第6話

テペヨロトルは箸を一本ずつ左右の手に握って動きを止めた。


「これはなに?」


「いきなりお箸は無理そうだな」


司は用意していたフォークをテペヨロトルに持たせた。


「司と違うの?」


「無理に日本人に合わせなくていいよ」


フォークをじっと見つめるとテペヨロトルは眉尻を下げる。


「これどうするの?」


「フォークくらいは使えるだろ」


テペヨロトルはふるふると首を左右に振った。


そういえば本格的なインドカレーは手で食べるというし。


フォークを使わないで食べる文化圏の人なのかもなと、司は思い当たり席を立つと、自分の分のフォークとスプーンを手にして戻る。


「じゃあ、俺が食べるのを見本にしてくれ」


司はスープをスプーンですくいつつ、スプーンの腹でフォークの先端を押さえ込みながら麺をくるくるとまきあげた。


いざ、食す。


もちもちの麺に、魚介の旨味と豚骨系の濃厚さがしっかり効いたスープがからむ。


司はつい、麺をすすりたい衝動に駆られ……気付いた


麺をすするのに抵抗がある外国の人に、いきなりちゃんぽん麺をお見舞いしてしまった。


大丈夫だろうか?と、心配になってテペヨロトルの様子をうかがうと、彼女はエメラルド色の瞳をキラキラさせて、司が食べるのを一心に見つめていた。


「やってみるね」

司を真似て、フォークで麺をくるくるっと巻いてから、テペヨロトルは一口食べる。


「おおー」


あんパンの時ほどの感動的な反応ではない。


が、そのままテペヨロトルはぱくぱくと、ちゃんぽん麺を食べ続けた。


「美味しいかい?」


「うーん。割と」


「そうか」


司もフォークとスプーンでちゃんぽんを食べることにした。


食べている間、テペヨロトルは目を細めて幸せそうな顔だ。


そんな満足げな表情に、司はほっとするのと同時に温かな気持ちになった。


誰かが隣にいて、一緒に食べるのはいつぶりだろう。


思い出してみると、ひじりと一緒に食事をすることは少なかった。


彼女は学校の昼休みですら、ダイエットと言って食事を抜いてばかりだ。


不意に司のスマホがメッセージの着信音を奏でた。


ひじりからだった。


『ちゃんとお昼ご飯食べた?』


『割と』


返信すると司はちゃんぽんを再び食べ進める。


テペヨロトルはといえば……。


「キャベツ嫌あ!ニンジン不許可!トウモロコシは通ってよし」


彼女は器用に、かつ徹底的にキャベツやニンジンといった野菜だけを残して、麺とそれ以外の具材は綺麗に食べきった。


あまりに見事に野菜だけ残すのをみて、司はむしろ感心してしまう。


「野菜苦手なのか?」


「うん。まずい!野菜なんて飾りです。ただの彩りです」


宗教的なものでもアレルギー的なものでもなく、単純に味の問題らしい。


取り付く島の無い断言に司は返す言葉も浮かばない。


嫌いなものなら無理に食べることもないか。


命をいただくとか残すのはもったいないとか、そういうのが大切だとわかる一方で、無理に食べてより嫌いになるのも不幸だと司は思う。


「じゃあ、残った野菜は俺がもらうよ」


テペヨロトルの分まで野菜を食べて、司のお腹はだいぶ苦しくなった。


食べ終えると丼に手を合わせる。


「ごちそうさまでした」


テペヨロトルもそれに倣った。


「ごちそうさまでした」


昼食を済ませて手早く鍋や食器類を洗うと、司は手持ちぶさたになった。


まだ、テペヨロトルの両親から連絡はない。スマホがあるとはいえ、迷子の彼女のことをあまり永く自宅に留めておくのもいけないかもしれない、と司は思い始めていた。



リビングに戻る。


テペヨロトルはテレビの前に陣取って、児童向けアニメに夢中なようだ。画面に食い入るように近づいている。


目が悪くならないか……というのもあるのだが、あまり近づきすぎても見づらいだろうと司は思った。


「テペヨロトル。ちょっといいか?」


「なーに?」


彼女は首だけゆっくりと司の方に向き直る。


「テペヨロトルはどこの国から来たんだ?」


「えっとー。あっち!」


小さな手が東の方角を指さした。


「国名で教えてもらえるとありがたいんだけど」


「国?えーと、国って?」


「まあいいか」


司がソファーに座るとテペヨロトルは小走りで駆けてきて、隣にちょこんと座った。


「わあ。ふかふか!初めての感じ」


フォークもスプーンもソファーもテレビも、彼女には馴染みがないらしい。


そのわりに日本語での受け答えはそこそこしっかりしているし、ただ幼いという感じもしないのだが……。


インターネットで情報が繋がり、色々な事が調べられるようになったとしても、世の中はそれよりももっと広く、いろんな人がいるものなのだ。と、司は考えて、深く気にしないことにした。


「そろそろ保護者の人から連絡が来てるんじゃないか?」


「保護者――?」


テペヨロトルは首を傾げる。


「お父さんかお母さんだよ。スマホを確認してみたらどうだい?」


「あっ……そうでした!」


ポシェットからスマホを取り出すと彼女はボタンを押した。


画面は真っ暗なままだ。


「あれ?あれ?こ、壊れた!司、これ壊れました!」


顔を真っ青にしてテペヨロトルが慌て出す。


司は彼女の手からスマホを借りると確認した。


司が使っているリンゴのマークがついたものと同じメーカー製だ。


「ああ、これはきっと充電が切れたんだな」


すぐに充電器を自室からもってきて、司はスマホの充電を開始した。


どうやら海外版でも充電はできるようで、無事画面が点灯して充電が始まる。


「わあ。司、直してくれたの?」


「壊れて無かったぞ。充電が切れてたんだ」


「充電?」


「スマホもお腹が空くんだ。それで……スマホはこうして電気を食べるんだ」


「そっかー。スマホもお腹ぺこぺこだったんだね。じゃあ、いっぱい食べるといいね」


ということは、しばらく電源が入っていなかったのだと司は気がついた。


これでは自慢のGPSも役に立たない。


「なあテペヨロトル。ちょっと保護者の人に電話してみないか?」


「保護者なんていないよ。むしろテペヨロトルがセイパの保護者だよ」


ぷくーっと、テペヨロトルはほっぺたを膨らませる。


どうも保護者という言葉が気に入らないのか、テペヨロトルはご機嫌斜めだ。


セイパというのが誰かはわからないが、おそらく家族か親戚か。最初に彼女が名前を上げたのだから、きっとテペヨロトルに近しい人物に違いない。


勝手にスマホのロックを解除して、電話帳にある『誰か』に電話を掛けるのも気が引ける。


けど、テペヨロトルの声を保護者の人に聞かせて、早く安心してもらいたかった。


そこで司は一計を案じることにした。


「じゃあ、そのセイパさんにテペヨロトルの方から連絡をしてあげよう。保護者のテペヨロトルは元気ですよって。そうすれば、セイパさんも安心するんじゃないかな?」


もしかしたら本当にテペヨロトルよりも小さな、弟か妹だったりするかもしれない。


けど、ともかく誰かに連絡をつける必要があった。


大事になれば警察や、場合によっては彼女の母国の大使館だの領事館だのに、連絡する必要も出てくるかもしれない。


事件が起こったわけでもないのだから、なるべく穏便に済ませたいと思う。


司の進言に、テペヨロトルのほっぺたからプシューと空気が抜けた。


「司がそう言うなら、そうしなきゃね」


テペヨロトルは素直に従ってくれた。


ロックを解除してメッセージアプリを起動すると、彼女は文字を入力する。


彼女が打ち込むメッセージは絵文字のようなフォントだった。


文字で絵を描くアスキーアートというよりも、文字そのものが小さな絵なのだ。


この文字、どこかで見たことがある。


と司は思い出す。


中南米のインカやアステカ文明のそれだ。


それらの遺跡を紹介するテレビ番組で見たものと、雰囲気が良く似ていた。

テペヨロトルがメッセージを打ち終えて送信した。


すぐに返信があって、テペヨロトルは司の顔をのぞき込むように見上げる。


「この国で待っててだって」


「この国?ああ、たぶん家ってことかな」


司はゆっくりうなずく。


翻訳のミスかもしれないところは、司の方で再解釈し直すことにした。


どうやらセイパという人が、テペヨロトルを迎えに来てくれそうだ。


「迎えが来るのは何時頃になりそうだ?」


「うーん、わかんないって!」


それはちょっと問題ありだな。


と、司は思った。


しかしながら、テペヨロトルの居場所はきちんと先方に伝わったようだし、外国からやってきた不思議な迷子を無事、保護者の元に帰してあげられそうだと、司はひとまず安堵した。

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