第30話
目を覚ますとテペヨロトルは檻の中にいた。
この国に来た時に飛行機内で見た、動物たちがいれられているような檻だ。
「ここ、どこかな?」
だだっ広く薄暗い部屋の中には、コンテナがいくつも積み上げられていた。
埃っぽくて居心地が悪い。
そしてテペヨロトルは、スマホと司にもらったお小遣いが入っているポシェットが無いことに気がついた。
「あれ?あれれ?五百円ない!」
テペヨロトルにとっては大金だ。
「司に無駄遣いしちゃだめだよって言われてたのに」
しょんぼりうなだれたテペヨロトルは、とりあえず外に出ることにした。
檻を抜け出すためジャガーの姿になろうとする……ものの、うまくいかない。
「うーん、おかしいなぁ。テペヨロトルってどんな神様だったっけ」
テペヨロトルが悩んでいると、カツカツカツと足音を響かせて、誰かが檻に近づいてくる。
「あらあら、ようやく目が覚めたみたいね」
「試食のおねえさん?」
スーパーではエプロン姿だったのだが、今のお姉さんは露出度の高い水着みたいな格好をしていた。
しかも頭には山羊の角が生えていて、背中には蝙の羽根。
毒蛇みたいな尻尾まで揺らしている。
「有るときはゲームアプリにこっそりバックドアを仕込む開発者。そしてまた有るときは試食のお姉さん。しかしてその実体は……あたしがLよ」
「える?」
「そう。あなたがなかなか来てくれないから、こうして会いに来たんじゃない。あたしからの連絡を既読スルーしまくるなんて、なかなかできないことよ」
テペヨロトルは首を傾げた。
「えーっと、誰だっけ」
「……本当に覚えてないのかしら?」
「うーんと、えっと……」
懸命に思い出そうとするテペヨロトルに、Lはため息混じりだ。
「ほら、この国に入国する方法を教えてあげたでしょ?食べ放題の招待状を出したのはあたしよ」
食べ放題というキーワードで、テペヨロトルはやっと思い出した。
「あっ……そうでした。約束してたのに、ごめんなさい」
「素直に謝れるなんて、なんてかわいい小悪魔ちゃんなのかしら」
「悪魔じゃないよ神だよぉ」
「そうだったわねテペヨロトルちゃん」
「なんでテペヨロトルの名前、知ってるの?」
「試食コーナーで名乗ってたでしょ。というか、この国に招待した時にメールでやりとりしたじゃない。メッセージアプリのIDも交換したのに、忘れちゃったの?」
「あーあ。そうでした」
テペヨロトルはぺろっと舌を出して、軽く自分の頭をグーでこづいてみせた。
「てへっとしてぺろっとするなんて、か、かわいいわ!」
「それほどでも」
謙遜する邪神に対して少し困ったような顔をすると、Lは取り上げたポーチの中からスマホを取りだした。
電源は切られている。
「あっ!それテペヨロトルの!返して!」
「それはできないわ。助けを呼ばれちゃ困るもの。あなた監禁されてるのよ?」
「かんきん?」
「閉じ込められて、逃げられないようにされてるってことよ」
「はぁー。勉強になります」
まじめな顔で返すテペヨロトルにLは小さく「ふふっ」と笑う。
「感心してる場合なのかしら?」
言われてテペヨロトルは目を見開くと、声を上げた。
「たいへん。セイパが爆発しちゃう。あのね、テペヨロトルがやらかすとセイパってすんごく怒るんだよ。真顔だから、軽く引くよ」
「それは怖いわね」
「それに、ひじりもテペヨロトルのこと心配だろうし、司がね……美味しいご飯を作って待ってるかも!」
必死に訴えるテペヨロトルをあざ笑うように、Lは首を左右に振る。
「本当に待ってるかしら?勝手にいなくなっちゃった子のご飯は無いんじゃない?」
「そんなことないよ!司はテペヨロトルの好きなもの、なんでも作ってくれるんだから!だから帰らないと」
「だめよ。返すわけにはいかないわ」
テペヨロトルのお腹がぐううううと音を立てた。
「お腹……空いたなぁ……」
「そういえば、もう夕飯時ね。実はここはショッピングモールの倉庫なの。モール内は春休みで賑わってて、たくさん人間がいるわよ。よりどりみどりって感じ」
「そうなの?」
テペヨロトルの頭にぴょこんと獣の耳が立つ。
「ええ。食べ放題よ」
「食べ放題かぁ……じゅるる」
ふわっとお尻の辺りに尻尾が揺れた。
「どうかしら?せっかく日本に来たのだから人間をパクパクしちゃうのは」
「う、ううぅ……がうう」
テペヨロトルの瞳が怪しくエメラルド色に光る。
「このまま帰国しちゃっていいのかしら」
八重歯のように牙が生えた。
「あうぅぅ」
「神性が下がってるみたいだけど、人間を食べたら邪神としての力を取り戻せるわよ」
「テペヨロトルは、いい神様に……なりたいの」
「人間を食べる神が悪い神だなんて偏見よ。昔は人間の方から神に命を捧げていたじゃない?」
ささやくようなLの言葉に、テペヨロトルはついうなずきそうになった。
ぶんぶんと頭を振って、その言葉を頭の中から追い出す。
「昔は昔だから。テペヨロトルは人間と仲良くしたいの。人間を食べたら司はテペヨロトルのこと、嫌いになっちゃう!」
「あなたの言う司って、人間の男の子かしら?」
「知ってるの?」
「いいえ。けど、人喰いの邪神のあなたがそんなに気に入るんだもの。きっとおいしいんでしょうね?」
「司はあげないよ!」
「おかしいわね?“あげない”なんて、まるでテペヨロトルちゃんは司を食べたいみたいじゃない。それとも、美味しいモノは最後まで取っておく派なのかしら?」
「司を食べたりしないもん!」
テペヨロトルのエメラルド色の瞳がLを睨みつける。
邪神の眼光は本来なら、相手が身動きを取れなくなるほどの圧力を持っているの
だが、Lはまるで涼しい風にでもあたっているように受け流した。
「もったいないわね。あたしが試食しちゃおうかしら」
「だめー!!お願いだから司は傷つけないで」
「嫌なら実力行使で止めるしか無いんじゃない?けど、人間を食べてない人喰いの邪神なんて、ぜーんぜん怖くないんだから」
どれだけ強く睨んでもLはひるみもしなかった。
「う、うう!司は絶対、傷つけさせない!」
余裕の笑みを浮かべてLが告げる。
「残念ねぇ。さすがに人間を食べてないと、あたしには勝てないんじゃないかしら?」
「どうしてこんないじわるするの」
「意地悪なんてしてないわよ。事実を言ってるだけ。もう偽名を使う必要もないから、あたしの本当の名前を教えてあげるわ」
Lの瞳に怪しい光が灯る。
「あたしの本当の名前はリリス。この世界のありとあらゆる化け物のお母さんよ」
Lの正体はテペヨロトルが出会ったことのない、格上レベルの大悪魔だった。
テペヨロトルはぷいっとそっぽを向いて、ジト目で呟く。
「興味ないし。知らないし」
「そんなに嫌わないでほしいわね。あたしはあなたのことが大好きなんだから。邪神も悪魔も人間に嫌われる存在でしょ?あたしたち、きっと仲良くなれるとおもうの。人間なんて食べ物みたいなものじゃない。人間が家畜をいとおしむのも食べるためでしょ?テペヨロトルちゃんが人間に抱く気持ちも、きっとそういうものなのよ」
「違うよ。司は悪いことしたら、悪いって言ってくれるし、良い子にしてたら褒めてくれるんだよ!仲良くできるんだよ!」
「そう思っているのはあなただけなんじゃない?もし司があなたの正体を知ったら、きっと嫌いになるわ。だって、かわいい女の子と思ってたらジャガーの化け物だったんだもの」
ぐぎゅううううう……と、テペヨロトルのお腹が鳴った。
力を放出しているせいか、空腹感が急速に強まっていく。
「うがああああ!」
テペヨロトルの全身を獣毛が覆った。
ジャガーと人の中間の姿に変化する。
神話の時代より語り継がれてきた、テペヨロトルの邪神としての姿だった。
檻に手を掛け力を込める。
「その檻を力尽くで破って、あたしに襲いかかるくらい元気な方が邪神としては正しいわよね」
「がううう!ここから出してえええ!」
がしゃんがしゃんと、鉄格子を揺する。その様子にリリスが首を傾げた。
「おかしいわね。檻には特別な魔術は施してないし、文明を代表するクラスの邪神がこんなに弱いなんて……。鉄を使った文化が無かったから相性が悪いのかしら?」
テペヨロトルの故郷で興った文明は、石灰岩や樹木から生み出した紙や、黄金や翡翠といった宝物はあるのだが、鉄器は発達せずに、海を渡ってきた略奪者たちによって滅ぼされてしまった。
とはいえ、力を出せない一番の原因はやはり空腹だろう。
「がううううう!お腹空いたあああああ!」
「もうちょっとお腹が空くまで、このままでいてもらおうかしら」
「いやああああ!司のご飯が食べたいよおおおおおおおおおおお!うえぇぇん!」
獣の口から悲しみの咆吼が上がる。
「司のご飯をみんなで食べて、お風呂に入って暖かいベッドで寝るのぉ!」
リリスの口元が妖しくゆがんだ。
「それなら人間を食べまくって力をつけて、教会を追い出して、この国を支配しちゃえばいいのよ。毎日ごちそうを食べて、お風呂も広々、ベッドも今よりふっかふかよ」
大悪魔の誘惑にテペヨロトルは激しく首を左右に振った。
「そういうんじゃないのおお!がうあぁ……お腹……空いたよぉ……」
叫ぶ度にジャガーの姿が“濃く”なり、人間的な要素が失われていく。
「お邪魔な天使たちなら一緒に撃退してあげるわ。あたしが本気を出せばバチカンの刺客だって返り討ちなんだし、あなたの欲望を解放させちゃいなさい」
「あうぅ……」
「司に会いたいんでしょ?」
「会いたいよぉ……抱っこして撫で撫でしてほしい……」
「ええ。そうしてもらいなさい」
そして一口で食べてしまえばいい。
と、リリスが言いかけたところで、テペヨロトルはまっすぐな眼差しをリリスに向けた。
「だから……テペヨロトルは良い子でいたいの。司に好きっておもってもらえる、素敵な邪神でいたいの」
「やっぱり……おかしいわあなた。なにか“入って”るわね」
リリスがそっと片目を閉じる。
テペヨロトルを見つめる瞳に青い炎が揺らめいた。
視線がテペヨロトルの胸の辺りを射貫くように見据える。
「胸じゃないわね。もう少し下……お腹のあたりかしら?邪神とはまったく別の神性ね。しかもかなり高位の……こんなことがあるなんて、あなたいったい何者なの?」
驚きと享楽の混ざり合ったようなリリスに、テペヨロトルは声を上げて返す。
「あううう。テペヨロトルはテペヨロトルだからぁ。お野菜にも挑戦するから、もう帰っていいよね?お腹ぺっこぺこだよぉ」
鉄格子をつかんだまま力無くうなだれるテペヨロトルに、リリスは口元を緩ませた。
「なるほど、そういうことだったのね。ククルカンを食べたせいで、テペヨロトルちゃんは純粋な邪神じゃなくなってるみたい」
「あう?」
「対消滅してもおかしくなかったのに、取り込んじゃうなんて本当にすごい子だわ」
「ひっく……ひっく……お腹空いたぁ」
ほとんど獣と化した瞳からぽろぽろと涙が落ちる。
テペヨロトルが泣き出すと……異変が起こった。
彼女の頭のあたりに、突然にょきにょきとキノコが生える。
見る間にそれは大きな笠を開いた。
「あら、なにかしら?」
「え?えっ?」
頭が重くなった違和感に、テペヨロトルはきょろきょろと周囲を見回した。
帽子のようにのっかったキノコの笠から胞子が舞い散る。
リリスの目が、胞子に込められた何者かの魔力を感知した。
胞子が広がり、ようやくセイパのかけた“保険”が起動したのだった。
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