五皿目 最終日(赤貝的にもクビ的にも)

第15話 前夜祭

 夜9時。シフトが終わった。高校生は法律で10時までしか労働を認められていない。故に帆立のイベントもこの辺で終わらさずを得ず、お開きとなった。

「結局、かなり売れたよなぁ……」

 理衣花の座っていて席の卓上には、たくさんのレシートが山積みになっている。しかも、レシートを持って帰った人もいるので、これよりも多くなることか予想される。

「ほんとすげぇな……」

 あらためて、彼女の人気ぶりを痛感する。

 理衣花だけがそんなにマニアっぽくなっているのかと思っていたが、そんなこともなかった。何ページの何コマ目のあの立ち絵がかわいいとか、そんな話も飛び交っていて、単純にすごい。その記憶力はテストにとっとけよ。

「さて、着替えるか」

 奥で帆立と話し込んでいる理衣花を放置して、一人トイレにこもる。この生活も、何だかんだで明日で終わり。感慨深いものが全くない。早く終われ。

 最初の方では色々落としたりしていたが、今はそんなことはなくなって、むしろ極めだしている。店長がここで着替えられるといったのはあながち間違いではなかった。悔しいことに。

 ただ、依然便座が暖まらないのはどうにかならないだろうか。はやくつけてほしい。ノーウォーム、ノーライフである。

 制服に着替えて、休憩室に帰る。先ほどは理衣花を放置していたが、俺は鬼ではないので、とりあえず帰りは一緒にしてやる。

 ズズ……ズズ……

 暖かい緑茶を音をたてていただく。日本人独特の儀式だ。

「――ですよねー、やっぱり人気なんですねー」

「朝から並んでいる人もいますからねー」

「やっぱそうなんですか」

「そうですよー、すごいですよねー…………あっ、ちょっと用事あるので先行っててください」

 そう言うと、探偵の姿の理衣花は奥に行ってしまう。なにか準備でもあるのだろうか。

 と、ここで理衣花が俺の姿を視認する。

「…………あっ、ごめ、すぐ来るから」

「はいよ」

 軽く手を合わせて「ごめん」と小さく残した理衣花は、若干早足で更衣室に向かう。あいつ急ぐ気ねぇな。

「はぁ……暇……」

 ぶっ壊れた携帯は修理に出していて、今週中には帰ってくるらしい。が、今週というのは金曜ないし土曜日まであるので、今日は帰ってきていない。そういう曖昧なのやめてほしい。

 女子の着替えってなんだかんだ遅いから、多分十分くらい暇することになるだろう。あーあ、なんか面白いこと転がってこねーかなー……

「ふぃー、疲れた」

 と、そこで、澄んだソプラノの声が飛んできた。帆立の声だ。さっきあっちに行ってその帰りだろう。

 すんげー暇だったが、別に声をかけるとかはしなかった。コミュ障って言うな。

 だから。帆立は、奥の方で座っている男の存在に気づかなかった。

「…………ここでいっか」

 何やら帆立が呟くと、次の瞬間。


 帆立が探偵服をテイクオフした。


「えっ……」

 俺の視線と心配をよそに、紐をほどきだす帆立。


 しゅるるるる…………しゅるるるる…………


 あかん、理性が弾ける。

 帆立の細く繊細な指が、探偵服の外套の前の紐のあいだに通される。

 そして、その外套を丁寧にたたんで袋にいれると、今度は下に着ている学校の制服……っぽい服を脱ぎ始める。普段の制服――ブレザーと違い、白と青の、ベタな――といったらさすがに失礼なのかもしれないが、想像できる一番有名な――セーラー服が下から覗く。

 周囲を気にすることなく、それにも手をつけて。

 白い肩甲骨が露になる。

 女子高生の肌ってこんなにきれいなのか? 女子の肌なんてこの歳になってからはさすがに見ないし、理衣花のだって最後に見たのはそれこそ小学校の頃くらいだ。

 健康的なそのみずみずしさが目に飛び込んできたところで、

「あのー……帆立さん?」

「え? …………わっ、ひゃっ」

さすがに声をかけた。ごめん。さすがにこっから先は彼女いない=年齢の男子高校生には刺激が強そうだった。

「えっ、ど、どど、どこまで見ました?」

「…………背中向きだったから、最悪大丈夫……だと思う」

「そ、そうですか……ごめんなさい、不注意で」

「不注意で脱ぎ出しちゃうってのもどうかね」

 ぶっちゃけごめんなさいていうかありがとうございます。

「…………あの、ほんとごめんなさい。私、学校が女子校なので、更衣室とかそういう概念がないんですよ」

「そうなの?」

「はい……」

 帆立は脱いだワイシャツも丁寧にたたんで袋にいれると、俺の前に座った。

 …………ん? 

 それってつまり…………

「うわっ!」

「ひゃっ、ど、どうしたんですか……?」

「いやっ、いいの? その格好で……?」

 帆立は現在、上半身が下着一枚の状態で座っている。机を挟んで向き合って座っている形だから、ダイレクトにそれが目の前にあっちゃう感じなんだが……

「えっ? …………スカートはいてますよね。なら大丈夫です」

「えっ! そ、そうなんだ……」

 女子校、恐るべし。

「…………私、学校が女子校なんです」

「へ、へー」

 ほんとになんでもなさそうに語りだしちゃったよこの人。え? なにこの人。ブラジャーはなんとも思わないの? パンツじゃないから恥ずかしくないの?

「…………あの、おかしな話なんですけどね」

 今のところ一番のおかしな話はあんただ。

「女子校って、つまり女子生徒しかいないんです。つまり、性の隔たりがない。すると、あるものが要らなくなったんです」

「あるもの……」

「はい」

 帆立は自身の長い黒髪を後ろにひとつ結ぶ。むらのでないように丁寧に髪の毛をくくる。

 一瞬の静寂。

 すーっ、と、帆立が息を吸い込む。


「更衣室です」

「おかしいよね!」


 どういう思考ののぶっ飛びかただよ。更衣室は要るだろ。

「そんなん、どうやって着替えるんだよ」

「簡単ですよ。周りは女の子しかいないんです。隠すものは特になし。仮に見えちゃったとしても法にも条例にも引っ掛かりません。だから、要らないんです」

「じゃあ、プールとかは?」

「プールサイドで着替えます」

「制服とかは?」

「プールサイドにかごがあるので、各自そこに荷物は入れておきます」

「えっなにそれ」

 プールサイドで一度全裸になってから水着を着るってこと? それってすごくね?

「だから、更衣室がないとか、そういう空間で育ってると、もうなんだかその辺どうでもよくなります」

「以後気を付けなさい」

 世間はそう甘くない。

「まあ、自分が異常だってわかってるんですけどねー……家の中でも全裸の時ありますし」

 お父さん毎日楽しそうだな。

 と、何を思ったのかここで肩をぐるぐる回しだす帆立。なになに、儀式かなにか? もう女子校ってわかんない。

 ていうか。

「そもそもなんで、この店の更衣室には行かなかったの?」

 そう。帆立はなぜ更衣室を利用せずにこんなところで着替えていたのか。そもそも、そこがおかしいのだ。

「あ、今日は更衣室の鍵がしまってたんで、まあいっかと」

 なるほど、わからん。その神経が俺の常識を凌駕してしまっている。更衣室の鍵が閉まってたら、俺はとりあえず店長呼ぶ。今はトイレだからそんなことはないが、前に何回かあった。だから更衣室を使わないという発想自体アンビリーバボー。衝撃である。

「あっ、なんかあれですね。サイン会やったら肩こっちゃいました。ちょっと揉んでくれませんか?」

「えっ!」

 それは、思いの外普通の頼み事だった。だから肩回してたのね。

 しかし、今それは普通ではない。

 それはつまり、今が異常であるということ。

 下着一枚のみの隔たりで素肌を守っている帆立は、その肩と呼ばれるゾーンは無防備にも白い肌をさらしたままの状態になっているのだ。

 そろそろ言った方がいいか……このままだと直接さわることになるし。

「ねえ、帆立。今、上半身は下着姿なんだけど、大丈夫?」

 夜の空気は湿っている。この時期特有の湿度。それは例外なくこの部屋にも適用されている。

「え、私、スカートはいてますよね?」

「う、うん……それは、まあ」

「だったら大丈夫です」

 顔色ひとつ変えずに、爽やかにそう言ってのけた帆立。頭大丈夫?

「あの、時間もあれなんで、お願いします」

「え、あ、うん」

 大間鮪16歳、物心ついてからはじめての同年代の女性の肌。

「ひゃうんっ」

「あっ、ごめんなさい! なんか変でした?」

「い、いえ……大丈夫です」

 びっくりしたあ……妙に色っぽい声だった。やばい、俺の心が揺らぐ。

「い、行きますよ……」

 なるべく倫理を重視して、問題の無さそうなところをなぞっていく。

「んっ…………あぁっ、いいです…………そこっ、そこですっ……!」

 帆立があげる声は軒並みなんかエロくて、もうどうしようもない。耐えろ俺の理性。

 そのままたっぷり二分はたったと思う。たってないかもしれない。でもそんな気がする。

「…………んぁっ…………んっ、っ、」

「あの、そろそろいいですか?」

 状況と内から込み上げる何かに耐えきれず、とうとうそう持ち出した俺。弱いなー。

「あと、もうちょっとお願いします。一分くらい」

「あ、はい」

「先輩、丁寧語になってます」

 気にしてられるか。

 律儀に親指に重心をかけたりかけなかったり、力のかけ方に緩急をつけて押す。こうなったら俺のできる最大限のおもてなしをしようじゃないか!

「じゃあ……ここは?」

「……っ! つつ……初めてですそこ。ツボかなんかですか?」

「そう。ここが痛い人は目が疲れてるんだって」

「へぇー、勉強にはうんっ、なります、ね…………んぅ……ぁあ、すごいです、っん…………きもち……んっ、いい……………あっ、その辺です、そう…………んっ…………せ、先輩、しゅ、しゅごい、れす…………」


「なにしてんのよあんたたち‼」


「うっわあびっくりしたあ!」

 この絶妙なタイミングで入ってきたのが、わが幼なじみであった。

 学校でならう鬼の形相とはまさにこの事。角とか生えてくる勢い。こわ。

「あ、あ、あんた……浅利さんと……な、な、」

「ちがう、これは違う、誤解なんだ!」

「なーにーがー誤解だー!」

 そう叫んで、拳をたかだかと振り上げる理衣花。やめろ、それ以上は!

「うわ、殴んなお前、痛、痛!」

「うるさい! 原作者様に何てことを!」

「様ってなんだ様って」

「ありがとうございます!」

「帆立もありがたがる前に助けろって」

「いやあ……」

 断続的に続く拳の嵐に、とうとう他に助けを求めようと帆立の方を向くと、そこにはゲスを何乗にもしたような顔の彼女がいた。

「それは先輩……色々触られちゃいましたし……」

 即席で体をよじらせ、もじもじし始める帆立。やめて!

「どういうこと?」

 キッ、と。もはや音が出てきそうなレベルでこちらを睨み付ける理衣花。こわ。

「でも……すごい、お上手でした……私なんてうぶだから、すぐ気持ちよくなっちゃって……」

 そこで、図ったように顔が赤くなる帆立。なんなの? 女優志望なの?

「……あーそう。わかったわ……」

「誤解だって、頼む信じてくれ」

「信じるったって……どうなんですか浅利さん」

「誤解を解いてくれ、帆立」

 二人の視線が帆立に集まる。片や尋問。片や懇願。

 帆立の答えは――


「色々教えてくれてありがとうございます、先輩」


「はい、死刑」

「帆立さん! どうして裏切っちゃったの!?」

「なんでやなー」

 もう完全に状況を楽しんでしまっている帆立。もうあの子は仲間ではない。

「帰るよ!」

 こちらももう仲間ではない気がする。この人に寛大な心があればノーチャンスではないが、多分このままだとノーチャンス。でも一緒に帰る辺りまだチャンスはある。何のチャンスだよ。

「先輩!」

 後ろから帆立の声がする。振り返ろうとして、理衣花の機嫌を伺う。大丈夫だろうか。怒らない?

 理衣花はそんな俺を見て察したのか、小さく、はあ、と息を吐く。許しのサイン。昔っから変わらない。

「何だ?」

 俺は果たして振り返った。そこには、未だに上半身は下着一枚の帆立がたっているかと思いきや、さすがに服を着ていた。べ、別に残念って訳じゃないんだからね!

「今度は下着もなしでお願いしますねー!」

「お前正気か?」

「冗談ですー!」

 その顔は、笑顔に満ちていた。終始楽しそうに。

 この子は、その存在でみんなを照らしている。そんな気がする。太陽みたいな。いつまでも輝いている。

「さて、帰るか」

「あんたねぇ……」

 対して、目の前には今度はブラックホールが出現。こわ。

「…………私の方が胸大きいのに」

「どうした?」

「なんでもない。行こ」

 その声のトーンは、またいつもの理衣花に戻っていた。

 そうそう。これでないと。あんな万物をも貫かんとする目は似合わない。

 でも、そんなことを言うとまた怒るので、やめておく。

 満点の星空。天の川も見える。




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