6G.ステータス オブ スイーツハート
少し古ぼけた貨物船『パンナコッタ』は、数度のショートワープの末にクーリオ星系から脱出。恒星間空間と呼ばれる、付近に惑星も何も無い宇宙空間へと出た。
遠くに星が瞬くだけの、静止した無限の広がり。
ここでパンナコッタは最低限の機能を残し、他を停止させて慣性航行に入る。
「…………スクワッシュドライブ停止、周辺に移動物体とかデブリ無し、通信波もなーんも無し」
『マリーン、メインのジェネレーターはBチェックが必要だ、これ以上の全力運転は保障できんぞ』
「主機はどれくらいで使えるかしら?」
『冷却に30分、チェックに2時間は要る。だが無茶なフルドライブを連続したんだ。どこか致命的な破損箇所があっても不思議じゃない。このジェネレーターもいいかげん耐用年数を越えているからな』
船首にある
必要最小限の航宙機能に居住モジュールやカーゴモジュールを搭載しただけのパンナコッタは、元々は中古の船を改造した物だ。その稼動年数も大分経っている。
しかも、嵐の戦場から一目散に逃げ出す際にも、相当な無茶を重ねていた。
「船のシステムに問題は無い? 生命維持と航行機能、シールド、武器、T・F回りは?」
『サブが生きている分にはどうにかなるがな。こっちはむしろメインより新しいから信頼性がある。時間はかかるがワープも出来るぞ。しかしパワー不足はどうにもならない。メインの半分以下の出力だからな』
機関室にいるメカニックからは、良くはないが致命的でもない、という報告が返って来た。
そのメンテナンスは相当に手間取りそうで、通信越しのメカニックも難しい顔だ。
当然だが、空間を歪める程の技術であるワープドライブには、相応に大きなパワーを必要とする。
コンデンサへ膨大なエネルギーを充填し、一気にスクワッシュ・ドライブに注ぎ込む事で、二点間の空間を圧縮し光以上の移動速度を実現する。
このシステムを、古来から超光速航行を示す名前に倣い、『ワープ』と呼称していた。
それをサブジェネレーターだけで賄おうと思えば、どれだけ時間がかかる事やら、という話だ。
だが、船長にはそれほど逼迫した様子が無い。
「フィスちゃん、干渉センサーの方は大丈夫?」
「拾ったエイムとの同期は取れてるけどー……やっぱり船に乗っけるみたいな広域タイプじゃないから1hdくらいが限度じゃないの? エイミーが改造すればもうちょっと良くなるんだろうけど」
「そっちの事もあるし、やっぱり一度船の修理が必要ね。船の修理が出来そうな所は近くにあるかしら?」
「カム星系端のケーンロウって星に軌道上プラットホームがある。そこが近いっちゃ近い…………」
そもそも、貨物船パンナコッタが同行していた
それを修理する為に手近なプラントに立ち寄ってみたら、あの騒ぎに。
たまたまヒト型機動兵器を拾って、それに搭載されていたセンサーをそのまま利用する事で応急処置としたが、船自体の問題が解決したワケではなかった。
よって性懲りもなく、どこかに立ち寄る必要性が出て来たのだが、目下の候補は先のプラントより問題が有りそうだという。
オペレーターの釣り目少女も、眉間にシワを寄せていた。
「『カム星系のケーンロウ』……あら、エクストラ・テリトリーなのね」
「クーリオグループ自体エクストラ・テリトリーみたいなもんだったけどな。でもこっちは本当に法の外ってヤツだし、どんなヤツが仕切ってるか分かったもんじゃないぜ?」
「移動できる距離に制限がある今の状態じゃ仕方がないわよ。ケーンロウなら15hdくらいで着けるわ。エイミーちゃんは?」
「多分…………ユージンのとこじゃねーの?」
オペ娘の
『ユージン』とは、パンナコッタのお抱え船医であるユージーン=テナスの事だ。
艦砲クラスのレーザーに撃ち抜かれて爆発して大気圏に突入して燃え尽きる寸前にプラントから命からがら脱出し、人類の敵との耐G限界無視の高機動戦闘に巻き込まれはしたが、船のエンジニアである『エイミー』に怪我らしい怪我は無かった。
では、どうしてドクターのところにいるのか。
答えはひとつ。
ヒト型機動兵器と一緒に拾った、赤毛の少女を見に行ったのだろう。
「それじゃ、わたしも見に行ってみようかしら。フィスちゃん、少しお願いね」
「うぃーっス」
ゆるふわなお姉さん、といった見た目の船長は、オペ娘に
貨物船パンナコッタは、全長50メートル、幅が40メートル程の宇宙船だ。船内の移動に時間はかからない。
古い船だが重力制御機能くらいはあり、船長はヒトふたりが行き来出来る程度の狭い通路を、歩いて通り抜ける。
自動の気密ドアが開くと、そこは狭い廊下と複数の部屋に繋がっていた。
医務室兼船医の個室は、それらの部屋のひとつを改造して設置されている。
後付けモジュールなので、船本体とは内部の構造や内装が異なっていた。
「あ……船長」
医務室には3人の人間がいた。
ひとりは長い黒髪の女性で、リクライニングシートに背を預け、気だるそうにしている。部屋の主である船医だ。
もうひとりは、菫色の髪を長いお下げにしたメガネの少女で、船のエンジニアを担当。船長を見て我に返ったような顔をしている。
そして、最後のひとり、
「ジーンちゃん、この娘の具合はどうなのかしら?」
「さぁ、それは入れてみないと何とも――――――――」
「そういう冗談が出るって事は何ともないのね?」
医療用のベッド、『クレイドル』と呼称されるその上では、長い赤毛の少女が横たわっていた。
エンジニアとオペレーターのふたりが、崩壊するプラントからお持ち帰りした娘である。
正確には、ふたりの方が助けられたのに近いが。
なお、今はシーツをかけられ裸体は見えない。
やる気が無さそうな船医の女性だが、それでも仕事を疎かにしない事は、船長も良く知っていた。でなければ船に乗せない。
つまりセクハラ染みた冗談が出る程度には、切迫した事態でもないという事だろう。
なお、船医の冗談にエンジニアの少女が、「この娘はわたしの」と小さく主張していた。
しかし、そんなエンジニアのメガネ少女へ、船長から無慈悲な指示が下りてしまう。
「エイミーちゃん、15hdほど向こうの星系まで飛びたいんだけど、例のエイムのセンサーだとちょっとパワー不足みたいなの。お願い出来る?」
「え…………? ああ、エイムの干渉儀は恒星間距離に対応するほどじゃありませんものね。分かりました、どうにかしてみます」
「大丈夫かしら? 結局専用の機材とかは手に入らなかったけれども」
「壊れたセンサーアレイを流用して増設、エイム自体の解析能力も上げれば10倍くらいの距離はサーチ出来るようになると思いますけど」
「そんなに? それなら2回のワープだけで行けちゃうわね」
ほー、と感心したかのような顔になる船長のおねえさん。
べらぼうな性能アップに思えるが、そこは伊達にエンジニアではなかった。腕は一流である。
「ブラックボックスは多いけど、基本的に導波干渉儀はアレイの面積で
無駄が多いようだが、システムの仕様上そうなっているので、この際有難い。
そんな事を言いながら、エンジニアの少女は
基本的にこの船には、仕事人が集まっている。船長がそうしたのだが。
エイミーという少女は、エンジニアという自身の仕事にプロ意識を持っている。機械一筋といっても良い。
だから、船長は少し心配していたのだ。
赤毛の全裸少女を持って帰って来た直後、その執着の仕方が今まで見た事もないほどだったので。
わたしが世話をしますから、って犬猫拾って来るんじゃないのだが、と船長は思った。
「ま、本能に訴えかけるものでもあったんでしょう。機械ばかりじゃなくて、人間に目を向けるのも良い事よ。それに…………」
お下げ髪のエンジニアを見送った後、船医はベッドの上の少女に目を向ける。
確かに、メカにしか興味を持たなかった娘が逆上せるのも分からなくはない程の美少女だ。
崩壊する秘密の研究機関に所有者不明で転がっていたら、お持ち帰りもしたくなるだろう。勿体ない。
問題は、この少女が何者かという話。
「DNAから見て、人類、プロエリウム、女性、テロメアから割り出した肉体年齢は15才前後。身長とオッパイは結構あるけど、体重の方はちょっと軽いわね。今までほとんど運動してなかったみたい、少し細すぎる。わたしはもう少し肉付きの良いのが好みなんだけど…………」
「エイミーちゃんが怒るから時期を考えてね。他には?」
「はいはい、針の痕を調べたらインジェクションの血中残渣が見つかったわ。長期的に投薬で栄養補給を受けてきたのが分かるわね。特に目立つ成分は見つからなかったけど。ただ、全身の神経系に過度の負荷をかけられたみたいで、反応が鈍くなってる。ネザーズのフィードバックで無理をすると、身体全体の神経が一度にダウンする事があるからそれに近いと思うわ。あと、高G障害と思われる毛細血管周りの内出血、過負荷による筋肉の断裂、同じく疲労骨折、ヒビね。安定しているように見えるけど、今はナノマシンを入れてるわ。運び込まれてすぐはちょっと危なかったわよ、この娘」
ヒト型機動兵器『エイム』を船に収容した直後、操縦していた赤毛の少女は、鼻血を吹いて失神してしまった。
それをエンジニアとオペレーターの娘が大慌てで医務室に運び込んだのが、もう1時間以上前の事。
同時にエイミーとフィスも精密検査を受けたのだが、こちらに関しては大きな異常も無し。せいぜいコクピット内で打ち身を作った程度だ。
エイミーの精神にも異常はみられなかった。心療はユージンの専門外だったが。
一方、赤毛の少女だけこれほどダメージが大きいのは、本人の身体の弱さに起因すると船医は考えている。
あるいは、既に存在しないプラントに偽装した研究施設で、何かされていたのか。
「この娘は生物兵器か何か? 改造用の素材とか」
微笑を作ったまま、目だけが全く笑っていない船長が鋭い視線を船医に送る。
最も危惧するところは、それだ。
真っ先にエンジニアの少女を医務室から出したのも、この話をする為だった。内容如何によっては聞かせられない。
この後の処置にしてもだ。
プラントに偽装された、連邦の秘密研究施設。
そんなところに全裸で転がっていた少女。
いったいどんな闇から出て来た存在なのか、かつて共和国の暗部に触れていたほんわか船長は、それを敏感に感じ取っていた。
「うーん…………」
船医も船長の危惧するところは分かるが、回答には少し迷う。
この船医もまた普通ではない過去があり、汚物のような人間の本性も多く見てきた。
だが、そんな経験を以ってしても、この少女の事はよく分からない。
「……遺伝子を操作した痕跡は無し。さっきも言ったとおり特別なインジェクションも無し。外科的な施術をされた形跡も無し。当然インプラントの類も無し。虚弱体質を除けばただの女の子にしか見えないのよね。正直この娘を使って何をしてたのやら…………」
膜もあったしね、と医者の倫理としてアウト過ぎるブラックジョークを飛ばす船医の女。
とはいえ、いつの時代も野郎の考える事は同じであり、そういう用途に赤毛の少女が使われていた可能性は、船長も考えていた。
この事はエンジニアの少女に話して良いか迷う。無事なら無事で、尚更に。
なお、遺伝子操作技術の軍事利用は、連邦、共和国、皇国の三大国家で最大の違法行為とされていた。
かつて戦争や技術競争の中で歯止めが利かなくなり、多くの地獄を生み出した為だ。
もっとも、敵に禁止しても自分はこっそり研究を続けているのだろうが。
「後は本人に話を訊くしかないけど、どうするマリーン? 治療を続けて良いの?」
結局、医療的見地から赤毛の少女の正体を知る事は出来なかった。
研究をしていたプラントの施設も、高度数百キロから惑星に落下し大気の抵抗と断熱圧縮により崩壊、トドメに地表へ叩き付けられ影も形も残っていない。
他の手がかりとしては連邦そのものを探るしかないが、迂闊に触れれば大火傷する可能性が大だった。
この赤毛の少女を回復させて良いのか、船長としては判断しかねる。
果たして実験動物だったのか、単なる被害者か何かだったのかは分からない。
しかし、万が一この少女が連邦の機密に関わるような存在だったら、このまま抱え込むのは船や船員の命にも関わる。
あるいは、この少女自体が危険な生き物であるという可能性も。
そのような事を考えながら、船長はまた他の予感も覚えていた。
この少女は、何かとてつもなく大きなものに関わっている気がする。
それも、極秘裏に連邦が開発していた強化兵士や生物兵器などというレベルではない、とてつもなく多くのヒトの生き死にに関わるような。
無視しきれない直感が、そう言っているのだ。
悩んだ挙句、船長は船医の女へ、赤毛の少女に対して
これも、エンジニアの少女には言えない事だ。
その代わりではないが、赤毛の少女はこのまま治療を受ける事になった。
この判断が、後に自分たちの運命を大きく動かす事になるとは、かつて切れ者として恐れられたマリーン船長にすら見通せやしなかった。
◇
非常に困った事になった、と思う。
妙な成り行きで偶然知り合ったクラスメイトに、何故かやたら懐かれてしまったのだ。
お世辞にも人当たりが良くない愛想も無い自分の、どこがそんなに気に入ったのか。
理解に苦しむ。そして相手の感性を疑う。
それに現実問題として、自分の境遇を考えると、一般人の少女と親密になるのは好ましい事態ではない。
ところが、どれだけ素っ気なく振る舞おうとも、その少女は自分に構って離れようとしないのだ。
挙句、直近に発生した面倒事をどう片付けようか悩んでいる時に、アミューズメント施設なんぞに遊びに行こうと誘われてしまった。
何を呑気な事を言ってやがるお前他人事じゃないだろうが、とド突き倒したくなるが、自分の力では怪我をさせかねないので、自重するしかなく。
しかも断れなかった。罪悪感に負けて。
あんなに悲しそうな顔をするのは卑怯だと心から思う。
そんな時間はないのに。
自分には、やるべき事があるのだ。
その使命も、友達の名前も、全く思い出せないのだが。
「…………く、ら」
酷く哀しく、どうしようもない喪失感を覚えながら、赤毛の少女こと
何か夢を見ていた気がするが、内容までは思い出せない。
そして、どうして自分が全裸で寝ているのかも分からない。
どういうワケか貞操の危機を感じる。
貞操はともかく、自分がどこにいるのか把握する必要を感じ、赤毛の娘は周囲を見回した。
だが、薬品ケースや医療器械らしき物の存在から、医務室か何かという事以外は、場所を特定する手掛かりが無い。
「グッ……! ッ…………!?」
ベッドから起きようとすると、あまりにも身体が重たい事に驚いた。まるで鉛のプールの中で動いているかのようだ。溶けた鉛の中で泳ぐと死ぬが。
とにかくそれくらい、信じられないほど動きが鈍く、四肢が全く言う事を聞いてくれない。
以前なら指先どころか、爪の先まで神経を廻らす事が出来た、と思う。
それが今は、思考だけ切り離されて、受信状態の悪い身体を遠隔操作しているかのような感覚である。
「立つのはまだ早いわよ。負傷個所は治したけど体力と精神が消耗しているんだから。あと24時間は寝ていた方が良いわ」
いつの間にか、部屋の中にはもうひとりの人間がいた。隣の手洗いか何かの小部屋にいたらしい。
黒い髪の、退廃的な雰囲気を持つ女性だ。やはり、覚えが無い。
「言葉は分かるかしら? 私はユージーン、この船の船医よ。ここは貨物船『パンナコッタ』の医務室」
「…………『パンナコッタ』?」
「喋る事は出来るのね」
船医を名乗る女性を警戒する赤毛娘だが、次に出た船の名前に、思わず素で聞き返していた。
凛とした冷たい表情が、ポカンとしたあどけない物に変わってしまう。
パンナコッタ、確かその名は、生クリームやゼラチンを固めたスイーツを指す単語だった、筈だ。
またえらく甘可愛いネーミングだと。
呆気に取られた赤毛娘の顔に、気だるげな船医の女性も、思わず微笑を零していた。
これでも、目覚めた時どうなるか心配していたのだが。
「船名の来歴なんかは知らないわ。後で船長にでも直接聞いてちょうだい。私も、貴女には色々訊きたい事があるんだけど……そうね、名前は?」
話をするにも、相手の呼称というのは必要になる。
どの程度意識がハッキリしているかを知るにも、本人の名前を聞くのは有効だ。
そして、そこではじめて、船医と他の乗組員にも、赤毛の少女の抱える問題が周知される事となった。
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