第16話 14日目、午前

 火曜日。一週間のなかでの存在感は薄く、とりわけ倦怠感の強い日である。個人の感想です。

 倦怠感が強いとなると、まず人間というのはなにかに乗じて逃れようとする。例えば食うとか、叫ぶとか。まあそのせいで太ったり近所迷惑になったりするのはまた個人の責任なんだけど。

 しかし、あまりにもだるいだるいと言っているわけにもいかないのである。なぜか。

 先週の水曜日に始まったデスゲーム。そのラストデーが今日なのである。Xデーと言った方がまあカッコいいはいいかもしれない。あくまで個人の感想です。

 だから、倦怠感とか言ってられないのである。置かれている状況がすでに倦怠感を体現 したものなので、今さらそんなこと言ったって何も生まれない。

「ねえ、あんた」

「ん?」

 今日も今日とて理衣花と登校している。別になんてことはないのだが、周囲からの視線を感じないわけではない。

「昨日はごめんね。誤解だって分かってたんだけど、なんか勢いでバーって言っちゃって」

「ん? ああ、なんだ、知ってたのか」

 なんだよそれ。昨日の心配とかビビっていたのは徒労ってこと?

「あんたが職場で年下の子と、その……色々する度胸なんてないと思うし」

「悔しいがその通りだな」

 現に肌をさわるまでの緊張は半端なかった。二度とごめんだ。

 コツコツと地面を踏みしめる革靴の効果音が響く。実は高校まで歩いて通っている人は少なく、この道を通っている人も必然的に少なくなって、俺たちの他に二人くらいしかいない。

「ねぇ、ひとつ訊いていい?」

「ん? なんだ?」

 訊いていいかと前置きして来るのは珍しい。こういうときのこいつはたいていろくなことがあとに続かないのである。

「浅利さんのこと、好きなの?」

 ほら、やっぱりろくでもない。

「どうしてそう思った?」

「だって…………下の名前で読んでるし」

「お前だって俺に下の名前で呼ばれてるだろ」

「いや、そういうんじゃないの。なんか……違うよね」

「なんかって言われてもわかるか」

 長い右カーブをがーっと曲がる。民家を2、3軒過ぎれば交差点に差し掛かり、ここで電車組と合流する。

「まあでも、嫌いではない、かなー」

「どういうことよそれ」

 朝の太陽が左横から顔を出す。あっつ。

「好きか嫌いかで答えられないから、遠回しな表現にしたわけよ」

「別にどっちでもいいのに……嫌いって言わないのはわかってんだからさ」

「まあな」

 喧騒が大きくなった。電車通学の生徒たちに追いつかれたらしい。

「どのくらい好きなの?」

「お前いつからそんな話が好きになったんだよ」

「いいでしょべつに」

「いいけど迷惑だな」

 こういうやつが一番迷惑である。そんなに人のことが気になるか。だったらまず自分をどうにかしろよ。って思ったりする。

「古文単語には、『よし』『よろし』『わろし』『あし』って四つの単語がある」

「なにそれ」

「お前よくそれで高校受かったな」

 俺はこれ高校受験の時に習ったぞ。

「で、だからどういうこと?」

「そういうこと」

 十歩ほど歩を進める。思うんだけど五十歩百歩って大差だよな。

「……どういうことだし」

 いささか腑に落ちないといった様子の理衣花。もうこうなったら放置である。

「ねぇねぇ、昨日あれ見た?」

「あー、見た見た。ツッコミが面白かったやつね」

「そう! 超面白かったよね!」

 前の二人組は昨日のテレビ番組の話題に花を咲かせている。

「私たちって、こういう会話しないよねー」

 理衣花はその二人組を見ながら呟く。

「やってみるか?」

「『やってみるか?』って言われてやるものでもないと思うけど」

 理衣花はこちらを見ずに続ける。

「ま、まあ? でも? どうしてもやりたいって言うなら? やらないこともないけど?」

 なんだよこいつ、回りくどいな。

 でも、こういうときに何もツッコまずに流すか、もしくは妥協した感じで受け答えるのがベストだ。長年の経験って素晴らしい。

「やってみようぜ?」

「しょうがないなあ……」

 言葉だけ切り抜けば理衣花が一歩譲った形だが、実際にはまんざらでもなさそうな顔をしている。

「昨日のあれ見た?」

「あれ? ……あー、見た見た!」

「じゃあさ、あそこ面白かったよな!」

「うん。やっぱり井伊直弼が斬首されるシーンは見ごたえあったね」

 ……ん?

「い、いやっ、ほら、ジャニーズがドッキリ仕掛けるやつでしょ?」

「え? ……いや、桜田門外の変だけど」

「時代劇かよ!」

 渋すぎるだろ。お前女子高生ちゃうんか。

「えーっ、見てないの? センスないなー」

 お前のセンスが300度くらい傾いてるんだよ。家帰ってからとりあえず斬首って……アグレッシブだな。

「……なんだ、結局できないんじゃん」

「八割方お前のせいだろ」

「あんたが二割悪いんじゃん! 直しなさいよ!」

「はあ? お前の方が割合高いだろうが」

「何言ってんの? 数字が大きいんだから私の方がいいってことでしょ!?」

「…………ん?」

「だから、八割ってのは私の方がいい働きをしてるってことでしょ! あんたが直すべきよ!」

 ちょっと何言ってるかわからない。

「……あのさ、八割ってどれくらいだと思う?」

 半ばバカにしたような……いや、十割バカにした質問を理衣花にする。算数のテスト。

「バカにしてんの?」

 絶賛バカにし中ですね。でも大丈夫。人間誰しもミスはあるから。

「八割って、大半ってことでしよ?」

「おお、わかってるじゃないか」

 ひとまず胸を撫で下ろす。

「つまり、大半は理衣花が悪いってさっきは言ったの」

「ちょっと何言ってるかわからない」

 いやお前の方がわからないから。

「八割とか、数が大きければ全部プラスの言葉になるでしょ? そばだってそうだし」

「十割そばはパサパサだから嫌いだ」

「あんたの好みは訊いてない」

「うっす」

 そろそろ学校の正門が見えてくる。おはようございまーす、と間延びした声がここまで聞こえてくる。

「斬新な発想だな。将来いつか必要になるから、その発想なくすなよ?」

「何言ってんの?」

「ただ、いつかそれでとてつもないミスをすることがあると思うから、その時は気を付けろよ」

「だから何言ってんの?」

「ところで赤貝だけど」

「……なんなの?」

 ただ単にお前と会話してると頭がおかしくなりそうってことだよ。

 強引に話題を変えた俺に対して多少の疑問を隠せなかったであろう理衣花は、しかしそれを呑み込んで前を見る。

「赤貝だけど」

「うん」

「今日、だな。リミット」

 二週間前。どこにでもいる普通の高校生が、どこにでもいる普通のおっさんに執行猶予つきの死刑宣告を受けた俺と理衣花。その二週間という期間は、長いようで短く、短いようで長かった。

「もう二週間か……」

 なぜか知らないが理衣花もしんみりしおった。

 都会ではないが、山のなかでもないこの土地。沿岸部なのだが、発展はしなかった。そんなところ。向こうに見えるのは大量の工場と煙突。もうもうと立ち上がる白煙は、どこまでも高く。

 校門を抜けると、そこには坂がある。運動部に入ればこの坂を走らされるのは避けられない宿命であり、体育の授業でも駆け上がることがある、忌まわしき坂だ。マジでエレベーターになれ。

「私たち、何も頑張れてないね」

 息を切らしながら、理衣花は言う。道端の石ころをカッと軽く蹴ると、そのまま転がった先も見送らずに歩き出す。

「……そうだな」

 もう何度も言ってきたことかもしれないが、この度の一連の騒動においては帆立と炙里さんによる効果が大きい。

 まだ、俺らが何もやれていない。

「1日で8000皿か……」

 俺らは、まだ昨日売れた枚数を知らされていない。が、少なくとも8000か、それより少ないにしても、かなりの枚数を売らなくてはならないということはわかっているのだ。泣ける。

「でも、知名度もない、特筆すべき点もない私たちが、何をするっていうの?」

「…………」

 理衣花はピンポイントで核心をついてくる。痛い。クリティカルヒット。

「まあ、それは追い追い考えるとして」

「時間ないのに?」

「もうそれ以上何も言うな……」

 心が泣き叫びたがってるんだ。

 電車の警笛音が長く響く。トラックのエンジン音が近づいてくる。

 ――どちらも遠ざかる。


「うーわ、マジか」

「マジマジ。お前覚えてきた?」

「いや、全然。覚えてくるということ自体を覚えてなかったよ」

「右に同じ」

 一限の前。話題は朝のホームルームで放たれた非情な宣告で持ちきりだった。ちなみに俺の立ち位置は左。大丈夫?

「そういえば再来週だもんな……」

 演劇コンクール。わが店の二本目の作戦の元となったものだ。うちのクラスは男女逆転のシンデレラ。姫は不肖大間鮪。王子は幼なじみ。

 今日はその練習の日だったのだ。だから英語がなくなったのか。その事実だけに喜んで昨晩は裸躍りしたから裏の理由を考えてなかった…………一応言っとくと裸躍りは例えであってフィクションです。

 通学定期券の入ったパスケースをポケットからカバンのサイドポケットに突っ込む。邪魔なんだよね。なんか無駄に分厚いし。

 じゃあ、せめて最後の悪あがきとして、科白を読むだけ読みましょうか。もちろん授業中に。いわゆる内職である。よいこは真似しないでね。

 ほう、なるほど。…………シンデレラ靴落としたまんまだけどこの台本大丈夫?


「ああ、鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰?」

「……大間くん、それは姫の台詞じゃない」

「えっ? 俺完全に卑屈キャラで行こうと思ってたのに」

「姫が卑屈でどうするの」

 というように、俺の気持ちいいセリフ練習を邪魔してきたのは、我らが学級委員、鵜新である。以前にも登場した。

 今回、彼女は学級委員ということで、この演劇の脚本、演出、音楽を担当されている。もはやこうなるとあれだよね。鵜新さんの映画だよね。

「あくまで原作に忠実なの。姫が卑屈キャラだと私が許せない」

「それは仕方ないな」

 この演劇における最高権力者に言われてしまっては歯が立たない。…………別に歯槽膿漏って訳じゃない。こんなの誰も気にしねぇよ。

 ていうか、自らの危険を冒してまで覚えたセリフ全部魔女だったんじゃないか説が急浮上している。もしそうだったら泣けるぞ。今日泣きすぎだろ。厄日か。

 クラス総勢32名が体育館を貸しきる。ステージには大道具こそないものの、さっき鵜新が貼った立ち位置のテープなどは重宝している。ここに立てばいいんだな。これは便利。

「ごめんね、衣装はもうちょっとでできるから。手芸部の人たちだけじゃなくても裁縫得意な人は積極的に手伝ってくださーい。このままだとジャージになっちゃうからね。おと」

「あっ、じゃあ私やるよ」

「ほんと? ありがとー!」

 ステージの下にいる鵜新は、見上げながら理衣花と会話する。

「大間くんは当日、脛をきれいに剃っておいてください」

「は?」

「シンデレラって曲がりなりにも女の子なんでね。脛毛とか生えてんのちょっとやだ。ほんとは脇も剃ってほしいんだけど、それはさすがに嫌?」

「嫌っていう訳じゃ……」

 たかが演劇コンクールにそんなに気を使ってられるかっていうんだ。やりたくてこの立ち位置をやってる訳じゃない。たまたまじゃんけんがごっつ弱かっただけだ。あの不運どうにかなんねぇかな。

「…………ちなみに衣装はフリフリの超かわいいドレスだからね。それに見合う演技を見せてね」

「わかったよ剃ればいいんだろ剃れば」

「ありがとう」

 鵜新は何かにひん曲げられた顔で微笑む。何か企んでるだろ。

「台本どこまで読んだ?」

「毒リンゴ食べるとこまで」

「ああ、まだ全然だね」

「え? いや、最後だと思うけど」

「ああ、あれ? うん、あそこからはアドリブでお願いします」

 聞き捨てならんな。

「いや、あのあと『靴にぴったり合う少女を探し、結婚』っていうとてもとても大事な局面を迎えるよね。そこアドリブなの?」

「うん」

 やっぱり何か企んでる笑みを浮かべながら頷く鵜新。なんだこいつ。

 鵜新は自身の前に置いてあるパイプ椅子に両手を乗せ、体重を預ける。

「まあ、お二人さんなら行けるでしょ。結婚までのアドリブ」

 …………なーるほど、そういうことか。

 つまりあれでしょ? 俺と理衣花の仲がいいから、息の合ったアドリブができるでしょってことか。その方が台本よりいいかもしれないまである。そういうことか。

「じゃあ、この事理衣花ちゃんにも伝えといて」

「ん」

 右手にメガホンを持っていたらかなりさまになっているだろう。なんとも映画監督然としている。将来の夢?

 まあそんな監督様も今は別のところにかかってしまっているので、俺は先ほどのことを理衣花に伝えにいく。

「理衣花」

「んー、なにー?」


「俺と理衣花結婚するから、合わせろよ」


「えっ!?」

 割りと大きな声で驚きを露にした理衣花だったが、それでも数人振り向いただけだった。それほどみんな集中しているということかな? やっぱりツンデレ系の行事なんだな。

 一方、目の前の理衣花は顔を赤くしてあわてふためいている。

「あのさ、そんなに緊張しなくても、流れでやっていけるから」

「流れって!?」

「それは俺にもわからん。でも、悪いようにはしないから」

「え……まだデートもしたことないのに……」

「ん? なんか言ったか?」

「い、いや? 別に」

「そうか…………ああ、時折俺が入れたりすることもあると思うから、その時はちゃんと反応しろよ」

「!」

 先ほどまでの赤に赤を三回掛けたくらい赤くなった理衣花。顔だけじゃなく体まで赤くなりそうな勢い。右手は口に当てられている。そんなに緊張しなくても。

「えっ、えっ、えっ、……あんたが……入れるの?」

「そうだな。なるべく俺からやるようにするから」

「ヤるようにする!?」

 なんか今変換おかしくなかったか。

「そう…………わ、わかった…………ちゃんと反応する。その…………あ、あえげばいいんでしょ?」

 ん? 喘ぎはしなくていいんだが。むしろそれ放送事故だろ。

「じゃあ、セリフいれたら合わせろよ」

「わ、わかった……がんばる……………………セリフ?」

「そう。劇で俺とお前が役柄的に結婚するから、台本ないけど合わせろよってこと」

 窓が空いていないのに、一瞬北風を感じた。

「あんた…………」

 ついに全身赤くなった理衣花が、両手に力を入れる。なになにどうしたどうした。

「最初からそう言ってよ!」

「はあ? なんの話だよ」

「自覚なしか!」

「ねぇよ。何もないんだから」

「わかったわかったわかりました! ちょっと勘違いしちゃったの! わかったよ!」

 突然語気を荒らげる理衣花。うるさいわ。

「とにかくよろしくな、頼むぞ」

 用件が終わったので、理衣花に背を向けて帰る。まだセリフ覚えてないし、これからが勝負。

「…………一瞬どうしようかと思っちゃったよ、もー…………」

 理衣花が何か言っているが、聞こえなかった。


 ところでさ、鏡よ鏡とか毒リンゴって白雪姫じゃね? シンデレラをやるんだよね?

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