二皿目 一回あがいてみよう

第3話 しょうがないからどうにかしてやる

 憂鬱だ……

 重い足取りで店に向かう。重いってのは物理的にも精神的にも。朝走ったからね。

 今日は理衣花のシフトではない。俺だけが入っている。だからこうして一人店に向かうわけだが、やはり枯れ木も山の賑わい、理衣花がいないといくぶんかつまらない。他人を枯れ木扱いってのもどうかと思う。

 しかし、憂鬱の主成分はそこではない。

 脳内にフラッシュバックする、店長の顔。フラッシュバックって大災害とか麻薬とか、すごい体験をしないとしないらしい。俺にとってあれは大災害なのか。答えはイエスである。

 どうしたもこうしたも、あのおっさんが余計に赤貝を発注したのが原因だよね。今日から見たことのない量の赤貝が届くわけだけど、いったいどんな景色なのか。乞うご期待である。ごめん誤字った。危殆の間違いだわ。訂正してお詫び申し上げます。

 水曜日、この時間は俺以外に何人かシフトが入っている。その中の一人が、これから俺がこの状況を打破するのに必要不可欠なのだ。

 鋼鉄の線路を通過する電車が決まったリズムで走行音を奏でる。この電車の鳴らすガタンゴトンというある種有名な旋律は、線路同士の境目をタイヤが通るときの音らしい。夏場、金属製の線路が膨張しても線路が曲がらないように、あらかじめある程度隙間を開けておくんだとか。用意周到である。

 そんなことを考えながら、気がつけばまた、この店にたどり着いた。別に苦労はなかったけど。

 今日も客は少ない。赤貝うんぬんよりそもそもの客の入りを何とかしろよ。

「おつかれさまでーす」

「おぅ、大間くん、頼んだよ、今日からね」

「ああ……これマジなやつなんですね」

「マジなやつ。実物見る?」

「いや、いいです」

 可能な限り現実逃避したいので。

「そう? なら、早く着替えてきて」

「はい」

「それと、シフトは9時までね。今日パートさんこれないらしいからよろしく。それと――」

 業務的な連絡を店長がしてきたが、頭の中赤貝どうするかでいっぱい。後半は聞き逃してしまったが、多分どうでもいいことだろう。

「気を付けてね」

 店長が言う。いったい何を気を付けろと言うのだろう。レジの数字か? それはあんたが気を付けてくれ。

 更衣室は、男女別れている。廊下をはさんで右か左か。男が右を使っているので、俺も例外でなく右に入って――


 そこにいたと目があった。


 きれいな黒髪を後ろで今まさに結おうとしていたその人は、開け放されたロッカーの中に丁寧に学校制服と店の制服がかけられており、つまり下着以外身に付けていない状態だった。

 赤貝でいっぱいの頭に、高速で情報が書き換えられる。

 事態を察したのはこちらが先か向こうが先か。

 口にくわえられたゴムを彼女は手に取ると、人差し指にかけ、引きのばして――

 パァァアアンッ!

「痛!?」

 彼女から放たれたひとつの銃弾髪ゴムは、まっすぐこちらをめがけてすっ飛んできて、見事に眉間にクリーンヒットした。このタイミングでゴム鉄砲かよ。

 というか。

「え、なんで? ここ男子更衣室なんだけど」

「…………」

 彼女は口を開かない。

「わ、悪かったから、ごめん」

「…………あの」

「はい」

 簡素で実用主義的な空間から、冷たい視線が送られる。怖い。

「…………店長から話聞きました?」

「いや」

「あのバカ店長が」

 激しく同意。

「今日、女子更衣室、なんか使えないみたいなんです」

「そりゃまたなんで?」

「なんか、すごい大量の発注があったやつが冷蔵庫に入りきらなくてこっちに来てるみたいです」

「赤貝かよ……!」

 冷蔵庫に入りきらないってなかなかだぞ。そこそこ大きい業務用冷蔵庫が何台もあるのに、それで入りきらないのかよ……憂鬱。

「鮮度とかは?」

「すごいひんやりしてますよ? 行きます?」

「いや、やめとく」

 可能な限り現実逃避。

「……え、で、俺はどこで着替えれば?」

「トイレだそうです」

 無理があるだろ。

「店長いわく、『できる』そうです」

「なんで店長はそこだけハイスペックなの!?」

 うちの従業員用トイレは、洋式のみのワンルームで、非常に狭い。学校のそれより狭いと思って貰えればいい感じ。

「わかった。やってみるよ」

 そそくさと場を去ろうとしたそのとき。

「待ってください」

 腕を捕まれた。

「な、なにかな……?」

「ただでは行かせません。私の……その……い、一糸纏わぬ半裸を見られたのに」

 一糸纏わぬじゃ全裸じゃねぇか。

 絶対逃がさないとばかりに引き寄せられた俺の右腕は、慎ましやかな双丘の真ん中に当てられている。ヤバい。

「ど、どうすれば……」

 未だ上下純白の下着姿の彼女から、判決が言い渡される。

「ジュース奢ってください」

「金かよ!」

 そしてかわいいな。


 さて、色々あったけど着替えも終わったし、仕事に入ろう。ああ、トイレの中でも人は着替えができるよ。おすすめはしない。

 まだ時間が結構あるので、このタイミングで話を切り出そうと思う。

 俺は頼まれたものを左手に、彼女のもとへ。

「浅利さん」

「……ああ、買ってきてくれました?」

「うん」

 俺はテーブルに頼まれたアセロラのジュースを置く。160円。

 彼女――浅利帆立は、一個下の後輩。バイト歴でも俺が半年ほど先輩だ。

 浅利はすぐさまペットボトルに飛び付くと、ちまちま飲み始めた。

「これで、さっきのは……?」

「あ、はい、もういいです」

 軽いな。理衣花ならこんなんじゃすまされない。多分。

「……それ美味しいの?」

「大好きです」

「……そうなんだ」

 食いぎみだったな。

 仕事まであと20分。俺はあの話を切り出す。

「さっき、大量の発注があったって言ってたよね」

「あ、はい」

「あれ、実は消化しなきゃいけないんだ」

「へー、そーなんですか。なんなんです?」

「赤貝」

「マグロですか?」

「それは赤身」

 マグロだったらまだマシだったと思う。

「貝だよ貝。赤貝。エーケーエージーエーアイ」

「あー、なるほど」

 ローマ字効果絶大じゃねぇか畜生。

「で、なんで赤貝なんですか?」

「俺が知りたいわ!」

 こういう偶然はマジでいらない。

 浅利さんはふーん、といった感じで適当に頷いてそのまま流そうとしている。聞いてるふりして聞いてない。うまいな。

 だが、それもここで終わりである。

「実はさ、二週間で合計1万皿売らないと、俺らか、店長のどっちかクビらしいのよ」

「はああっ!?」

 突然に身を乗り出して抵抗を示す浅利さん。そうそれそれ。君も他人事じゃないんだぞ。

手にしたアセロラのジュースがこぼれるギリギリでキープされる。

「クビって、あのクビですか?」

「他になんのクビがあるんだよ」

「え…………着差?」

「競馬じゃねぇか!」

 時と場合を考えろや。

「そこで、なんとしても雇用を確保したいので、いくつか案を考えた」

「案……ですか?」

「そう。説明するね」

 俺は、売り上げ向上のための策として、とりあえずトリックアートを利用することを伝えた。浅利さんは真剣に話を聞き込んでくれていて、話しやすかった。

「で、この絵。肝心なこの絵を、浅利さんに描いてほしい」

「トリックアートをですか?」

「そう」

「いや、トリックアートって、普通の絵じゃないんですよ? 一介の高校生が狙って描くものじゃないですって」

ねぇ……」

「……なんです?」

 怪訝そうにこちらをうかがう浅利さん。いつのまにか半分近く飲み干されたペットボトルのキャップを開けたり閉めたりしている。

 仕方ない、これを出すのは最終手段だと思ってたけどな。

 俺はポケットから携帯を取り出して、ある画像を見せる。

 それは、とあるマンガのイラスト。

「すきゃろっぷさんって漫画家が、今ネット界隈でとてつもない人気を誇っているらしいね。ビジュアルもかわいい、ストーリーも面白いって」

「……それが?」

 最後まで言わせるのかよ。

「すきゃろっぷってのは、英語のscallopから来てる。scallop、日本語でほたて」

「…………」

 浅利さんは何事もないように平静を保つふりをしているが、瞳孔が開きっぱなしで動揺が丸出しである。

「なんでも、この近くに住んでるらしいな。調べたら『現役女子高生イラストレーター』だとか。知ってるか?」

 椅子をギシギシ揺らしながら饒舌に語った俺の前、対照的にしおらしくなってしまった浅利がついに口を開く。

「…………知ってますけど」

「そうなのか」


「それ、私ですから」


 ビンゴ。俺の直感が冴え渡るね。

「ストーリー展開は実に面白いね。『トリックアートの裏に隠された真実を見抜くミステリーもの』。面白そうだよ。な、浅利――いや、すきゃろっぷ先生」

「バカにしてるんですか」

「まさか、本心だよ」

「ならそのにやけた口はなんですか」

「ミステリー作家相手に解答編やってるんだから少しは許して」

「…………」

 浅利は下を向いていたが、やがてなにかを決心したように、まっすぐ俺を見据える。

「わかりました、やります」

「ありがとよ」

 とびだす赤貝、始まりである。もうちょっといいタイトル案なかっただろうか。

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