第4話 もうなりふり構ってられない
「とびだす赤貝?」
「そう、とびだす赤貝」
俺はとりあえず浅利に作戦を説明した。そのなかで、とびだす赤貝という感じの作画を頼みたいという旨も伝えている。
「赤貝が、とびでてくると?」
「そう、赤貝、とびだす」
「頭のなかで『とびだす』がゲシュタルト崩壊してます」
「奇遇だな、俺もだ」
右手を頭に当てて考え込む浅利。多分彼女の中でも初の試みだろう。赤貝のトリックアートなんて。
「ちなみにさ、今まではどんなトリックアートを描いてきたの?」
「そうですね…………書くものありますか?」
「ちょっと待って…………はい」
俺はとりあえず後ろにあった裏紙の束とボールペンを渡した。
「ごめん、ボールペンしかなかったけど」
「大丈夫です」
紙の上に視線をおきながら、黙々と作業を始める浅利。お仕事モード全開だ。ゾーンとはこの事かもしれない。
茶柱の立つ緑茶をすする。ティーパックの底が大破して、中から茶葉が出てきたようだ。運がいいのか悪いのか。
「出来ました」
「どれどれ……」
浅利が差し出した紙の上には、壺が描かれていた。
「うん、壺だね」
「そうです、壺です」
「うん、うん…………で、どこにトリックが?」
「わかりませんか?」
「いや、わからないね」
「まあそんなもんですよね」
バカにしてんのか。
ちょっと、と言ってもう一度手元に紙を戻した浅利。そのままボールペンで絵を塗りつぶしていく。
「こうするとどうですか?」
そう言って差し出された紙の上には、両サイドを黒く塗りつぶされた壺があった。
「うん、やっぱり壺だね」
「先輩の目は節穴ですか」
バカにしてんのか。
お前あれだぞ、クビにするぞ? クビだ、クビクビクビ(ry。
「だったら何に見えたら正解なんだよ」
「そうですね、それは……ディナーの後にいたしましょうか」
「お前クビにすんぞ」
さっきっから懐かしいネタだな。
「ここ、この黒く塗った部分、人が向き合ってるように見えませんか?」
「は?」
そういわれて、もう一度しっかり絵を見る。上から下へ、出っ張ったり引っ込んだりしているその壺を遠目から――
「あっ、見えた! きたきた、あーあー、あー!」
「でしょ⁉ 来ましたよね⁉」
「ああ、きたきた! すげー!」
見方を変える――いや、達観して見ることによって、壺が一瞬にして向き合う二人に! アメージング!
「こういうのを描いてますね。ていうか、詳しくは私のマンガ読んでください」
「宣伝かよ」
「宣伝です」
いたずらっぽく笑う浅利に、もう一度要件を伝える。
「赤貝を3Dにしてくれ」
「んー、そうですね、やります」
「本当か?」
「ただし」
浅利は人差し指をこちらに向かって立て、満面の笑みを浮かべる。
「なんでもひとつ言うことを聞いてもらいます」
「は?」
ここに来てまさかの条件提示である。
「なんでもって……死ねとか言わないよな」
「小学生ですか」
「人生にはまさかが付き物だ」
現に発注ミスとかあるし。マジでいっぺん死んでこいよ。死ねとか言ったね。
「常識の範囲内でやりますから、ね? 先輩こそ、私がやらないとピンチなんですよね」
「ま、まあ……」
「だったら」
浅利は今日イチの笑顔で話す。真っ白の歯がチラチラこちらに向けられる。
仕方ない、人生には妥協も必要か。何、雇用に比べればこんな女子高生の『言うこと』なんてちょろいものだ。
「わかった、その条件呑んでやる」
「ありがとうございます」
にへっ、と浅利が不敵な笑みを浮かべて、契約は成立である。
「ちょっと、大間くん、浅利さん」
唐突に店長が視界に現れた。
「もう時間だよ。早く入って。どうしたのこんなに話し込んで、珍しいじゃん」
誰のせいだよ。
さて、夜遅くまでのシフトというのはえてして暇なものであるが、ことレストラン業界に関しては違う。むしろこのタイミングこそ一日の売り上げを左右するものであり、夕飯時を制するレストラン、全レストランを制すみたいな格言もありそうでない。
つまり、夕方から夜にかけてのシフトこそ高校生の入れる唯一の時間帯であり、かつ繁忙する時間帯なのだ!
の、はずなのに。
「いやー、この店はすいてていいねー。すぐ食べられる」
とあるお客さんが残した名言である。それはあなたたちの都合でしょ。こちらの気持ち考えて。
つーかここ大型チェーン店なんすけど。人来なさすぎだろ。CMやってるよ? 今朝も見たもん。
今日は入り口付近に珍しく家族連れが一組並んでいらっしゃる。普通の店ならこの時間何十分待ちとかあるはずなのに、うちは一組並んでいるという状況がすでに泣けるレベルで嬉しい。
「お会計648円になりまーす」
俺は一人で食べに来たOLらしき人のおあいそをすませる。6皿でギブかよ。もうちょっと粘ったら? ていうかあんた美容のためかなんだか知らないけどがりばっか食ってたよな。あれ食わなかったらあと3皿はいけてたろ。
あーあ、早く消費税上がれ。……あ、そこは上がっても店の利益の足しにはならないな。
レジ打ち以外特にすることもないので、他の人の持ち場でも確認しにいこうと思ったが、フロアは店長含め四人のシフトで十分に回っていた。牛丼屋かよ。
以降、特に混雑するとかそういうこともなく、流れるようにシフトは終わった、現在21時を少し回ったところ。ここから先は正社員の皆様による後片付けとか施錠とか、そういう事務的なことが行われる。生モノだから従業員に食べ物が分配されるとかもないし、その店ではコンビニが羨ましかったりする。
「お疲れさまです」
「うぅ…………あ、お疲れー」
「……どうしたんですか店長」
「明日から……明日から頼むよ……?」
「ああ、赤貝ですか。今日はどれくらい売れたんです?」
「70皿」
いつも通りだな。
「あれ、いくつ発注したうちのでしたっけ」
「……1000」
「7パーセントじゃないすか」
「うん……だから、明日から頼むよ……」
顔面蒼白とはまさにこの事。もう完全に血の気の引いてしまった顔を両手でひっぱたきながら、店長は歩いていってしまった。これは喝ですね。
一日の仕事が終わると、高校生はすぐ着替えて帰るだけ。鍵閉めなんぞは任されないし、片付けも特には任されることはない。時給だってその分安く設定されているのだから、仕方ないっちゃ仕方ない。
さて、今日も帰って宿題しないと、と暗澹たる気持ちを払拭して、更衣室のドアを引……あ、今日はここが更衣室ではないんだった。
のそのそトイレにこもって着替えを始める俺。残念だ……
扉にかけておいた制服のズボンをとり、代わりに店の服をかける。くそっ、この狭いスペースで着替えろとか無理ゲーだろ。店長人間じゃねぇ。
ポケットにいれておいた携帯と財布を取りだし――
「あっ」
その声は、ある種の絶望で。
絶望の裏には希望があるとか言うやつは能天気だ。希望が絶たれてこその絶望。
ドボン、という重い音は、水面にものが落下して起きる。
つまり――
「あっ…………あー」
携帯がお釈迦になった。南無三。
「やべぇ、マジで動かねぇ」
どのボタンを押しても、画面を触っても、叩いても、何の反応も見せない我が携帯。真っ暗の画面には焦る俺の表情が映るだけで、光を放たない。
「と、とりあえず着替えよう」
上はワイシャツ下はパンツという何とも中途半端な風貌の俺は、急いで学校の制服に身をつつみ、トイレを出てすぐに携帯の応急処置をする。
が。
「ダメだこりゃ」
やはり息の根を吹き返さない携帯についにそう諦めの言葉をかける。
と。
「どうしたんですか先輩……そんなに落ち込んで」
同じく仕事上がりの浅利が、これまた同じく学校の制服姿で現れた。
「携帯トイレに落とした」
「あらー……」
意外と落ち着いて状況説明ができた。浅利はどうにも声がかけられないと感じたのか、はたまた楽しんでいるのか、よくわからない表情をしている。
「でも、今の携帯って防水加工ありますよね。生きてますか?」
「いや、逝った」
「えー!? どんだけですか!」
「いやどんだけって」
「ガラパゴスですか?」
「いやスマート」
「機種は?」
「5より下」
「なぜに」
「中古で買ってカード差した」
「横着ですね」
うるせぇな、携帯に金かけてられるかよバカバカしい。というのが我が父の言葉。ほんと時代遅れ。
「どうすんだよこれ……連絡とかこれしか持ってないのに……」
ああ……ほんとショック……
「まま、ドンマイです、先輩っ」
浅利は百万ドルの笑顔でそう言うと、にわかに俺の肩まで叩いてきた。
「その笑顔は人の不幸を楽しんでるだろ」
「想像にお任せします」
「否定しろよバカ」
「バカとはなんですか」
「うるせぇバカ」
「ちょっ、さすがに怒りますよ?」
「勝手に怒ってろバカ」
「な、なんですか一体! 携帯がバカになった上に先輩自身までバカになったら、もう先輩全部バカですよ!? バカ丸出し」
「言葉に気をつけろバカ」
「先輩がバカって言ってんじゃないですか!」
「ちょっと、バカバカうるさいよ。何時だと思ってるんだ?」
「店長」
突然どこかからかわいて出てきた店長は、さっきまでの不吉そうな顔でそう言うと、そのままの立ち位置で話し続ける。
「全く……何にもないなら早く帰んなよ」
「何にもあったんですよ」
「どうしたの」
「それは……まあいいです、帰ります」
「え、ちょっと何があったのさ。気になるんだけど」
「お疲れさまでした」
「ほんとに帰っちゃうの? 何があったの? 誰のせい?」
お前だよバカ。
一日目:70皿/1000皿
期限まで残り13日
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