17

 いかにも女性に人気が出そうな、落ち着いた色合いとシックな外観は、何かと口うるさいアヤでさえ感嘆の声を上げるほど、見事なものであった。


 アヤとユギの二人は気負いもなく店に入っていったのだが、マジメとササキの二人組は、テラスから見える店内に女性客しかいないことに足を止めてしまっていた。


 男子禁制ではないのかと思うほど、店内に男性の姿はない。


 そんなカフェテリアに入ることは躊躇われ、二人は顔を見合わせたまま足を止めていたのだが、マジメたちがいないことに気づいたユギに強引に入店させられてしまった。


 居心地が悪い。


 別にこのカフェテリアに含むところはまったくないのだが、こうも見事に女性客しかいないとなると、今すぐにでも飛び出したくなるほど落ち着かない。


 一行は、四人掛けのテーブル席に案内され、各々が好きな飲み物を注文したのだが、楽しげに話すアヤたちの対面でマジメたちはきょろきょろと挙動不審に周囲を見回していた。


 財布を開けて中身を見ては肩を落とすササキも、やはりどことなく見られているようは気がするのだろう。完全な被害妄想だとしても、その気持ちはわからなくもないマジメであった。


 すっかり縮こまってしまったマジメたちだったが、ユギがいよいよ本題を話し始めたことでそちらに集中することが出来た。


 ユギがおかめリュックから取り出したプリントを受け取って読んでみると、清掃日時や必要な道具、参加部活などが書かれていた。


 同じように、対面で読み進めるアヤも一通り目を通したようで、プリントから顔を上げた。


「おおまかな予定はそこに書いている通り、今週の土曜日の午前十一時には部室に来てほしいの」

「それなら大丈夫だ。早起きは得意だからね」


 そりゃ、ホットミルクを飲んでしまえばあっさりと寝入ることが出来るのだから、当然と言えば当然だ。マジメ自身も普段から規則正しい生活をしているおかげで不安はない。


「持ち物は各自で確認すること。場所もわかるわよね?」

「学校近くの河川敷ですよね? 裏門の道を真っ直ぐ行ったところにある」

「ええ、そこであってるわ」


 と、そこで注文した飲み物が運ばれてきた。ひとまず休憩ということで話を中断し、各々がグラスに口をつけた。


 ユギの話を聞くことでごまかしてきたが、黙っていると居心地の悪さを思い出してしまう。


 この手の店に行くのが初めてだったマジメは緊張しっぱなしであった。


 正面で楽しそうに談話するアヤたちをぼんやりと眺めながら、何気なく窓の外を見た。すると、なにやら人だかりが出来ていて、店内にいても聞こえるほど外は騒がしい様子だった。


 事故でも起きたのかと思わず立ち上がりかけたマジメは、何故か人垣が悲鳴を上げて散っていくのが見えた。


 その悲鳴は壁を隔てた店内にも十分響いて、店員や客たちが何事かとざわめいていた。それは当然、窓際のテーブル席に座っていたアヤたちにも聞こえるわけで、三人が顔を見合わせる中、マジメは窓の外を強く睨んでいた。


 何か嫌な予感がする。首が締まるような感覚が急速に強まっているのだ。


 息苦しさを覚えると同時に、人だかりの中にいた中年男性が一人、胸部から血を噴き出しながら仰向けに倒れた。


 わずかな沈黙の後、女性の甲高い悲鳴が再度響き渡り、人垣が完全に散ると同時に店内が騒然となった。


 我先にと店から逃げ出す客たちが立ち上がる中、アヤたち三人は一様に腰を抜かしたように固まっていた。マジメだけは立ち上がり、事態の推移を見守ると同時にアヤたちに逃げるように促しているのだが、彼女たちは一向に動く気配を見せなかった。


 それもそのはず。目の前で人が倒れたのだ。地面に広がる血液の量をみると、もはや手遅れに違いないだろう。それを目の当たりにしてしまえば動けなくなるのは当然だ。


 いくら天才といえど、ただの学生でしかないアヤだって動けずにいる。だが、マジメだけは違った。


 白黒の世界での命懸けの経験が生きている。


 表情を険しくした彼はテーブルに拳を叩きつけて怒鳴った。


「早く逃げるんだ! ほら、急いで!」


 耳をつんざく声にようやく我に返った三人は、半ば倒れ込みながら立ち上がると、慌てて店の外へと向かった。だが、自動ドア付近には我先にと押し合う客たちが口汚く罵り合い、一向に出られない様子であった。


 それを目の当たりにして唇を噛んだマジメは、自動ドアとは正反対の方向へと向かった。


 不安げな面持ちで肩を寄せ合うユギとアヤを、青ざめながらも守ろうと二人の前に立つササキを置いていったわけではない。マジメは、どんな店舗でも最低三つはあるという出入り口を探しに行ったのだ。


 カフェテリア自体がそこまで広い店ではないため、幸いにも裏口がすぐに見つかった。手洗いの先にある扉を開けて外を確認したマジメは、それを伝えようと足早に戻った。


「大丈夫、こっちに裏口があった。そこから外に逃げればあそこに混ざる必要もないよ。こっち、ついてきて」


 怯えながらも三人がしっかりと頷いたのを確認した直後、アヤたちの背後にあった窓ガラスが耳障りな音を立てて砕けた。


 ガラスの欠片が床に叩きつけられ、甲高い音が響く中、客たちはより一層混乱に陥り、押し寄せる圧力のせいで開かなくなってしまった自動ドアを強引に開けようと叩いていた。


 降りかかるガラス片から、アヤを引っ張ることで守ったマジメは、口を開けた窓枠の向こうに男が佇んでいることに気づいた。


 背丈はマジメよりも少し高いくらいだろうか。猫背気味でやや撫で肩、天然パーマの陰険な印象の男は騒然とする店内に視線を走らせると、おもむろに窓枠を越えて入ってきた。


 男に注目していた客たちはそれだけで悲鳴を上げながら大混乱に陥り、釣られてアヤたちもじりじりと後ずさってくる。


 それもそのはず。男の手には、真新しい血液で濡れたサバイバルナイフが握られているのだから。


 男は、マジメたちとは正反対に、自動ドアの前で立ち往生する客たちへと向かった。白いシャツが赤い斑点で色づいているのは返り血のせいだろう。


 表情は至って普通で、どことなく楽しんでいるようにも見えた。


 男が背中を向けているうちに、マジメは一番近くにいたユギに警察を呼ぶように言うと、彼女たちの肩を押して裏口から逃げるように促した。


 物音を立てないように足元に気をつけながら、青ざめた三人の一番後ろで様子を窺っていると、男は悲鳴を上げ続ける客たちのうち、中年女性を一人引き立てると、躊躇いもせず胸部にナイフを突き刺した。心臓を狙った一撃に、女はどこか他人事のように、ぼんやりとした目で自分の胸を見下ろすと、糸を切られた操り人形のように崩れ落ちた。


 誰の目から見てもわかる。女は死んだ。


 目の前で今、一つの命が消えたのだ。


 いよいよ狂乱の域にまで混乱が達した客たちは、必死に男から離れようとするが自動ドアは頑丈で、ぴくりともしない。


 突き刺したナイフを何の感慨もなしに引き抜いた男は、更に客たちに目を向けるが、それと同時に、集団から押し出されたらしい小学生ほどの少女が男の前で倒れ込んだ。


 あっと思ったときにはもう遅く、男は少女に腕を伸ばしていた。


 固唾を呑んでそれを見つめていた客たちは、男が少女を立たせたことに驚いた。


 てっきり、無差別に殺しているのかと思ったのだが、


「害虫でもない子を殺す訳ないだろう?」


 マジメたちの考えを見透かすようにぽつりと言った男は、少女を突き飛ばしたらしい金髪の若者の首を掴んで床に引き倒すと、その顔を踏みつけた。若者は怯えてながら精一杯の虚勢を張り、口汚く罵った。


「言っておくけど、もう殺す人間はいないよ」


 そう言ってから、床に血の海を作る既に息絶えた女性をナイフで示しながら続けた。


「その女は旦那がいるのに不倫をしていたから殺した。この男はこの女の子を先に殺せと考えたから」


 顔を踏みつけられた男の首から、奇妙な男が響いた。


「言っておくが、これはただの害虫駆除だ」


 ごきり、と耳を塞ぎたくなる音の後、僅かに痙攣してだらりと脱力した男は二度と動くことはなかった。


 緊張に途絶えていた悲鳴が再び広がって、男は鬱陶しそうに顔をしかめた。


 この男は狂っている。誰もがそう思った。害虫と称したときの凍てついた顔も、二人を殺した瞬間に混じった愉悦の色も、男が狂っているなら納得できるものであった。それらに対する恐怖が破裂し、連鎖し、広がっていった。


 聞くに堪えない大人たちの命乞いに、男は壁際にあったステンレス製の傘立てを蹴り飛ばして客たちを黙らせると、一番近くにいた客にナイフを突きつけた。


「うるさいよまったく。言った通り、こいつらは害虫だったんだよ。おまえらも鬱陶しい虫は殺すだろう? それと一緒だ。ぎゃーぎゃー喚くなよ見苦しい」


 呆れたような口調で言うが、この場所においてその声色は異質だった。いや、そもそもこの男の存在自体が異質なのだ。つい先ほど人を殺したとは思えない気安い態度は、手慣れた作業を終わらせたかのように軽い。


「じゃ、僕は帰るから安心してよ。ああ、そっちの子たちも逃げて構わないよ」


 男の異質さに呑み込まれてしまい、動けなくなったマジメたちを振り返った。


 と、そのとき。


「この建物は既に包囲されている! 大人しく人質を解放し投降しなさい!」


 拡声器の雑音混じりの声が店の外から聞こえてきて、男は面倒そうな表情を浮かべた。正反対に、客たちはどよめきながらも一様に安堵の表情であった。


 ユギが呼んだ警察がようやく到着したのだ。


 拡声器の投降勧告が繰り返される中、男は無防備に窓から体を出して、店から出ていった。


「確保ーっ!」


 盾や警棒で武装した警察官たちの足音がすぐさま近づいてきて、男を捕らえようとしたのだが、近づいてきた警察官の一人を素早く羽交い締めにして首筋にナイフを突きつけた。


「おっと、動くなよ。こいつがどうなっても良いならかかってこい」


 口角を吊り上げて笑った男に警官たちは手出しできず、足を止めた。


 男は警官を連れたまま店から遠ざかっていくと、そのまま建物の影に紛れて消えていった。

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