第29話

スーパーに到着すると、さっそく司はひじりとお弁当の献立について相談を始めた。


「やっぱりおにぎりだよな」


「サンドイッチもいいんじゃないかしら?」


生鮮食料品売り場の野菜コーナーで、レタスを手にしてひじりが言う。


「テペヨロトルは野菜反対!」


「ハムとレタスのサンドイッチって、レタスがシャキシャキして、ハムの塩気と良い感じに馴染んですごく美味しいのよ」


「ハムだけがいい!」


司が代案を掲げた。


「じゃあ、ハムチーズなんてどうだ?」


「チーズはいいよね。テペヨロトルはハムチーズなら賛成ですから」


テペヨロトルがその場で万歳する。司は続けてテペヨロトルに確認した。


「おにぎりよりもサンドイッチがいいのか?」


司の質問にテペヨロトルの口振りが少し焦ったようになる。


「あのねあのね!おにぎりも食べたい!司が作ってくれるのなら、なんでも!」


「そうか。じゃあ、おにぎりの中身は何が良いかな」


「お肉!」


「そこはやっぱり肉なんだな」


司は軽く腕組みをする。おにぎりの具といえば、鮭や昆布に梅干しやオカカ、それにたらこあたりが定番だ。


コンビニで見かけるツナマヨや牛焼き肉なんてものもあるのだが、お肉のおにぎりというと、いまいちピンとこなかった。


豚の角煮や、牛肉のしぐれ煮。スパムやから揚げマヨ……どれもきっと美味しいだろうけど、決め手に欠ける気がした。


ふとみると、セイパが野菜のチルド棚の前に立っていた。


霧状の水分を含んだ冷気が出る吹き出し口前に立って、そっと目を閉じている。


まるで暑い日に、ほどよい日陰を見つけた猫のようだ。


「ああ、私はずっとここにいたい気持ちです」


「そうか。あの……風邪引くなよ」


「むしろ健康になっていますのでご安心ください。生き返るようです」


「そうなのか」


「はい。あっ……もし食材に野菜を選ぶことがありましたら、一声おかけください。特に鮮度が良く健康なものをお選びいたします」


セイパが恭しくお辞儀をするそばで、ひじりがぽつりと呟いた。


「セイパって野菜ソムリエの資格でももってるのかしら?」


「自分から言い出すくらいだから、目利きに自信があるんだろうな」


テペヨロトルが司の服の裾をくいっと引く。


「セイパはほっといてお肉コーナー行こう?」


「あ、ああ。セイパもあそこが気に入ったみたいだし、そうしようか。ところで、ひじりはメインのおかずは何がいいと思う?」


カートを進めながら司はひじりに相談した。


リクエストはテペヨロトルから聞くのだが、具体的な相談事は、ひじりの方が的確な助言をくれる。


ひじりもテペヨロトルが「お肉!」と言うのは承知していた。


「サンドイッチとおにぎり、両方作るなら、フライドチキンなんてどうかしら?」


「良いな。和洋どっちにも合いそうだ」


「それでね、骨付きチキンのチューリップにするの。あれって骨の部分が持ち手

になるから、食べやすいんじゃないかしら?」


料理の盛りつけにこだわる、ひじりらしいアドバイスだった。


「ばっちりだな。そうしよう。メインはフライドチキンにするとして、副菜に卵焼きはどうかな?」


「まあ、お弁当には定番よね。彩りも増えるし賛成よ」


「問題は味付けなんだけど、甘くするか、しょっぱめか……」


「だったら甘い方が良いと思うわ。ほかのおかずとの差別化にもなるし」


ひじりとのやりとりでテンポ良くメニューが決まっていって、司は悩む暇も無い。


「サラダ類はどうしようか。テペヨロトルが食べなくても、やっぱり必要だろ?」


「そうね。トウモロコシとジャガイモでできないかしら?」


「緑が足りないんじゃないか?」


「レタスを敷くくらいはしましょ。それと、トマトはプチトマトね。あれならかわいいから、テペヨロトルも食べちゃうんじゃない?」


「無理には食べさせられないけどな。ところで、なんでプチトマトなんだ?」


「プチトマトなら、切ったトマトと違って中の緑色のドロドロ部分が他のおかずにくっついたりしないもの」


「もしかして、ひじりはトマトの緑色のところが苦手なのか?」


「味は好きだけど、見た目がね。ちょっと内臓っぽいじゃない。プチトマトなら一口で食べられるから、怖くないでしょ」


「へぇ、そういう好き嫌いもあるんだな」


ひじりの意外な一面を見たような気分だった。


それも一緒にお弁当を作らなければわからなかったことだ。


お弁当箱をどう埋めるか、司は気を取られっぱなしだ。


ふと視線を落とすと、カートのそばに少女の姿が無い。


音も立てず気配も消して、気まぐれな猫のように忽然といなくなってしまった。


「テペヨロトルはいつの間に、どこに行ったんだ?」


「セイパのところかしら?」


野菜コーナーに戻ると、相変わらずセイパがミストを浴びて立っていた。


「セイパ。テペヨロトルがこっちに来てないか?」


「…………ハッ。寝てなどおりません」


一度、全身をビクンとわななかせてから、セイパは普段通りの淡々とした口調で司たちに返答した。


「寝てたのか。じゃあ、見てないんだな」


司の言葉にセイパが目を見開く。


「何かあったのですか?」


「テペヨロトルがいないんだ」


「それは一大事です」


「とりあえず、セイパはここを見張っててくれ。俺とひじりで探してみるから」


ひじりの方に向き直ると、彼女の表情は不安げだ。視線も宙を泳いでしまっている。


「だ、大丈夫よね。まさか勝手にスーパーの外に出るなんてことは……」


「ひじりはイートインスペースのあたりを見てきてくれ。俺はお菓子コーナーから巡回してみる」


「わかったわ!」


司はスーパーの棚をローラー作戦で探していった。


ひじりもイートインスペースやトイレを確認すると、そのまま捜索を継続する。


二人はちょうど、スーパーの真ん中らへんで出くわした。


「いたか?」


「いないわ!」


二人は同時にスマホを取りだした。


「俺が電話するよ」


「あの、ちょっと急用ができちゃって……電話してきていい?」


「あ、ああ。こっちは任せてくれ」


ひじりは慌てて店舗の外に駆けていった。


店内で走るのは危ないと、ついテペヨロトルの延長で司は思ってしまう。


それはそれとして……保護者失格だ。


目を離した隙に彼女は消えてしまった。


登録してあるテペヨロトルの番号にかける――繋がらない。


不通のアナウンスが流れるだけだった。


「まさか……家出とかじゃないよな」


テペヨロトルはまだ、日本にいたがっている。


セイパを説得できないからといって、いなくなることもないだろうに。


それから再び野菜コーナーに戻った。


今度はセイパがきっちりと野菜コーナー側の店舗出入り口を見張っている。


「テペヨロトルは来てなさそうだな」


「はい。司様……いったい何があったのでしょう」


「テペヨロトルは家出をしたのかもしれない」


「…………」


セイパは地蔵のように固まってしまった。


ショックが大きかったのか、呼吸さえ止めてピクリともしない。


「ええと、落ち着いて聞いてくれセイパ。テペヨロトルはもっと日本にいたがっていたよな。帰国を伸ばしてあげられないか?」


我に返ってセイパは伏し目がちになる。


「……そ、それは……できません。この地域の天使程度でしたら制圧も可能ですが、天使たちの中には邪神狩りを専門とする、殺し屋のような者もおります。それに狙われればひとたまりもありません」


「何を言ってるのか、よくわからないんだが……つまり、このまま日本にいたら、テペヨロトルの命が危ないっていうのか?」


「そうです。ですから帰国まで、できるだけ目立つような外出をお控えいただいたのです。黙っていて申し訳ございません。それに今回の事態は私の不徳の致すところです。この心地よい水分の混じった冷気にすっかり心を奪われて、テペヨロトル様をお守りすることを忘れてしまうとは……」


表情は変わらないのに、セイパがひどく落ちこんでいるように思えて、司はいたたまれない気持ちになった。


「誰だって失敗はするさ。そんなに自分を責めなくてもいいんだ。俺もテペヨロトルの手をずっと握ってなかったんだし」


司は改めてスマホを確認した。


テペヨロトルの居場所はGPSで表示されるようにしてあるのだが、向こうの電源が落ちているとお手上げだ。


「セイパはテペヨロトルが行きそうな場所に心当たりはないか?」


「残念ながら……」


「ひょっこり、うちに帰ってるなんてことはないかな」


「そうであれば良いのですが……」


二人が顔を見合わせていると、ひじりが店の外から戻ってきた。


「テペヨロトルはまだ見つからないのね!?」


「あ、ああ。そっちの用事はどうだったんだ?」


「ええと……緊急事態っていうか……」


ひじりは口ごもった。


「バイト先で何か大変なことでもあったのか?」


「なんでもないわ!ちょっと立て込んでるみたいだけど」


焦るひじりに、司は彼女の抱えたトラブルの大きさを感じた。


不運にも大事件が自分たちと、ひじりのバイト先とで同時に起こってしまったようだ。


「そうか。テペヨロトルのことは俺とセイパで探すから、ひじりもバイト先のことが心配ならそっちに……」


「わたしもテペヨロトルを一緒に探すわ。というか、探させてちょうだい」


ひじりの真剣な眼差しに司はゆっくりうなずいた。


「わかった。ありがとう、ひじり」


「気休めかもしれないけど、きっとテペヨロトルはちょっとした気まぐれで遊びに行っちゃったのよ。お腹が空いたら必ず司のところに帰ってくるから」


食いしん坊なテペヨロトルのことを思うと、不思議と司もそんな気がしてくる。


司がセイパに視線を向けると、彼女も小さくうなずいた。


「その可能性は十分にあります。最悪の事態だけは避けねばなりませんが……私の力で探そうにも……条件が満たされねばなりませんので」


ひじりがハッとした顔になる。


「もしかして、探し出す術があるのかしら?」


「はい。一度、故郷の森よりテペヨロトル様の脱走を許してしまいましたから、保険をかけておいたのです」


司が首を傾げる。


「保険ってなんだ?」


「ご説明申し上げにくいのですが、テペヨロトル様が力を解放されたさいに、それを引き金として発動する、ある種の呪いをかけておきました。本来であれば私程度の力で、テペヨロトル様にかけることはできないのですが、この国に来てからのテペヨロトル様は、神性が低下しておりまして……」


「ごめん。よくわからないんだが」


理解できない司の隣で、ひじりがいっそう深刻そうな顔をした。


「それってつまり……力を解放させるんだから、邪神の本性を現すってこと?」


「そうです。しかしひじり様の理解力には感服いたします。人間にしておくにはもったいないですね」


「え、えっと、ごめんなさい。本当はよくわかってないの」


「左様ですか」


司は息を吐いた。


「すぐにはテペヨロトルの居場所はわからないんだな……」


「はい。テペヨロトル様の機嫌次第で、いつになるとは断言できません」


司は続けて確認する。


「なあセイパ。警察はまずいんだよな」


「教会の天使にテペヨロトル様の入国を知られるばかりか、その所在が不明となれば、大事になってしまいます」


「わかった。その保険ってのが使えるようになるまで、自分たちでテペヨロトルを探そう。下手に動いてもテペヨロトルが家に戻ってきた時に困るだろうから、セイパは家にいてくれ」


「私が捜索に加わらなくてもよろしいのですか?」


ひじりがうんうんうなずいた。


「セイパは土地勘が無いでしょ?」


「ではそのようにいたします」


司はセイパに家の鍵を渡した。


「俺は公園から当たってみるよ」


最初に司がテペヨロトルと出会った場所だ。


あの時のように、あんパンを持って歩いていれば、お腹を空かせてひょっこり彼女が出てくるかもしれない。


司の言葉にひじりは小さくうなずいた。


「こっちはこっちで、探してみるわ」


解散しかけて司がセイパに声をかけた。


「なあセイパ。悪いんだけど、食材の買い出しの続きを頼んでいいか?あとは適当に野菜を頼む」


「このような非常時に、悠長ではありませんか?」


「そうかもしれないけど、テペヨロトルが見つかった時にご飯が作れなかったら、お腹を空かせてかわいそうだろ」


いなくなったことはきちんと叱らなきゃいけない。


けど、ご飯抜きなんて残酷なことは、司にはできなかった。


「司様はお優しいですね。承知いたしました」


セイパに残りの買い物を任せると、司はひじりと一緒にスーパーの外に出た。


「じゃあ、何かあったら連絡してくれ」


「もちろんよ。そっちこそ……気をつけてね」


「……?」


別れ際、ひじりの言い残した言葉に違和感を覚えたのだが、司は一路、通学路沿いにある緑地公園を目指すのだった。


――その数分前――


テペヨロトルは一人、お総菜コーナーまで足を伸ばしていた。


棚に並べられた揚げ物などの商品はつまみ食いできそうだけど、しちゃいけないよと司に言われている。


なのに、エプロン姿のお姉さんが勝手にから揚げを配っていた。


こんなことをしていいのかと、テペヨロトルは心配になる。


「おねえさんは、なにしてるの?」


「あらあら、かわいいお客さんね。お姉さんは試食コーナーをしてるのよ」


「あのね、おねえさん。勝手に食べちゃいけないんだよ!」


「お嬢ちゃんはとっても良い子なのね」


「テペヨロトルは、司にいろいろ教えてもらってますから。常識“神”ですから」


「けど、心配はいらないのよ。試食っていうのはお試しで食べるものだから。スーパーの販売戦略なのよ」


「お試し?はんばいせんりゃく?」


首を傾げるテペヨロトルに、お姉さんは優しい笑顔のまま続けた。


「試しにちょっぴり食べてみて、もし美味しかったらお父さんかお母さんに『このから揚げ買って!』ってお願いしてちょうだいね」


そう言うと、お姉さんは爪楊枝に刺したから揚げをテペヨロトルの口元にもってきた。揚げたてのようで、ほんのり湯気があがっている。


「え、でも……でも……じゅるり」


「いいからいいから遠慮しないで。ほら、衣もサクサクで美味しいわよ」


テペヨロトルは周囲を見渡した。


司たちはまだ、精肉コーナーの辺りだろう。


「じゃあ、一口だけ……」


パクリと食べた瞬間、テペヨロトルは急にふわっとした気持ちになった。


司の作ってくれた竜田揚げにも匹敵する美味しさだ。


もしかしたらそれ以上かもしれない。


あまりの美味しさに心までとろけそうだ。


「とろとろ……とろり……」


テペヨロトルの意識はから揚げに呑み込まれ、立ち消えた。


そのまま倒れ込むように試食コーナーのお姉さんに抱きついて、寝息を立てる。


「あらぁ大変。ちょっと事務所の方で一休みしましょうね」



そっと抱き上げられると、テペヨロトルはスーパーのバックヤードに続く扉の向こうへと運ばれてしまうのだった。

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