Smokin~銃弾と共に駆け抜けて~
楽隊のパレードが始まる。これは前座のようなものであった。
メイザースが率いる突入調査隊が空洞に入ったころには、そこはすでにもぬけの殻であったらしい。穴倉からいくつものアジトに繋がっており、そこから機材を初めとする様々なものを素早く持ち出したのではないかという推測であった。
またサイファーの推測通り、ビッグ・ベンの時計塔の地下に数式機関と解析機関があり、さらに時計塔が神のアジトであるのは間違いない。メイザースの見解であった。
お披露目式典の中止ないし延期は招待した近隣諸国の印象、および思い切った行動をとられる恐れがある。対症療法的だが何か起こった時に来賓の避難・護衛体制を整え、戦闘員を始末しながら、首魁の捕縛及び殺害という方針になった。
「今のところは大丈夫か」
ビッグ・ベンから離れた高階層の建物の屋上でサイファーは双眼鏡を覗き込んでいる。サイファーだけではなくヘンリエッタもそうなのだが。
フレデリカはマンリッヒャーM1895の狙撃用カスタムを構えて、ビック・ベンのあたりを警戒している。少しでもおかしな動きがあれば、高精度高速重量弾としてホーレス直々の改造をされた三〇―〇六スプリングフィールド弾が眉間を撃ち抜くだろう。銃が『Song For Fog』でないのは、ビッグ・ベンへの被害とお披露目への影響を懸念してのことだ。銃声だけでもカットすべく、下方向に張り出した消音器が取り付けられている。
腰には折りたたまれた――というよりは丸まっているという表現が正しい――状態の『Song For Fog』があった。あの穴倉で見つけた大鎌と一体化されてから、驚くほど持ち運びに優れるようになった。銃身はほとんど機関部に収納され、明らかに物理法則を凌駕した変形を行って対物狙撃銃の形態に変わる。作り手も素材も超常の存在と産物故か。
「まったく俺様を使い走りにするんじゃねえよォ」
「僕の社員じゃないだろう」
「ま、それを言われれば黙るしかねえなァ」
ジョンは分厚いバゲットを使ったサンドイッチと飲み物を人数分買ってきた。
完全に見張りの態勢を整えている。食料まで買い込んでいるのだから。
「でっかいわりに胸ナシの姉ちゃんは紅茶だったなァ」
「ありがとう、かるく
「ムネデリカちゃんも紅茶で良かったなァ?」
返答は無言。マンリッヒャーの銃口がジョンの下顎に突き付けられ、弾丸が顔面を断ち割るように貫通した。銃声がないおかげでいきなりたたらを踏んだようにしか見えない。それでも紅茶をきちんと手渡したのはさすがというべきか。
「あー痛ってェ……はい、コーヒーだァ。無糖ミルクなしで良かったな」
「あったまきた……僕はカフェオレを買って来いって言ったよな? まったく真逆のモンが出てきてんじゃねえか!」
怒りと同時に心臓に黒塗りのボウイ・ナイフを突き刺すことも忘れない。
銃弾をぶち込まれようが、心臓を刺されようがすべては不死身故に問題なしだ。体のいいサンド・バックである。
「俺様のほうがさァ……もう頭にくるぜ。俺様ならナニやってもいいとか思ってだろォ?」
「え、違うんですか?」
スコープからフレデリカは一切目を離さずに聞き返す。
「ちょっと俺様に対して辛辣すぎだろォ!? 容赦の一つもねえのかよォ!」
「あると思っているのかい?」
「悲しいなァ……」
わざとらしく『よよよ』と悲しむふりをしながら、サンドイッチにかじりつく。
フレデリカは時折スコープから目を離し、腹と喉の渇きをいやしていく。
ヘンリエッタは双眼鏡から一切手を離さない。
サイファーは監視するのをやめ、ただその時を待ち続ける。
「いました!」
――戦いの始まりとなる、その瞬間を。
「どこにいる?」
「ビッグ・ベンの時計塔、東側に武装した機関兵士が四体です」
「あーフィッシャー、聞こえるか? 警備の中に機関兵士はいなかった、ということでいいんだな?」
『ああ、こちらにいるのは全て生身の人間だ。“機関兵士など一体もいない”』
「よし――フレデリカ、いけるか?」
フレデリカは引き金に指をかける。狙撃用にカスタムしたことで引き金の軽さはフェザー・タッチだ。少しでも力を込めれば、特製の狙撃用弾丸が発射される。
距離にしておよそ九〇〇メートル以上。スコープの
だがフレデリカは黄金の双眸に決意をみなぎらせた。意志の光が瞳に満ちる。空色のリボンでハーフ・アップに結われた髪を揺らす風さえ、きっと意に介していないはずだ。
「いけます」
「――やれ」
気の抜けたわずかに空気の漏れるような音――偏った厚みしか確保できなかった分、長さをとった消音器によって押し殺された銃声だ。着弾も確認せず、そのままコッキング・ハンドルを引く。さらに第二弾を撃つ。続けて排莢からの第三弾。三回目のコッキング・ハンドル操作による排莢を終えた瞬間には、スコープ越しに脳天を撃ち抜かれる機関兵士の様子が見えている。
「やりました」
「すごいな、カウントするみたいに一瞬で三人が吹っ飛んだぞ」
「褒めるのは後だ。そろそろ動かないと、連中が虫みたいにわらわらと出てくるぞ」
サイファーの左手には納刀したままの野太刀がある。いつでも抜刀を放てる構えだ。
あろうことか建物の屋上から平気で飛び降りた。地上に着地した瞬間に水柱でも立つように、砕けた石畳が枚お上がる。蜘蛛の巣めいた亀裂が直径三メートル近くにわたって刻まれている。着地の衝撃が筆舌に尽くしがたいものだと、如実に物語っていた。
それでも何ら変わった様子を見せず、サイファーは地上に駐車しておいたアーカム下層の重工業会社『アインへリアル』社の大型蒸気自動二輪車『スレイプニル』にまたがった。デリンジャーに言って運ばせたのだ。安全性の面から実用化されなかったが、秩序なき命知らず共が集うアーカムでは蒸気自動二輪車はそれなりの需要がある。野太刀は背負い紐を使って背負い太刀の状態だ。柄はサイファーの左肩にある。
「さぁて、お楽しみの時間だな」
アクセルを思いきり捻り込む。蒸気機関の生んだ動力はシャフトによって後輪に伝えられる。一時的に後輪は空転したが、そのままつつがなく一気に加速する。
道行く蒸気自動四輪車や馬車をすいすい追い抜いていき、ビッグ・ベンへの道をひたすら進む。
「明らかに警備じゃないのがいるな」
道行く人々の中には構えた拳銃を隠そうともしない男たちが見え隠れしている。
金メッキされたアーカム45を抜いた。七・五インチもの長銃身にロング・スライドと二輪車上で扱うには、いささか長すぎるが二メートルを超すサイファーの巨躯ではぴったりに見える。
男たちは一斉に道路上に躍り出た。
四五口径から二二口径までのバラエティに富む弾丸がサイファーに向かって発射される。
それをスレイプニルを巧みに蛇行させて射線から逃れると、一気に前輪を支点に急反転する。
「何人か眠ってもらうぜ」
首や眉間に弾丸を食らって鮮血をまき散らしながら男たちは次々と果てる。
「それにしても、どこからこれだけの戦闘員を調達してくるのかね? ま、僕の知るところじゃないが」
そのとき震える手でサイファーに狙いをつけようとした男がいた。首に一発食らっており、明らかに致命傷だがサイファーは見向きもしない。
脳天が吹っ飛んだ。男は引き金を引くことが叶わなかったのである。
「ナイスだよ、フレデリカ」
見えるようにサムズ・アップしながらスレイプニルを走らせる。きっとスコープ越しに背中を見せて親指を立てるサイファーの姿がフレデリカの視界に映っているはずだ。
二輪車にしては異様に太いタイヤのおかげで安定感は凄まじいものがある。曲がる時は車体を傾けるのに苦労するが、その分直線ではどれだけ飛ばしてもふらつくことはない。コーナリングの時は恵まれた膂力と怪我知らずなワケありの五体で無理矢理曲がるだけだ。
「おっ、これまた大挙してやってきたな」
後ろを振り返ると黒影が道路を疾走する。おそらくは片手半剣を携えた機関兵士であろう。人と鋼の機関の合わせものは大型の蒸気四輪車に迫るだけの速度を叩き出す。人型にしては数百キロと重量があるが、それに反して動力機関の馬力が膨大であることからできることだ。
おそらく切り詰めた半自動式小銃か短機関銃でも持っているのか、背後から銃弾が飛んでくる。そのうち二、三発は背中に命中するが、この程度であれば気にすることもない。羽織っているロング・コートから伝わってきた衝撃の強さから、使われている銃弾は強装弾の三八口径だろう。超音速弾だがこの程度でどうこうなるようなものではない。コートも、自分も。
だが先ほどのように前輪を支点にしてのターンが通用する相手ではない。その瞬間に天高く跳躍して、一瞬のうちに視界の外へと消えてしまう。牽制として後ろ手にアーカム45を構えて撃ってるが、命中している様子は感じられない。
「ジリ貧かねえ」
サイファーはあろうことかハンドルから両手を離す。時速は百キロ超だから自殺行為としか思えないが、蒸気二輪の挙動はいたって落ち着いている。
そのまま背負い紐を思いきり引き、肩から競り出た野太刀の柄を右手で握り込む。そのまま腕と肩の動きを使って、五尺四寸三分もの――およそ一六八・九センチ――緩やかに弧を描く実戦性と芸術性の見事な和を体現する刃が鞘から現れた。
路面にあろうことか野太刀の刃を叩き付ける。普通なら刃毀れどころか刀身が折れてもおかしくはない。だが刃の美しさも鋭さも一切損なわれることなく、叩き付けた反動でサイファーと蒸気二輪は宙へ浮かび上がる。また手放しの状態になり、空いた左手で規格外の巨大リボルバー『Howler In The Moon』を撃つ。輪胴に入っているのは空砲だ。
激烈な反動によって宙を飛んだサイファーと蒸気二輪車は前後を反転させる。
着地に合わせてアクセル・スロットルを捻り込んだ。
常識外れの反転を目の当たりにして、機関兵士たちの間に動揺が駆け抜ける。
その隙をサイファーは見逃さない。
巨大な車体が間を駆け抜けたときには、ほとんどの機関兵士が上半身と下半身を泣き別れさせる。
「これで終わりっと!」
最後の一人を通り過ぎる前に後輪を支点にして反転する。前輪は機関兵士の頭上まで持ち上がった。そのまま重量を生かしてのしかかれば、鋼鉄の軋みと共に頸椎が粉砕される。頑強な鋼鉄の骨格も五〇〇キロ以上の重量に圧し掛かられれば無事ではいられない。
車体の下でもがき苦しむ機関兵士の延髄を一閃し、苦悶から解放してやる。
「時間食ったな……急ぐか」
アクセル・スロットルを思いきり捻れば、壊れそうなほどの唸りを動力機関が上げる。
ビッグ・ベンの時計塔へと向けてスレイプニルは疾走していく。
◆◇◆◇◆
「油断大敵ですよ」
ボルト・ハンドルを引いて薬室から薬莢を弾き飛ばした。
スコープから見えるサイファーは親指を立てていた。なかなかのナイス・アシストであったらしい。ちょっとだけむず痒いような、そんな気持ちになる。彼に褒められると、胸中で何かが跳ねるような、そんな感覚を覚える。
マンリッヒャーのボルト・ハンドルを思いきり引き、そこから新たな弾丸を込めていく。
暗躍する構成員を的確に仕留めるために。
同時にこっちに攻め込まれた場合に、と用意しておいた自動火器を手繰り寄せる。MV社製自動小銃M4エクスターミネイターだ。アーカム統治局保安課に無理を言って持ってこさせたのだ。サイファーの力はこういうところにまで及ぶ。今さらだが背筋が凍りそうだ。
しかし全長九五〇ミリ、重量六キロに及ぶ先進的凶器の重みはありがたい。三〇口径のライフル弾とポンプ・アクション散弾銃の合わせ技は、イギリス本土の銃火器では決して為しえないものだ。生死があまりにも近すぎるアーカムだからこそ、銃ひとつで二種類の弾種を撃ちわけるM4のような銃火器の需要がある。その大手が中層から下を客層とするMV社である。
「フレデリカ、こっち何人か向かってきてる」
「俺様が行こう。どのみち、ビッグ・ベンには行くつもりなんでなァ。可愛い女の子同士、仲良くやってくれやァ」
ジョンもやはりサイファーと同じように飛び降りた。
おそらく敵が乗っているであろうガーニーの天井に降り立った。衝撃で異様なほど陥没したルーフに、ためらうことなく二刀を突き立てた。運転手を失ったガーニーは滑り出し、四回転も横転した。ジョンも巻き込まれたが、何もなかったように起き上がる。
最初は右足を引きずっていたが、すぐに普通の歩き方に戻る。常軌を逸したレベルの再生能力は足の骨折程度など一分とかからずに治してしまうのだろう。
横転した車体から這い出して来る構成員をフレデリカは撃ち抜いていく。余計な苦しみを味わうことがないよう、すべて一発で脳幹を撃ち抜いて即死させている。せめてもの慈悲だ。狙撃の腕が確かでなければ、この一種の優しさともいうべき射撃は為しえない。強くなければ、優しさを与えることはできないということか。
ジョンはあろうことか横転したガーニーを難なく起こすと、そのまま停止した動力機関に火を入れた。
気管支炎めいた駆動音を立ててガーニーは走り去っていく……マフラーから吐き出されるのは黒煙であったが。
「いつの間にか侵入されたみたいだ。たくさん登ってくる」
「ヘンリエッタ、銃は持ってますか」
いつもはスローイング・ダガーを火器代わりに使うが、今はブローニングM1910を持っていた。ナイフを大量に持ち歩くよりは、三八口径を七発収めた弾倉をたくさん持っておくほうが効率的だ。彼女の性格からしてナイフも同じ数だけ持っていそうだが。
「隣のビルに移りましょう」
「いいね、それ。私が先行しよう」
今は誰も使っていない廃ビルの窓ガラスを発砲して割る。
ヘンリエッタは身体のしなやかさを十全に生かして飛んだ。距離にして三メートル足らず。
フレデリカも二種類の小銃を携えて飛んだ。重力を感じさせない飛び方であった。
ちょうどフレデリカが着地した時に、短機関銃と散弾銃を携えた黒服の構成員がやってきた。トンプソン短機関銃とウィンチェスターM1912であった。
フレデリカとヘンリエッタは先手を打った。
M4エクスターミネイターとM1910が次々と銃火を放つ。
一発も撃たぬ間に男たちは銃弾に食い破られた。鮮血は煙のごとく噴き、高層階の風は生臭い匂いに染まる。
「このまま一階まで下りましょう」
「その途中でもう一度別のビルに飛び移らないといけないかも。また下から大挙して押し寄せてくるよ」
バン、とM4エクスターミネイターの機関部を叩く。
十代の少女そのものと言っていいあどけなさを色濃く残しながらも、まぎれもない女の色香を漂わせるほど美しい顔立ち。神がその美貌を作り上げるまで十日も腐心したであろうかんばせに、不釣り合いなほど殺気を漂わせる。
長年もの間、戦慄を極める戦場で暮らしてきた兵士にも劣らないものを。
――まったく、いつの間にここまで育っちゃったんだか。
――これは大変そうだな、色々と。
親友の憂いにフレデリカは気づくわけがなかった。ごくごく当たり前であるかのように、さらりと言う。
「出会ったそばから、片づけていきましょう」
「……賛成だ」
ブローニングM1910自動拳銃の銃把を握り込む。反対の手には三本のスローイング・ダガーを握りしめ。
二人そろって階段を駆け下りていく。だが踊り場では立ち止まって敵影を確認しているから、足の速さに反してさほど階を降りてはいない。手すりの代わりにモルタルで作って塗装しただけの壁のようなものがあるため、屈んで慎重に顔を出せばすぐ見つかる事態にはならないだろう。
ようやく三階に辿り着くころ、敵の姿を確認すべく顔を出そうとした時だった。
フレデリカの眼前を一発の銃弾が通り過ぎる。
「大丈夫かい!?」
「あ、危なかったぁ……」
報復と言わんばかりにM4エクスターミネイターの銃把を兼ねたサム・ホール・ストックから、ヒート・ガードに備え付けた十二ケージ口径ポンプ・アクション式散弾銃の引き金に指をかける。引き金の重さで安全装置の代わりをしているという唯一の欠点を散弾銃ユニットは有しているが、銃床をしっかりと肩付けし、左手で銃をしっかりと保持すれば八・五キロものトリガー・プルは引き切れないわけではない。
散弾でコルトM1911二挺拳銃の黒服が吹っ飛んだ。
小銃に取り付ける関係上、銃身は必然的に短いから散弾はよくばらける。
後ろで控えていた男たちも鉛の雨霰を食らって絶叫する。
怯んだ瞬間をヘンリエッタが発砲して仕留めた。
さらにスローイング・ダガーも投擲した。深々と刺さった瞬間に男たちの身体は炎上した。刃の峰に刻まれていた火炎の意を含むルーンの効力である。煤けた黒炭になるまで一分もかからなかった。
「急ぎましょう」
「ああ、新手が来る前にね」
ようやく地上階に出るとキャンバス・カバーで覆われた何かがあった。ヘンリエッタは迷うことなく風で飛ばぬように固定する麻紐をほどき、カバーを剥ぎ取る。
中型の蒸気二輪車が姿を現した。アインヘリアル社製中型蒸気四輪車『ブリュンヒルド』だ。スレイプニルのように巨大なエンジンは積んでいないが、流線型の軽量車体に十分な馬力の蒸気機関を搭載している。すべてにおいてバランスが取れたスペックを誇るせいで、下層に近くなるにつれてブリュンヒルドが通りを疾走している場面に出くわす頻度が高くなる。そんな逸話まである。
ヘンリエッタは迷うことなくシートに跨った。
「ほら、後ろに乗って」
「う、運転できるんですか?」
「二輪だけ、多少はね? ささ、早く早く」
タンデムにはいささか小さい座席に身長に跨った。スカートをうまくまとめないと、走行の風圧で捲れ上がってしまう。その間に頭にヘルメットを被せられた。
四苦八苦の末に何とか抑え込んだと思う。走り出してみないとわからないが。
「大丈夫ですよ、走って」
「じゃあ飛ばすよ」
前輪を持ち上げながらブリュンヒルドはカッ飛んだ。
バランスのとれた走行性能を有する車体は風を切った。顔に叩き付ける風圧が強いが、どういうわけか両目は普通に開けられる。ヘンリエッタは風防用のゴーグルと薄い合金のヘルメットを身に付けているというのに。
この眼はすでに超常のものと化しているからか。
後ろからガーニーのエンジン音が追ってきた。箱乗りするように短機関銃を構えた男たちが、こちらに複数の銃口を向けている。一台につき三人――後部座席左右の窓に一人ずつ、サン・ルーフから一人――の編成が四台も追ってくるのだ。
しかもサン・ルーフに据え付けられているのはベルト給弾式の機関銃だ。アレで狙われればハチの巣になるしかない。
「ヘンリエッタ! なるべくジグザグに走ってください!」
「合点だよ!」
ブリュンヒルドはジグザグな軌道を描き始めた。
振り落とされないように右手で掴まりながら、左手でサム・ホール・ストックを肩付けして引き金を引く。
片手でフル・サイズのライフル弾を撃つのは少々無謀と言えた。短機関銃の感覚で撃ったのがいけなかったのか、暴れる銃口によって弾丸は思い切りバラけた。ガーニーのフロント・ガラスに一発当たっただけだ。
「これはいらないかな」
迷うことなくM4エクスターミネイターは投げ捨てた。
愛用の二挺拳銃の内、マウザーC96をベースにした『All In One』を構えた。ブリュンヒルドの後ろには二挺用の
M4エクスターミネイターを撃った時と同じような姿勢で発砲した。
放熱用ジャケットと分厚いの銃身のおかげか銃口は割とおとなしい。フレデリカ自身が扱いに習熟しているのも理由の一つであろう。
弾丸はガーニーのタイヤを食い裂いた。黒いゴム製のタイヤは小気味よい音を立てて爆ぜ、大型の車体は速度とエンジンの馬力に負けて横転した。
男たちが展開した銃火の嵐は凄まじい勢いだ。一発も命中していないのはヘンリエッタの運転技術が高い証拠か。大きく蛇行したかと思えば、小刻みに右へ左へ車体が流れる。
今度は円筒弾倉の中身を撃ち切る勢いで引き金を引いた。
M4エクスターミネイターの連射でフロント・ガラスをやられたガーニーが餌食となる。ひびが入っていたガラスは完全に粉砕され、運転手の頭をした半分だけ残して粉砕するだけにとどまらず。座席すら撃ち抜いて箱乗りで短機関銃を撃っていた男たちすら手にかけた。
運転手が生命すら放棄したせいでガーニーは揺れ、さらに弾丸まで食らってせいで男二人は呆気なく落ちた。
後続のガーニーはブレーキなど一切かけず、そのまま無慈悲に轢き潰していく。
「うわっ……」
思わず嫌悪の声が漏れた。
まるで練り物を絞るように中身が口から出てきたのだから、当然と言えば当然だ。ヘンリエッタもバック・ミラー越しにその光景を見ているはずだ。ゴーグルで隠れているせいでわかりづらいが、眉間にしわを寄せているのが何よりの証拠だ。
その時間も奪うように残る二台がスピードを上げた。間にブリュンヒルドを挟むような形で。
挟み撃ちにしようという魂胆らしい。押しつぶすも、ハチの巣にするのも裁量次第だ。
猛スピードで動く二輪車にタンデムしているため、片手はヘンリエッタの腰に掴まらねばならない。両手が空いていれば、とっくに二挺拳銃で二台同時に車輪をバーストさせている。
だが素早くガーニーを無力化する手立てはない。
敵はとっくに短機関銃の銃口をこちらに向け、すでに引き金に指をかけている。トンプソン短機関銃だ。しっかりと肩付けできる機関銃だから、フル・オートで撃っても外すことはあまりないだろう。
「困ったな……」
おそらく片方のガーニーのタイヤを撃ち抜いている間に銃弾の嵐によってハチの巣にされる。
動き続ける中の膠着状態、という奇妙なシチュエーション。そろそろビッグ・ベンの時計塔が近くなってきた時、状況を打ち破る光明となる存在が前方一〇〇メートルのあたりに立っていた。
そいつは銃を抜いた。コルトSAAだが銃身が恐ろしく長い。軽く見積もっても十インチ以上は優にある。
それを
彼とフレデリカの視線が交錯した。
フレデリカは右側のガーニーに狙いをつける。
二人の発砲は完全に同時であった。フレデリカは『All In One』をフル・オートにしたまま、銃本体を横に倒して反動で薙ぎ払うように撃つ。ガーニーの左の前後輪は完全に破壊された。鋼鉄のホイールが剝き出しになったことで、石畳の地面による激しい摩擦で火花を上げ、終いには横転した。
男のSAAも仰ぎ撃ちで左右の前輪をバーストさせた。均等に三発ずつ撃ち込んだからか、一瞬でホイールが剥き出しになったことで強烈な減速がかかる。スピードが乗っていたこともあって、その勢いのまま後輪が持ち上がってルーフから落ちる形で回転した。
「念のために」
フレデリカは動力となる蒸気機関のボイラーへの燃料タンクに一発撃ち込んだ。もとから衝撃で多少の燃料漏れがあったのか、弾丸が炸裂した瞬間に爆発炎上した。誰も生き残ることはないだろう。
SAAの射手の前でブリュンヒルドを一度停めた。
彼はよく知る人物であった。並みの犯罪者など一瞬で竦ませるほどの強面だが、その内には苛烈なまでの正義を秘めた強者。
「ワイアットさん」
「いい腕をしているな、フレデリカ嬢」
「ここの警備にあたっているのかい?」
「その通り。途中で要人たちの避難に変わってしまったが。いきなり機関兵士がやってきたものだから、お披露目は中止になったよ。アーカムから仲間を呼んでおいて正解だったな」
顎でしゃくった先には立ち上がったまま動かぬメルカバの姿、そして銃撃戦を繰り広げる多数の人間が見える。
逆関節の脚で先ほどまで動いていたのだろうか。アレほど巨大なものが動くとは到底信じられないが、髑髏を模した頭部が開いたままだ。あそこが操縦席だとしたら、操縦手はもう逃げたのだろう。だとすると、先ほどまで動いていたのだろう。歩兵などたやすく踏みつぶす巨体が戦場を闊歩する様など、その驚愕は計り知れないはずだ。さらにフューリアスまで見せつけられては――大英帝国に挑もうなどという無謀など根底から叩き潰されるはずだ。
「サイファーはもうビッグ・ベンに行っちまってる。遅れて壊れかけのガーニーも続いたが……」
「きっとジョン・ドゥだ」
「な……」
「安心してください。もう敵ではありませんから」
「味方かどうかは怪しいけどね。裏切った雇い主への意趣返しのためなんだろうけど」
「ひとまず気をつけてくれ。それと剣魔ダイオニシアスと来賓のエドワードの二人がいない。見かけたら知らせてくれ」
ワイアットはそれだけ伝えるとガーニーに乗り込んで行ってしまった。
ブリュンヒルドは急加速してビッグ・ベンの時計塔へとひた走る。
おそらく整備員用の通用口であろう扉が丸ごと吹っ飛んでいる。中に入れば刻まれた構成員の死体がいくつも転がっている。ほとんどが機関兵士なので、鮮血に混じって鋼鉄とオイルの臭いが漂っている。もしかするとジョンも合流して二人で暴れまわったかもしれない。
すん、とフレデリカは何かを嗅ぎ取った。
目よりも先に鼻が反応するとは珍しいことだ。同時に胸騒ぎがする。居ても立っても居られず、フレデリカは駆け出した。
二階は大きく開けているが、時計を駆動させるための歯車はひっきりなしに回転している。その中で六メートル四方の空間だけが
いや、実際に闘技場なのだ。
すでに二人の男が刃を交えているのだから。両者ともに灰色の外套に身を包んでいるが、身体の大きさは違う。片方は二メートルを超す巨躯でダスター・コートのようなデザインだ。さらに同じ色のテンガロン・ハットに白いシャップスまでつけているのだから最早ガンマンだ。右手に握る野太刀がかろうじて剣士であると主張している。サイファー・アンダーソンその人であった。
対するのは長衣の軍服姿の老人だ。だが、その身体は苛烈なまで訓練で鍛えられ、速度を損なわぬために膨れ上がるのではなく引き絞られた刃のごとき肉体であった。鋼色の双眸と白髪交じりの頭、発せられる鬼気は今まで対峙した人間・化物でも並ぶものがいないとフレデリカは感じた。ダイオニシアス・ガラルドが両手で正眼に構えるのは巨大な大剣であった。片刃の刀身の長さは一七〇センチに迫るだろうが、目を引くのは柄から刀身の半ほどにまで達する圧搾蒸気噴射機構だ。
重なる高温の蒸気を噴射したせいか刀身すら白煙を上げている有様であった。
だがそんなことはフレデリカの眼中にない。注目するのは、ただ一点。
黄金の双眸を見開いて視線を向けるのは――サイファーの足元だ。
――常人であれば致死量の血だまりが広がっている。
右肩から左脇腹にかけて一閃された傷から、いまも鮮血が滴り落ちている。コートの下のシャツはすでに真っ赤に染まっている。相当消耗しているのか吐く息は荒く、今にも片膝を着いて崩れかねない。
「サイファー、さん……」
理解の及ばぬ状況に、絶望に、叫びださないのが不思議だった。
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