10

 マジメとヒイが東に向かうにつれて、殺風景な景色が徐々に変化していく。とはいえ、その変化は周囲の景色に馴染んでしまった二人には気づきづらいもので、実際、二人は気づいていない。


 相変わらずの黒い世界だが、妙に荒れている。


 瓦礫の山が道端に積み重なっているし、自転車のタイヤらしきものが蓋のないマンホールに嵌っている。なによりも、アスファルトの地面にひび割れが散見できる。


 金鎚で叩いたような、蜘蛛の巣状のひび割れは常に四つずつ、ちょうど長方形の角を示すように地面に刻まれていた。


 しかし、これらはマジメたちがセガワを追い払った地点から見られていたものなので、二人はさして気にしていなかった。


 それよりももっとわかりやすく、特徴的な変化が目の前にはあった。


 光栄塾ビルとは似つかない、屋根の丸い大きな建物。

 周辺の風景に見覚えはないが、あの建物の外観は知っている。


「あの、遠くに見える建物、東総合病院だよね」

「あっ、はい! まだ遠いですけど、ちゃんと近づいているんですね」


 安堵の表情を浮かべたヒイの気持ちは良くわかる。


 こうも同じような景色が続くと、本当に進んでいるのか曖昧になる。終わりの見えない単純作業をしているように、頭がおかしくなってしまいそうだ。


 倒壊して道路になだれ込んでいるブロック塀を跨ぎ、ヒイは地面のひび割れに足を取られて危うく転倒しかけた。


「きゃっ……危なかったぁ」

「気をつけて。足をくじいたりしたら大変だから」

「そうですね。気をつけないと」


 いざというときに走れない、となると、もはや死んだも同然だ。黒丸を倒せるという情報は得たが、ただ殴れば倒せるのかわからない以上、確証のないことはしたくない。果敢に黒丸に飛びかかっても全く効果がなかったら目も当てられないだろう。


 それに、セガワの真似をしているようで、なんとなく嫌だった。


「……ん?」


 ヒイが躓いた箇所を見たマジメは、どこか規則性のあるひび割れに首を傾げたが別段気にすることはなかった。


 小銭が落ちていないか真剣に探す小学生のように、じっと足元を見つめながら転ばないように注意しているヒイを視界に納めながら、それにしてもとマジメは思った。


 体を隠せるほどの遮蔽物がほとんど見当たらないのは、この足元に散らばる瓦礫に変貌してしまっているからだろう。


 都会という括りに入る長谷市には、あまり隙間はない。建物がぎっしり詰められた町であるため、ブロック塀や庭というものがほとんど見られない。入る余地がない、といったほうが正しいか。


 そんな長谷市から建物を取り除いたらどうなるか。簡単だ、何もなくなる。身を隠すものはほぼ消え去り、田舎の田園風景なんてものよりもずっと広々とした景色が見れるだろう。


 もっとも、空の果てまで黒い世界に風景なんてものは存在しないのだが。


 それに、今の荒れた景色は所詮夢だ。夢にしては謎な部分が多いが、目が覚めれば全てが泡になって消える。


 結局、マジメが見ている風景もまやかしでしかない。



◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎



 目的地へ近づくにつれて、首が締まるような感覚を覚えたマジメは、次第に強くなっていくそれに眉を寄せた。


 この感覚は以前にも感じたことがあった。初めて黒丸と遭遇したとき、確かに感じたものと一致した。


 これがもし第六感だというのなら、より一層警戒をしなければいけない。ただの杞憂ならまったく構わないのだが、一度あった以上、非科学的だと切り捨てることは出来ない。というか、この状況が非科学的なのだ。起こること全てが現実的ではないと覚悟した方がいい。いや、それも今更だったか。


 つまるところ、常識的に起こり得ないであろうことは、全て起こると考えた方が精神的に楽だ、ということだ。


 遠くに見える目的地がほんの少しずつ近づいているのだが、実感するのは難しい。今理解出来るのは、辿り着くのはまだまだ先だ、ということだけである。


 流石に疲れが見えてきたようで、二人の足取りは少々重くなっていた。会話も減ってしまっているし、全身が気だるい。状態としてはあまり良くない部類だ。


 それでも警戒は怠れない上、歩みも止められない。休憩したいところではあるが、こうも身を隠す場所がないと一休みすることすらままならない。


 かすかに聞こえるお互いの吐息が、存在を知らせてくれる。沈黙が気まずさになって、無理に言葉を交わすような関係ではなく、どれだけ静かでも、黙っていても居心地の悪くならない安らぐ関係。相性の良し悪しがあるとはいえ、その関係に至るまでどれほどの親交と時間が必要なのかわかったものではない。だが、二人はたった数日でその関係にまで手を伸ばしてしまっていた。


 ろくに友人のいないマジメは知らないが、ヒイにはその凄さがわかっていた。


 元々、マジメの口数が少ないことが関係しているのか、二人はそう言葉を交わさない。しかし、こうして落ち着ける関係になったのはやはり相性が良かったからに違いない。


 ここは常に死と隣合わせの世界だ。共にいるということは、いざというときには背中を預けることもあるということになる。信用出来ない相手はもとより、一緒にいて気を使わないで済む相手でないと疲れてしまう。


 出会ってからまだ一日しか立たないが、彼らはお互いに信頼していた。それはもちろん、命を救われたため、ということもあるが、実際に触れ、話し、見た結果、二人は互いを信頼するに至ったのだ。


 たった一日だが、内容は濃密だった。

 だからだろうか。いくら助けられたからといって、セガワをあっさりと信じてしまったヒイに、どこかもやもやとしたものを感じたのは。


 自覚はなかったが、確かにそう感じた。


 そのときだった。


 遠雷のように轟いた馬の嘶きが、二人の足を止めた。


 疲労に肩を落としていた二人ははじかれたように顔を上げると、前方と後方に別れて周囲の様子を窺った。


 十秒、二十秒、三十秒。

 いくら時間が経とうとも、嘶きの持ち主は現れることなく、二人は警戒したまま互いに顔を見合わせた。


「馬の声、だったけど……」

「わたしにもそう聞こえました。でも、この近辺で馬なんてどこにもいないはずです。それにこの世界で動物なんて、今まで見たこともありませんよ?」

「じゃあ、一体なんの声だったんだ?」


 訝しげに声のした方向に目を向けるが、そこにはただ東総合病院の白い外観が黒い世界に混じっているだけで、生き物らしき影は見えなかった。


 そもそもこの白黒の世界で動物を見かけたことがない。それはヒイも言っているため、ほぼ確定的だ。にもかかわらず、馬の嘶きに似た声か聞こえた。ということは、何かが存在しているという証明に他ならない。


 何かがいる、ということは構わない。元々黒丸なんていう不可思議な生物かもわからない生き物もいるのだから、どんな摩訶不思議な生物が飛び出してきても固まることはないだろう。


 問題なのは、目的地の方向から、嘶きが聞こえてきた、という一点だ。


 人間以外の何かがいる可能性があると考えてしまうと、どうにも足が進まない。ヒイは困った顔で病院を見やった。


「行くの、止めませんか? 何かいるみたいですし、急いで取りに戻りたいわけでもないから……」

「でも必要なものなんでしょう?」

「それは……そう、です」

「だったら早く取りに行かないと。壊されたりでもしたらそれこそ無駄足になるから」


 それでも渋るヒイに、マジメは笑いかけた。


「大丈夫。何とかなるよ。今までだってそうなんだから」


 珍しい楽天的な言葉の裏には、ヒイへの心遣いが込められていた。


 彼女が病院に向かうことを躊躇うのは何かがいるということもあるのだが、それよりも、マジメを危険な場所に連れていきたくないがためであった。


 心優しいヒイのことだ。そんなことだろうと短い付き合いながらマジメはわかっている。


 マジメにしてみれば、彼女が危険だと感じる場所には一人で行かせたくはないし、そもそも彼女を一人で行かせたとして、自分はどうすればいいのだろうか。周囲に白い建物はないし、一番近い場所が病院だ。どちらにせよ一緒に行かなければ二人とも危ない。


「ほら、早くしないと黒丸がくるよ」

「……うん」


 マジメの冗談めかした物言いに、未だ納得出来ていないものの、ヒイはしっかりと頷いて歩き出した。

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