第7話

 授業中、スオウの姿をグラウンドや中庭で見ることは、ほとんど無くなった。

 停学を食らっていた俺には、授業の内容に食い下がるのに必死で、スオウを目で探す時間もあまり取れない。しかし、それにしたって、スオウの活動頻度は明らかに減っていた。それと反対に、寝ている時間が増えている。

 この問題について、俺は当初、食べ物が原因だと考えた。

 尾形さんの物置小屋からは、スオウの食材らしきものは何も見つからなかった。チョコチップクッキーや、ロールケーキが何袋か出てきた程度だ。

「マジかよ」

 と、尾形さんの小屋を片付けながら、俺は思わず声に出してしまった。だからスオウには、ちゃんとした肉や穀物の類が必要ではないかと思い、寮の厨房から盗んで勝手に持っていった。本格的な給餌の前に、必要な餌の種類を見極めておきたいと思ったからだ。

 実のところ、この明らかな窃盗行為も、やってしまってから気づいて反省した。

 ドラゴンに餌をやりたい場合、なおかつそのドラゴンが他人から認識されていない場合、どうすればいいか?

 答えは『やめとけ』だ。ちゃんとした大人なら、こんなことはしない。スオウなんて三日でも一週間でも飢えさせておけばいい。間に合わなければ、残念だが死んでもらうしかないのだろう。

 これこそ、ちゃんとした大人の判断だ――俺にはそれができない。

 しかしスオウは肉にも野菜にもほとんど興味を示さず、強いて言えば牛肉とリンゴをひとかけら口にした程度だった。

「やっぱり、幻獣は基本的に食事を必要としないようだね」

 と、芹沢は澄ました顔で納得していた。

 そういうことは先に言え、と俺は思った。

「サヤくんもぜんぜん食べないしね。この点について、父の文献に書かれていることは確かなようだ」

 だったらなんでスオウが元気を無くしているのか、俺は疑問を呈したが、芹沢の答えはシンプルな『そんなの、ぼくも知らないよ』というものだった。

 相変わらず芹沢はなにを知っていて、なにを知らないのか、よくわからない。ほとんどの知識が聞きかじりということだったので、芹沢本人も何が事実なのか理解していない可能性もある。

 ともあれ、スオウの元気がなくなったのは間違いない。

 単に尾形さんがいなくなったことによる、精神的なショックかとも思ったが、スオウはとてもそういうタイプに見えない。もしそうだとしても、なんらかの方法でショックを緩和する必要があった。日が経つにつれ、スオウの活動頻度は減っており、散歩の距離も短くなっている。

 それから、そう、尾形さんのことだ。

 あの人が失踪したことは、学校内部でも不思議なほど、まったく話題になっていなかった。普段から接点のない生徒ならば仕方ないかもしれない。

 が、教師陣に芹沢が確認したところ、

「そんな用務員さん、この学校にいたんだ?」

 という反応が返ってきたらしい。

 それでも芹沢は挫けずにがんばって、なんと校長にコンタクトをとったのだという。このあたり、芹沢のバイタリティには驚かされる。とてもじゃないが、俺には真似できない。

 ともあれ、この質問をぶつけることに成功したようだが、その結果は、

「その件については、学校側で対応しているので、生徒は学業に集中してください」

 ――だ、そうだ。

 もしかしたら警察が尾形さんを探しており、そのうち見つかるなんてこともあるかもしれないが、俺はそこまで楽観的じゃない。スオウは日に日に弱っている。サヤのことだって、いつ追っ手みたいな連中が来るかわからない。

 つまり、色々とこちらで努力するしかない、というわけだ。

 授業が終わると、俺は尾形さんの小屋がある校舎裏へ急ごうとした。

 あの物置小屋は、あんなことがあった後でも、誰も人が近づいた様子がなかった。普通は、行方不明になったわけだし、血痕もあるし、警察とかがやってきてもおかしくはない。

 だが、小屋は窓ガラスが割られ、荒らされたそのままの形で取り残されているようだった。立ち入り禁止にもなっていない。

 今日は少しだけ、あの小屋を掃除するつもりだった。隅々までひっくり返せば、何か手がかりでも見つかるかもしれない。そう考えていたところを、呼び止められた。

「あの」

 と、控えめな声が俺の名を呼んだ。

「牧原くん。ちょっと、いいかな」

 振り返ると、小柄な少年が俺を見上げていた。なんとなく押しの弱そうな印象を受ける。そのせいで、いじめられていたのではないだろうか。もちろん名前を知っている。嫌な記憶のある名前だ。

 確か、

「日野?」

 と、沈黙が数秒に及ぶ前に、俺はどうにか思い出すことができた。

「悪いけど、急いでる」

 半分は嘘だ。

 すこし話す時間くらいならある。だが、俺はこいつとあまり話したくなかった。嫌なことを思い出すし、そのせいで強い罪悪感に襲われるからだ。俺が停学を食らう羽目になったのも、こいつに嫌がらせをしていた連中の肋骨を折ったのが原因だった。

 あれからイジメがさらに激しくなっていたら決まりが悪いし、あるいは逆に、なにかを勘違いしてお礼でも言われたら困る。

 俺にとっては、あまりにも恥ずかしいことだ。

「また今度な」

 こっちは完全に嘘だ。できるだけ今後も関わりたくない。

「あっ、待って。ちょっと待って!」

 意外にも、日野は俺の腕を掴んでまで止めてきた。これを振り払ったら、また俺が悪い奴に見えるかもしれない。だから俺は対応に困った。

「牧原くん、いつもすぐ教室出てどっか行くから」

「別にいいだろ」

 思ったより刺々しい受け答えになった。

「忙しいんだ」

「あ、うん。ごめん。そういう――牧原くんに迷惑かけるつもりじゃなくて」

「だったらなんだよ。文句でもあるのか」

「そうじゃなくて、まだ言ってなかったから」

 やめてくれ、と俺は思った。日野はできるだけ正面から俺を見ようとしていた。睨んでやったが、日野は顔をそらしただけで、結局はそれを口にした。

「ありがとう。あのとき、助けてくれて。嬉しかったんだ。でも、牧原くんは代わりに停学――」

「黙れ!」

 我慢できなかった。理解してもらえないかもしれないが、ただ猛烈に恥ずかしかったからだ。あれは『悪いこと』だった。普通に考えたらやってはいけないことだったので、俺は十分に怒られた。もう蒸し返さないで欲しかった。

 思わず声を荒らげた俺は、日野の襟首を掴み上げていた。

 日野は反射的に目を閉じた。恐怖に対する、よくある反応なのかもしれない。俺はまた激しく後悔した。すごく自分が惨めなことをしていると思った。

 教室に残っていたやつらが、みんな俺を見ていた。

「くそっ」

 俺は日野を突き飛ばすようにして解放した。

「二度と話しかけんな!」

 これではまるで俺がいじめているように見えたかもしれない。

 日野が何か言ったように思うが、俺は逃げるように教室を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る