第三十六話『機密』
霧島晃児(きりしまのぼる)は後ろ髪を引かれる思いを抱きながら軍本営へ戻った
将官用の駐車場へ車を入れると丁度、橘剣吾少尉が建物内から霧島を迎えに出てきた。
「少佐、お待ちしておりました。例の件について…」
「橘少尉、ご苦労」
敬礼を返すと足早に部屋へ向かった。少佐の与えられている部屋は三階建ての三階、西側にあった。窓から練兵場が見渡せ、朝になく夕になく軍靴の整列する音が聞こえた。
「よし聞こう。今回は確信的な情報だろうな?」
霧島は椅子に座ると手渡された文書へ目を走らせた。
橘少尉が傍らに立ち報告書を開いた。少佐の部屋で待機していた二人の部下…一人はずんぐりとした体つきの南中尉、そしてもう一人は痩せた体の西条少尉といった…も姿勢を正し橘少尉の報告を聞く態勢をとった。
「まず結果からのご報告になりますが、松平コンツェルンは世界的な武器のブローカーへ化学兵器の共同開発研究の協力要請を促していたようです。幾つかのブローカーが名乗りを上げ、各組織から優秀な研究員を集め兵器の研究に乗り出していたようです」
「ふむ…一つのブローカー組織だけではないのか?」
「はい。松平コンツェルンは一つの組織だけでは研究員の才も限界があり、様々な人材を要して最強の化学兵器を作り出し、各組織へ販売ルートを設けようとしたようです」
「化学兵器とは…核兵器ではないのか?」
南中尉が橘に問いかけた。
「いえ。核兵器ではないようです。薬剤兵器、と呼ぶべきか…核兵器は無関係な人間を巻き込むばかりではなく、投下後の放射能汚染などのリスクも高くなります。松平コンツェルンが研究開発をしていたのは、最強薬剤兵器です。特定の人間を必要な人数のみ確実に葬る事の出来る、また跡が残らないという利点を持つものです」
南中尉が顎を指先で一つ撫でた後首を少し傾げた。
「しかし、それは国同士の戦争の役に立つのか。ブローカーは武器そのものを商売にしている。薬売りにはなりたくないと思うが?」
橘は南へ視線を向け、正した姿勢のまま答えた。
「勿論、我々が知るブローカーとは武器そのもので商売をしています。銃弾一個から核兵器まであらゆる武器を売り捌(さば)いています。ですが、もしその武器を薬剤に姿を変える事が出来れば…?」
「…一見、武器の売買だとは分からない」
霧島少佐が低く呟くと二人の部下は黙って頷いた。南がふと思いついた様に再び橘へ質問をした。
「しかし、国同士の戦争に於いて、薬剤兵器…化学兵器は有効なのか?」
「国同士の戦争も欲しいのは利権ですよ?利権を握る人間は何人いますか?」
「成程。そこが松平コンツェルンの売り込みだったのだな。それで?開発は既に始まっているのか?」
「開発を始めていたところに、松平雅恵の人体実験事件の報により研究は中断されているようです」
霧島は文書を眺めながら幾度か相槌を打ち、顔を上げると再び橘へと視線を向けた。
「開発メンバーは捕える事は出来たのか?」
「はい。まだ全員ではありませんが捕えた人物から調べております。他のメンバーについてもじきに捕えられるでしょう」
霧島は文書を机に置くと立ち上がり三人の部下へ視線を巡らせた。
「いいか。この件については決して外部に漏らしてはならない。取り調べも極秘裏に行い、軍内であっても一部の人間にしかこの件を扱わせるな。一人の独裁者の耳にでも入れば、第二、第三の松平が生まれる。そうなれば火炎を上げる戦争では済まなくなるぞ。いや、核兵器よりももしかすると取り返しのつかない事になるかもしれない」
三人の部下は重々しく頭を下げた。
「勿論、その点についても我々は十分重く捉え、少佐に命ぜられた通り指名された限られた人物のみで当たっております」
南がずんぐりした腹を突き出した恰好で敬礼を下し、軍靴の音を揃えきびきびと答えた。すると、先程から三人の会話に頷くだけだった西条少尉が誰に質問するでなく尋ねた。
「もし、裏切り者が出れば…?」
すると橘がそれまで見せなかったような不穏な笑みを痩せた部下へ向けた。
「家族もろとも死罪を…」
霧島は重く頷き、西条へ視線を向けたかと思うと、西条の手が懐の銃を抜くよりも早く橘の銃が痩せた部下の心臓を撃ち抜いていた。響き渡る銃声は夜の静寂を一瞬切り裂き、空へ落ちる雷鳴のように鋭く轟かせた。
「少佐、彼の家族はどうしましょうか?」
橘が冷たく尋ねる。南は素早く倒れた西条の軍服から階級章などを取り血を拭った。
「家族までは殺す必要はない。西条少尉が資料を持ち出すところは君達二人しか見ていないのだろう。…南中尉、そして橘少尉、ご苦労だった。引き続き任務を続けるように。西条少尉の遺体は安置しておけ。死因は…『自害』だ」
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