第17話

ひじりがカップのふちに口をつけた。


ストレートのダージリンは華やかな香がして、かすかにマスカットのような風味が後に残り、さっと消える。


その去り際の余韻がなんともいえない。


ひじりの対面で、テペヨロトルは並んだお菓子のどれを食べようか、すっかり迷っていた。


「司、ど、どれを食べたらいいの?」


「そうだな……外国の人にはこの抹茶味が人気だぞ」


「まっちゃー?」


「お茶の味だから、ちょっと苦いかもしれないな」


「テペヨロトルは子供じゃないから!」


ふんっ!と、鼻を鳴らして、テペヨロトルは開封すると、真ん中にあるくぼみに合わせてチョコスティックをパキッと割った。


分かたれたスティックの一本を口に運ぶ。


すぐに小さな不機嫌など、どこか遠くに飛んでいくような味だった。


「あっ……甘いけどほろにがー。さくさくですっきり。食べられたから、テペヨロトルは大人だねー」


幸せそうな顔をするテペヨロトルを、ひじりはじっっと見つめていた。


「ひじりも食べる?」


「え、えっと……」


「遠慮しないでー」


「じゃ、じゃあ……少しだけ」


抹茶チョコは甘くてほんのりほろ苦い。


サクサクとしたウエハースの食感もたまらない。


そのまま紅茶を飲み、ひじりは身もだえた。


チョコの甘みがさらりと紅茶に溶けて消えると、舌に残るのはしびれるような、


なんともいえない甘美な快感だけだ。


「ひじりも女の子なんだな。ほっとした」


「え、ええ!?それって改まっていうことなの!?」


「ごめん。甘いものをそんなに美味しそうに食べるもんだから、つい」


「べ、別に……怒ってないから謝らなくてもいいわよ」


困り顔のひじりに、テペヨロトルが笑いかけた。


「ひじりは次は、どれ食べたい?」


すっかりテペヨロトルはひじりになついていた。


甘いものが好きで司が好きな、仲間だという認識ができあがっているらしい。


お菓子には手を着けず、ティーカップから立ち上る香気を楽しんでいたセイパに、司は聞いた。


「セイパはお菓子は食べないのか?」


「そちらにはあまり興味はありませんが、この紅茶というものはとても興味深いです」


そっと唇をカップに寄せる。


一口飲むとセイパの表情が……とろけた。


ずっと真顔だった彼女の目尻が、とろんと落ちる。


「すばらしい」


そんなセイパに、テペヨロトルがお菓子の箱を二つ、見せて聞く。


「セイパはどっちかなぁ」


それはキノコとタケノコのチョコスナックだった。


セイパはそれぞれのパッケージを見比べると、うなずいた。


「どちらかといえば私はタケノコに近いでしょうか。キノコは菌類ですし」


「えー。キノコの方がかわいいよー!セイパはかわいくないなー」


「かわいくなくともテペヨロトル様をお守りできれば十分です」


「ぶー!つまんない」


テペヨロトルはほっぺたをぷくっと膨らませた。


くるんと振り返って司に聞く。


「司はどっちー?キノコ?タケノコ?タケキノコ?」


「タケキノコは無いだろ。そうだな……俺もタケノコ派かな」


別にセイパを擁護するつもりもなく、個人的な好みで司は答えた。


タケノコは甘いクッキー生地にチョコという組み合わせで、甘さを極めにいっている分、よりお菓子らしいと思う。


すると、ひじりが信じられないというような顔で司を見つめた。


「えっ……司って異端者だったの?」


「ずいぶん仰々しい言い方をするな。ということは……ひじりはキノコ派だったのか」


「キノコの方がビスケット生地だから、よりチョコの美味しさがわかるじゃない!」


「あ、ああ。そういう見方もあるよな」


「そもそもタケノコ派が上から目線なのがおかしいのよ。キノコの方がわかりやすく美味しいのに」


「それは決めつけじゃないか?個人的な好みもあるんだし」


「そんなことない。キノコの方が有能よ。そうよねテペヨロトル?」


邪神と樹霊とお菓子パーティーという異常な状況に、感覚が麻痺したのか、ひじりは人喰いの邪神相手にも物怖じしなくなっていた。


「まだどっちも食べてないからわかりません!」


おどおどとした感じがなくなったひじりに、テペヨロトルは敬礼でもしそうな勢いで報告した。


「じゃあ食べ比べて決めましょ?」


「うん!食べ比べ~~食べ比べ~~」


テペヨロトルが楽しげに、二ついっしょにパッケージを開けた。


司が告げる。


「まずはキノコの方を先に食べたらいいんじゃないか?」


ひじりがすかさず反論した。


「あ!司ってばずるいわ。こういうのって、後から食べた方が勝つでしょ?」


「料理対決マンガならそうかもしれないけど、先に甘いタケノコを食べたらキノコの繊細な良さが薄れるんじゃないか?」


納得したようで、ひじりはテペヨロトルに告げた。


「キノコから食べてちょうだい」


「いただきまーす!もぐもぐ。サクちょこ~~サクサクちょこ~~」


幸せそうな声を上げるテペヨロトルに、ひじりが胸を張った。


「そうよね。やっぱり女の子はキノコが大好きよね!タケノコなんて味覚がお子様な男子高校生にぴったりだわ」


普段は大人しい人が、好きなものを語り出すと性格がちょっと変わってしまう……なんてこともあるのだが、ひじりの豹変っぷりに司は驚いた。


そして少しだけ負けまいという気持ちになってしまった。


「そこまで言わなくてもいいだろ。じゃあ、今度はタケノコの番だな。あーんして」


司はタケノコチョコを一粒手にとると、テペヨロトルの口元にそっと運んだ。


「あーん!ぱく!」


試食を終えるとテペヨロトルは困ったように眉尻を下げた。


「うーん、タケノコはもっと甘いねー。司が食べさせてくれたからかな?どっちも美味しいから引き分け!」


「引き分けだそうだ」


「ず、ずるいわよ!今のはなんだかずるいわ!」


勝負がつかないまま、次々とお菓子の箱や袋が空になっていった。


「じゃあ最後はこれ!美味しいかな?」


フランス産の高級バターをたっぷり使ったクッキーである。テペヨロトルが首を傾げさせた。


「どういうお菓子?」


司は箱の説明書きを読み聞かせた。


「フランスにあるモンサンミシェルという教会に巡礼にきた人をもてなした、おばあさんのレシピで作られている……って、なんだかとても歴史のあるものみたいだな。というか、日本のお菓子ですらなかった」


輸入品だが、美味しそうだしまあ良いかと司は思った。


テペヨロトルは「へぇ~~そうなのかー」と、エピソードに感心しきりだ。


司が説明するその一方で、ひじりはそっと紅茶のカップを持ち上げた。


モンサンミシェルといえば、大天使ミカエルが舞い降りた地に建造された教会だ。


それに縁のあるクッキーが、こんな極東の地にもあるなんて、教会の持つ影響力に心強くなる。


テペヨロトルが赤い箱を開封するなり、鼻をすんすんさせた。


「わぁ。甘くて良い匂い。ひじりも食べる?はい、あーんして」


一枚を手にとってひじりの口元にもっていく。が、司が首を小さく横に振った。


「今、口を開けたら紅茶がだぱーってなっちゃうな。もうちょっと待ってあげてくれないか?」


司の言葉にうんうんと、紅茶を口内に残したままひじりはうなずいた。


「はーい。じゃあ、いただきます」


さくり。


と、いうクリスピーな音と一緒に、テペヨロトルの口の中に芳醇かつ濃厚なバターの味わいが広がった。


幸せで口元をゆるゆるに緩ませながら、テペヨロトルは司の顔を見つめて告白する。


「食べ物のことを知ってから食べると、美味しいのがもっともっーと美味しくなるね」


テペヨロトルがさきほどひじりに司のことを聞いたのは、司の過去を知ってより美味しく彼を食べるためなのだ。


と、ひじりは気付き、瞬間――ひじりは口から紅茶を噴霧した。


「ひじりすごーい。うわああ……きれい」


テペヨロトルが無邪気に微笑んだ。


その視線の先には虹が浮かんでいる。


太陽光が射し込み、部屋の中に小さな虹の橋が生まれたのだ。


司の目の前で飲み物を吹くという行為は、ひじりにとって惨事以外の何物でも無い。


大失態だ。



諸々の失態を演じた守護天使は、テペヨロトルの貪欲さに恐怖し、そのまま再び意識を失うのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る