いの片道3車線を、唯理は狂ったように飛ばしていた。

 平穏で平和な学園生活。

 赤毛の少女には我慢ならないぬるま湯だが、これはこの先に必要な一歩でもある。

 だから、ここをクリアする為に必要な事はなんでもするし、それが出来ると考えていた。


 ただ、何もしない、というこらえ性がなくなっている事には、唯理自身も気付いていなかった。





【ヒストリカル・アーカイヴ】


・単位制

 起源惑星の高等教育機関で用いられた学習基準。

 各授業における、出席日数、受講内容、試験結果、等の総合点が基準を満たした場合、その授業を履修完了し単位を取得したとみなす。

 そして卒業にあたっては、必修科目を履修完了した上で、必要な単位数を得ていなくてはならない。

 聖エヴァンジェイル学園では通年で全授業が受講可能であり、卒業要件となる単位数を満たせばいつでも卒業可能とされる。

 よって、21世紀の教育機関で見られたような学年や学級クラスといった枠は必要とされない。




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