四皿目 崖っぷち

第12話 全員、現実を見る。

「あのさあ、わかってる?」

 貴重なシフト前の十分間を奪って説教タイムに入ったのは、他の誰でもない店長だった。

「今日、あのデスゲームが始まって何日目だか知ってる?」

「デスゲームて」

 横でボソッと理衣花が呟いたのを、店長は鋭く見つけ、睨み付ける。驚きの速さ。

「……大間くんはわかるね?」

「えっ!」

 なんでここに来て俺を選ぶかなー……えっと、ひい、ふう、みい…………

「12日目です」

「だよね」

 キレ気味の顔のまま頷いた店長は、そのままの口調で続ける。

「僕が君たちに赤貝を売るように言ってから今日で12日目。デスゲームのXデーは明後日。つまり?」

 空気はひんやりしている。

「……明後日で、誰かがクビ、と」

「……まだ決定じゃないけど、その可能性が極めて高い」

 深刻な顔とはまさにこの事なんだろう。眉間にシワを寄せ、口許はひきつったようにこわばっている。これが人間の顔なのか。

「あのっ!」

 後ろからひょこっと現れたのは帆立。シフト外だが、来週どうしてもはずせない用事があるとのことで、時間調節のために昨日から三連勤だ。

「これって、店はつぶれないんですか?」

「大丈夫だ」

「ど、どうしてそんなに言い切れるんですか?」

「なぜなら」

 店長はひとつ息を吸い込む。


「人件費って高いんだよ?」


 なんとも無慈悲なことを言った。

 その顔はもはや一人の経営者である。そんな顔は似合わないぞ………………いや一応経営者か。

「そんな……!」

 帆立はあからさまにショックを受ける。

「私たちのこと、どうでもいいって思ってたんですか?」

「そんなことはない。絶対に。でも」

 店長はデスクの上におかれたある一枚の紙を手にする。

「赤貝の売り上げって、みんな把握してる?」

 ざわ……

「いや……してないっす」

「でしょー? そんな気がしてたもん」

 どういう嗅覚なんだろうか。その嗅覚発注にいかしてほしいわ。

「1日1000皿ずつ入ってくるわけでしょ? それが11日だから………………えーっと」

「…………11000」

「そ、そうそう! 計算はやいねー!」

 あんたが遅ぇんだよ。小学生でも朝飯前だろ。

「で、今現在の売れた枚数がいくつだと思う?」

「さあ……」

 俺はただ首をかしげるだけ。女装週間も悪くはなかったはずなんだけど、でもさすがに……

「8000?」

「なめてんの?」

 キッと睨んできた。さっき理衣花に向けられたと同じ目付き。

「商売なめてんのか。正解は――」

 生唾を飲む。緊張の一瞬――


「CMのあと! 」


 ……………………は?

 ひょおおお。冷風が情けなく通り抜ける。

 静寂、静寂、静寂。

「CM開けまーす。5秒前ー、4、3、2」

「え、あ、ちょっ――発表します」

 多少荒療治ではあるがこれからのことを考えれば至極まっとうな対応であっただろう。以後気を付けるように。


「11000皿中……4000皿!」

「…………おー」

「なるほど…………」

「ねえ、なにその反応。大間くんの予想の半分だよ? 危機感持った方がいいよね」

「いや、それが……」

「意外と売れてるなって……」

 隣同士ならんだ理衣花と炙里さんが揃って言う。打ち合わせでもしてるの?

「いやいや、みんな、戻ってきてよ。半分だよ? あと二日で10000皿だよ?」

「あー、確かにそれは厳しいかもですね」

「かもじゃなくてかなり!」

「鳥の話ですか?」

「鴨でもカナリアでもない!」

 こんなネタでも返してくれるから店長大好き。

「とにかく、あと二日で売り切らないと、クビなんだからね!」

 バタン!

 奥の方で事務室のドアが閉まる音。それは無機質な廊下に響き渡って、こっちまで届く。

 変なところでツンデレ要素を見せてきた店長だったが、正直中年のおっさんのツンデレなんて見たくない。需要もない。

 が、しばらくするとのこのことまた舞い戻ってきて、

「あっ、これ忘れた」

とか言って紙を取って再び消えていった。だっさい。これが店長クオリティ。

「でも、そうだよな」

 いくら俺でも、その危機感くらいはわかる。

 1日に百人来るか来ないかくらいの店で、まず4000も売れたことが快挙に近い。普通こんなに売れないし。マグロとか大物じゃなくて、赤貝だし。

 でも、これだと本当に誰かがクビになってしまう。

 どうすべきか……

「…………あの、先輩」

「ん?」

 恐る恐るといった感じで後ろから現れたのは、帆立。身長差も影響して、下から見上げられている。

「ヤバイな……」

 突然困った表情になってしまった帆立。

「どうした?」

「いや、ちょっと仕事が……」

「仕事? 仕事なら今やってるんじゃ」

「いえ、副業のほうが、ちょっと」

「副業? ……ああ、漫画家だったか」

 忘れてたけど、この人は時代を席巻する人気漫画家のすきゃろっぷ先生でもあるのだ。マジで忘れてたけど。

「もしかして、夏コミの原稿ですか?」

 そして、その熱狂的なファンである理衣花が食いつく。目の前に憧れの人がいるってすごい。俺も漁師に会いたい。

「そうなんです。まだネームも上がってなくて……」

「でも、夏コミまでまだ2ヶ月くらいありますよ? 早すぎないですか?」

「な、なあ理衣花。話を止めて悪いんだけど、夏コミって?」

「えーっ!? 知らないの?」

 なにその知らない人は人じゃないみたいな発言。

「別名、同人誌即売会とも呼ばれる、オタク界最大の祭典、コミックマーケットよ!」

 なるほど、わからん。

「あの、同人誌っていうのは、いわゆる二次創作なんです。つまり、ある作品のファン達が、その作品の人物や設定を利用して、ファンがまた物語を作る。それが同人誌なんです。その大規模な販売会が、コミックマーケットなんです」

 なんと分かりやすい説明なんだ。どこぞの幼なじみとは違うな。

「……侮蔑の視線を感じる」

 顔に出てたか。

「……ん? でも、今の帆立の説明だと、ファンが主体となって販売してるってことだろ? なんで作者本人がそこに参加するんだ?」

「帆立って呼んでもらった……」

「ん?」

「えっ、あっ、なんでも……いい質問ですね!」

 時事問題のプロみたいな言い方で帆立は返す。

「最近では、作家本人も自らの作品の二次創作をしたりするんです」

「自分の作品のサイドストーリーを作るってこと?」

「ですです。作者も作者である前に一人のファンってことですね」

 つまり、ファンと作者の距離が近いとか、そういうことなのかな。

「まあ、私が描くのは企業ブース用の特別読みきりみたいなものなんですね。期限が明後日で……」

 要するに、漫画家としての帆立が非常にピンチな状況と。

「……去年だと18ページくらいありましたよね」

 どうでもいいけど、俺は帆立に対してため口になったのに理衣花はかわってないのね、あれかな。原作者は神とかそういうことなのかな。

「ありましたありました。今年も同じ分量でいこうと思ったんですが…………紙とペン貸してください」

「ちょっと待ってね」

 帆立の要求に応えるため、休憩室にある大量の裏紙たちの中から一枚を失敬、そして横にある落とし物ボックスからペンを取って手渡す。

 ありがとうございます、と一礼して、紙に何やら描き始める帆立。

 サッ、サッ、と適当に線を引き続けているようだか、それは決して意味のないものではない。

 言わば、命を吹き込むように。

 ものの数秒で、下書きとして一人のキャラクターが、冷房で冷やされた紙面に浮かび上がる。

 ふう、と息をひとつ吐いて、帆立はペンを置く。

「…………以上です」

 店長の命令で、ちょっと早めの集合となった俺たちには、それなりに時間があった。卓上には三人分の湯飲みが置かれている。先程の説教タイムに至る前に着替えなかった帆立は、両手をスカートの上に置き、そう告げる。

「いや、これ、うん。下書きだよね?」

「です。下書きです」

「以上、というのは?」

「描けないんです」

 スカートの上の拳に力が入る。奥歯を軽く噛み締めているのだろうか、そのせいで余計に悔しそうだ。

「ネームは仕上がるんです。それは普段と同じくらいのクオリティでできます。でも――」

 一度ペンをもって、そしてまた置く。その繰り返し。

「ペン入れもベタも……下書き、ネーム以上のことができなくなっちゃって」

「スランプ……?」

「かもしれません」

 ありがとうございましたー、と、奥のフロアから聞こえてくる。お客様がお帰りのようだ。

「とにかく、描けないんです。一ヶ月前に言われて、二週間前には終わる予定でした。でも、予想外に描けなくなって、先延ばし、先延ばしにしているうちに……今日になりました。あと三日です」

 悔しそうに力を込めた拳に、焦りが移る。

「ごめんなさい、こっちが大変なときに」

「いや、いいんだよ。ここの何人かのクビより、大勢の読者を優先してもらっていいから」

「でも…………」

 帆立は机の上に転がったペンを元の位置に、下書きの描かれた紙をゴミ箱に捨てた。ぐっちゃぐちゃに丸めて。

「じゃあ、シフトなんで、失礼します」

 声色と表情だけは元気よく。帆立はそう言って更衣室に入っていった。

 実は今日月曜日は、帆立の出勤日であり、俺や理衣花のシフトが入っているわけではない。昨日、店長がメールで明日来るようにと召集をかけたので、今こうしてここにいる次第だ。

 まあ、最初からいい話が聞けるとは思いませんでしたよ。

「大丈夫かな、浅利さん。気のせいかもしんないけど、顔色もちょっと悪かったし」

「そうだな……」

 浅利は副業としていたが、どうしても絡んでくる人数が違いすぎる。この店の命運より、たくさんのファンの悲しむ姿のほうが、俺としては嫌だ。

「でも、どうにかしたいしな……」

 あと二日で一万皿。しかも今日の売れ行きも悪い。このままいくと、クビどころか店がつぶれる。

「一万皿って……」

 途方も無さすぎる数である。

 ていうか一万皿売るということよりまず一万人呼び込むことも難しい。毎日百、二百の世界で推移しているお客さんの人数を一万にするのである。

「つーんだつんだ!」

 休憩室のなかだけに響く声で叫ぶ。というのも、フロアまで聞こえたら大惨事だから。店員が詰んだって言ってる店なんか誰も来ねぇよ。

「……ねえ、あんた」

「ん?」

 実はさっきから考え込んでいる理衣花が、突然こちらを振り返ってきた。

「さっきから一万皿一万皿言ってるけど、どうして一万皿なの?」

「は? それは14000から4000を引いてだな」

「やっぱりそうだよね」

「逆になんなんだよ」

 なんとなしに一万皿売ろうとしてたらそれはそれで俺に何かあったと思われる。本格的に頭がおかしくなったってことだ。

「ねぇ、店長って一日に1000皿発注してるよね」

「そうだよ」

 ミスタッチのせいでな。「00」のキー爆ぜろ。

「寿司ってなまものだよね」

「どう考えてもそうだな」

「じゃあさ」

 理衣花は携帯の電卓アプリを起動する。タタタッ、と素早く数字を打ち込むと、こちらに画面を向ける。

 1000×2=2000

「うん。それで?」

「だからね」

 すっかりぬるくなってしまった緑茶を、音をたててすする。その音は、周囲の雑音を一瞬描き消して上書きする。

「一日に入荷する分の魚は、その日一日で勝負して消さなきゃいけないわけじゃん。後2日という時間。一日に入る赤貝は1000皿分。つまり――」

 いらっしゃいませー。遠くから聞こえてくる。


「実質、あと売れるのは2000皿分ってことじゃ……」


 おあいそのボタンが押されると、店員用の電光掲示板にポーンという音と共にテーブル番号が示される。

 その音が、静寂に包まれる休憩室まで届いた。

「う、うそだろ……?」

「今時の機械が嘘つくかっての」

 理衣花は冷徹に吐き捨てる。

「ま、待って…………てことはつまりさ…………全部仮に売れたとしても、合計で…………?」

「うん、6000皿にしかならない」

「14000皿のうち、6000…………待って、でも、店長は『黒字まで持っていけばいい』って言ってたよな?」

「言ってたよ」

 こいつあのとき起きてたんだ。

「確か……黒字って……」

「合計で一万」

「つまり…………」


「それにも届かない」


「ドドン。ノルマクリア、失敗!」

「店長!」

 フロアと休憩室のあいだののれんから、店長が出てきた。血色が悪い。いつものことだが。

「いやー、よくぞお気づきになられた」

「店長!」

 フロアと休憩室までのあいだののれんから、店長が出てきた。血色が悪い。いつものことだが。

「さっすが高校生、勘が鋭い」

 言葉だけ見れば強気かつ嫌なやつムード全開なのだが、声は震えてしまっている。

「つまりねー、もう無理なんだよ。どうしてもね。出来る限りやってみたかったんだけど、ダメだ。もうおしまい。解散、解散!」

「店長……」

 投げやりにそう言うと、店長はまたフロアに戻っていった。

「どうしよう…………」

「どうしようもない」

 黒字に持っていくことはできない。与えられた数売ることができなかった。それだけのこと。それだけのことなのに。

「黒字か…………」

 せめて、黒字にさえ持っていけば…………

「…………ん? 黒字に?」

 黒字に持っていけばいいのか。黒字に持っていけばいいのか!

「そうか、わかったぞ!」

「なにが?」

 理衣花が下から問う。いまはまだ、怪訝そうに。

 だが、俺はこの目を確実に希望の光に変えて見せる。

 最後の手段。残された時間は、2日。

「頼むよ、

「おう。任せとけ」

 最後の手段。その一手を打ちに。初手を打ちに、事務室に向かう。

 後ろから理衣花は追ってこない。昔から、俺がこういう雰囲気になると一人にさせるのだ。そういうもの。

 意気揚々と、裏に回る。

 全員のクビは、俺が守る。



 12日合計:4060/12000

 期限まで残り2日

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