第17話 新たな事実
「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰?」
魔女のセリフが裏手まで聞こえてくる。魔女といっても男なんだな。じゃあなんなんだろう。魔王? 主役が変わってくるなそれ。
「それは……シンデレラです」
台本通りに話がすすんでいく。台本通りに。
でもそれは、台本が間違ってる場合には事故にしかならない。
「なあ理衣花…………このセリフ、白雪姫じゃね?」
「…………だよね」
次の出番を待つ俺のとなりには、同じく出番を待つ理衣花がいる。こいつはこの次のシーンで俺と初邂逅を果たすので、そこまでの間、この謎のシーンを裏手で眺めるのだ。
今日はジャージであるが、本番までに一回は衣装を着て合わせるらしい。どうなるんだろうか。ちょっと興味あるな。ほんのちょっと。
「ほら、理衣花ちゃん、次ね」
「あっ、うん!」
魔女が自らの鬱憤を吐きに吐いた後に、左袖に退場していく。あれ台本通りに読んではいるけど気持ちの入り方が違った。なんか思うところがあるんだろう。がんばれ。
理衣花が入場すると、その他にたくさんの男女――逆転中だからもはや訳がわからないが――が、わらわらっとステージに上がる。このシーンは王子がダンス中にシンデレラと出会う場面。つまり、理衣花がわんさかいるカップルのなかに俺を見つけ出す、というシーンだ。なんとも目がいいな王子。スマホ依存症だけど。
ここで、俺の入場。
ぱたぱたっ、と若干焦った様子で入場すると、周囲の注目を受ける。
「やっば、超かわいくね?」「すっごーい…………『美人なう』」「付き合えるわ~」
……この芝居は鵜新の独断で現代風にリメイクされているので、セリフがナウなヤングなのだ。ナウなヤングっていうのがすでに現代っぽくねぇな。
「あっ、ごめんなさいね……すいません」
うまい具合に俺の周りに集まってきた人混みを掻き分けながら、理衣花が顔を出す。
「あなた…………すごく…………かわいいですね」
王子役に徹する理衣花が、与えられた通りのセリフを言うので、俺も台本通りに返す。
「あなた、王子様ですね?」
「ええ…………そうです」
ここで、理衣花は俺への告白シーン。
「きょ、今日は天気がいいですね」
「あ?」
台本にないセリフを言う理衣花。
「理衣花ちゃん、違う違う」
これには鵜新も出てくる。ステージの下から理衣花を見上げる。
「そこは、『私と一緒に踊りませんか?』でしょ。告白への伏線なんだから、しっかりしてもらわないと」
「こ、告白…………」
やけに顔が赤い理衣花は、ごめんね、と一言だけみんなに謝ると、そこでチャイムがなった。
「今日はここまでだねー、次はこの続きからね」
鵜新がそう言うと、各人ばらばら体育館を後にする。
「ごめんね」
「いいよ。始めてやったやつだし、緊張もあったかもだし」
雑音の流れるなか、王子はシンデレラに寄り添う。慰める。
だから、どこかにこのシーンが完成しなかったことに安心する自分があったことには、最後まで気づかない振りをした。
「おい、大間、これ見ろよこれ」
「ん? なんだなんだ」
「これだよ」
昼休み。今までなにも言ってこなかったけど、俺には男友達もちゃんといる。ぼっちじゃないよ。
彼は名を
「…………校内で携帯使うと怒られるぞ?」
「大丈夫。俺はどこにどの先生がいるか把握してるんだ」
人差し指でこんこんと頭をついた有明は、そのまま画面をこちらに向ける。
映っていたのは、見たことのない女性の一糸まとわぬ裸体であった。
「…………で?」
「『で?』じゃねえよ。これを見て名前がわからないのか!?」
お前の尺度で語らないでくれよ。
「あの国民的AV女優の社家亜依だよ。無修正版が最近出たんだ!」
「お前そこそこの声で叫んでんな!」
クラスの半分くらいはまだここに残ってんだぞ。このままだと俺もこいつとまとめて変態に思われてしまう! 風評被害だ。あとAV女優が国民的ってのもどうかと思う。
「どうだ……そそるだろ? 特にこのへんが」
「画像を保存するな拡大するな叩くな場所を示すな!」
「…………大間、俺はお前と友達だと思っていた。しかし気づいてしまった……」
突然声のトーンを落として語り出す有明。その声でさっきの話してくれ。もう手遅れだけど。
「お前に『裸エプロンで味噌汁にお麩をいれて、「私もこんな風にどろどろにしてぇ……」って言ってもらうこと』への理解が芽生えるまで友達とは認めんぞ!」
まさかのタイミングで絶交宣言だった。いや有明、両手に地からを入れて怒ってるけど、そんなコアなジャンル誰も賛同しないから。友達いなくなるぞ。
「さらばだ旧友よ! また会う日まで!」
ガラガラガラ、バシャンッ。
乱雑にドアを閉めて部屋をあとにする有明。嵐が過ぎた。助かったー。後の時間は寝よう。
――ガラガラガラ。
「ごめん、宿題見して」
「お前絶交したんじゃねぇのかよ!」
「くっそ…………あいつのせいだ」
いつもなら眠いはずの授業が全く眠くならず、むしろピンピンしていた。しかしそれでいて授業内容が入ってきたわけでもない。じゃあどうしたか。
「意外といけるかもしれない……」
俺は、裸エプロンで味噌汁にお麩をいれて、「私もこんな風にどろどろにしてぇ……」と言われるシチュエーションで、終始内から芽生える感情と格闘していたのだ。有明、どろどろにしてやる。
授業内容がすっ飛んでいった頭を冷やそうと立ち上がったところで、理衣花がやって来たので、一度座った。アレの話ではありません。いつからこれは下ネタだらけの話になったのか。
「あんた、寝てなかったわね」
「珍しくな……」
「どうしたの? 顔色悪いじゃん」
「誰かさんのせいでな……」
こいつには見られてないのかな。知った感じではない。まあでもこいつには何本か隠してあるそっち系のDVDは見られてるし、なんとかなるな。それはそれでいやだ。
「ふーん……ちなみに、社家亜依ってどう思う?」
「ふべらっ!」
「ちょっと、なにその声! 聞いたことないんだけど」
こいつ、聞いてたんじゃないか。なんでこう直球で俺の心をえぐりにくるんだこの野郎。
「だ、どうした……AV女優の話なんかして」
「いや、別に…………」
「な、なんだよ」
おま、それはあれだよ。聞き逃げってやつじゃないのか。困るよそれは。俺だって極限状態なんだぞ。
「ごめん、なんでもない。じゃね」
そう言って、彼女はドアの外に消えた。俺のプライドも消えた。
「ごめん、シフトには遅れないから、先行ってて」
顔の前に両手をパチン、と合わせた理衣花にそうことわられたのは20分前。俺は一人で職場の道中にいる。
相変わらず危険な交差点を渡る。この道ももう何年通ったことか。いや一年ちょいなんだけどね。感慨に浸ることってあるじゃん?
「おつかれさまでーす」
「あっ、大間くん…………うぅ」
ドアを開けると、そこには床を這いつくばる店長がいた。
「だ、大丈夫ですか?」
「うん、ヤバい……」
「どうしたんですか? 脂肪肝?」
「病状を外見で判断しないで!」
まずそこから入るだろ。お前そろそろ自分の身を案じた方がいいぞ。
「胃がね、キリキリ痛むの……」
すさまじい形相で訴える店長。なるほど、赤貝ですか。
「大丈夫です。赤貝は売り切りますから」
「ほんとなの?」
「ほんとです」
こういうのはパーっと言い切るのが大事。
「なにか、新しい策があるの?」
「そうですねー、ありません」
「…………は?」
倒れた状態で顔をあげる店長。ついに耳も遠くなったか。
「ありません。思い付きませんでした。てへぺろ!」
「お前ぶっ殺すぞ?」
あんたの方が死にそうだろ。
「帆立にやってもらう以外にはどうしようもないです」
「昨日いくつ売れたか知りたい?」
「あ、はい」
「6582枚」
「すっげー!」
大成功じゃん。これは勝った。
「ちなみに、あといくつ売ればいいんですか?」
「それは…………いいや、お楽しみにしておこう」
ついに楽しみだした店長も店長である。身の程を知れ。
「じゃあ、仕事ですので」
店長と別れ、いつも通り、トイレに着替えにいく。早くこれいつも通りじゃなくしたい。
隣の女子更衣室には、また大量の赤貝が、こちらを見ている。不気味。
5時。タイムカードを押す。一人で。
「遅刻じゃねぇかあいつ!」
理衣花は見事に遅刻していた。
この時間にいないということは、そのまま減給である。そうだよ。社会って厳しいの。一分の遅刻で一時間消えるの。何百円という金銭と共に。
しかし、真面目なこの人は来ていた。
「はいー、ありがとうございます」
今日も今日とて、その海老原なんとかというキャラクターのコスプレをしている帆立がサイン会を開いている。今のお客さん、十枚くらいもらっていったけど、それって赤貝10皿分だよね。えげつない。
一気に減った色紙を補充するついでに、帆立のとなりに歩み寄る。
「あのさ、五枚以上は握手とかにしない? いくらなんでもああいうガチ勢来たりするとさ、疲れるじゃん」
「いや、大丈夫です」
存外にきっぱりと否定した理衣花。マゾなのかな。
「あの、私が変態とかそういうわけではなくてですね」
とんとん、と渡された色紙の束をきれいに整える帆立。読心術もできんのか?
「私、漫画家なんです」
「うん、知ってる」
「いや、そういう問題ではなくてですね」
自らの利き腕である右手を眺めると、ペンを手に取る。
「私の……食いぶちとでも言いましょうか。その源はこの右腕にあるんです。これに宿る魂というか感覚というか、そういうのは一瞬たりとも鈍らせたくないんです」
「…………揚げ足をとるようだけど、帆立はこの店でガンガン右腕を使ってるよね。それはどういう?」
「それは……」
また一人、パートさんの担当するレジにお客さんが回る。あちらでお受け取りください、という言を聞く限り、またもや帆立の仕事になりそうだ。
「今は、私は漫画家ですから」
ペンを握った方とは逆の手をグーパーと開いたり閉じたりする。ウォーミングアップとかそういう系。
「浅利帆立。それがこの店における私の名前でした。でも、今は漫画家のすきゃろっぷ」
帆立は、お客さんがレシートを受けとるのを見て、こちらに顔を向ける。
その顔は、花が咲いたように、晴れやかで。
「そういうことです」
それだけ。ほんのそれだけ言うと、帆立はまた作業に戻った。いや、作業と言ったら彼女と彼女のファンに失礼なのかもしれない。ファンサービスとでも言おうか、それは、一人一人、一枚一枚、手書きで、直筆で、気持ちを込めて、手渡されていく。
「かっこいいな……」
気づいたら、そう漏らしていて。
サイン会のスペースを、五歩ほど後ろから眺める。そこには、紛れもなく、異種の世界が広がっていた。
さて。そんな帆立はひとまずおいておこう。彼女一人の力でなんとかなる分はある。少なくとも昨日1日でそこそこの売り上げを残しているし、期待どおり今日も人が動いているので、安定した売り上げが見込めるだろう。
ところで。
「おっせぇなあいつは!」
まだ、理衣花が来ていなかった。
もう六時だぞ。お前は社会の厳しさを知らんのか。クビだぞクビ。どっちにしろそうなるも知れないけど。
「なにが『シフトには遅れないから』だ。思いっきり遅刻じゃねぇか」
一人、レジでカチカチ小銭を整理しながらぼやく。こんなことでイライラしてるから間違えて1円を10円のとこに入れるんだよ。隣でもねぇじゃねぇかよなんで間違えた俺。
「ふわーぁ……」
完全にあくびをする。思い返せば最近は連勤だから疲れがたまってんだよな。ゴールデンウィークも過ぎたし、なんとも言えぬ日々を過ごしてるって感じ。六月祝日ないのどうにかなんないかな。寝たい。
「なにあくびなんかしてんですか」
後ろから声がかかる。先ほどまでサイン会をやっていた帆立だ。今は休憩時間となっていて、リラックスした表情だ。さすがに座ってても何時間もぶっ通しで座ってんのきついだろうね。まあこっちは立ちっぱなしだけど。
「いいじゃんよ。たまにはこういう時もあるでしょ」
「まあありますけどねー。完徹二日で仕上げる時とかはアシさんにも迷惑かけました。ごめんなさい」
「いやここで謝られても」
いったい誰に謝ったのだろうか。俺? んなことねぇな黙れ自意識過剰野郎。
「ところで今日理衣花さんは?」
「遅刻」
「えーっ、珍しいですね」
心の底から本当に驚いた表情の帆立は、そのまま問う。
「一緒じゃなかったんですか?」
「まあね」
同じ出勤日なのに一緒に行かなかったのは、実はこれが初めてだったりする。だから、俺とあいつのことを知ってる人は大抵驚いている。ただし店長は身体的な都合で例からは外れる。お大事に。お世辞って大事。
「大丈夫ですかね……事故とかじゃないといいですけど」
「あいつが事故るか」
「いやでもわかりませんよ? ほら、確かあの辺超危ない交差点あるじゃないですか」
「詳しいな」
「いや住民ですし」
「そうだっけ?」
「そうですよ。わざわざ電車乗ってバイトしますか高校生が」
「そりゃそうなんだけども」
そうか、言ってた気もしなくはない。帆立がこの近くに住んでるって。最近この人がなんなのかわからなくなってきたな。
しかし、まあ――
「電話してみるか」
なんだかんだ帆立の言うことも一理あった上に、何も連絡せずにいるのもどうかと思ったので、このタイミングでトイレに行く。以前はこんなことせずとも堂々と携帯をいじっていたのだが、この客入りではそんなことはできない。嬉しい悲鳴ってやつ。
「円高円高うるさいな……」
最近の経済状況は本当に大変そうだ。円高と円安どっちがヤバいのかわからないけど、どっちにしたって偉い人が騒いでるんだから、どうしようもない。
携帯の通知を確認して、トイレを出る。
「メール来てた。『今からいく』って十分前に来てる」
「そうですか、よかったですー」
もうサイン会の椅子に座ってスタンバっていた帆立が答える。再開は五分後の予定。
ほっ、と律儀に声を出して胸に手を当てて胸をその言葉どおり撫で下ろした帆立は、
「じゃ、みんな待ってるんで」
と、なかなかに羨ましい発言を残して前を向く。その派手な衣装は、それだけで周囲の視線を集める。
「……その服、自作?」
「いや、さすがにそれは無理ですよ。この帽子とか、私作れないですし」
「……だよな」
「なんですかその反応。私が裁縫できないのは知ってたみたいじゃないですか」
「いや、そこまでのクオリティで服を作れる女子高生なんていないだろうなって思って」
現にそのまま喫茶店などに行けそうなくらい完成度の高いものとなっている。ほつれてたりしてないし、ほんとすごい。
「あ、でも、いますよ」
「え?」
再開まであと少し。帆立は、こちらを振り返ると、携帯を操作する。あんたは携帯いじっていいのかよ。
「この人です」
画面をこちらに向けられた俺は、その写真を見て、驚愕。
「なにこのクオリティ!」
そこには、ものすんごい繊細かつ丁寧に、ところどころに細かい装飾が施された怪盗――漫画の中の登場人物か――がいた。
「これ、去年の冬コミなんですけど、このレイヤーさん、すんごいクオリティーで来てくれるんですよ!」
自作のファンの熱意を思い出したのか、すごく嬉しそうに語る帆立。気のせいか周囲が明るく見える。
「この人、すごいのはこれが全部自作ってことなんです」
「自作?」
「はい。布から、小物から、全部自分で買って作ってるんです。しかもこの人高校生で」
「高校生?」
なんか仮面みたいのを被ってしまっているせいでなんとも言えないが、背格好は高校生くらいな気もする。気もする、くらいでそこから先は推理だな。怪盗だけに。
「資金繰りとか難しそうなのに、よくやりますよね……ありがたい限りです」
遠くからおあいそを告げる音がする。それに向かって駆ける足音がする。
「じゃあ、そろそろ始めていいか?」
「あっ、はい。お願いします」
俺は、両手をメガホンの形にして叫ぶ。
「お待たせしました、サイン会、再開です!」
その声を待っていたお客さんの拍手が巻き起こって。事態を理解していない非オタの人からもぱらぱらと拍手が起こって。
そして、自動ドアが開いた。
開いたドアから、外の風が入り込んでくる。横の道路を走る車のヘッドライトが店内まで差し込んでくる。
入ってきたのは、一筋の光。
「いらっしゃいま……せ?」
「我が名は怪盗トロンプ・ルイユ……」
すさまじいオーラを見にまとったその人は、その圧倒的な声量で宣う。
「このバルにありし
熱の入ったその声は、店内全域、くまなく響き渡る。なになにどうしたの? 通報? ボタン押すよ?
「す、すごい……」
しかし、隣にいた帆立が、感嘆の声をあげる。
「来てくれたんですか……?」
「はい、来ちゃいました」
先ほどまでのトーンとはまた違う、明るい声でそう言う怪盗は、そのまま帆立に歩み寄る。顔についたサングラスが、その人物の人物像を
これはヤバい。帆立が危ない。
危ないのに――俺は、あろうことか通報ボタンを押さなかった。
それは、その声が、驚くほど聞きなれたものだったから。
「お久しぶりです、すきゃろっぷさん」
「えっ……理衣花……さん?」
帆立はその仮面を見上げる。おそらくは、彼女の作品の登場人物であろうその仮面に。
そして。
「あっはは、早かったなー。ボイスチェンジャーでも使えばよかったかなー」
高らかに笑い飛ばす彼女は、おどけてそう言う。
ふふっ、と微笑をその面の外に漏らしながら、仮面を取る。
「改めまして、お久しぶりです。すきゃろっぷ――浅利さん」
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