第18話

普段はこんなこと無いんだけどな……と、ひじりに代わって弁護しつつ、彼女の粗相の片付けを終えて、司はほっと一息吐いた。


ひじりはといえば、綺麗に吹き出したおかげで衣服が汚れたりもせず、ぐったりしたまま再びソファーに寝かされていた。


テペヨロトルがひじりのほっぺたやお腹のあたりの、柔らかそうな部分を指でツンツンとつつくのだが、起きる気配がない。


さらにその小さな指がひじりの胸へと狙いを定める。


すかさず司がテペヨロトルに注意した。


「アルバイトで疲れがたまってるみたいだし、そっとしておいてやってくれないか?」


指先がふくらみに触れる寸前のところで、ぴたりと止まった。


テペヨロトルはソファーから離れて、司の右隣にぺたんと座る。


「アルバイトってなに?」


「お仕事のことだ」


「お仕事って?」


「ええと……お手伝い……とは違うよな」


子供に説明するのは難しいな……と、司は思った。


そもそも労働の概念を自分自身もきちんと理解していないし、働いたこともない。


ふと、司の中で疑問が浮かんだ。


「そういえば、テペヨロトルは学校には行ってないのか?」


「学校?」


お金持ちのお嬢様というよりも、どこかの国の王族なのかもしれない。


それならテペヨロトルが世間知らずなこともうなずける。


お国の事情もあるだろうし、学校に通わないということだってあるだろうと、司は考えた。


「ずっと家庭教師の人に勉強を教えてもらってたとか?」


「勉強……?」


「日本語の勉強はしたんだよな?ずいぶんと上手だし」


「あー!」


納得したようにテペヨロトルはうなずいた。


そして司を見つめて告げる。


「神だからそういうの、したことないです」


セイパが司の左隣りにそっと正座した。


「司様。折り入ってお話がございます」


「は、はい。なんでしょうか」


セイパにつられて司も丁寧な口調になってしまった。


「司様は神を信じますか?」


「ええと……宗教の勧誘か何かなのかな?」


セイパは首を左右に振った。


「神自らがこつこつと信者を増やしたりなどいたしません。必ず神官や巫女や神の言葉を預かる者といった、特別な人間を選びます。そもそも神の威光は言語化に適さず、人間の世界でその存在を伝播させる代弁者を必要とするのです」

「ごめん。ちょっとわからないんだけど」


「わからないままで結構ですので、そのままお聞きください。この世界には無数の神が存在しています」


「神様っていうのは一つじゃないのか?」


一人という表記でいいのか迷った司は「一つ」と言った。それにもセイパは首を左右にさせる。


「神はこの世界に残された神話の数だけ存在します。ただ、すべての神が等しくというわけではなく、一定の勢力が強いということもまた、事実です」


いまいちピンと来ていない司に、セイパは説明を続けた。


この世界では神々が信者のシェア争いをしているらしい。


そして、西暦という暦を普及させた、とある宗教によって、自分たちはシェアを失い過去の神にされてしまった……というのだ。


「過去の神って言われても……というか、そもそも神様が存在するっていうのも……」


「テペヨロトル様は、かつて中米において多大な影響力をもっていた神なのです。しかし、海の向こうから現れた侵略者によって、テペヨロトル様を崇拝していた人々は滅ぼされてしまいました」


侵略はテペヨロトルがお腹を壊して寝込んでいる間の出来事だったため、防ぐことができなかったらしい。


司はセイパの話をちゃんと聞こうとしているものの、うまく咀嚼できなかった。


二人の話を大人しく聞いていたテペヨロトルが、ふわああっと大きなあくびをした。


「あのね、テペヨロトルは神なんです」


「あ、ああ。神様……なんだな」


「昔はみんな、テペヨロトルのことをちやほやしてくれました。今は誰もいません」


「そうか。それはその……ご愁傷さまです」


「けど、テペヨロトルは悲しくありません」


「それはまた、どうして?」


「テペヨロトルは……司と出会ったから」


「俺と?」


彼女はくりくりっとした瞳を輝かせて、うんうんうなずいた。


「司はテペヨロトルに、たくさん美味しいものを食べさせてくれるから、それだけでとっても幸せ」


司は驚いた。と、同時になんともいえない不思議な気持ちになった。


ただ、神だというのはにわかに信じられないし、テペヨロトルもセイパも日本語が上手だけど、完璧とは言いがたい。言葉の解釈に齟齬が生じているのかもしれない。


もしくは神というのがなんらかの隠語なのかも……と、司はあくまで自分の中の常識に照らし合わせて考えた。


考えこむ司の顔をテペヨロトルがのぞき込む。


「本当だよ!邪神専用のアプリでゲームとかするし」


「えっと、病原菌の奴だっけ?」


「そうそう!司……どうしたの?お腹痛いの?」


「い、いや……なんでもないよ」


テペヨロトルに見つめられて、なぜか司は照れるような恥ずかしい気持ちになった。


小さくせき払いを挟んでセイパがテペヨロトルに告げる。


「テペヨロトル様。ここを離れましょう」


「えー!来たばっかりだし……」


「いいですかテペヨロトル様。この国には天使がいるんですよ?帰国に備えて身を隠していなければなりません」


「そうなの?」


「私もですが、今回は密入国している立場です」


その言葉に司は目を丸くした。


「密入国って……本当か?」


セイパが小さく頭を下げる。


「大変申し上げにくいのですが、不法滞在神という立場なのです」


「不法滞在はまずいよな」


「無理を承知で申し上げます。どうか教会にだけは通報なさらないでください」


「警察沙汰は困るのか」


司は頭の中で、意味がわからない部分を自分なりに解釈してセイパに返答した。


「警察……ええと、教会には言わないよ。帰国までうちにいてくれていいから」


警察や入国管理局に二人が連れていかれるかもしれない。


まだ幼いテペヨロトルが怖い大人に囲まれて、あれこれと尋問を受けるというのは酷な話だ。


セイパが今度は深々と頭を下げた。


「ご厚意に感謝いたします。テペヨロトル様は主神級とはいえ、しばらく生け贄にも恵まれず……この国にこられてからは、私の力が及ぶほどにすっかり神性を失ってしまわれたようです。天使を退けるくらいは私にもできますが、出来るだけ事を大きくしたくもありませんので」


途中から脳内変換しきれなくなって、司はセイパの言葉を理解するのを諦めた。


それに、あまりつっこんだことを聞くのも気が引ける。


ともかくわかるのは、テペヨロトルもセイパも、日本で司の他に頼りがないということだ。


帰国する意思はあるようだし、二人が日本で重犯罪を犯すようにも思えない。


「帰国はいつごろになりそうなんだ?」


「一週間ほど先に、ちょうど良い飛行機の便がありますので」


それは司にも都合が良かった。


春休みのうちなら、テペヨロトルとセイパにつきっきりでいられるだろう。


だが、セイパの言葉にテペヨロトルは不満げだ。


「やだやだー!テペヨロトルはずっと司といっしょにいたいです。ずっとずーっと、司が死ぬまでいっしょがいい!」


セイパがゆっくりと首を左右に振った。


「テペヨロトル様は司様の事をどうお考えなのですか?神官か贄か……この地で新たに王国を築くのであれば、神官として任命なさってもよろしいのですが、そうなれば教会の天使との戦いに、司様を巻き込みかねません」


セイパの言葉に、なぜかテペヨロトルがブルッと震えて涙目になる。


「そ、それは……だめ」


「では司様を取り込まれるのですか?でしたらずっといっしょにいられますが……」


「それもだめー!セイパのばかー!いじわるー!」


自分を挟んでの言葉の応酬に司は目が回りそうだ。


もちろん意味はわからない。


「あの、部外者の俺が言うのもおかしいとは思うんだけど、二人とも喧嘩はしないでくれ。テペヨロトルもせっかく故郷から心配して来てくれたんだから、セイパにそんな事を言っちゃよくないよ」


「うう……うん。ごめんなさい」


テペヨロトルがしょぼくれた。そんな主の様子に、慌ててセイパが取りつくろう。


「テペヨロトル様。謝罪などなさらないでください。私が悪かったのです」


「じゃあ、仲直り?」


「はい。そうさせていただければ幸いです」


二人が和解したところで司は安堵した。そしてもう一つ質問する。


「そういえば、二人とも旅行にしてはやけに荷物が少ないよな?」


テペヨロトルなど着の身着のままで、スマホの充電器すら持ってきていなかった。


「司様、それがなにか問題でも?」


「一週間も滞在するなら、せめて着替えくらいは用意しないと……」


となると買い物に行かなければならない。


女の子が着る服の事はわからないし困った……と、思ったところで、司はソファーの上で軽くうなされている、心強い幼なじみの存在に改めて気がついた。


騙すようで悪いと思う反面、今回ばかりは頼れるのが彼女しかいなかった。


ストーリーを作る必要があると、司は思った。


「じゃあ、テペヨロトルは俺の母さんの知り合いの娘さんってことで。セイパはその家庭教師っていう設定にしよう」


司がその設定をテペヨロトルと……主にセイパに説明した。無邪気なテペヨロトルに演技はできないだろうから、重要になってくるのは保護者のセイパの立ち回りだ。



司の説明にセイパが「なるほど。承知いたしました」と理解を示したところで、ちょうど悪夢から目覚めたひじりが、今回もまた勢い良くがばっと上半身をソファーから起こすのだった。

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