クサンテ


「ヒコヤン様……! 私……」


「しっ! 静かに。このまま……」


 ヒコヤンはニーナを優しく腕に抱くと、周囲の物音に耳を澄ませた。


「君は本気じゃないだろう。目を見れば分かる」


「そんな……ヒコヤン様」


 ニーナの目元にうっすらと涙が滲んでくる。ヒコヤンはグルカナイフに手を伸ばすと同時に抜き去り、曲がった刀身をブーメランのごとく誰もいない襖に向かって投げつけた。

 深々と突き刺さったブレードの奥の空間から、見慣れない神主の格好をした小男が醜く顔を歪めて飛び出してきた。


「おのれ! ヒコヤン、どこまでも食えない男!」


 ナマズ髭の小男が忌々しそうに叫ぶと、ニーナは慌ててベッドから抜け出し、薄い布を羽織った。


「教祖様! 申し訳ございません!」


「ええい! 役立たずめが! お前など破門にしてくれるわ!」


 ヒコヤンは2人が気を取られている内にすばやく装備を整え、瞬間移動のようにナイフを襖から引っこ抜くと同時に小男の喉元にあてがった。


「ひッ……ひぃ!」


「無粋な覗きをする奴は誰だ? と言いたいところだが、カルキノス教団の教祖、カピタン鈴木だな!?」


 カピタン鈴木は喉元のブレードの冷たさに、身も心も凍り付くような瞬間だったが、彼にも教祖としての矜持がある。精一杯の抵抗でニタリと不気味に笑った。


「ヒコヤン! 総督府の厳命で教団潰しに、ここまでノコノコとやって来たな! 警官からとっくに情報を得ておるわ!」


「残念だったな! 私はカルキノスにしか興味ないのでね」


 白い服を着たニーナは、少し悲しそうな目をすると玄関の方に走って行く。


「ほざけ! 総督の犬めが! 神の使いを狩るというならば同罪。外を見てみろ、貴様はここで終わりだ!」


 ヒコヤンが窓の外に視線を移すと、ニーナの母親……おそらく成りすましの人物が、ラジコンの送信機のような物を首から提げて、湖に向かい去ってゆく途中だった。


「我々が子蟹メガロパの頃から大切に飼い慣らしてきたカルキノスの力を舐めるな! ヒコヤン、教祖の怒りを身をもって思い知るがいい!」


 開けた湖岸のぼんやりとした明かりに照らし出されたのは、中型トラック級の大きさの装甲殻類カルキノス。闇を振るわせながら、不気味に藻だらけで上陸してきた。


「あれは、ケプラーノコギリガザミか!」


 ヘルメットのような甲羅はギザギザのノコギリのような突起に縁取られており、両腕のハサミは甲羅の厚さに等しいほど巨大に思えた。後脚はオール状になっており、泳ぐのも得意な事が分かる。

 見ると右の爪にケプラースケーリーフットの貝殻を携えている。奴にとってスケーリーフットの硫化鉄でできた鎧ウロコなど無力だ。ひっくり返して柔らかな腹足を狙えばいいだけの話である。


「そうさ、カルキノスハンター・ヒコヤンの伝説も今日でおしまいさぁ!」


 ヒコヤンはカン高く叫ぶカピタン鈴木を床に転がせると、左手に持つグルカナイフの柄で窓ガラスを破壊した。そして流れるような一連の動作で、右腰のホルスターからジャイロジェット・ピストルを抜くと2階から外に向かって構えた。


「何をするつもりだ?!」


 何も答えないヒコヤンの代わりに、ジャイロジェット・ピストルのレーザーサイトからピッとロックオンを示す電子音が聞こえた。


「愚か者め! 夜間この距離から狙って当たるものか!」


 カピタン鈴木がそう言い終わらない瞬間、鈍く反動を感じさせない発射音とガスが部屋に充満した。


「何だと! ……そんな馬鹿な!?」


 遙か遠方を行く、母親と称する女性が持つアンテナ付き機器にマイクロ誘導弾が命中すると、地面に落下して砕け散るのが見えたのだ。


「コントローラーがいかれた! 何て事をしてくれたんだ! もう制御が効かないぞ」

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