第8話 男の娘、登場

 日曜日。

 今日も爽やかな朝……とか呟いて起きる人たちはそれはもう寝ていない。起きているからこそのそのセリフなのであって、ガチの寝起きでそんなことをいってるやつがいたらそいつは頭の中お花畑だ。

 つまり何が言いたいかと言うと、俺は寝起きに弱いということである。

 寝起きといえば、前に修学旅行で、同じ部屋の友人に寝起きドッキリを仕掛けられた記憶がある。

 その寝起きドッキリは、俺が盛大に唇を奪われるという凄惨なものであった。ねっとりしてた。相手は男友達であったが、それにしても気持ち悪かった……あいつその気あっただろ。

 後で彼にその話をしたところ、「あれは王様ゲームの続きだよー」と言われてしまい、決着がつかないでいる。確かにやったことにはやったんだけど、俺は3番を引いてない。

 いかん、朝っぱらから気持ち悪いものを思い出してしまった。忘れよう。

 時計を見る。8時ちょい前。

 すぐに着替えて食パンを食らう。日曜日の朝、両親はいまだに寝ている。

「いってきます」

寝室の近くにある玄関には、寝息が聞こえてくるだけだった。


 さて、バイトに向かう前に、日曜日は必ず寄るところがある。

 二年ほど前に使いはじめて、もう乗り慣れた自転車を、二つ目の交差点の手前で停める。

 小学校からの付き合いである理衣花の家だ。

 慣れた手つきでインターホンをプッシュ。どうでもいいけどこの感覚癖になるよね。

「いまいくねー」

「おう」

 理衣花はもはや「はーい」とかそういう出方ではなくなってしまっている。日曜の朝といえば俺という固定観念が、この対応を生んでいるんだろう。

「お待たせー」

「はいよー。行くぞ」

「うん」

 俺の自転車のサドルに理衣花を乗せて、俺はその自転車を横から転がす形となる。なぜこんな形になったかといえば、単純に知り合いが二人乗りで怒られたからである。以前は俺らも平気で二人乗りしてたけど、それを聞いてからというもの、ビビってこの形にしている。もう歩けよというツッコミは聞きあきた。

 開花時期の遅れた桜が、空一面に咲き誇っている。

「暑いなー」

「だねー。最近までコート着てたのに、もう薄着しないと暑くてね」

「それなー」

 現に俺も半袖である。春先であるのには変わりないはずなのに、ここ最近の気温のアップダウンには手を焼いている。

 サドルの上で「あついー」と唸っている理衣花は、ノースリーブにミニスカートと、すんごい涼しそうな格好をしていらっしゃる。前から思ってるんだけど、理衣花は、夏ファッションがよく似合っている。

 このノースリーブも何回か見たけど、毎回こう、なんていうの、来るものがある。

「なにをじろじろ見てるのよ」

「え!? あ、いや、見てないよ」

「見てたし。こちとらあんたの運転によってはケガするんだからね?」

「運転っつーか……転がしてるだけだろ」

「細かいことは気にしない」

「はいはい」

 信号が赤に変わる。俺は足を止め、法律を遵守する。

 俺は、長年ため込んできたある質問をぶつけてみる。

「お前さ、毎週俺が訪ねると『いまいくねー』って言うじゃん」

「言うね」

「あれさ、俺じゃない人が出たことないの?」

「あー、あるよ?」

「あんのかよ」

「うん、前に隣のおばちゃんが来たことがあってね」

「どうなったん?」

「いや特に何も。私もタメ語使ったなーって思ったけどその後は何も思わなかった」

「そういうもんなのか?」

「そういうもんなのだ」

 信号が青に変わる。


 理衣花の家から歩いて15分ほどしたところに、仕事場がある。俺は、従業員専用の駐輪場に自転車を置くと、従業員入り口から店内へ。

「おはようございま――――誰?」


 見たこともないがそこに立っていた。


「おはようござ誰この人」

 続けて理衣花も同じような感じで入ってきた。あいさつが半端だと減給されるぞ。

「は、ハロー……?」

 俺は気がついたらなけなしの知識でイングリッシュを使い始めていた。なぜイングリッシュが出てきたかというと、その人が日本人離れした顔をしていたからだ。

 その一、瞳が蒼い。日本人のそれとは違う、蒼い目。

 その二、金髪。染めたのでない、天然の金髪を店の空調になびかせている。やけに涼しいと思ったらエアコン入ってるのか。

「おはようございます」

 そのは礼儀正しくあいさつを決めると、流れで自己紹介を始める。

「今日から日曜日も働くことになります、炙里あぶりです。よろしくお願いします」

「あ、日本語行けるんですね」

 俺の序盤での不安を返せや。

「はい、むしろ日本語しか喋れません」

 ソプラノの、この時期の女性特有の声で返される。

「すごいですね! なんかすごい英語喋ってくれません!?」

「お前ついに日本語も通じなくなったのか」

 話聞いてろよ。

 その人は理衣花の失礼ともとれる発言を微笑みで受け流し、話を続ける。

「普段は月曜日と金曜日と土曜日のシフトでしたが、土曜日を日曜日に変える形で、こちらの時間帯に移ってきました」

「どうりで会ったことないと思いました」

 俺自身初対面である。早く会っておきたかった。

「ちなみに、おいくつなんですか?」

「高3です」

「年上!」

 あぶねぇ、敬語使っといてよかったあー。

「でも、バイト始めたのはこの前の4月からです」

「俺の方が先輩!」

 めんどくさいなこれ。年上で部下っていうの。留年して同じ学年になってしまった人と隣の席になったときくらい辛い。

「炙里さん……でしたっけ」

 後ろにいただけの理衣花も、この機会に質問タイムに参加しに来た。

「はい」

「フルネームは?」

「炙里・T・サモンっていいます」

「T?」

「はい、ミドルネームです」

 ミドルネーム!

「ちなみに、Tというのは?」

「『トーロー』でTです」

 つまり、あぶりとーろーさもんさん、と。長いな。

 クーラーからの風がこちら向きにスイッチする。

「一応こちらも自己紹介しますね」

 訊きっぱなしというのもなんか悪いので、こちらからも紹介を行う。

「俺は大間鮪っていいます」

「わあ、高値で取引されそうですね」

 久々にその返し食らったな。

「高2で、バイト歴は一年弱です」

「先輩ですね」

 純粋な目でこちらを見てくる炙里さん。そこが微妙だから悩んでるんじゃねぇか。

「私は蒼理衣花。こいつと同じく高校2年、バイト歴は半年くらいです。こいつとは小学校からの幼なじみ」

「それいらないだろ」

「わー、仲良しさんですね」

「そう、仲良しなんです」

「仲良しは人のこと『こいつ』なんか言ったりしねぇよ」

「はあ? 何よ、あんたなんか『あんた』か『こいつ』で十分よ」

 口を塞ぐガムテープを募集します。

「まあ、とにかくよろしくお願いしますね」 「こちらこそ」

 何となく見た時計が4時半の辺りを指している。

「じゃあ、時間も時間ですし、着替えて仕事しましょう」

「はい」

「ん」

 理衣花と炙里さんの後ろからトイレを目指す。進行方向左手に男子更衣室――現女子更衣室――、その奥にトイレ――現男子更衣室――がある。

 理衣花と炙里さんは手前で曲がって――

「いやちょちょちょちょちょ!」

「ひゃいっ!?」

ああいまの声録音したかった。

「そこトイレですよ!?」

炙里さんは、トイレ――今は男子更衣室――に向かっていった。

「いや、うん、トイレといえばトイレですね。しかし」

 何やら意味深な言葉を発する炙里さん。

「――更衣室といえば、更衣室」

「そうです、だから、ここは俺が」

「なんで更衣室の順番争いをするんですか?」

「なんでも何も、炙里さんが入るとこじゃないですよ! 男子更衣室ですよ?」

「知ってますけど……」

「いや、でしたらなんで? 女の人はこっちに行くって決ま――」


「僕、男ですけど」


「…………は?」

 店の冷房がよくきいた室内には、行き場をなくした冷風が漂っている。

「いや、だから」

 炙里さんはCMがあけるのを待たずに、オンタイムで重大発表を続ける。


「僕、男ですから」


「…………嘘つくな」

「証拠見ます?」

「いやっ、いい……です」

 この美少女が男だ? ふざけるな。神は俺に味方してくれなかった。これで男かよ。こんなかわいいのに。

 しかも「証拠見ます?」と来た。これは暗に、その…………アレの存在を相手に認識させるということを示している。それはいい。もう少し希望を残しておきたいし、仮に見せられたとしてもどんなコメントをしていいかわからない。ホワイジャパニーズピーポーとか? それ以前にジャパニーズなのか?

「わ、わかった…………炙里さんが出るまでここで待ってますから」

「わかりました、すぐ終わらせますね」

「はい、お願いします…………」

 この美声が男とは……世界は平等じゃない。


「本当に男性用の制服なんですね……」

「だから言ったじゃないですか」

 これはもう信じるしかないのかな……

 古いせいでドアノブの緩くなったドアを開けて、複雑な心境でトイレに入る。最近このトイレがらみでろくなことが起きていない。携帯落としたし財布落としたし。

 でも、今日はもう立ち直れそうにないショックを受けたからもう大丈夫かな。

 と、自分に言い聞かせてトイレに入る。

 数分後、無事に着替え終わった俺はトイレから出ようとしてノブを回す。


 ポロッ、ゴトッ。


「ん?」

 今、金属音がしなかったか? それも、なんか不穏な。

 まあいいか、こんなものをいちいち気にしていたら始まらない。割りきって行こ――

「無ぇ!」

 無い! ここにあるはずのドアノブが無い!

 慌てて周囲を見渡す。と、先ほど発生した音の原因が足元に姿を表した。

「お前か……」

 それは、根っこからへし折れたドアノブだった。どう腐ったらこんな折れ方するのさ。ほんとに根っこから。

 でも大丈夫。ドアノブが無いくらいであーだこーだ言ったって仕方ない。出たらこの件は店長に何とかしてもらおう。

 ドアノブを右に捻って――

「無ぇ!」

 無かった、そうだ無かったよドアノブが! いまぶっ壊れたばっかりだよ何だよ俺バカかよ……

 こうなったら。

「誰かー! 助けてー! 無いー!」

 叫ぶ。力の限り。

 と。

「どうしたのあんたトイレに閉じ込められて」

 恐らく理衣花の声が外から聞こえる。

「無くなったんだよ!」

「え? よく見なさいよあるでしょ」

「いや、無いっつーか、あるんだけど」

「そう、ならよかった」

「でも、取れたんだよ!」

「取れた!?」

 ようやく事態のヤバさに気づいてもらった。

「だから、外から出させてくんない?」

「えっ、外から?」

「そう!」

「む、無理よ無理無理! 外から出すってそれは無理!」

「なんで!」

「汚いよ!」

「汚くねぇよ!」

 俺汚物扱いかよ。

「それは自分だからでしょ! 他人からしてみれば嫌だよ!」

「お前そんな見方してたのか」

「私だけじゃなくてみんなそう思ってるよ!」

「ひでぇ!」

 地味にショック。

「とにかく開けてくれ! 仕事戻れないし」

「私が開けたら外でするんでしょ!」

「何をだよ!」

「もうっ、言わせないでよそんなの!」

「はあ!?」

 何を一人で盛り上がっているんだ理衣花は。

「くっそ……ドアノブがとれるってどういうことだよ!」

 俺は精一杯叫ぶ。

 それは、無機質なドアの向こう、理衣花にも伝わった。

「……………………ん? ドアノブ?」

「そう! ドアノブが取れたの!」

「ドアノブが? ああー、はいはい、開けるよー」

 あっさりしてんな。今までのはなんだったんだよ。

「なあ、なんで素直に開けてくれなかったんだよ」

「ん!? いや、…………別に」

 顔を真っ赤にしてこちらを向かずに答える理衣花。どうしたの?

「トイレの中で『取れた』とか『外から出す』とか…………勘違いするわ…………」

 なんだかぼそぼそ呟いている理衣花を放置して、二人で仕事に入った。

 ところで、壊れたドアノブは一時間後に店長が直した。あの人何者なんだよ。

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