第21話 終章3.
さて、この後お二人は血相を変えて部室を飛び出し、一ノ瀬氏の家へ向かいました。自首をしようと一ノ瀬氏は本気で考えていたようですが、それをしたところでまったくの無駄であることがわかっていたようです。これは、当時の私の推測ですが、あの部室には算氏が一ノ瀬・神宮氏に向けて宛てた手紙、文書ファイルのようなものがあって、それを見たのではないか。そしてそこには、絶望的なこと、つまりは一ノ瀬氏の自首を思い留めようと思わせるだけの何かが書かれていたのではないかと、そう思ったわけです。さて、ここまでくれば、私も姿を隠す意味はありません。満を持して、一ノ瀬氏のアパートのお部屋のインターフォンを押しましたよ。今思えば、これは中に居る一ノ瀬氏、神宮氏にとって、決して心穏やかなことではなかったでしょうね。自分たちが犯罪者であることを知っていながら、ビクビクしているときに部屋のインターフォンが鳴らされるわけですからね。まぁ、それは今どうでもいいことかもしれませんが。
さて、最初はものっそい警戒されはしましたが、桜井校長の後ろ盾もありまして、徐々に打ち解けることができました。もちろん、プライベートの中の中まで干渉し合えるだけの仲ではありませんよ? ですがまぁ、そこら辺の一般ピーポーより、多少上のランクである知り合い程度にはなれたかな、と、まぁ、そう思う訳です。そして、お二方から聞きましたよ。あなたが、一体何をしたのかを、ね。
そして、私はここに来てようやく自分が何をすべきなのかを完璧に理解しました。
算氏は〝人を殺した別人を庇ったわけではなく、人を殺した殺人者そのものだった〟と言うスタート地点に初めて立ったわけです。つまり、私がすべきは、一ノ瀬、神宮両氏に殺人関連の疑いが微塵にもかからないようにすることである、と理解しました。
誰も警察内で一ノ瀬、神宮両氏に微塵も疑いを抱いている様子が無けりゃ私も適当に活動してれば良かったわけですが、冒頭でも申しました通り、お節介な刑事Aがこの件についてしつこく嗅ぎまわっていることがわかりました。このお節介な刑事Aをなんとかだまくらかすのが私の目的になったわけですね」
算は話を聞きながら、必死に頭で反芻させる。その刑事Aの存在になんとなくではあるが、算は心当たりがあった。取り調べには複数の刑事が算のもとに来た。他の刑事は「どうしてこんなことやったの?」とか、「反省してるか?」などの質問だったのに対し、その心当たりの刑事だけが、「本当はこんなことやってないんじゃないのか?」とか、「そろそろ、本当のことを話してくれないか」など、若干ズレた質問をしてきたのだった。もしかしたら、そういう役割分担だった、という可能性も否定はできないが、あの刑事が今ここでいう刑事Aだったと仮定するとあの質問内容に納得できないこともない。
「では、具体的にどのように刑事Aをだまくらかすか? 簡単に情勢を分析するならば、こちらが圧倒的に有利です。何といっても、実際に殺人を犯しているのは算さん、あなたに間違いはないからです。この事実は動かせない。しかし、残念ながらこちらの陣営にはできれば探られたくない事実があるのもまた真であるわけです。その事実を隠すために算さんはまったく別の事実を作りあげました。その算さんが作りあげた事実を守るのが私のお仕事でした。それが正義か悪かは関係なく、ね。
ねぇ、いかがでしょう、算さん。私は実はあなたの味方だったのですよ。いやぁ、人は見かけによらないっていうでしょう? まっこと、人生ってなぁ恐ろしいもんです。そしてまぁ、ここからは守秘義務のようなものがありますので省かせてもらいますが、あんな手こんな手を使って刑事Aの目を誤魔化すことに成功しました。あぁ、大丈夫大丈夫。人を殺したり、傷つけたりは絶対にしていません。これは初めに断言しておきます。穏やかに、平和的に、博愛的に物事を進めました。後味を悪くしたら行けませんからね、そこら辺は私も配慮しております。私の弁護士生命にかけて、それだけは断言させていただきます」
「(富樫君、君、ほとんど弁護士の活動してないだろう…………)」
「さて、と」
富樫は佇まいを正して、桜井の顔を見た。
「ひとまず、ここまでは話をしましたが、特に何も無ければ、〝本題〟に入ろうと思うのですが……どうでしょう?」
本題?
算は眉を潜めた。随分なっがい前座だな。
「あぁ、構わないよ。もう、すべて出来ている」と桜井が答えた。
「結構です。では算さん、ここからが本題です。あなたが本当に知らないことを、これからお話しましょう。あなたが逮捕された後の話です。まぁ、もうすでにある程度あなたが逮捕された後のことをお話しているわけですが、さらにその後、いわゆる後日談ってやつですね。当然ではありますが、算さんが逮捕されて刑務所内でよろしくやってる間にも世界は廻り続けるわけですから、まぁ、一ノ瀬さんにも神宮さんにもその後があるわけです。その後の人生がね。それを伝えて、私はようやく数十年にわたる壮大な仕事が終わるってわけです。まぁ、私のキャリアのためにもひとつ、聞いてくださいな。どうせここまで聞いたんですし」
算は黙って頷いた。ここまで聞いて帰るなんていう図太さは今の算になかった。
まぁ、算には大体の予想はついていた。算も馬鹿ではない。これから何を話されるのか、予想がつかないわけがない。一ノ瀬、神宮がその後どうしたか、そして、今どうしているか。元気にしているだろうか。もしかしたら、もう亡くなっているかもしれない。その可能性も大いにある。いや、むしろその可能性が高いのではないか。亡くなったからこそ、今富樫はこうして僕に報告をしてきている。うん、しっくりくる。死んでしまっただけに限らないが、それ並の何かがあったからと考えるのが筋というものだろう。そう思った。
「まぁ、算さんのことですから、私が何を話そうとしているのかある程度予測がついていると思われますが、一ノ瀬氏と神宮氏のその後についてです」
やはりそうか、と算は得心した。ここからは少し覚悟しなければならない。
「私がまぁなんていうんだろうなぁ。相談相手? のようなものになりましてね、お二人の。柄にもなく。いやまぁ、ものすごい落ち込みっぷりでしたね。当たり前っちゃあ当たり前かもしれませんが。いつ自殺してもおかしくないぐらいの勢いでしたよ。しかしまぁ、簡単に自殺するとは到底思いませんでしたけどね。ここで自殺するようだったら、山梨に二人で旅行したときに自殺するだろう、とよくわからない理屈がありましたので。しかし、これを放置しておくのは大変危険だと思われました。自殺するかしないかの問題だけでなく、もう少しこう生きていくための指針が必要なのだと考えました。なんか私、弁護士ではなくて神父とか牧師みたいなことをやっていますね、何やってんですかね。まぁいいや。ここは慎重にならなくてはならない、と思いました。適当なことを言っているだけではなんの意味もありません。こここそ、この瞬間こそが一番の勝負どころであることは明白でありました。ここで何を選ぶかでお二人の人生が大きく変わるであろうことは、火を見るより明らかでした。ここでまぁ、私は慎重に慎重を期して3日間の時間をいただきました。できればもっと時間をいただきたかったってのもありますが、あまり間が空き過ぎるとそれはそれで良くない気がしました。それに、時間を多くとっても結果はあまり変わらないような気もしました。私は調査をさらに進め、そして、ひとつの結論を導き出すことに成功しました」
そこで、富樫は話すのをやめた。そして、オホンッとひとつ咳払いを入れてから、
「私が話すのは、ここまでです。いかがですか、これがあなたが知らなかった、空白の部分です。質問があれば、まぁ、受け付けますよ。こちらが答えるかどうかはわかりませんが」
算は首を捻り、言った。
「質問、と言うのかはわかりませんが、話の続きはないのですか」
「ん? 話の続きと言いますと?」
わざと相手を試すような口調で富樫は言った。明らかに富樫はこちらが何を求めているのかわかっている。それを知っててなお、こう言っているのだ。
「いえ、普通ならば、その先も私に話してくれるのではないかなと思いまして」
「ほほう、具体的に、どんなことをでしょうかな?」
「あなたは二人にどんな〝生きがい〟を与えて、その結果、二人はどうなったかということです。そうでないと、私の20年の空白を埋めたことにはならないでしょう。まぁ、別に話したくなければそれはそれで構いませんがね」
怒ったような口調で算は言った。
「えぇ、えぇ、まぁ、そういう反応になるだろうなとは思いましたがね、私としてもこれから先の話は簡単にはできないのですよ」
富樫は笑みを絶やさずにそう返した。いつもの笑みを、いつものようにだ。
まるで、この弁護士はこの顔以外にエモーションの種類がないのではないかと思われるほどに、だ。いや、違う。この弁護士はこの顔で何年もこの道を進み続けてきたのだ。だから、この顔はもう、固まってしまっているのだ。一度固まってしまったコンクリートはもう、他の形には変化しないのとまったく同じように。
「富樫君」突然、桜井が口を開いた。
「はい?」と富樫。
「来たね」
誰が? と思い、算は周囲を見回した。その〝誰〟は富樫がやって来た方面からこちらに向かって歩いてきていた。
見える人影は一人。その一人の影の後ろにはもう一人いるだろう。遠くからなので今わかるのはそれだけだった。算の視力はここ20年で大分落ちてはいたがその見える人影が男であるということはなんとなくわかった。だが、顔までは見えない。しかし、なんとなく予測はついた。
「まぁ、ね」
と、富樫。
「私が口でアレコレ言うよりも、実物があるんでしたらそれを生で見た方がいいと思いまして、ね」
その人影は徐々に近付いてくる。男と思われる人影の後ろにいるもう一人の人影は車椅子を押しているのがわかった。……やはり、そうだ。
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