第5話 幼なじみ、現実を見る。

 ――とりあえず描いてみました。浅利。

 翌日。出勤した俺を出迎えたのは、浅利先生の作品と、その書き置きだった。

「待ってました待ってました」

 俺は机の上に置かれたその絵――多分ペンタブかなんかで描いてある――を確認する。

 まず飛び込んでくるのは、でかい赤貝の絵。うん。これなら通行人もビックリして止まるよね。こんなにでかでかと赤貝を推してくる店全国でうちくらいだよね、きっと。

「ん? 何これ」

 後ろから声がする。もう聞きなれているので、特に驚かない。

「赤貝を売る対策のひとつなんだけど」

「これが?」

「そう」

 後ろからひょこっと顔を出してきたのは、木曜日のシフトに顔を出す理衣花だ。

 俺は曜日的に今日が三連勤の三日目だから、ちょっと疲れが来ていた。まあ、毎日帰ってから宿題するから、寝る時間は何だかんだ12時をまわる。そりゃ疲れもとれないわ。

 それだから、だいたい木曜日は機嫌がよくなくて、理衣花に対する当たりもそこはかとなく邪険になる。

「これは……どういう?」

「あ、えーっと、赤貝のトリックアート」

「マジか」

「マジ」

「へー……」

 理衣花は一瞬顔をしかめる。これは女の子にしてほしくないしぐさトップ3に入るね。前もこんなこと言ったような気がする。

「どこがトリックなの?」

「さあな」

「機械で描いたの?」

「さあな」

「どの角度から見ればいいのこれ?」

「さあな」

「…………あっ、今日木曜か」

「なんか言ったか?」

「別に」

 なんて、たわいもない話をしている間にも、時計の針は進んでいる。

「おい、そろそろ着替えないと」

「ん? あ、そだね」

 理衣花は俺の前にたって歩きだす。廊下をまっすぐ。そして右へ。

 ………右?

「あっ、そっちは」

「えっ?」

 ドアのノブに手をかける理衣花。

 昨日――それは悪夢の始まり。そして、理衣花のシフト外。

 今日は、店長にまだ会っていない。

 以上より得られる推測は――

「え、な、何これ」

 理衣花は、女子更衣室のドアを開けていた。

「今、一時的に赤貝の保管庫になってるの。だから、そこにある大量の白い箱は、全部赤貝」

「ぜ、全部!?」

「そう、全部」

「嘘でしょ」

「嘘みたいな本当の話」

「えー…………」

 ため息をつく理衣花。無理もない。

 そこには、昨日に増してうず高く積まれた白い箱たちが。ハロー赤貝、ゴートゥー胃袋。

「これ全部……」

「そう。もう全部」

「マジで全…………いや、やめよう」

「そうしよう」

 最善手だ。

「で、私はどうすればいいの?」

「男子更衣室で着替えろって」

「それは嫌かな」

 もっともである。だが。

「安心してください」

「?」

「男子はトイレで着替えますよ」

「ツッコみどころが多すぎるわ……」

「あのおっさんに言ってくれ」

「やっぱあの人か……ていうか、あのトイレで着替えられんの? だいぶ狭いじゃん」

 従業員用のトイレは、男女共用で、前述の通り狭っ苦しい。また、ウォシュレットはついているが、便座が温かくならない。

 そう、便座が温かくならないのだ! 冬場寒いったらありゃしない! 便座が温かくならないから長居できない。長居できないけど長居しなければならない時はもう辛い。地獄だ。

 従業員が店のトイレを使うことも許されてはいる。が、お客さんからの無言の圧力や、長居してしまったときの見えない圧力を考えると、こっちを使う方がまだマシだったりする。

 まあ確かにトイレに「従業員が使うこともあります」みたいに書いてあるのを客として見ると、お前らはお前らの方ですませろよって思うな。俺は何の同意を求めているんだ。

「理衣花」

「な、なに?」

 俺は両手を理衣花の肩にかけ、改めて向き合う。理衣花の顔が多少赤らんでいる気もするけど、先に進もう。

「できないんじゃない、やるんだ」

 俺は理衣花の先の質問に答える。

 言葉だけが空間を一人歩きして、二人の間を通りすぎていく。

 俺は一人翻身して、更衣室トイレに向かう。

「あ、あんたさ」

 理衣花は低めの声で問う。それは、訝しげに。

「なんだ?」

「……ただトイレで着替えにいくだけだよね? 異世界に転移するわけじゃないよね?」

 ちょっとくらいかっこつけたいときもあるだろ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る