第10話

 俺たちは、ややまばらな人の波の間を歩く。土曜日の駅前大通りにしては、やっぱりなんだか人が少ないように思えた。それに警察の姿も、やたらと目につく。

 全寮制である俺たちの学校と一般社会の、ほぼ唯一の接点であるこの駅は、『雛ヶ崎駅』という。

 よくある大型地方都市のベッドタウン、という位置づけだが、駅前の開発はかなり進んでおり、なおかつ近隣の住民にとっては他に行く場所もないので、いつもは休日になればかなりの人通りがある。

 俺は以前に住んでいた東京の人ごみにうんざりしていたので、最初にこの駅前を見たときは、ちょうどいい混雑具合といった印象を受けたものだ。

「通り魔の事件があったからね」

 と、芹沢は声を低めて言った。

「知らないのかい、牧原くん?」

 からかうような呼び方にも、いつもどおりの軽快さがない。

「テレビのニュースになっていたよ。今月に入ってから三人。行方不明者は、もう少し多いらしいね」

「ああ――」

 なんとなく、そんなニュースを耳にした気がする。寮内でもテレビのあるロビーや歓談室に寄り付かない俺は、その手の事件には極めて疎い自覚がある。

「この市内で、通り魔? そんな物騒な事件があるのか?」

「まあね。なんでも、体格のいい男性ばかり狙われているらしい。不思議なことにね――牧原くんは気をつけた方がいいかもしれないよ?」

「それ」

 俺はサヤを振り返った。こいつは無言で俺のブルゾンの端っこを掴んで、ついてきている。

「こいつの追っ手とかの関係者じゃないのか?」

「どうかな」

 俺の質問に、芹沢は肩をすくめただけだった。

「私にはなんとも言えないよ。あの女性が何者だったのか、わからないしね。いやホントにさっぱり見当もつかないから、そのちょっと私の推理を期待してる目がツラいよ……」

「そうか」

 やっぱり、芹沢は俺よりちょっと『そっちの世界』に対する知識があるくらいで、重要なことは何も知らないと見ていいだろう。

 本人にそれを言うと怒られそうな気がするので、口には出さないでおく。

「まあ、通り魔が出るのは夜遅くって話だよ。私たちは健全な学生だからね。日が暮れる前には帰路につけばいい。それとも、牧原くんは夜遊びがお望みかな?」

「いや」

 芹沢は面白がって俺の顔を覗き込んだが、それに付き合う気分ではない。

 街には通り魔がうろついており、スオウは日に日に弱っているし、サヤの追っ手の正体も謎だ。気がかりな問題が多すぎる、と俺は思った。

「さっさと予定を片付けて帰る。追っ手のことも考えてみると、サヤをあんまり人前に出すのもまずいかもしれない」

「それがベストだと思うよ――で、牧原くん、今日の行き先はどこだい?」

 歩くうちに、芹沢は徐々にいつもの調子を取り戻していくようだった。

「私とサヤくんをエスコートする以上、スマートにお願いしたいな。特にサヤくんは、この街に流れるスピードにはまだまだ適応できないだろうからね」

 芹沢はわかったような顔で肩をすくめてみせる。

 この若干だが余裕ある態度は、スオウが駅ビルの屋上に腰を据えたまま、さきほど居眠りを始めたことも大きい。少なくとも、見境なしに人に襲いかかったり、好奇心を発揮して余計な場所を覗きに行ったりする気配はない。とりあえず、俺たちが見た限りでは。

 もっとも、スオウが本気でそういう行動に出れば、俺たちには止める手段などない。だから俺はもう割り切ることにした。スオウは放っておく。考えても無駄なことは考えない。

「最大の目的地は長瀬工務店だな」

 俺はインターネットで検索し、プリントアウトした地図を眺める。

 長瀬工務店、という店舗は、たしかにこの市内に実在する。繁華街の横道から続く、かなり入り組んだ場所にあるらしい。

「あと、芹沢、サヤの服とかも買うんだろ?」

「ウ」

 服、という単語が理解できたのかどうか知らないが、サヤは手を挙げて唸った。自分の名前が呼ばれたから反応しただけかもしれない。

「なんか必要だって言ってたよな、お前」

「まあ、そうだね」

 芹沢は軽くうなずく。スオウとの散歩同様に、今日も芹沢はサヤから十分な距離をとって歩いている。

「それと、バターサンドクッキーも買ったほうがいい。牧原くんがプレゼントするやつ。アレがあれば、だんだんサヤくんも私のことを攻撃しなくなってきたから。着替えさせるときに使わないと」

「芹沢、なんでそんなに嫌われてんの? 嫌がらせした?」

「そんなはずないじゃないか。でも――強いて言うなら、私とサヤくんの持つ運命同士が、反発し合っているのかもしれないね」

 芹沢はあまり長くはない黒髪をかきあげ、どこか遠い目で微笑した。

 かなり練習したに違いない。こんな表情を常日頃から浮かべているやつはいない。しかし芹沢とサヤの不仲は深刻な問題なので、俺は茶化さず真面目に助言してやることにした。

「そういえば、この前テレビで見たことがある。同じアクセサリーとかを身につけてると、なんか心理学的な効果で相性が良くなるらしい。何か買ってみるか?」

「私の言っている運命というのは、牧原くんがやたら具体的に捉えているニュアンスとはだいぶ違うんだけどな……しかし、アクセサリーね――小物かあ」

 芹沢は笑った。

 先ほどとは違う、ちゃんとした笑い方だった。

「牧原くんがプレゼントしてくれるというなら、考えてもいいけどね? なに、そう高価なものは期待していないさ。だから、どうかな? サヤくんは――、あ」

 俺も気づいて足を止めた。サヤは一つの店の前で立ち止まり、ショーウィンドウを眺めていた。しかも指をくわえて。俺と芹沢は顔を見合わせると、サヤの肩ごしに、何に興味を示したのか確認することにした。そして俺はなんとなく理解する。

「ああ」

 どうやら、ペット用品の専門店らしい。カラフルなおもちゃの類が展示されている。

「サヤの遊び道具も必要かもな」

「それもあるかも知れないね。サヤくん、どれが気になるんだい?」

「ウ!」

 サヤにしては珍しく、芹沢の質問に素早く応じた。ショーウィンドウの中央に並ぶ、色とりどりの首輪を指さす。

「なんだこいつ」

 俺は思わず笑ってしまった。

「もしや、これを装飾品の類だと思ってるのか? アクセサリー的な?」

 サヤがいったいどういう環境下で育っていたのか、すごく気になってきた。

 こいつがまともに喋ることさえできれば、あの急に襲ってきた女の正体もわかる。幻獣に関する知識を持った人間には違いない。できれば、もう一度接触したいところだ。

「あ――アクセサリーって?」

 芹沢はやや長い沈黙の後、真剣な赤い瞳で俺を見た。

 まるで犯罪者を見るような目つきだった。

「言っておくけど、牧原くん、この首輪! アクセサリーとかって、そういうこと? 私とサヤくんにそれ、その、そういうことじゃないよね」

 と、彼女はサヤと首輪と俺を順番に指さした。

「いくらなんでも、相性とか心理学どうこうの問題じゃなくて、ダメだからね。サヤくんに買ってあげるのも禁止だからね! いくら普通の人たちには、サヤくんが見えないからって」

「あっ、確かに」

 俺は深くうなずいた。

 こいつ、やっぱり頭いいな。俺がサヤに首輪とリードをつけて歩いていたら、万が一にも『見えるやつ』と遭遇した場合、まったく言い訳ができそうにない。通報される恐れもある。

「牧原くん、ホントそういうの良くないよ!」

 芹沢の叱責は、まだ続いた。

「もっと自分を客観的に見た方がいいよ、構図的にすごくまずいから!」

「芹沢さあ、そういう警告とか、常に今ぐらい素早いタイミングで言ってくれるか?」

「いいから。ほら、先を急ごう。急ぐよ。牧原くんはサヤくんを引っ張って!」

 芹沢の言うことには一理ある。

 そこからサヤの腕を引っ張って、ショーウィンドウから引き剥がすのは、バターサンドクッキーが必要だった。周囲から不審に思われないようにクッキーをサヤに進呈するのは、ちょっとした工夫をする羽目になった。

 そして、そんな俺たちを見回す駅ビルの屋上では、スオウが大きくあくびをしているのが見えた。機嫌は良さそうだ。

 もしかしたら、日光浴は趣味の一つなのかもしれない。

 気楽なやつだ、と、俺は恨めしく思った。

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