■終章

第19話 終章1.

十数年後のある場所で。ディープ・インパクト

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「お務め、ご苦労だった。もうここには戻ってくるなよ」

 看守用の制服に身を包んだ、算より慎重が頭ひとつ分大きいガタイの男にそう言われ、算はただただ黙って頭を下げる。算の身体はもう、ガリガリに痩せ細っていた。元々身体つきのよくない彼であったが、彼のその身体つきは刑務所に収監される前に比べてさらに痩せ細っていた。

 頭を下げ、さほど大きくない歩幅を一定に保ちながら看守に背をむけ歩き出す。

 刑務所用の壁に沿って歩き出し、西に向かう。太陽が昇り始めた午前10時ごろだ。

 こげ茶色のコートに身を包みながら、歩きながら、あれこれと物思いに耽る。

 これから何をしようか、これからの人生、具体的に何を目標に過ごして行こうか、と。

 しばらく考えた後に、自分にそんなものがなにひとつないことを思い知り、唇の端だけで笑ってしまう。殺人の前科もあり、年齢も40手前になり、オマケに中卒(正確には高校中退、退学処分)。見事にダメ大人の見本のような男じゃないか。ネガティブ要素の役満だ。日雇い労働も満足に見つけられるかどうか怪しいものだ。そして、生きる目的すらない。こういう人間をおそらく世間では、人間の屑と言うのだろうな、と思った。

 刑務所から出て、西に1kmほど歩いたところに大きな公園がある。桜田公園と言うらしい。そこに入った。本当は公園なんかに寄らずにさっさと刑務所内で契約したアパートに直行してとりあえず寝たかったのだが刑務所の教育部長から、刑務所から出た後、すぐにこの公園に行くようにと指示を受けたのだった。

 出所した後もそんな指示に従わなくてはいけないのかと思ったが、実際にどんな法律がそこに絡んでいるのか算は知らなかったし、他に指示を受けなかったので、だったらさっさと用事を済ませて家に帰ってしまおうという考えに落ち着いた。たったひとつの用事なのだ。たしかにその用事をこなすのは面倒くさいかもしれないが、その用事をこなさなかったことによるリスクを被る可能性を考えれば、用事をこなした方がいいかもしれない。

 そこは公園、というより広場だった。ブランコもなければシーソーもなく、砂場もない。ベンチもない。ただただ何も無い平坦な広場だった。フットサルや、ちょっと小さめだが野球もできそうだった。物も無ければ、人もいない。その公園、いや、広場にいるのは、算だけだった。まだ午前中だし、太陽が出ているとは言え、かなり冷え込む。オマケに近所には大きな高層マンションもない。この公園にはもしかしたら需要はないのかもしれない。そんなことを算は考えていた。

 しばらくして、遠くの方から誰かが近付いてくるのが見えた。遠くからでも頭が禿げているのがわかる。近付いてくるにつれて、真っ黒のスーツに明るめの青いネクタイをしていることがわかった。きちんとした性格なのだろうな、というのがその男を見た印象だった。きちんとした格好で、柔和な、どこかにイチモツを含んでいそうな顔をしていたが、決して極道関係の人ではなさそうな人であることはなんとなくわかった。

 と言っても、算はその人物に対してどのように対応すればいいのかわからなかった。軽くお辞儀をすればいいのか、それとも、ただただ黙ってそこに突っ立っていればいいのか。あの人は自分に用がある人なのだろうか、刑務所の所長の知り合いの人なのか、それともただの通りすがりの一般人なのか。判断することができなかったが、おそらく違うだろうと自分の中で結論付け、ただ黙って突っ立っていることにした。

 しかし、それは自分の思い違いであったことにしばらくして気付く。そのスーツ姿のハゲ頭はこちらの姿を見つめて、こちらに近づいて来たのだ。自分の姿を見て、自分の姿に向かって歩いている。それが算にはわかった。自分の周りに人はいない。ここは見晴らしの良い広場だ。誰かしら人がいればすぐにわかる。散歩中の老人がいないことなんて周りをちょっと見回せばすぐにわかることだ。算はそのスーツ姿の男に向かって、歩く頭を下げた。すると、スーツ姿の男も礼を返してきた。

 そして、算とスーツ姿の男との間の距離は話ができるまでの近さとなった。先に口を開いたのはスーツ姿の男だった。

「もし違ったら、本当に失礼なのですが、貴方はもしかしたら、カゾエ ロクヤさんでいらっしゃいますか?」

 一見すると、いや、サラリと聞くと軽い声に聞こえるが、何度も吟味すると深く聞こえるような独特の声質を伴った男の声が飛んできた。スーツ姿の男の声だ。そして、そのスーツ姿の男は自分の名前を知っていた。刑務所所長はこの男と会わせたかったのだろう、とひとり心の中で納得する。

「えぇ、その通りです。僕が、算六夜です」

 と算が返事をした。

「カゾエさん、なんて名字がそこかしこにいるわけがないですから、こんなことは尋ねなくてもいいのかもしれませんが、念のため質問させてくださいな。今から約20年前に、闇金融関係企業に勤める男性を殴り殺して、山に埋めて警察に逮捕された算六夜、でよろしいですかな?」

 普段、太陽の下で交わすような会話ではないので、一瞬顔をしかめそうになった算ではあるが、必死に顔を変えないように努めた。顔を変えたら負けだ、と思ったのだ。

「えぇ、よく御存じで。その通りです。知っているとは思いますが、その殺人事件での刑期を終えて、今私は出所してきたところです。恐ろしい偶然ですね」

 多少の皮肉をこめて算は男に言った。男の顔はさらに笑みの形になり、「いえ、いえ」と言った。

「これはこれは、失礼しました。では、こちらも自己紹介をさせてもらいます。私、弁護士をしております、富樫という者です」

 と言うと富樫は算に二歩、三歩歩み寄り、名刺を渡した。算はすぐに名刺を確認する。

『富樫法律事務所所長 富樫 賢哉(KENYA TOGASHI)』と書いてあった。算には紙の種類なんて知らなかったが何かこう、高そうな紙を使っているなという印象を持った。その印象が自分の中から過ぎ去ったあとにやってきたものは、強い疑問だった。『富樫法律事務所』……法律事務所の、所長。ということはつまり、この人は弁護士なのではないか。

「弁護士さん、ですか」

 算が低い声で尋ねた。その声に感情はなかった。

「弁護士らしい活動は最近あまりしていないんですがね、それでもとりあえず、世間に認知されやすいので弁護士という肩書きを使わせてもらっています。実際、弁護士の資格も持っておりますからね。嘘ではありません」

 と言うと富樫はいかにも詐欺師らしい、うさんくさい笑顔をひとつして見せた。その笑顔をチラリと算が見遣ると、すぐ下に目線を落とした。名刺にもう一度目を落としたのだ。

と言っても、特に真新しい新鮮味ある情報を拾うことは出来なかった。仕方なく、算は富樫に先を尋ねることにした。

「こんなことを尋ねるのは大変失礼かもしれませんが、私に用があるんですか? どうやらあなたは、私のことについて、色々と詳しいようだ」

 できるだけ嫌味ったらしくならないように尋ねたつもりだったが、実際にはかなり嫌味ったらしく聞こえてしまっただろう。それでも、嫌味なんてまるで聞き取れなかったように富樫は笑顔のポーズのままだった。胡散臭い訳アリのマンションを勧めてくる営業マンのような笑顔だった。

「えぇ、えぇ、えぇ。大変申し訳ないのですが、そういった仕事をして飯を食っているのでね。悪いとは思いましたが、あなたのことを色々と調べさせてもらいましたよ」

 算はそこで片眉をひそめたが、別に怒っているわけではなかった。算は別にプライバシー云々にうるさい男でも神経質な男でもなかったし、それ以前に自分は犯罪者だ。犯罪者が声高々にプライバシーの権利を主張するのはおかしな話だと思っていた。むしろ自分の個人情報が有効的に扱えるのならばまぁ、それはそれで生産的で結構なことだとも思っていた。しかし、このタイミングで自分について調べていたという男が目の前に現れると事情は変わる。どうして? なぜ? が頭の中を駆け巡る。駆け巡らずにはいられない。

「それは大いに結構ですが、理由をお尋ねしてもよろしいでしょうか?」算が尋ねる。

「えぇ、それはもちろん。その理由をあなたにお話しするために、今日私はここに来たようなものですから」

 笑顔をまったく崩さず富樫が返した。その笑顔を生業にして今まで生きてきた。それが、算にはわかった。この笑顔は、この男にとっての武器であり、防具なのだ。長年積み重ねてきた重い仮面をこの男は被っていた。

「じゃあまず……、僕に何の用があるんですか。それを話していただきたい」

「結構。では、まず20年前の事件から訊きたいのですが、よろしいでしょうか?」

 算は顔をしかめる。なんだこの男は。こちらの質問に答えると言ったその舌の根が乾かぬうちに、いきなり質問してきやがったではないか。喧嘩を売っているのか。

「今まで僕たちがしていた話によると、たしかあなたが私にいろいろと話をしてくれるといったものではありませんでしたか」

 できるだけ平坦な口調になるように装った。内心ではそれなりにムカついていた。

「えぇ、えぇ、もちろんそうですし、そのつもりであります。しかし、最善な道はこれなのです。私の質問にあなたが答え、それに私が注釈を付け加える。これが一番スムーズになるでろう流れなのです。ご理解頂けると嬉しいです」

 どこか釈然としない思いを抱えていた算ではあったが、こんなところでしょうもないことにやきもきして時間を費やすぐらいならこの自称弁護士との茶番に付き合った方がマダマシだという結論に達した。おそらくあの刑務所の所長はこの弁護士と会わせたかったのだろうと結論付ける。別に義理も何もあったもんじゃないが、下手な言いがかりをつけられて他人にああだこうだ言われる事態だけはなんとしても避けたかったのでこの自称弁護士が自分と会いたい理由だけをさっさと聞き出してお帰り願うことにしたのだ。どうせ何かしら雑誌やら広報やらで人権問題の特集を組んでいるのかもしれない。そのために取材に来た……ということなどがいとも簡単に推測できた。

「結構です。もしかしたら答えられない質問もあるかもしれませんが、できるだけ答えるように努力しましょう。で? 何が聞きたいんです?」

「話が早くて助かります。ここでもっと粘られてたら私としてもちょっと困っていました。やはり、頭が良い人と話すっていうのは悪くないですね、いや、ホント」

「だから、何が聞きたいんでしょうか?」

 語気を強めて算は言った。

「いや、いや、いや。これは失礼。ちょっとした脇道に逸れてみただけです。では、早速本題に入りたいと思います」

 どこが早速なんだ、と内心毒づいた。

「今から約20年前に起きた、暴力団の末端の男を殴り殺した犯人は、本当にあなたですか?」

 この質問は算の想定範囲内のものだった。だから、淀みななくスラスラと回答することができた。

「えぇ、その通り。というか、それが事実であると認定されたからこそ、僕は何十年も刑務所に入れられていたわけですが、それが今さらどうしたと言うのでしょう? 別に僕はその判決に対する不服申し立てをするつもりもまったくありませんが。せっかく、塀の外に出ることができたんです。今さらアレやコレをして、事を荒立てる気などまったくありませんよ。理由もないし、そもそもそんな元気ももうありません」

「一之瀬優貴さんと、神宮由岐さんという方をご存知でしょうか?」

 こちらが喋っている最中に被せるような形で突然懐かしい名前を挙げられ、息を詰まらせてしまう。その名前が出てくるのはやや想定外のことだった。眉毛を一度、二度吊りあげながら必死に頭を回転させる。

「あぁ……。友人、です。昔の。一緒の学校で、共に過ごしたこともありました」

 自分の言葉を、発しながら素早く点検する。大丈夫、大丈夫だ。俺はまったく、おかしなことを言っていないはずだ。嘘も言っていないし、言い過ぎてもいない。

「そのお二方が実は、20年前、暴力団の末端を殺害した張本人だということはありませんか? いえね、これはもちろん、仮定の話ではあるのですが」

「ちょっと言っていることがよくわかりませんね」

 即座に返答した。いや、返答してしまった。あまりにも、早すぎた。

「いえいえ、そのままの意味ですよ」

 笑顔を携えたまま、何の凹凸もなく言いきる富樫。

「僕が殺人者であると、周りの友人までも殺人者になってしまうものでしょうか?」

 算は皮肉でそう返した。

「そうとは言っていませんよ。そもそもあなたは、殺人者ではないのかもしれない。そういう仮説を、私はあなたに提唱しているだけです」

「仮説は何百回復唱しようとも詠唱しようとも、仮説です。事実ではありません」

 算は噛みついた。

「いやはや、まったくもってその通り。月並みな表現でモノを言わせてもらうとしたら、そうですな、ぐうの音も出ないほどの正論、と言いますか」

「僕からは以上です。そんなものは仮説に過ぎない、としか言いようがありません」

「あくまで、20年前に暴力団の末端を殺したのは自分であると主張なされるわけで?」

「主張するとかしないとか、そういった話ではありません。事実、私がアイツを殺したんです」

 切り上げるように算は言った。この男とあまり長い間話をしない方がいいかもしれない。そんなことを男との会話中に思ったのだ。こいつが一体何を思ってこんなところまでやってきたのか、自分に会いにきたのか知らないが、余計な情報を見つけて万が一事件のからくりに気付いてしまったらそれこそ最悪だ。そのからくりの仕掛けを完成させてから何十年も経った今頃ひっくり返されてたまるかという思いが算の中にあった。

「……そうですか。失礼しました。では、この話は一旦ここで止めましょう。話を変えて……、あなたは〝ウォールフ脳挫傷区分〟という言葉をご存知ですか?」

 突然の新規ワードの出現に算の表情は少し歪む。ウォールフ脳挫傷。まったく聞いたこともない。心当たりもまったくない。おそらく何かしらの医学世界の言葉だろうが、算はまったく医学方面の知識は持ち合わせていない。

「残念ながら、知らないですね」

「そうでしょう、そうでしょう。この言葉、概念が生まれたのは実は、今から10年前の話なんです。外科医学の、驚異的、瞠目すべき進歩だと一部で話題になりました。ニュースやら、しょうもない昼のワイドショーやらでも話題になりました。おそらく、ラジオでも報道されたとは思うのですが、まぁ、興味が無ければスルーする程度のものです。私も、恥ずかしながら、医学方面についての知識は残念なものですので、2、3冊ほど本を読んで知識を急場で仕入れた程度なので、説明が至極簡単なものになってしまうのですが、外部性脳挫傷には、治せるものと治せないものがあるといったものです。それも、今までは治療は事実上不可能な遷延性意識障害、つまり、俗に言う植物状態の患者も治すことができる治療法の確立と合わせての総称らしいです。発見、及び提唱した大学病院の研究チームのリーダー、ウォールフ・フォン・アルトマン教授の名前が付けられて、ウォールフ脳挫傷区分というらしいですね。20年。たった20年かもしれませんが、医学は進歩しているらしです。依然、糖尿病の特効薬はインスリン以外無いのはいささか悲しいし、ハゲ頭に対する絶対的な特効薬が無いのはものすごく不満ですがそれはともかく、まぁ、医学の進歩が我々人類を正しい方向に導いているのか、皆が幸福になれる方向へ導いてくれているのかは知りません。知りませんし、そんなことは医学関係者が考えることではないでしょうからね。私もそういうことを考える専門の学者でもありませんし、これから考えるつもりもありません。それが正しいか、正しくないのか。それは私にとって、どうでもいいことだからです。考えたい人が広い海のようにあまりある時間を用いて考えればいいし、考えたくない人はその広い海のようにあまりある時間を別のことで使えばよろしいわけです。時間というのはすべての人に平等に流れているものなのだから、各々好きに使えばいい。これは私が考える絶対的な思想であり、すべての礎です。すべての人間が、すべての、あらゆる意味において、平等である必要はまったくありません。しかし、すべてのブロック、パーティションにおいての不平等を許容してはいけないと思うのです。いくつかの部分、節々、すべてをひっくるめてパーティションと言いましょうか、そんなパーティションにおいて、いくつかのパーティションにおいては平等である箇所が無ければいけないと思うのです。それが我々の人生、世界、天の下においては保たれねばならない、最低限のルールだと思います。長々と話をしてしまいましたけど、結局のところ私が言いたいのは、医学の進歩が、人に幸せをもたらすのか不幸せをもたらすのか、それはどうでもいいということです。

 そして問題は、そのウォールフ脳挫傷区分です。まだコストの面で問題があるようですが、実際に臨床の段階にまで至ること自体はできているようです。実際、もう二度と目覚めないだろうと一般的に言われている、永続的植物状態の状態に陥っていた患者3名の意識が戻ったそうなのです」

 ここまで言うと、富樫は一度言葉を切った。そして、二人の間には静寂な間が訪れた。

 算は富樫の言葉を待ったが、富樫から次の言葉は出てこなかった。

「つまりは……どういうことでしょうか」

 算が口を開いた。嫌な予感が頭を掠めていた。

「何か、この話を聞いて、思い当たることはりませんかね?」

 という一言を富樫が発する前から算はすでに頭を働かせていた。そして、一瞬のうちに考えた物事の中で、最悪であろうことを口に出して富樫に尋ねてみた。

「まさか……澤村が実は生きていた、ということですか……?」

 算が一瞬のうちに考え、弾きだした答えがそれだった。もちろん、それが到底あり得ないでろうことも、頭の中で同時に理解していた。あの男は、何度も殴っただけではない。殴った上で、さらにその遺体を埋めたのだ。いくら今の医療技術を進歩しているとは言えども、その澤村を復活させるのは至難の技ではないかと思ったのだ。〝常識的に考えて〟。しかし、それ以外にこの富樫という男が長々とその話をした理由がわからない。まさか、何も関係がないのに〝ウォールフ脳挫傷区分〟の話をした、というのも考えにくい。まだ確信とまではないかないまでも、この富樫という男はそれなりに頭のキレる男であるはずだ。何の意味もないことをするとは思えない……。その言葉の裏には何かしらの意味がなくてはならないのだ。

 そんな算の考えとは裏腹に、富樫は好々爺のようにニコニコと笑っていた。

「どうしましたか。何か、面白いことでもありましたか」

 別に怒っているわけではないが、気になったので算は富樫にそう聞いた。算からして見ればニコニコと笑う富樫の心境がわからなかったのだ。

「いえ、いえ。気分を害されてしまったなら、謝罪します。しかしですね、算様。私としては、笑ってしまうのもしようがないことなのですよ。私は、あなたの知らないことを色々と知っております。あなたと私の間に横たわる、溝のような差の部分、私がそこに足を掬われてしまって転んだ。だから笑ってしまった、ようなものです。わかりますか」

「もしかしたらあなたにとって、私にわかりやすく説明した気でいらっしゃるかもしれませんが、大変残念ですが、まったくわかりませんでしたね」

「まぁ、そこはどうでもいいことです。早い話、私には今の話の流れの中で笑うべき、笑えてしまうポイントが存在したというそれだけの話です。話を元に戻しますとね、算さん。今の一言で、なんとなくですが、あなたという人間が少し、理解できたと思ったんです。私があなたと会うことになったとき、色々とあなたについて調べさせていただきました。それは、先ほど私があなたに言った通りです。そして、あなたと会う前にあらかじめイメージというものを膨らませたんです。わかりますか? イメージです、イメージ。人というものは何か情報をインプットしますと、自動的にそのインプットしたイメージに対して、何かしらの情報を付加させるのです。想像の産物ってやつですな。意識的にではなく、無意識的にやっちまうものです。まぁ、誰でもがってわけではないと思いますがね。程度の差を鑑みなければ、誰でも行うことでしょうが。その中で、私の中ではある程度のあなたに対する想像を完成させておりました。かなり朧げで、そして、か弱い像です。当たり前ですよね、だってそれはただの想像でできた像なのですから。芯のひとつも通っていないような、まさに蜃気楼のようなものです」

「ですから、あなたが言っている意味がわかないです。もう少し具体的に話せませんか。というより、具体的に話す意思はあなたにあるんですか」

 算は噛みついた。すると富樫は、オホンッと咳払いをした。表情は変わらず、ニコやかなまま……。

「これは失礼しました。いい加減、おしゃべりが過ぎましたね。私の悪ふざけも少々過ぎたようです。反省します。では、少々灯りをつけることにしましょうか。抽象的という暗がりの道に、具体的という名の光を」

 何言ってんだこいつ、と突っ込みたくなる衝動を必死に算は抑える。

「……では、そうですね。暗がりに灯りを投げかける前に、一人、特別ゲストを紹介させていただきましょうか。どうぞ」

 と言うと、算の背後から足音がした。驚いた算はすぐさま後ろを振り向く。そこには、算がよく知る人物がいた。

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