10G.コンスタント プライオリティー



 村瀬唯理むらせゆいりは小さな子供ではないのだ。手を引かれなくても自分で歩ける。

 しかし、エイミーは唯理の手を痛いほど握り締めて離そうとしない。

 唯理も無理に振り払おうとは思わないが、せめて手の骨が砕ける前にはやめて欲しいと、通じない祈りを発信していた。

 今の自分の身体は脆すぎて洒落にならない。


 そうして医務室の前まで来ると、何故かエイミーは足を止めていた。

 唯理は以前のメナスとの戦闘で大分消耗し、回復しないまま非合法組織のエイムとも交戦している。

 連続した高機動で身体を痛めつけ、見えない部分で多くの負傷があった。

 その為、治療を受けに連れて来られたはずなのだが、


「…………どうしてあんな事言うの?」


 動かないエイミーは、唯理から顔を逸らしたままポツリと漏らした。

 何の話かと唯理が思えば、それは今しがたの船長との会話の事だろう。


 身体への負荷を顧みないエイムの高速戦闘。ヒトに道具扱いされながら、それをすんなり肯定できる冷たい思考。

 それは生きる事を望まず、命を削り死に急いでいるかのように見える。

 あるいは、あのプラントから連れて来てはいけなかったのだろうか。

 そんな事を思い、さりとてエイミーは本人に聞く事も出来なかった。



 もっとも唯理の方は、別に自殺願望は無いし捨鉢なワケでも何でもないのだが。



「わたしは……多分この船に来る前は、高校生か何かだったと……思う」

「『こうこうせい』って……学校とかに行ってたの?」

「多分。いや、もう卒業してた…………? よく覚えてないけど。でも、こういう事は、それ以前からやっていた気がする」

「それって、エイムに乗る事?」

「いや、戦闘行為」


 村瀬唯理には、パンナコッタに来る前の記憶が無い。覚えているのは自分の名前と、記録・・の断片だけだ。

 自分が生きていた21世紀から、どうしてこんな遠い未来に来てしまったのかも分からない。

 恐らく、帰る事など出来ないのだろう。


 それでも、戦場に在って唯理の心は、自然に応えるのだ。

 どこにいようと、いつであろうと、やるべき事は変わらない。

 自分の意志に従い、動ける限り戦場に立ち続ける。

 恐らく、かつての村瀬唯理も、そんな生き方をしていたはずだ。


 問題は、ただの高校生がどうしてそんな生き方をしていたのか、という事だが。


「わたしは……自分の事も良く分からないけど、それでもこの船を守るのは当然だと思う。お世話になっている事だし。今のところそれは最優先しなければならないし、わたしの身体や命よりも、優先順位は高いワケだ」


 別に、誰に命じられた事でもない。

 だとしても、唯理は自分の仕事を最後までやり切るつもりだ。

 それは、この貨物船パンナコッタの一員としてではないかもしれないが、ならば別の場所で同じ事を続けるだけだった。


 エンジニアの少女としては、自分が思っていたのと少し違った。

 プラントで倒れていた赤毛の少女を見た時、エイミーは何か自分より儚くか弱いモノを拾ったつもりでいたのだろう。

 この時代、子犬を拾って飼うなどという事も、なかなか無い。

 ところが、メガネのお下げ髪少女が拾ったのは、子犬どころではない狼だった。


「…………これ着けておいて」

「これ、は……髪留め?」


 エイミーが手の平に乗せて差し出したのは、小さく長細い黒の髪留めだった。良く見ると側面に細い溝が刻んであり、薄紫のラインが入っている。


「インフォギア、とりあえずの間に合わせだけど。もっと性能が良いのもいくつか用意しておくから」


 唯理の赤い髪を手で梳くと、エイミーはひと房を取って髪留めを着けた。

 互いの背丈の関係上、エイミーからは少しだけ唯理の顔を見上げる形だ。


「お願いだから、勝手にいなくならないでね……」


 その言い方で渡されると、まるでペットの首輪か何かの如しだが、それはともかく。


 サラサラとした赤い髪を指で遊ばせながら、間近で唯理を見つめるエイミー。

 溜息が出るほど綺麗な貌に、今は堪らない寂しさを感じる。

 切なそうにするメガネの少女は、無意識に唇から、ジリジリと赤毛の少女を追い詰めて行くが。


 そこでプシッと、


「あなた達そういう事は自分の部屋でやりなさい。あとユイリ、あなたは検査終わってダメージが回復するまで性的な事は全部禁止よ」

「ち、ちがいますよユージン先生!? まだそこまで――――――――――」

「だ、そうです……。あと『まだ』って何?」


 扉が開き、ふたりを見て呆れたように言う船医。

 その途端、メガネのお下げ娘は赤毛の少女を思いっきり突き離した。


 貨物船パンナコッタは、落ち着きを取り戻したプラットホームでようやく補修を受けた後、間も無く次の航海へ出る事になる。

 それは、遠い過去から現在に来た村瀬唯理の、長い旅の始まりでもあった。


 ついでに、全銀河の人々を巻き込む戦いも迫っていたが、唯理のやるべき事に変わりもないのである。

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