92G.ロクデナシレミニセンスと熱狂の続き
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ジャンスターシェーフ国民主権主義擁護共和国、中央星系『フロンティア』。
本星『プロスペクティヴァ』、共和国首都『グローリーラダー』。
開発中途区画。
無限とも思える広がりを見せる都市。地平線まで人工物で埋め尽くされ、高層建築物は競うように大空へ向けて背を伸ばしている。
縦横無尽に張り巡らされた、道路や
僅かなスペースをも無駄にしないかのように映し出される、
空中を往く車両やヒト型重機、あるいは
そして、雑然と密集する建物の隙間に、蠢くように行き来している人々。
ようこそ、共和国中央首都『グローリーラダー』へ。
ここは天の川銀河における最大の都市。その規模はあらゆる点で連邦の首都『バビロン』を凌ぐ、繁栄と混沌の
開発中途区画は、その混沌を代表する部分である。
天まで伸びる壁か、あるいは色とりどりのおもちゃ箱が無数に積み上げられたかのような集合住宅群の、一番下。
薄暗く、湿っており、廃材やゴミが無造作に放置されている、薄汚れた建物の狭間。
そんな所に、場違いな美女が
「まさか、そのままだなんて…………」
長い栗色の髪を自然に流し、少し下がり気味な瞳に優しげな面立ち。
薄手のワンピースを下から押し上げている豊満な肢体。
地上故に
まるで、高級居住区から迷い込んで来たかのような、上品な淑女。
高速貨物船パンナコッタⅡの船長、マリーンであった。
のんびりしているようで割りと動じない船長をして、呆然としてしまうのには
無数と言って良いほど多くの惑星があるので一概には言えないが、共和国圏の国と都市は、建物の建て替えが非常に早い傾向にあった。
これは、共和国中央政府から各地方政府へ下知される、経済政策によるものだ。
施設の更新による経済活動の最大化と効率化や、全共和国圏における規格の共通化、安全基準の最新化義務とそれらに対する補助金、などと
そして今、マリーンの前には薄汚れた開発区画が、
新陳代謝するかの如く、常に新しい建物に入れ替わる共和国首都の中にあって、取り残されたような場所だ。
マリーンがこの場所を出て、何年経っているだろうか。一度も戻った事はないが、とっくに影も形も無くなっているものだと思っていた。
(なるほど……つまり、昔からそういう役割の場所だったのね。当時はそんな事考えてるゆとり無かったものねぇ。気付かなかったわ)
記憶を辿り、マリーンは区画の境界を跨いで内部に足を踏み入れる。
本当に、
ただ大勢の人間を詰め込む為だけに存在する、雑な作りの超高層集合住宅。手入れもされないまま経年劣化し、各世帯の窓には勝手に手を加えた跡も見られる。
建物の間にも、誰かが建てた小屋や朽ち掛けた車両が放置してあった。粗大ゴミのような物が集められ、壁際に追いやられて小山を作っている。
戦争ごっこに興じていた子供達が、建物の中から飛び出してきた。
切り張りした
絡んだりしなくて正解だ。見た目などアテにならないのだから。
この区画では、慎重で賢くなければ子供であっても生き残れはしない。
◇
マリーンと妹はここ、開発中途区画で幼い頃を過ごした。
開発中途、と言っても、実際にどこかが開発されているのを見た事はない。
子供の頃は気にもしなかった。日々を生きていくだけで精一杯だったから。
今に思うと、この場所は首都内で
過酷過ぎる経済競争の中で、脱落したドロップアウト組の吹き溜まり。
この場所もまた、共和国の都市と経済の運営計画に組み込まれているという事だ。
マリーンは両親の事をよく覚えていない。おぼろげな記憶は、果たしてそれが両親と呼べる人物であるのか確信が無い。
物心ついた頃に聞いた冗談か本気か分からない話によると、
正直、どうでもよい話だった。真偽が分かったところで、食べ物が得やすくなるワケでもない。
『毛玉』でも追っていた方がマシである。
◇
マリーンは、かつて自分達が暮らしていた部屋がどこにあるのか、分からなかった。
この場所を出た頃は、
頼れるのは自身の記憶だけだが、基本的に集合住宅はどこも同じ構造だ。今となっては見分けが付かない。
(そもそも昔はどうやって棲家に帰っていたかしら? 特にこれといって目印らしい目印を使った覚えもないのだけども…………)
仕事柄記憶力には自信があるが、覚えてないものは思い出しようもない。
意外と自分も妹のような直感型だったのか? とマリーンは途方に暮れる思いだ。
ならば、自分より妹の方が先に、あの部屋に戻っているかも知れない。
◇
マリーンの妹は、とにかく活発な少女だった。考えるより先に手が出るタイプで、小柄で華奢な体躯でありながら、喧嘩となればだいたい勝っていた。狂犬とも言う。
姉の方は、運動が苦手とは言わなくても、どちらかと言えば頭を使う方だ。何せ妹が妹だったので、自然とそういう役割に落ち着いたのかもしれない。
妹が手におえない事に首を突っ込むと、頭でそれを助けるのが姉の仕事だった。
この場所では、周囲に棲んでいる者たちが家族、とは言わなくても、それなりに助け合って生きてはいた。
もっとも、それも
共和国の生存競争から脱落したくせに、結局はそれしかやり方を知らないのだろう。
マリーンと妹は部屋のひとつに勝手に棲み付き、そこを拠点に日々の糧を手に入れていた。
近くの部屋には、似たような境遇の者たちも棲んでいた。それぞれに得意分野のようなモノもあり、機械屋や薬屋、データ屋、ID屋と呼ばれていたが、本当の名前は知らない。知りたいとも思わなかった。
そんな連中の中にあって、マリーンと妹は『
◇
(えーと……たしか電源屋がボロ小屋に店を構えていたのよね? そこから二棟跨いだところの手前だか奥だか……三棟だったかしら?)
マリーンは近場のネットワークにアクセスし、必要な情報を得ようとする。通信インフラはどこぞの
母船のオペ娘ほどではなくても、これくらいの事は出来る。
記憶の中にあるボロ小屋を探したところ、それらしい物を二ヶ所発見。
カメラの死んでいる場所に正解があるかもしれないが、そんなの確かめようもないので、結局自分の足で行ってみるしかなかった。
見た目と格好が良い所のお嬢様なので、窓際にいる住民がマリーンに胡乱な目を向けている。
周囲の生活音を聞いていると、不意にマリーンは過去に引き戻されるような錯覚を覚えた。
と言っても、それは懐かしさや郷愁などではない。
この場所に楽しい思い出など無いのだから。
◇
どうして上昇志向など持ったのか、今になって考えてもよく分からなかった。
この
あるいは、フードディスペンサーさえ満足に使えず、『毛玉』と呼称される生き物を捕まえて食べるような生活から抜け出したかったのか。
気が付いたらマリーンと妹は、共和国の中で成り上がろうと足掻いていた。
そして、その能力があった。
行動力のある凶暴な妹と、狡猾で悪知恵の回る姉。『疫病』と呼ばれた姉妹は、底辺から徐々に社会を冒しはじめる。
手始めに支配企業のひとつ、『カンパニー』系列の末端企業に潜り込むと、詐欺に近い債務回収や戦争を吹っかけるような資材調達の業務で大暴れ。
良くも悪くも会社ごと一目置かれるようになる。
次に、運が良かったのか悪かったのか、マリーンがその素材の良さに目を付けられて、3段階ほど上の企業の幹部にカラダの関係を持ちかけられた。
愛人になる代わりに、仕事の面で優遇するというのである。
マリーンはこれを受け、逆に相手の
10代の小娘が、倍以上歳の離れている企業の幹部を、自分無しでは生きていけないカラダに変えてしまったのだ。
女同士の手練手管を相手から学び、その企業から奪えるモノ全てを奪った後、マリーンは女部長を捨て次の段階へ歩みを進める。
手に入れた資産を元手に、相手の欲しい物をチラつかせ、強引な手が使える余地があれば妹を放り込んだ。
また、使えそうなオンナが要職にいた場合は、積極的に落として利用した。性癖もこの頃に決定された。
マリーンと妹は手段を選ばず、階段を上るように企業を次々踏み越えていった。
危ない局面もあったが、姉の謀略か妹の暴力があれば、大抵の事はどうにかなった。
マリーンが作りまくった愛人も役に立った。役に立つオンナばかりを選んでいたのだが。
そうして遂には、共和国の頂点とも言うべき44社のひとつ、カンパニー本社に喰い込んでみせる。
この領域になると周囲はやり手の怪物ばかりで、マリーンといえども何度か痛い目に遭った。
だが、マリーンはどこまでも貪欲に仕事に挑み、成功を収め続けた末に、企業の持つ大艦隊を任されるまでになる。
巨大な軍事力と共和国の権力を背景に、星系国家ですら圧倒する恐怖の象徴、フリートマネージャーだ。
企業内の権力闘争でも一歩も引かず、時として他の企業と取引をしてでも、有利な材料を手に入れるなどもした。この時は相手の幹部に少々やられたが。
一方、プライベートではオンナなどもう喰い散らかす勢いで引っ掛けるようになり、生活は大分
超高級マンションの最上階ペントハウスに、常に5~10人囲っているような有様であったという。
そんな地位に至っても、マリーンは全く満足せず、また立ち止まるという発想も出なかった。
上り詰める先があるのならば、あらゆる手段を使ってそこに至るだけなのだから。
◇
当時、一度でもこの場所の事を思い出しただろうか。
自問するマリーンだが、恐らくは振り返った事などないように思う。
ただ、突っ走るだけの日々だった。
見つけ出したかつての棲家だが、今は当時の名残を僅かに残すのみだ。
周囲の部屋に、知人はひとりもいない。薬屋も、機械屋も、偽造ID屋も。彼らの棲んでいた部屋は、見知らぬ家族や男達が入り込んでいた。
マリーンと妹の棲んでいた部屋は、誰が何に使っていたんだか、完全に荒れ果てている。
壁の傷や崩れた跡が、辛うじてこの場所がそうだと識別できる材料だ。もはやヒトが棲める部屋ですらなくなっていた。
「…………何やってるのかしらね、わたし」
自嘲気味に呟くマリーン船長。歩き通しだったが、それ以上に疲れた気がする。
この部屋を出た事に、後悔など無い。ここにあるのは、未来も希望も何も無い生活だけなのだから。
自分は求めるまま、力の限り
寄る辺無く、食べるにも困る日々から、全てを踏み台にして駆け上がる先にあった、絶対的な権力と使い切れないほどの
選ばれた者しか見られない景色、放蕩を極めた生活、権力構造の中で繰り広げるパワーゲーム。
挙句の果が、唯一の肉親である妹の喪失である。
開発中途区画に来たのは、共和国に戻り懐かしさから里帰りする気になった、などというセンチメンタルな理由ではない。
マリーンは見たのだ。旗艦『フォルテッツァ』のパンナコッタ2号店で、成長した妹のうしろ姿を。
◇
マリーンの妹、『スカイ』は、マリーンの戦闘指揮の下で死んだ。
フリートマネージャーとなったマリーンの懐刀であり、当時搭乗していたゴッドハンド級
考えるのは姉で、動くのは妹。
この関係が終わるなど、マリーンはその瞬間まで想像もしなかった。
全てが終わった後では意味など無いが、マリーンはふと妹との関係について考えてみる。
仲の良かった姉妹、という感じではない。どちらかと言うと、共犯者か相棒といった表現が近いだろう。
スカイも、マリーンを姉だからではなく、その能力で信頼していたように感じられた。
気分屋でワケも分からず不機嫌な事も多かったが、必要とあらばキッチリ仕事をする娘だった。
では、マリーンは妹を実際どう思っていたか、だが。
それは意味が無いので、考えないようにしている。
ただ、間違いなく全幅の信頼は置いていた。
◇
妹のうしろ姿を見たマリーンは、すぐさまオペ娘に周囲の監視カメラ映像を探らせた。
ところが、どれだけ映像データを調べて、それらしい人物は確認できない。
さりとて見間違いなどという事で片付けられもせず、マリーンは単独で共和国本星首都に降りて来たと、こういうワケだ。
もっとも、仮に妹が生きているとして、どこにいるかなど見当も付かなかったが。
かつての棲家に戻っている、などというのも考え辛い。子供の頃じゃあるまいし、もう少し人間らしい場所に住んでいるだろう。第一、開発区画がそのまま残っているなど考えもしない。藁に縋るようなモノであった。
ここには妹などおらず、もはや帰る場所ですらない。
マリーンは、もう何度も妹の死は確認している。
うしろ姿を見たのも、未練でしかないのだろう。
マリーン船長は、物凄く船に帰りたかった。今すぐ可愛いクルー達に会いたくなったのだ。
マリーンは過去をほとんど話さない。パンナコッタでも、メカニックのダナと船医のユージンが多少話を聞いている程度だ。
カンパニーの幹部時代とそこに至るまでには、随分強引な事も酷い事もした。
それを黙って、今の仲間に縋るのは卑怯で弱い事だろう。
それでも、マリーンは家族とも言える女の子達に会いたくて仕方がなかった。
「懐かしの我が家だからって、ひとりで来るなんて迂闊過ぎないかしら? 小さな船の船長に納まって、鈍ったんじゃないの? 姉さん」
だが、建物を出て間も無く、マリーンは船長ではないかつての幹部社員の顔を取り戻していた。
やはり、予感は正しかったのだ。
妹は、ここに来るという。
「スカイ……。あの死体が偽装だったなら、セッティングしたのはカンパニーね。誰? カーンウェイ? ハーク? まさかヴィシー会長? でも、あの頃のカンパニーが私を切る理由が無いから、別の企業にでも鞍替えしたのかしら?」
「流石にここで思考停止する姉さんじゃないわよね。でも答えはすぐ分かるわよ。今のボスが姉さんに会いたがっているから」
企業の黒服集団を率いてマリーンの前に現れたのは、まだ少女と言って良い年頃の女性だった。
栗毛をポニーテールにしており、表情は強気だが、よく見れば姉と共通点が多い作り。
背丈とスタイルは姉より控え目だが、四肢はスレンダーで引き締まり、躍動感のあるタイプである。
フォルテッツァのパンナコッタ2号店に現れた時と異なり、身体に密着する
マリーンの妹、スカイ。
かつて死んだはずの妹にして、共和国を離れる事となった原因。
その再会は喜ばしいものとはならず、姉妹はまるで敵同士のように相対していた。
【ヒストリカル・アーカイヴ】
・毛玉
共和国中央本星『プロスペクティヴァ』に人間が入植する以前から生息していた固有種の呼称。
全身を長い毛に覆われており、中身は6本足の雑食動物。
本来は黄金色の毛並みだが、都市に適応した種は灰色の毛色をしている。
食用には適さない。
・
主に貧困層が生活する地域。何らかの理由で社会から弾き出された人間が集まる場所でもある。
大都市になるほど自然発生する傾向にある。この場所の環境整備を行おうとするのは、社会心理学を知らない素人の愚行でしかない。
社会における必要悪。
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