第4話
教会の聖堂は、ただそこにいるだけで心が澄み渡り、巧みに彩られたステンドグラスを見上げれば、そのまま空へと昇っていくような浮遊感に包まれる。
今にもパイプオルガンが鳴り出し、賛美歌が聞こえてきそうだ。
半球のドーム天井の内側には天の世界が描かれていた。
天使らと聖人たちと、聖母と子と……父なる神。
宮守ひじりは胸元で十字を切る。
すっかり人間らしくなってしまったと、独り心に思いながら聖堂の奥へと進み、小部屋に入った。
室内はぼんやりと薄暗い。仕切られた部屋には小さな窓があるだけだ。
腰掛けに着いて、ひじりは質問をした。
「電話じゃ言えない用件っていうのは何かしら?」
小窓の向こうから男の声が響く。
普段から少しうわついたような、落ち着きの無い声だが、今日はいつにも増していた。
「この教区に第一級の要注意神仏の侵入を許したようです。本部への応援はすでに要請しましたが……」
男の言葉に、ひじりは肩をびくつかせる。
それが事実なら確かに緊急の用件だ。
近年、人間の生み出した航空産業の発達により、神々が航空機に搭乗して世界中、あらゆる場所に移動できるようになってしまったのである。
秩序の崩壊を防ぐため、神々の渡航には規則と制限がもうけられたのだ。
それを取り仕切る十字教は、世界的に普及した宗教であり、神界の警察を自称していた。
現代社会においては神とて入国審査があり、ビザの取得が必要不可欠である。
だが、まれにビザを取得せず密入国する神がいる。
そういった神は不法入国神扱いとなり、発見次第、元居た国に強制送還という措置がとられていた。
しかし、不法入国神があまりに強力であった場合、その限りではない。
天使たちの手に負えない異国の主神級の中でも、特に注意を必要とする神々――それらは要注意神仏に分類された。
人間に危害を加えたり、社会不安を引き起こす危険性のある邪神を、野放しにはできない。
不法な神々を取り締まるのも教会に所属する天使の役目だった。
なぜ、十字教の信者が少ない日本で、天使が要注意神仏への対応しているのかというと、それにもきちんと理由がある。
この国がどんな神でも受け入れてしまう傾向にあるためだ。
八百万神という概念により、なんでも神とあがめてしまうこの国は、異国の神々にも寛容だった。
それゆえに、治安維持を受け持つという天使たちもこの国は歓迎した。
そして寛容すぎるこの国は特に、他国の邪神の侵入を許し易い。
教会は常にそういった存在に気を配り、日々、監視の任務についている。
ひじりは指で自分のあごを軽く挟むようにしながらうつむいた。
「この辺りに潜伏してるのは確かなの?」
「はい。ですから十分に注意してください」
「確かに最重要案件だけど、呼びだしておいてそれだけってことは無いわよね?」
「応援が到着次第、特捜班を編成して要注意神仏の捜索を始めます。場合により戦闘に発展する可能性もありますので、くれぐれも貴方は参加しないようにしてください」
「わ……わかってるわよ」
「もし要注意神仏を見つけた場合は速やかに通報すること。間違っても手を出そうなどとは考えないようお願いします」
ひじりは教会の戦力ではなく、教導――人間を導く天使だった。
天使の養成学校での成績もトップクラスで、周囲からの期待も大きい。
将来を有望視されている期待の新人なのだ。
特に人間の姿になる能力が高く、同じ天使にさえ天使と気付かれないこともしばしばあった。
教導の天使になるべくして生まれたと言っても過言ではない。
ただ、性格が若干好戦的なところが玉に瑕である。
上司である男は、ひじりのそんな性格を常々危ぶんでいた。
男がひじりに聞く。
「ところで、例の少年ですが聖人指定は取れそうですか?」
「今年中には……」
「貴方にとって初任務ではありますが、同時に昇格試験も兼ねているということをお忘れなく。では、任務に戻ってください」
向こう側から小窓がぴしゃりと閉められた。
ひじりは立ち上がって部屋から外に出る。
ひじりに課せられた任務――教導とは「特別な力を持った人間の才能を開花させる」というものだ。
その対象者が新海司だった。
幼い頃からずっと司を見守り続けてきた。
彼は人間の中でも“特別な存在”になる可能性を秘めている。
たとえば神の声を聞くことができたり、人知を越えた力を発揮する英雄だったり、人類の文化向上を担う天才だったり。
それらの特別な人間を、もし邪神が取り込めば、力を増すことは間違いない。
教会の聖堂を出るとひじりは深呼吸をした。
まさか、司を狙って要注意神仏がこの街にやってきたのだろうか?
――それはおそらく無いだろう。
不幸中の幸いだが、司はまだつぼみの段階だ。
もし、要注意神仏が司の魂を欲するなら、才能が熟した瞬間を狙うはずである。
よほどのモノ好きで無い限り、咲いてもいない才能を取り込もうとはしないし、むしろ他の神が手出しできないよう、機が熟すまで対象を守る邪神さえ存在する。
だから大丈夫。きっと問題無い。
そうわかっていても、ひじりは落ち着かなかった。
「取り越し苦労よね」
一度振り返って教会の建物を見上げると、ひじりはため息を吐く。
この十年、司のそばで人間として暮らしてきた。
司に教会からの連絡をアルバイトと偽ってしまっていることも含めて、自分が人間でないことを黙っているのが少しだけ心苦しい。
それに……いつか必ず別れの時が訪れる。
任務が成功しても失敗に終わっても、司の記憶からひじりが消えてしまうことは、あらかじめ決められていた。それを寂しく思う自分が存在することに、ひじり自身気付いている。
天使が人間的な感情を持つのもおかしな話だが、任務の特性上、人間の感情を理解するために、ひじりには天使らしからぬ豊かな感情が備わっていた。
だから情が移るということだって、あり得るのだ。
教導の守護天使は人間に近いからこそ、人間を愛しすぎてしまう。
人類全体ではなく個人への愛情が大きくなりすぎてしまう。
そうなる前に、ひじりは早く司に大成してほしかった。
その時こそが別れの時だ。
そこまで考えて急にひじりは寂しくなった。
「司、どうしてるかな?」
カバンからスマホを取り出しメッセージアプリを起動して、司に呼びかける。
『ちゃんとお昼ご飯食べた?』
『割と』
素早い返信にひじりはほっと胸をなで下ろす。
ただ、普段なら『食べた』と言うはずの司が『割と』なんてらしくない返答をしたことが、ひじりには少しだけ気になった。
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