第6話 実際にひとつやってみる
「この絵なんだけどさ」
「おう」
俺と理衣花は、浅利が描いてきた赤貝の絵を、ポスターのサイズに拡大して、店に貼っている作業の最中だ。なんとも単調な作業ではあるが、赤貝が売れるなら安いものである。
現在、俺らはポスターを店の掲示板に貼り出す作業をしている。。店の窓は既にそのポスターで埋まってるし、外を見るための窓が赤貝を見るための壁になってしまった。
「誰が描いたの?」
手を動かしながら、口を動かす理衣花。
「浅利さん」
「浅利さん……って、誰?」
「知らなかったっけ」
「うん、初耳」
「高一の女の子で、俺らよりあとに入ってきたんだけど」
「いや……シフトが違うのかな」
「そうかもね、俺と浅利さんは水曜日に一緒に働いてるんだけど……確かに、お前とはきれいにシフトずれてるかもな」
「そうだよね、あったことないもん」
そうだよね、そうだよね、と、ぼそぼそと呟く。なにか不安なのだろうか。
「にしてもこの絵上手いよねー。ちゃんとトリックあるし」
「え、トリックあんの?」
「まだわかんないの? もうこれで十数枚目だよ?」
「いや、近くから見ればわかるものではないからな……」
さっきから目の前に赤貝を見ているので、もう赤貝と言う存在がゲシュタルト崩壊している。俺の中の赤貝が赤貝じゃなくなっているし、逆にどの赤貝が真の赤貝かと言われればそれもわからない。ほら、あなたも赤貝がゲシュタルト崩壊してきたでしょ? もう疲れた。
「ちょっと遠目から見てみようよ。それならわかるかもよ」
「そうかもな」
脚立にのって作業していたが、この一枚を貼り終えたところで一旦この絵を眺めてみることにする。
さっきまで間近でしか見てなかったけど、遠目から見たところでたいした変化はない。普段より明暗が顕著につけられているというだけの赤貝の絵だ。彼女自身、多分人生初の試みだったであろう、赤貝の作画。それはそれで上手く描かれている。
「え、ほんとにわかんないの?」
「悪いか」
「じゃあここに立ってみて」
「え、なんだよおい」
俺は理衣花に手を引かれて、ある位置に連れていかれる。
「左右に体を動かしてみ」
「は?」
「つべこべ言わずに、ほら」
「こ、こうか?」
「違う、もっとゆっくり」
「じゃ、じゃあ……こう?」
「そうっ、そう!」
会話だけ聞くとなんか変な感じだな。
しかし、これが何の役に立つって――
「あっ、おっ、あー、すげー!」
「でしょ!?」
動いた! 赤貝が動いた! 左右に! しかも飛び出してる!
「これ、あれだよね、住宅街の絵で有名なやつ」
「いや、知らんな」
「常識なさすぎでしょ」
「黙れ数学6点」
「そういう常識じゃないの!」
そっちの方も必要だと思うけど。
「で、どうよ?」
いつも通りスッカスカの店内に、バイトは何人も要らなかった。一人パートさんが今味噌汁かなんかをテーブルに運んでいっている。わざわざレーンにのせるより正確かつ素早く運べるので、この店舗ではもう汁物の注文とかは店員が運んでいるのだ。どこが回転寿司なんだろうか。
そのため、暇になってしまった俺たち二人組は、仕事中にも関わらずレジで堂々と携帯をいじっていた。
「まあ、見られてはいるみたいだけど……いいねってされてもリツイートが少ないから」
「あんまり伝わらないか……」
なにをしているのかというと、理衣花のやってるSNSに、例の赤貝を宣伝しているのだ。1万のフォロワーに恵まれている理衣花は、自身のそれに先ほどのポスターの画像つきツイートをしたのだが、三十分待ってもリツイートが伸びない。
「学校で見せればまだちょっとは希望あるかも」
「もうそれにかけるしかないな……浅利さんにも宣伝してもらおう」
「ねぇ、浅利さんって何者なの? ていうか、この絵の感じどっかで見たことあんだど」
「浅利さん、マンガ家なんだって」
「えっ、すごい! なに描いてんの?」
「なんか、トリックアートに関する謎を解く、みたいなのらしいけど」
「えっ、待って……もしかしてあれ? すきゃろっぷさん?」
「ああ、それそれ」
「マジで!?」
目を爛々と輝かせて叫ぶ理衣花。うるせぇよ仕事中だぞ。ほら、あのおじいさんあがりこぼしちゃったから。あっついあっついやってるから。
理衣花の後ろに結った髪が左右に振れている。犬なの?
「やっばい、ちょまって、えー!」
「何でそんなにすごい反応になるの? 俺あんまり知らなかったから気持ちがわからないんだけど」
「知らないの?」
「うん」
「私は大ファンなんだけど……ストラップとか買ってるし」
「えっ、あのカバンについてるやつ?」
「そうそうそれそれ! いやあー、作者様にこんなに近かったとは…………あっ、なんか出てきそう」
「抑えて?」
食品を取り扱ってるからね?
一人で横でなんだかよくわからない動きをなさる理衣花氏。それ何の動きなんだよ。左足を軸にスピンしてるけど。海老反りで。え、やだ何この人怖い怖い。
しっかし、携帯は土日に変えるとしても、いかにして浅利にこの話を伝えようか……あっ、いや、携帯云々の話よりそもそもアドレスもってなかった。寂しい。
「私が伝えようか?」
「お前浅利さんとは面識なかったよな」
「いや、まあリアルではそうだけど、すきゃろっぷさんとは全ファンの中で一番仲いいと思う」
全ファンなめんな。
「まあ……そう思ってるなら頼むぜ」
「わっかりましたー!」
「だからうるせぇっての」
仕事中だぞ。このツッコミ何回させんだ。
「…………っと。送っといたよ」
「サンキュ。これでなにか動き出せばいいけど、作家とか芸能人とかって自分の評価がダイレクトに来るからそういうのあんま見な」
「早っ、もう返信来た」
「あいつ意外と度胸あんな!」
もし仮に俺が有名人だったら絶対こんなの見ない。だって怖いもん。
「『えー、同じ店で働いてたんですか!? 人生なにがあるかわかりませんねー。分かりました、私の方からもやってみます』だって」
「まだ高校生だろうが」
人生語れる年齢じゃねぇだろ。
なんか変に冷えきってしまった俺に対して、理衣花は憧れのマンガ家とのメールのやり取りに夢中になっている。ものすごく荒い息づかいが聞こえるけど大丈夫? まだ正気だよね?
マシンガンのごとく画面を打ち続ける理衣花。画面上を指が踊る――なんてきれいな言葉はもう使えない。これが女子高生の本気。
「あのー……」
と、ここで聞きなれない声が。振り向くと、そこには先ほど理衣花の声でビビってあがりをこぼしたおじいさんが。
「申し訳ありません、すぐに拭きますので」
「えっ、いや、違うんです」
「え?」
「お会計…………」
「えっ? ああ…………はい、えーっと――」
おかしい、さっきこの人がこぼしたばっかりのはず……SF《すこしふしぎ》の世界に入ってしまったのか? いやそれにしても…………まさか。
恐る恐る時計を見る。
――20時30分。
「もう俺らがここに立ち始めて30分たってるじゃねぇか!」
「わっ」
「あっ、すみません……驚いたもので」
「いえ、いいんですよ。これ」
「あっはい、1000と80円、丁度、お預かりいたします。ありがとうございましたー」
「…………ぐへっ、…………ふふふ」
「おい、理衣花」
「……………………くふ」
ゴキッ。
「背中痛! なにすんのよ!」
「あいさつ」
「あいさつ……? あっ、あ、ありがとうございました!」
「……もうとっくにお帰りになったわ」
店長、クビにするならまずこいつからです。
仕事が終わり、裏に帰ると、人間の血色としては過去に例を見ないくらいの驚きの白さを見せている店長が寝ていた。大丈夫かよ。お米食べろ。
「お、おつかれさまでーす」
とりあえず声だけそうかけておく。
実はこの人、こういうの意外と聞いてて、前に「大間くん、あのときあいさつしないで帰ったでしょー。ねーなーんーでー? どーしてー?」とか言ってずっとねちねち二時間くらい話しかけてられたことがあった。それ以来、この辺はしっかりしようと心がけている。
「こりこりしてる……すっごいこりこりしてる……」
どんな夢を見たらその寝言が出てくるのだろうか。赤貝の夢で見てるのだろうか。可哀想に。
「
だからどんな寝言だよ。そして下ネタの可能性出てきた。
「さて、着替えるかな」
俺は休憩室の隅に置いてある着替えをとってトイレに向かう。さすがにトイレに着替えを置きっぱなしにするのもどうかと思ってここに置いておいたのだ。
「今日はなにも落とすなよ……」
自分にそう言い聞かせる。イメージトレーニングもした。
だから大丈夫。大丈夫――
「あんた、なにやってるの?」
「悪い、見なかったことにしてくれ」
15分後、俺はヒーターの前で千円札を乾かしていた。
「いや見なかったことにしろって言われても……衝撃過ぎるし……」
カシャッ。
「写真撮んな!」
「あ、ごめん、あまりにも面白すぎて」
「面白い言うな!」
「ごめん、ごめんって……大丈夫、ちょっとツイートするだけだから」
「マジでやめろよ?」
「冗談だって」
恥さらしかよこの野郎。
「ほんとになにがあったの?」
「財布トイレに落とした」
「えっ?」
理衣花は俺の状況説明を受けて、最大限に考えをめぐらせているようだ。そして。
「…………ぷっ」
吹き出した。
「……笑うなよ」
「いや、ちょっと待って……ぷっ、ふぶっ……トイレに、落とした?」
「そう。泉の部分に」
「ポケットから落ちたの?」
「そういうこと」
「あっははははは! マジうける」
「笑いすぎやろ……」
水を含んだ野口大先生は、少し乾いて若さを取り戻してきた。
「だからトイレで着替えるの嫌なんだよもう……」
「…………ぴっちぴち…………おいしい…………」
寝言を吐きながら白いかおで寝ている店長。やっぱその夢ちょっとエロ成分混ざってるだろ。
「はあ…………まあこんなもんか」
多少しわの残ってしまった野口の応急処置はこの辺にして、もう帰ることにする。
「お先に失礼します」
「お疲れさまでーす」
二人で声をかけたが、返事はない。
都会の外れの夜空には、少しだが星が光って見えた。
二日間合計:160/2000
期限まで残り12日
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