第8話 算の手紙

算の手紙

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 「どうも、こんにちは。算六夜です。

 貴方達がこのワード文書を見ているということは、おそらく僕は殺人容疑で逮捕された後のことでしょう。それ以外の状況が想定できないので、そういう状況であると、誠に勝手ですが、仮定させていただきます。そしてそう、お二方は、どこをどう旅していたのかは知りませんが、ここに帰って来られた、ということになるでしょう。おかえりなさい。そして〝さようなら〟を、直接言えないのは残念ですが、ここで言わせていただきます。

 では、前置きはこの辺にして状況を説明します。

 私は、殺人という罪を犯しました。殺人。つまりはそう、人殺しです。そしてその人殺しとは、貴方達と関連する人殺しではありません。今ここで言った殺人は、私が昔に行った殺人のことです。驚くかもしれませんが、私は貴方達と出会ったその瞬間、すでにもう殺人者だったのです。私がクラスでどのように噂されていたか、神宮由岐氏はもうご存知かもしれません。もしかしたら一ノ瀬氏もご存じかも知れませんが、私的には一ノ瀬氏はご存じないと推察しております。私は客観的に見て、クラスの中で不気味な存在だったかもしれません。曰くつき、というやつです、いわゆる。年齢も不詳で前の学校でどこに居たのかもわからない。誰が流したかもわからない、少年院帰りの噂。そうです、少年院帰りの噂は当たっていました。僕は人をすでに殺していて少年院帰りだったのです。

 今ここで書き記すつもりはありませんが、その殺人には少々事情があるものでした。その事情を察して、桜井雪下校長が僕に声をかけてくださったのです。これから何をやるにせよ、高校は行っておいた方がいいという誘いに乗って僕は特別待遇生枠として、私立S学園に入学させてもらったのです。そして、貴方達2人と出会った。今だからこうして言えますが、一ノ瀬君、貴方が僕に声をかけてくれたことは本当に嬉しかった。声をかけられた瞬間はそう思っていなかったのですが、後々になってそう思いました。そして貴方は声をかけてくれただけではなく、私を部活にまで誘ってくれました。貴方にとってはもしかしたらただの人数合わせなだけ、だったのかもしれませんが、そういった事情を込みにしても、私にとっては嬉しかったのです。学校という大きな家をくれたのが桜井校長であるならば、一ノ瀬君は私に部屋を与えてくれた人でした。そして、その一ノ瀬君と、神宮由岐氏は私にとって友達のようなものでした。家の例えをそのまま流用しますならば、家族のようなものでした。

 ここからは私のもうひとつの重大な告白です。私は実は、貴方達お二人の下校を尾けていました…………――――――――――――――――――」

 ここからはじまった算六夜の告白は、一ノ瀬、そして、神宮にとって、あまりにも衝撃的なものだった。二人とも食い入るようにモニタを見つめ、一ノ瀬は黙々とマウスのホイールを動かし、画面を下にスクロールさせた。そしてそのワード文書の文末には、こうあった。

「ここまで僕の告白を読んでくださり、本当にありがとうございました。この文書は、ここまでスクロールした3分後に完全消去するようにしておきました。もちろん、この文書を復元しようと思えば、例えば、その道のプロフェッショナルにならできるかもしれません。しかし、この文書を復元したとしても、事態はそう大きく変わらないと思われます。ここまでの文書を読んでくれた一ノ瀬さん、神宮氏ならわかると思いますが、この文書を今警察に持って行っても僕が殺人犯として裁かれるのは動かしようのないことですし、さらに僕の罪が重くなるだけです。だから、一ノ瀬さん、神宮さん。こんなことを言うのはおこがましいことだとは思いますが、この文書の消去をもって、今後一切、私の存在を消し去ってください。もちろん、すべてのことを綺麗さっぱり、今すぐ忘れるのは難しいことかと思われます。それを承知の上で、もう少し言わせていただきたい。忘れる努力をし続けてください。そうすればきっと、いつしか私のことを忘れることができるはずです。一ノ瀬さんと神宮さん、お二人が私を、そして、事件のことを忘れることができたその日、この事件は終わりを迎えるのです。

 そして最後に。もしかしたら一ノ瀬さんと神宮さんは自分たちのせいで僕の人生を大きく狂わせてしまったのではないかと思っているかもしれません。そんなことはまったくないと、ここで否定をさせていただきます。なぜそう言い切れるのか? それはとても簡単です。上にも書きましたが、私は少年院帰りで、貴方達と出会う前から私の人生はほとんど終わっていたのです。少年院帰りですので、これから先、私はまともな職業に就くこともできなければ、そもそも私自身、まともな職業に就くつもりもありませんでした。もっと言えば、高校に入ったこと自体、半ば奇跡のようなものでした。桜井校長から命を、生きる気力をいただいたようなものなのです。桜井校長から、そして、貴方達お二人からも、エネルギーをいただきました。元々将来に光がない私の人生が今までより少しだけ、暗くなっただけのことです。元々井戸の中に入っていた私が、もう少しだけ深く潜っただけ、の話なのです。お二人はまだ、井戸の中に入ってすらいません。それはとても貴重で、大切なことです。ですからお二人は、井戸の中に入ってしまった人間のことなんて忘れて、光の中でたくさんのことを体験して、幸せに生きてください。それでももし、私のことを気にかけてくださるのならば、その熱意を別のことに向けてください。桜井校長のような、恵まれない子供たちへの手助けをするのもいいですし、コンビニエンス・ストアの募金箱にこれからお釣りを必ず入れるでもいい。なんでもいいんです。それだけで、私は救われます。ここまで長くなってしまって、申し訳ありせん。〝ここまで〟スクロールしてくださったら、もうこの文書は役目を果たしたということになります。残り1分で、この文書は完全に破棄されるでしょう。できることなら、この文書が消えるのと同時に、私のことを忘れていただきたいものです。それでは、お二人のこれからの人生に、幸あらんことを」

 そこで、ワード文書は終わっていた。もうこれ以上、下にスクロールすることはできない。にも関わらず、一ノ瀬はマウスのホイールを動かして画面を下にスクロールさせようとしていた。しかし、もちろんパソコンの画面は動かない。そこでワード文書が終わっていることは、慄然とした現実であるからだ。

 しばらく、一ノ瀬は言葉を発することはできなかった。頭がうまい具合に機能しない。それは、神宮も同様だった。同じ文書を、ほとんど同じタイミングで読んだはずだ。二人は、同じタイミングで、同じものを読んだ。そして、二人共反応もまた、同じだった。各々が何を考えているかまではわからないが、少なくとも外から見える反応だけにおいては、まったく同じものであると言うことができた。

 次に自分がすべき行動が、まるでわからなかったのだ。常識に従えば、――この状況自体がすでに〝常識〟から大きく逸脱しているかもしれないがそれは今はさておき、自分はすべての罪を告白し、警察に突っ込むべきなのだ。それが自然であり、常識であり、正義というものだ。しかし、それは正義であると同時に、なんの意味もない行動であるということも、一ノ瀬は理解していた。この文書に書いてあることが本当であったならば、一ノ瀬と神宮が警察に出頭したところで、なんの意味もない。二人が殺人罪に問われることもない。もしかしたら、ささやかな何かしらの罪に問われるかもしれない。しかし、それまでだ。この世界には、この国には、この国の司法には、一ノ瀬と神宮を罰することのできるものは存在しないのだ。存在しないように、算が仕組んだのだ。なぜ、こんなにも、法律には穴があるのだろうかと一ノ瀬は思った。


「ゆ、由岐…………――」

 喉の奥から、意識の奥からなんとか声を引っ張り出して、一之瀬は神宮に訊いた。


 そうだ。自分は、とてつもない勘違いをしていた。

 いや、正確には勘違いなどではない。あのときは……少々、おかしかった。

 だって、そう、当たり前じゃないか。

 殺人事件が起きたすぐ、翌日のことだったのだから。



 あの、運命の殺人事件の翌日。一之瀬が学校へ向かっていた時のこと……。


 神宮は学校に来るだろうか。頭をよぎったのはそんなことだった。

 〝できれば来てほしい。というか、来てくれないと困る。〟

 という至極論理的な自分がそう呟く一方で、

 〝来れないのも無理はない。むしろそちらの方がある種、正常だ。〟

 という至極感情的な自分が冷静に呟いていた。

道中、神宮を迎えに行こうかと考えてみたが、〝ある地点を通り過ぎた時点〟で考えは変わった。神宮は学校に来ているだろうと一ノ瀬は結論付けたのだ。そして神宮は、――一ノ瀬の思考過程がすべて正しかったとは限らないが、学校にいた。



 道中、神宮を迎えに行こうかと考えてみたが、〝ある地点を通り過ぎた時点〟で考えは変わった。

 あのチンピラの死体が、なかったのだ。

 そこに残っていたのは血の跡だけ。

 そう、もしそこに、〝何もなければ〟、一之瀬は昨日の出来事がすべて夢の中の出来事だと思えただろう。しかし、血の跡がそこにはあった。

 あれは夢などではない、現実の世界であるということをきちんと一之瀬に教えてくれた。

 いや、すべては夢で、あの血の跡は実はまったく別のきっかけでできたものであると思おうと思えば、そう思えたことができたかもしれない。しかし、そこまで一之瀬の脳はおかしくはなっていなかった。……と、自分の中ではそう思っていた。しかし。

 やはりあのときの一之瀬の脳は、少し、おかしかったのだ。


 なぜ、あのとき、神宮が●●を●●したなどと、馬鹿げたことを考えてしまったのか。



「ゆ、由岐……、お前、あのとき……」

 と言って、一之瀬は言葉を止めた。言葉の接ぎ穂に困ったわけではない。

 ただ、自分がこれから発しようとしている言葉がどれだけおかしいものであるのか、一之瀬自身が気付いたのだ。

「し…………し…………」

 言葉が出てこない。まるで言葉を出してはいけないと、誰かから言われてるかのように。

 そうだ。当たり前じゃないか。あのとき、神宮が人を殺して、一之瀬の家に来て、そのあと送り出した際、あんなにも憔悴していたじゃないか。その神宮が、


 『神宮が〝死体〟を〝処理〟できるわけ』、ないではないか。


 それは、あまりにも当たり前のこと。

 しかし、あのときの一之瀬は、死体の処理を神宮が行ったと考えて、その不思議を不思議と思わなかったのだ……。


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