クロリス


 ヒコヤンの脳裏に母娘の顔が浮かんでは消え、居ても立ってもいられなくなった。彼は玄関に立て掛けておいたH&K G3SG/1とチェンソードを背負うと、夜の帳が降りた無人の闇に沈む街路に向かい、出立しようとした。


「お待ち下さい! ヒコヤン様。お食事がお気に召さなかったのならば、せめて……せめて今夜だけは客間にてゆっくりお泊まり下さいませ。娘が未だに檻に入れられた恐怖に耐えきれず、終始打ち震えているのです……」


 懇願するような眼で割烹着姿の母親がヒコヤンを引き留めた。ニーナも人身御供を一時的に逃れをしたものの、明日はカルキノス教団によってどのような処遇が待っているのか分かったものでない。


「……分かりました。確かに人の好意を踏みにじるような行為はいただけませんね。今夜限りはお言葉に甘えて休ませて貰います」


 暫く思いを逡巡させたヒコヤンは、母親の心からの勧めを受ける事に同意したのだ。

 おそらく娘の部屋であったと思われる2階の客間に案内されたヒコヤンは、注意深く間取りや調度品をチェックした。綺麗なベッドに家具、あまり飾り気のないシンプルな部屋に少し警戒心を緩めた彼は、上着や武器を外して壁に掛けた後、ベッドを軋ませた。



   ☆☆☆



 真夜中に扉の外から人の気配がする。グルカナイフに手を伸ばし上半身を起こした時、月明かりに浮かぶシルエットから、すぐに誰か感じ取る事ができた。……やはりニーナだ。

 思い詰めたような表情を覗かせる彼女は、自分用の大きな枕を抱えていた。よく見ると、ほぼ裸の上に巫女装束である松鶴柄の白い千早だけを羽織っており、寒そうに肩を竦めている。


「ヒコヤン様、夜分に驚かせてしまい申し訳ありません。少しお話しをしましょう」


 彼の返事を待つでもなく、ニーナはベッドの端に背中を向けて座った。金糸で縫った松と鶴の刺繍が鈍く光る。


「どうしたんだ、やはり君の部屋に俺が寝るのは問題なのか?」


「いいえ、ご自由に使って下さいな。むしろ喜ばしいです。そんな事より……」


 ニーナは薄い千早の赤い前紐の結びを解くと、はらりと脱いだ。そして静かに立ち上がり、ヒコヤンの方に俯きながら向き直ったのだ。

 巫女装束に合わせたように、透き通るような白無垢のショーツとブラ。いや……よく見ると、ここにも金糸の刺繍がワンポイントであしらわれている。その下着に見劣りしないほどの白く抜けるような肌は、もっちりとしており、ブラに包まれた部分は豊かな膨らみを隠しきれていない。もし触れようとするならば、五指の全指圧と、そこはかとない握力をも難なく弾き返す柔い抗力を持つ事は、疑いようもない造形だ。

 心なしか呼吸が早くなり、刻む心拍が伝わってきそうな胸元から、小さな臍の辺りに視線を落とすと、折れてしまいそうな腰のくびれから下には艶々と健康的なラインがふっくらと……更にミステリアスな良い香りまで全身から放っている。


「……ヒコヤン様、恥ずかしい……。そんなに見つめないで下さい……」


「では、なぜそんな振る舞いをする?」


「……カルキノスの生け贄に選ばれる女子は、生娘だけと決まっているのです」


「すると……」


「今宵、ヒコヤン様に抱いて頂ければ……。私は……」


 ヒコヤンはニーナの紅潮した顔を見上げた。緊張に震える彼女の目元には戸惑いと同量に覚悟の色が確かに浮かんで見えたのだ。眉間に皺寄せした後、彼は優しげでクールな笑顔を儚げな処女に与えた。


「いいだろう。こっちに来い!」


「きゃ!」


 鍛え抜かれた頼りがいのある腕に、ニーナは引き寄せられた。だが決して乱暴でもなく、なぜか中性的な魅力も備えていると彼女は刹那に感じたのだ。


 

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