第14話 灯台もと暗し

「はあー、疲れたあー……」

 店長からの呼び出しをかわし、シフトまで残り二分くらいの至福のひとときを、今エンジョイしている。具体的には椅子にもたれ掛かり伸びをして、その後机に突っ伏すというものだ。

「なに私みたいなことしてんの」

「自覚あったんだな」

「まあ高校生だし、自分のことは自分でどうにかするの。そんなことわかりきってるでしょ?」

「あー、そういえば曲がりなりにも高校生だったな」

「一言余計よ」

 よいしょっ、と言って椅子に座る理衣花。男女逆転期間は終了した。理由は効果がなかったからである。

 さっきあーだこーだ言ってたけど、何だかんだ女の子は女の子用の制服が一番にあう。今気づいたのでは遅いこときわまりないのだが、まあ絶え間ない日常にワンクッション入れたってだけでいいの。そうしないと体裁というものがあってだな。

「来れるんだよな?」

「うん、さっき連絡あったから」

「そうか、よかった」

 俺が用意した最後の伏兵。灯台もと暗しというか、なぜ思い付かなかったのか。

「行くぞ、仕事だ」

「はいよ」

 ギシギシッ、と、二つのパイプ椅子から音がする。


 例によって赤貝だらけのレーン上。何を隠そうこちらは今マグロより赤貝の方が在庫があるのだから、そっちを消化しないといけないのだ。

 入り口の看板には、二週間ずっと店長のおすすめとして赤貝が取り上げられている。多分これ水ぶきしないと落ちないと思う。なんで黒板とチョークって放置すると無類の結合力を発揮するんだろね。

 部屋中の壁には、飛び出す仕様の赤貝の絵が貼られている。なんとも言えない気持ち悪さが店内を包み込んでいるが、それでいいのだ。

 そこまでは、いつもと変わらない店内。

 でも、今夜は一ヶ所違う。

「準備できたな?」

「うん。こっちはオッケーだよ」

「よしよし。じゃあ始めるかー」

 レジ横に設けられたのはひとつの長机と二つのパイプ椅子。

 そこに用意された、大量のサイン色紙とペン。

 そして――


「じゃ、行きますよ


 休憩室には、何やらコスプレをした帆立がいた。

「先輩にその名前を呼ばれると、なんか不思議です」

「ほんと、同感です」

「あ、丁寧語になってますよ」

「今日は先生なんですから、これでいきましょうよ」

「まあ……そうしますか。その方が仕事スイッチ入るし」

 下をフリッフリのミニスカートにした学校の制服のような姿に、探偵っぽいコートを羽織っている。鹿撃ち帽もセット。

 しかしまあ、よくにあっている。

 今まで学校の制服着た姿と男装しか見てなかったからかもしれないけど、輝き方が違う。シャイニー。

 あまりの光に意識がもうろうとしながらも、俺は最後の一手を放つ。


「ただいまより、『ディテクティブイリュージョン』の原作者すきゃろっぷ先生のサイン会を行います!」


 最後の一手――すきゃろっぷ先生の登場。

 漫画家として絶大な人気を誇る、すきゃろっぷ先生こと帆立の、サイン会。

 帆立の知名度、そして人気を利用した最後の作戦。

「えっ、待って、あれって……」「確かに『DI』の作者のすきゃろっぷ先生!?」

 テーブル席で昼食を楽しんでいた若い二人組が、異変に気づいて叫ぶ。

「走らないでください!」

 理衣花がとりあえず静止を図るが、聞かない。

「あの、すきゃろっぷさんですよね!?」

「はいー、そうです」

「すげー! なんでこんなとこいるんですか? ふるさと納税?」

 バカにしてんのか。

「私、ここで働いてますよ?」

「えー、嘘、マジかー、知らなかった」

 どうやらこの男、帆立のファンらしい。いや違うか。帆立じゃない。すきゃろっぷ先生か。

「サインもらえるんですか?」

「赤貝一皿で一枚です」

「何枚でもいいんですか?」

「はいー。在庫はたっぷりですから、どんどん召し上がってください」

「わかりました! おい、赤貝食うんだとさ」

 この男は横の男にそう声をかけると、一目散に席に戻り、赤貝を食べ始めた。

 そうそう、その意気だ。

 今日、赤貝の注文は受け付けていない。かつ、数ある色の皿の中から赤だけを赤貝に使い、他の皿は全部他のネタ用に使うということで赤貝の枚数を把握し、その分すきゃろっぷ先生のサインがもらえる仕組みだ。

「あんた、よくそんな平然と横にいられるわね」

「どうした理衣花」

 何やら悶えている理衣花は、足をくねくねさせた状態で、

「あの衣装、メインヒロインの海老原あがりちゃんのやつだよ?」

「いや知らねぇよ」

「えー!? それはあれだよ、人生の3分の1損してるよ」

「70億人の人生を自分の尺度で語るな」

「っるっさいねーあんたは」

 あいにくそういう性分なんでね。

 しかし、熱狂的なファンであるという理衣花は、その海老原あがりというキャラクターのコスプレをした帆立に釘付けである。どうしたものか。

「えっ、あなた、すきゃろっぷさんだったんですか?」

「はいー、実は、です」

「マジかー、知らなかった」

 と、帆立にレシートを渡して今まさに色紙をもらおうとしていたのは、うちの数少ない常連さんだ。高校生くらいだと思われるが、週に一日ペースできてくれる、大事なお客さんだ………………うん、そう。週一で常連になれる。それがこの店だから。

「この前のアニメジャパン行ったんですよ!」

「そうなんですか?」

「そうです! でも、色紙をもらえなくて」

「あー、三十分で売り切れちゃいましたからね」

「そうなんですよー、あと三十人くらいだったんですけどね……惜しいです」

「あ、なんだったらあのときのやつもあげますよ?」

「え、ほんとですか?」

「はいー。常連さんですから」

「ありがとうございます!」

「明日来てくれたら渡しますね」

「はい! 絶対来ます!」

 満面の笑み。棚からぼたもちとはまさにこの事なんだのと痛感するような出来事が目の前で起こったらしい。その色紙にどの程度のプレミア感があるのか知らないが、あしたもこの店に来るという甚だしい時間の無駄遣いをしてでももらいたいものなのかと思うと、それはそれでプレミアムなものなんだろう。

 両者笑顔であるが、ただ帆立の方の笑顔は黒い。あわよくば赤貝を売ってやろうと思っている、そんな目をしている。女性こわ。

「どうしよう……私もほしい」

 俺の横には、さっきまでテーブルを拭いていた理衣花が立っている。心なしか落ち着きがないが、まあそれも仕方ないものなのかもしれない。

「赤貝食え」

「えー……社員証見せるから」

「どれどれ」

 律儀に社員証を首から提げている理衣花は、その間、それをこちらに差し出してくる。

「なるほど、蒼理衣花さんですね。確かに確認しました」

「ということは? ということは?」

「赤貝一皿で一枚です」

「もう食べてくる!」

「待てお前、仕事仕事!」

 マジでカウンター席めがけて走り出した理衣花を辛うじて制止すると、理衣花は諦めてこちらに来る。

「チッ」

「お前今舌打ちしただろ」

「いいじゃん別に。女の子だって舌打ちくらいするの」

「かわいくねぇな」

「うるさい」

「はいはい」

 何度目になるかわからない会話もそこそこに、話は現実に戻る。

「帆立のサイン会の情報は回ってるのか?」

「あっ、ちょっと待って、見てみる」

 制服のポケットから手際よく携帯を取り出して、指を滑らせる。

「おっ、それなりに伝わってるよ」

「どんくらい?」

「泣いてないよ?」

 その返し久々に聞いたな。

「500リツイートくらい」

「……それってすごいのか?」

「そうだねー……普段の宣伝ツイートの3分の2くらい」

「健闘してんじゃん」

 これまでの赤貝に関するツイートに比べるとその差は歴然である。理衣花のやつなんて1とか2とかざらだからな。

「これで来てくれればいいけど……」

「そうだな、そこなんだよなー」

 一日の売り上げは翌日にならないとわからないのだが、この客入りは普段の3倍から5倍くらい。すごく感じるが、どうしても元が絶望的な数字なので何とも言えない。

「お会計が3240円になりますー」

 こうして理衣花と駄弁っている間も、伝票を持ったお客さんがやって来る。今や列ができてしまって、よく見ると予約する機械まで動いている。今まで使われたところ見たことなかったのに。おかしい。てかあれ名前なんていうの?

「3000と……240円、ちょうどお預かりします。ありがとうございましたー」

「いこうぜいこうぜ」

 どこから聞き付けたのか、もはや帆立目当てってだけでここに来ている方もいる。情報化社会恐ろしい。

「見て見て、あれじゃない?」

「え? ほんとだ、あれだ! すごい、この前のコミケと同じ格好してる!」

 おお、これはまた珍しい。若い女性客だ。いつぶりだろう。三ヶ月かな?

 しかも三人組。一気に半年分の女性客を見た気がする。

 彼女たちは、迷いなく帆立の方に向かっていく。

「あの、これどうしたらサインもらえるんですか?」

「赤貝一皿で一枚です」

「え……?」

 三人揃って顔が曇る。え、どこに地雷あった?

「赤貝って……なんだっけ」

「さあ? 貝なんじゃね?」

「赤いの?」

 三人組はヒソヒソと話しているつもりらしいが、全部聞こえてしまっている。赤くもなくて貝でもなかったらネーミングセンス神懸かってるだろ。

「美味しいですか?」

「食べたことないですか?」

「そうなんですよ。私たちマグロとかサーモンとかなら行けるんですけど、赤貝って……渋いかなって」

 激しく同意。

「こりこりしてる感じが美味しいですよ? ポン酢とかにも合うんですけど、醤油でも十分行けます」

「そうなんですかー」

「そうなんですよー、試してみてください」

「分かりました!」

 分かっちゃうのかよ。三皿ゲット。毎度ありー。

 ちなみに言うと赤貝はポン酢ではなく酢味噌がグッド。うちの店の卓上にはおいていないので家でわざわざ買って試してください。そんなことするくらいなら夕飯は野菜炒めでいいと思います。

「なんか、結局浅利さんの力なんだね」

 帆立の横におかれた大量のレシートを別の場所に移動させていた理衣花が呟く。

「それってどういう?」

 時間になったのでレジの点検整理に入った俺は、口だけで応答する。

「……有名人って、すごいなぁ……」

 しみじみと。本当にしみじみとそう言った理衣花は、さっきまでとは打って変わって真面目な表情だ。

「番号札、12番の方、いらっしゃいますかー?」

 が、そんな表情はすぐに引っ込めて、いつもの輝く笑顔で接客をする。月曜日の夜。給料日もまだ先だというのに、家族連れの姿が見える。

「『浅利さんの力』ねぇ……」

 レジ横、いまなお快進撃を続ける即席のサイン会会場。そこには、「店員の浅利帆立」ではなく、「漫画家のすきゃろっぷ」が存在していた。

 もはや寿司屋の店員ではない。その人を引き付ける魔力は、彼女の天性のものだろう。そうじゃなかったらただのチート。

 天は二物を与える。俺の担任の先生が残した名言だが、本当にそう思う。


「私たちは、何もできなかったね」


「えっ?」

 中年男性二人組の誘導が終わった理衣花は、こちらを向かず、こぼす。

「結局、男女逆転で盛り上がったのは炙里さん。こうして盛り上がってるのは浅利さんのおかげ。それは、私たちじゃない」

 使い捨てのおしぼりを丁寧に重ねて隅に置く。使い捨ての割りばしをケースに補充する。

「私たちは何もできなかったね」

 理衣花は繰り返す。

 ポン、と音がして、電光掲示板に番号が映る。13番テーブルがおあいそのボタンを押したのだ。

「行ってくるね」

 店の制服をマニュアル通りに着こなした理衣花が、伝票をもって席に向かう。

「ありがとうございました」

「あ、握手とかお願いできますか?」

「いいですよー」

「やった」

 隣から和気あいあいとした声が聞こえる。その声は、寿司屋の入り口を活気づけて。

 俺は、足りなくなった色紙を補充しに、事務室へ戻る。


 ところで、先述の通り、今日は出勤日ではない。つまり、広義には時間外労働なのだ。

 Q.学生の本分とはなんでしょう?

 A.勉強です。

 なんてのは教師がよく使う言葉であり、学生が基本的に嫌っている格言だ。ここの答えの部分が勉強じゃなくてゲームだったらみんな喜んでゲームしてると思う。

 しかし、稀にこの格言を逆手にとれる状況がある。それは、まさしく今なのだ。

 向かう先は店長。

 いつもどおり椅子を器用に使って寝ている店長をキレさせない程度に起こす。

 最近編み出した必勝法である。

「店長、お子さんがいらっしゃいましたよ」

「うわお、どこどこ!?」

「おはようございます店長。以上、全部嘘です」

「大間くん、言っていいことと悪いことがあるよ? まあ今回は娘に乗じて許すけど、機嫌が悪かったらクビになってるかもしれないよ?」

 もちろん、その辺は把握した上での行動ですから。

「分かりました」

「ほんと?」

「はいほんとです」

「これは?」

「ボンドです」

 この辺に昭和臭さが出てしまうよなこの人。

「で? 寝てる僕をわざわざ危険をおかしてまで起こすってことは、何かあったんだね?」

「さすが店長」

「……お世辞は時と場合を考えたほうがいいよ。取り返しのつかないことになったりするから」

 そう言ってうつむいてしまう店長。これなんかあったのかな。この年齢でこの職っていうのと関係あんのかな。

 ていうかこんな話をしたいんじゃなかった。次へ進もう。

「これ、俺月曜のシフト入ってないのに出勤ってことは、休みもらえるんですよね?」

 そう、これである。

 赤貝に関わりたくてこの仕事をやっているんではない。あくまでマグロ。推しネタはマグロなのだ。あの赤身にちょうどいいくらいに脂の乗った、それでいて柔らかく、舌に染み込むような美味しさ。そのフォルムからは想像できない繊細な美味しさに感動するのである。見た目も素晴らしい。その赤は生の息吹を感じさせる。もう命はないのだが、それでも食べられるまでその赤さを維持するその心意気こそまさに人の見習うべき点であり、教科書にすべきだ。味覚、視覚のほかには嗅覚も以下略。

 とにかく、俺はマグロが好きなのだ。ドルオタが推しメンを愛するように。二次オタが嫁を愛するように。俺はマグロを愛する。

 だから、赤貝なんかに付き合うくらいなら家で休みたいのである。

 店長の答えは。

「無理」

「は?」

 あんだけ人件費嫌がってたのに? ドMなのか?

「どうしてですか?」

「シフト変えんのめんどい」

「なっ」

 まさかの店長自身の感情であった。ふざけんな。

 仕方ないので、格言を利用する。

「あの、学生の本分とは勉強なんです。僕はこの月曜日の放課後という時間は勉学にいそしんでいてですね、故にその時間を奪われたのは甚だ遺憾と言いますか、労働基準法にも書いてあります通り高校生の時間外労働は

禁止されていますし、この際めんどくさくなりたくなければ素直に休暇を下さい」

 事前に用意しておいた原稿を暗誦しただけ。すごい理にかなっていそうでしょ?

「わかったわかった、あげるよ」

「ありがとうございます」

 長々とした文章は人を嫌にさせる。どうしても時間がかかるものを理解するのを後回しにしてしまうのだ。

 俺の作戦勝ち。

「で、いつがいいの?」

「5月21日で」

「ん、了解……木曜日ね」

「はい」

「わかった。蒼さんもでしょ?」

「えっ」

 座っているパイプ椅子はひんやりしている。やっぱり空調効きすぎだろ。

「なんで分かったんですか?」

 店長は左手で頭をかきつつ、いやらしく笑って言う。


「だって、誕生日でしょ? 蒼さんの」


 全身が熱くなるのを感じる。クーラーそんな効いてなかったわ。

「赤くなっちゃってー。こんなこともあろうかと、全員分の誕生日は把握してるの。で、その日は休みにしてあげるの。粋な計らいでしょ?」

 店長のにやにやが止まらない。

「蒼さんの誕生日が近づいてきたから、今日出勤させて、その日休みにする口実をつくったってわけ。ざんねん!」

「……つまり、全部知っていた、と?」

「そそ」

 うわ、はずかしー。

 でも、休みをもらえたのでよしとしよう。

「あ、ありがとうございます」

「ねえ、やっぱり付き合ってんでしょ」

 何度目かの質問に、また俺は答える。

「別に、付き合ってないっすから」

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