第7話 学校でのちょっとした喧騒

学校でのちょっとした喧騒

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 学校に向かう足取りはなんとも重かった。そりゃそうだ、足取りが軽いわけはない。それは一之瀬自身、大いにわかっていたことであったが、それでもやはりその重すぎる足を引きずって学校に向かうのは辛かった。それはもちろん、学校自体が嫌だった、という理由からではない。――カウントダウンが、辛かったからだ。人生の終わりが辛いとはあまり思わない。まだ若い一ノ瀬にとって、人生の終わりとはまだ遠く、もはや他人事のように思える事柄だからだ。しかし、学校生活、一般の人間が送るような平穏な毎日はもう終わる。それは、他人事ではない。自らに、直結していることだ。10が9、9が8、8が7になっていく。それは確実に、零に向かっている。誰にも止められない。人間に、時間の歩みを止めることはできないのだ。だから、今一ノ瀬にできることは、この瞬間をたしかな思い出にすることだけだ。その思い出はもしかしたら一ノ瀬を温めてくれるかもしれない。温めてくれないかもしれない。しかし、できること自体がもう、少ないのだ。海から地上に引きずり出された魚は、暴れることしかできないのとまったく同じように。――もう、何もない。無いのだ。一ノ瀬にできることは、ただ、時の歩みに乗り、前に進むことだけ…………。


 学校に到着する。下駄箱で靴を脱ぎ、階段を上り、自分が所属するクラスの教室へ向かい、自らの指名席である場所に腰を下ろす。その作業ひとつひとつが、今の一ノ瀬にとってとても重要な意味を持つ儀式のようにも感じられた。もう二度とこの行動を取ることができない、そんな儀式。ひとつひとつの行動は、自分がそれと認知した瞬間には、過去になる。生きるということは其れ即ち、失うことであると誰かが言っていたような気がする。誰が言っていたのか、どの本にそう書いてあったのか、正確な出典なんてわからない。それはどうでもいいし、今さら知りたいとも思わない。しかし、その言葉は一ノ瀬の頭に沁み込んでいった。失うということがどういうことなのか、嫌というほどに、今、実感していた。これが失うということなんだ。もう二度とできないということが、失うということなんだと、じっくりと、ゆっくりと、実感させられていった。


「………………?」

 席に座る。始業まであと15分。教室内には大体20人ほどの生徒がいる。もちろん、授業中でもなんでもないので、大体は輪になって何かしら話をしている。内容までは一ノ瀬にはわからない。おそらく、ドラマの話やアニメの話やエロゲの話や音楽の話のことだろう。一ノ瀬には縁遠いものだ。しかし、次の一言は驚くべきほどの精度さで一ノ瀬の耳に届いた。これが噂に聞く、「カクテルパーティー効果」とかいうやつだろうか。

「あ、そういえば聞いた? あの話」

「え、何の話? あたし、知ってると思うけどうわさ話には疎いからあれそれじゃちょっとわかんないよ~」

「あれよ、あれ。結構フィーバーしてるよ、殺人事件が起きてさ、『この学校の生徒が逮捕された』って話」

 俯いていた一ノ瀬は顔を上げる。それはもう、まるで電撃にうたれたかの如く。

 幸い、音もなく顔を上げることができたので誰からも注目されることはなかった。目を右左に走らせ、声はどこから届いているのか、精確な情報を求める。そして、見つける。あの女子3人集団だ。ふとましい体型のオナゴ1人と、ちんまりしたオナゴ1人、ひょろりとしたオナゴ1名。殺人事件云々とのたまっていたのはおそらくふとましい体型の1人だ。名前は忘れた。会話はしたことがあるがそれは事務的なものを最低限レベルでの話だろう。それを果たして、会話と言うべきなのか、諸々意見はあるかもしれないがそれは今さておく。問題は、もはや記号とも言うべきクラスの女子が他のクラスの女子と何やら物々しい単語を使って話をしている、その内容だ。

「えっ!? そんなの知らないよ! 何々、どんな話?」

 今までの無関心さが嘘のようにひょろりとした少女は目を輝かさんばかりの勢いで食い付いた。なかなか聞かない刺激的な話だったのだ。

「あれ、結構テレビでもやってたけどね、殺人事件のこと自体は」

「え、そんなのやってた? 私、テレ朝の報道ステーションは毎日欠かさず見るようにしてるけど、そんなニュースやってなかったよ」

「あぁ、ごめんごめん。テレ朝とか日テレとか、そういう全国向けのテレビでは多分やってないと思うね。ローカル向けのテレビでやってた」

「ろーかるって、なんですかー?」

 もう一人のちんまりした女子がそう言った。

「地域向けってこと。つまり、埼玉県民向けのテレビ番組ってことよ」

「あぁ、テレ玉(テレビ埼玉)か。それじゃあたし、見てないな。別に西武ファンでもなんでもないし」

「まぁ、別に西武ファンである必要はないと思うけど……。それはさておき、テレ玉のニュース番組では結構取り上げてたよ、この辺の殺人事件。それでさ、うちのお母さんがどっからか仕入れてきた情報なんだけどね、どうも逮捕されたのはうちの学校の生徒らしいんだよ!」

「え、それはまだテレビで発表されてないワケ? 本当に発表されたんだったらそれもテレビでやってるんじゃないの?」

「うーん、それがね、自分で言っておいてそれはないよと思うかもしれないけど、正式には逮捕されているわけじゃないみたい」

「は? 何それどーいうこと?」

「逮捕じゃなくて、任意で事情を聞いてる、だったかな…………」

「どーいうことですか? たいほと、何がちがうんですか?」

「さーねぇ。あたしも、法律にはあまり詳しくないもんで。でも、よくわからないけど、信憑性は高いらしいよ、この情報」

 と言うと、3人の姦しい娘たちはクスクスと軽く笑った。どこに笑うツボがあったのか、一之瀬にはまったくわからなかったが、おそらくこれが男女の差なのだろうと適当に結論付けた。多分違うだろうが、本当の理由については驚くほどどうでも良かった。

 そして、それで話に決着がついたのだろう、一之瀬にとって都合のいいことに、殺人事件の話はそこでお流れになった。

 一ノ瀬は考える。この周辺で殺人事件? それはもちろん、〝アレ〟のことだろう。いや、もしかしたらそうではないのかもしれない。自分たちが関与した例の殺人事件とは別に殺人事件が起きたのかもしれない。そして、逮捕されたのはこの学校の生徒? あまりにも偶然がすぎる。しかし、現実的な話、自分は逮捕されていない。そんな奇跡があっていいのか? ……この世界、そういった奇跡が〝まま〟あるのかもしれない。

 殺人事件が起きようが空から隕石が降ろうが特定秘密保護法案が可決されようが、一ノ瀬自身は今なお逮捕されていない。そしてもちろん、神宮も逮捕されていない。大事なのはそこだった。逮捕される気配すらないのだ。まぁ、逮捕されたことのない一ノ瀬にとって、実際に逮捕される前に、「逮捕される気配」なんてものを感じるかどうかなんてわからないが。

 しかし、どちらにせよ、〝ただごとではない〟何かが起きたことはたしかだ。放課後に神宮と部室に集合することにした。

 もし、放課後までに何もなければ、だが。

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