第二十五話『夜の訪問者』

 その日の夜、屋敷内は騒然となっていた。

 使用人達は慌てふためき、夕食は執事一人が支度をした。警察への応対もアスカが一人で立ち会った。現場検証や使用人達に対する簡単な事情徴収が終わり、ひと段落ついた頃には零時を回っていた。

「…しかしこの度は不幸な事故、と申しましょうか…あぁ…何と申しましょうか…突然の事で驚かれたでしょう」

 刑事が屋敷のリビングで重々しく言葉を探り、気の毒そうな視線を執事に向け、差し出された紅茶に口を付けた。

 言葉を掛けられたアスカもまた沈痛な面持ちで刑事の傍らに控え頭を垂れた。

「その銃は、英国の執事養成学校を卒業した時に卒業生全員に与えられた護身銃です。卒業試験の一つに銃剣を扱うライセンスの取得がございましたので。ああ、これはそのライセンスと国内での許可証です。」

 刑事はアスカからそれらを受け取り、部下に写真を撮らせた。

「ご事情は大体分かりました。松平秀光…元鷹宮秀光は、代々貴族として栄えていた家の存続が危うく多額の負債を抱えていた。その為に完済を条件に松平コンツェルン社長である松平雅恵と再婚した。恐らくはそれで危機を乗り越えられたのでしょうな。その見返りに、松平雅恵は外交官である鷹宮の海外事情に明るい事を利用し、国内外での人体実験を行っていた。今我々が調査している事件ですな。本日、いや日付は変わっていますから昨日ですか。元鷹宮秀光が屋敷へ戻られたのはその件について、ですかな?」

「はい。ご主人様は今回の事件で警察に呼び出しを受けられたので、早々に帰国なさったご様子でした」 

 部下が報告書を刑事に差し出すと、刑事は簡単に書面へ視線を向けた後、すぐにアスカに視線を戻した。

「今度の事件では霧島少佐により、貴女に協力要請があったそうですね。貴女はそれに協力をした。…理由は先程伺ったようにご令嬢の事を案じていたから、という事でしたな」

「その通りでございます。尤も、始めに霧島少佐からお話を伺った際には不信感を抱いでおりましたから、人体実験が真実か否かを確かめる為でしたが」

「成程。屋敷に仕える立場としては当然でしょうな。その後、屋敷主が貴女に変わってますが、報告によると貴女が買い取られたとか。それはこの事件と関係していたのですかな?」

「人体実験の事はその当時存じませんでしたが、お嬢様に対する使用人達の言動や、与えられている環境などに当初から疑問を抱いておりました。使用人が彼女を虐待している事実を知りました。この屋敷を買い取ったのは、私が屋敷主となる事で虐待を阻止出来ると思ったからです」

「ふむ。ところで、鷹宮の邸宅も買い取っておられたようだが…蓮さん、貴女の家は随分と資産家なのですな」

 紅茶を飲みながら刑事は一つ小さく溜息交じりに尋ねた。

「いえ。鷹宮のお屋敷は奥様から頂いたものなのです」

「む?どういういきさつかお話を伺っても?」

 少し躊躇(ためら)いがちに、アスカは紅茶のお替わりを刑事と部下に注ぎ再び傍らに立つと、静かな口調で、秀光に話した内容を刑事に話した。

 話を聞き終えると男性部下達がざわめき始めたが、刑事が片手を上げそれを制した。

「成る程…。そういえば松平雅恵は平素、滅多に鷹宮秀光と会っていなかったようですな。最早別居夫婦だった。当然、夫婦生活も全くない状態であったという訳ですか。貴女もそんなお相手までさせられて大変だったでしょうな。それも同性である奥様となると…いや…何とも、はや…。無粋な事をお伺いしました。失礼を」

「いえ…こんな事件になりましたから」

 しんみりと答えると刑事は、申し訳ない、と告げた。

「その事も昨日の事件と関係していたのでしょうな。元鷹宮秀光は激昂し、貴女を撃とうとした。しかし揉み合いになる内、誤って自分へ引き金を引いてしまった…と。確かに銃にも貴女の手袋にも鷹宮の指紋が検出されておりますし、これだけ条件が揃えば貴女を疑うほうが難しいでしょう。蓮さんが心を病まれる事はありませんよ」

 刑事は傍らで項垂れる銀髪の執事へ優しく声を掛けた。その時、部下の携帯が鳴った。彼は執事と刑事に頭を軽く下げた後、扉の向こうで何やら小声で一つ、二つと返事をし早々に電話を切った。再び室内に部下が戻るなり早速刑事に何やら耳打ちをした。すると刑事は神妙な顔でアスカに告げた。

「蓮さん、あの鷹宮の屋敷を焼いたのはどうやら彼の部下だったようです。しかしながら、その依頼した人物は特定出来ておりません。が、金の出所はどうやら松平雅恵のようです。彼女が連行されてから鷹宮邸が焼かれた…鷹宮への逆恨み、或いは鷹宮の屋敷をくれてやった執事の裏切りに対しての怒りからか…貴女も二重、三重にと災難でしたね」

 彼の部下が同情を示し「全くです…」と小さく呟いた。刑事は再び深く頭を下げ、アスカへパイソンを返した後静かに立ち上がり、失礼します、と部下を引き連れ扉へと向かった。立ち去り際、刑事は執事へ再び身体を向けた

「ああ、忘れるところだった。蓮さん、あと一つだけお伺いしたい事が」

「何でしょうか?」

「貴女は事前に、本日、霧島少佐へご令嬢を一日連れ出してほしい、と願い出ていたとの事ですが?」

「ああ、それは…お嬢様は例の事件でまだ落ち着かずにずっと籠(こ)もっておられました。今回のご主人様のご帰宅は、警察からの呼び出しもありましたし、状況が状況だけにお耳には入れない方が良いだろう、と判断致しました。霧島少佐が外へ連れ出して下さる事で、お嬢様にも気分転換となるだろう、とも。まさかこんな事になるとは思いもしませんでしたから、今宵は霧島少佐にお嬢様をお委ね致しました」

「成る程…いや、貴女は敏腕で思慮深い執事さんだ。しかし…この先、あのお嬢様はどうなさる?」

「勿論、引き続きお嬢様としてこのまま屋敷にお住まい頂こうかと思います」

 刑事と部下は感心した容子で屋敷を出て行った。

 今頃令嬢は霧霧島家の山荘で、美しい紅葉と明るい月彩に照らされながら穏やかな眠りに就いている事だろう。

 ……今はゆっくりと眠るがいい。葬儀が終われば、彼女は屋敷の、否…この蓮アスカのものとなるのだから……

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