Stampede~死も恐れぬ自由の男~

    先に仕掛けたのは男のほうだった――となるはずが、機関車は急激に加速した。

 解析機関があるほうを見てみれば、歯車群の中に一発の銃弾が食い込んでいる。機能を放棄したことが、どういうわけか機関車の暴走に繋がったのだ。男が笑みをさらに強めているあたりからして、どうやら狙い通りらしい。

「ヘンリエッタ! フレデリカを頼むぞ!」

「あ、ああ!」

 未だ復帰できていないフレデリカをヘンリエッタに任せた後、サイファーは瞬時に二挺拳銃に持ち替えた。あちらも同じアーカム45を構えている。奇しくも同じ二挺拳銃だ。カスタムされているかどうか、その程度の違いしかない。

 二人とも撃ちながら疾走する。狭い貨物列車の上となれば、直進するしかない。

 弾丸は双方ともに当たらない。わずかな足の動きによる体幹の左右運動や首を傾けたりして、うまいこと避けている。

 ついに二人はぶつかり合った。通常の五インチ銃身のアーカム45と長銃身の七インチ半が噛み合うように、たがいに銃口を逸らし合う。

「やぁ、はじめまして。なかなかどうして度胸もあるし、いい男じゃねえか。僕に一人で挑んでくるとは、それだけで評価できる」

「おおッ! 意外と好印象じゃん?」

「けどフレデリカに手を出してくれたのは、とても許せねえ。とても、な」

 サイファーの前蹴りが炸裂した。背がデカければ、その分だけ足も長いのだ。つま先を叩き込む形のトー・キックとなれば、その威力は推して図るべしというべきだろう。事実、パンクな男は血塊を吐いた。内臓まで行ったのだろう。

 しかし、傍目から見てもわかるほどのダメージなど意に介さないように、彼は腕に恐ろしいほどの力をこめる。その力強さを示すかのように、足と接している列車の床が深く陥没する。変形した箇所が車輪と擦れ合い、耳をつんざくような音とおびただしい火花を生むこととなる。

 そのままサイファーを自身の後方に向けて投げ飛ばす。

 これには彼も驚いたのか、目を見開いたまま宙を舞うこととなる。しかし、すぐに我に返ったのか両手の二挺を撃つ。男も応じるように同じ連射速度で撃ち返す。弾丸と弾丸は交錯して、線路へと落ちていった。

「タフなうえにパワーもあるのか……お前さん、名前は?」

「みんな、俺様のことを身元不明死体John Doeって呼んでる。たまに死なずの自由人ネバーダイ・フリーマンと呼ばれることもあるけどさァ。俺様はアンタたちの組織名知ってたけどさァ、アンタの名前知らなかったわ。なんていうの?」

「サイファー・アンダーソンだ」

 テンガロン・ハットを直し、ロング・コートの裾を払いながら挑発も含めたジョンの言葉に応じる。

「ジョン・ドゥか…………実は新大陸の事情にも、ちょっとは明るいんだ。お前さんの名前は誰でも知っている――――新大陸最強の男と呼ばれているそうだな」

「買いかぶりすぎなんだよォ。新大陸一しぶとい男って覚えておいてくれな」

 そう言いながらジョンは交差して背負っておいた二本の太刀を抜いた。

「名刀だな」

「わかるか? カネサダとドータヌキって名刀だよ」

「少なくとも、お前さんにはもったいなさすぎる代物だってのはわかる」

 サイファーも応じて野太刀を抜いた。刃は鋼の輝きを宿した状態だ。様子見を決め込んでいるということか。双方の距離は三メートルほど。

 両者同時に踏み込んだ。

 二刀によるジョンの時間差攻撃を、サイファーは野太刀の刀身の長さを生かして捌く。

 打ち合うたびに火花が散り、後退しては前進することを双方ともに繰り返していた。傍目から見れば、ほとんど互角のように見えた――そう、あくまで見えるだけだ。

「――押されている」

 熱に浮かされるような声で、フレデリカは呟いた。

「どういうことだい?」

「サイファーさんのほうが、押されています」

「バカな。ほとんど互角のようにしか見えないぞ」

「足元を見てください。サイファーさんの」

 言われた通りに視線を移して、そして目を真ん丸に見開くこととなる。

「…………なんだ、あのジョン・ドゥという男は!? あんなナリでメチャクチャな力をしているなんて!」

 サイファーの足元はジョンが一刀を加えるごとに沈んでいるのだ。体躯の大きさではサイファーに一歩譲ってはいるが、その膂力は上回っているということか。事実、一撃の度にサイファーは眉間にしわを寄せている。

 技術など小細工に等しい、と言わんばかりの剛力でジョンは苛烈に攻める。

 ――一撃。

 ――二撃。

 三撃目でついに列車が傾いだ。サイファーは膝を着き、体勢を大きく崩す。

「もらったァ!」

 首に向けての横薙ぎと、もう一方の刀で心臓を狙う。逃げ場はどこにも存在しない。

「悪いけど、僕もしぶといんだ」

 野太刀の刃が漆黒に染まるや、今までとは段違いの剣速が暴風となって吹き荒れた。たった一撃でジョンの必殺の二連撃を捌いたようにしか見えないが、実際は多重に重ねた剣閃が二刀の機動を逸らし、それに伴ってジョンも身を躍らせる形で宙を舞う。

 その無防備な横腹に、掌底が添えられた。そっと。

「発勁だ。くたばってくれんなよ」

 練り上げられた勁がジョンの身を貫いた。

「ウッソ……ォごッ!」

 疾走する地下鉄からトンネルの天井に叩き付けられるや、爆発に等しい衝撃が発生する。吹っ飛ばされたジョンの身体は一種の質量弾と化して、地盤を粉砕することとなったのだ。これでは死んでないにしても、追ってくることは不可能なはずだ。

 まして、こちらは暴走する機関車の上にいるのだから。

「フレデリカ、目覚めたか?」

「ちょっと厳しいかもしれません」

「ヘンリエッタ、肩貸してやれ」

「言われなくても」

 少し屈むような形になったがヘンリエッタはうまいこと、フレデリカの身体を支えている。

「しかし、ヤツに蹴られてよく目覚められたね。背負っていく気もあったのだけどさ」

「とっさに全身の力を抜いて、抵抗をなくしてみたんです。清の武術には、そういう防御もあるとサイファーさんから聞いたので」

「何気なく言ってるけど、それ達人級の技だぞ。もしかしたらフレデリカには、自分の身体を思い通りに動かす才能があるかもしれん。古今東西の武術家が放っておかないぞ」

「狙われてばかりですね……でも、あの人には通用しませんでした」

 あの大出力機関を彷彿とさせるほどの人間離れした、いや生身から出せるとさえ思わない規格外の膂力。それを食らった衝撃は、きっと忘れようとしても忘れらない。

「新大陸最強の名は伊達じゃないということかね。僕も音には聞いていたが、アレほどとは。剛よく柔を断つ、を地で行きやがる」

「意外にサイファーさんは技巧派ですからね」

「私も最初は驚いたよ」

「見た目で判断するとえらいことになるのは、技巧も力技も同じということか」

 僕も精進だな、と呟きながら内心は柄にもなく悲観気味だ。正直言って弱音の一つが出てもいいぐらいだ。それだけジョン・ドゥという男の体躯に見合わぬ剛力は凄まじく、自分の技術で受け流して捌くというビジョンの一切を打ち砕く。

 無理を通して通りを引っ込ませるというより、ハナから全開で無理を通しているようなスタイルだ。常に火事場のバカ力を出しているような状態だと考えれば、すとんと腑に落ちる感じだ。それだと自分の身体も無事では済まないはずだが――と、そこまで考えてジョンが前蹴りで吐血するほどの深手を負ったというのにダメージなどまるでない様子を思い出したとき、列車は蛇のようにくねった。

 最後尾の車両が

 その勢いもあるのか、列車の速度と相まって一気に跳ね上がったようだった。フレデリカもヘンリエッタも宙を舞う。サイファーだけが、どういうわけか直立できていた。まるでへばりついているように。そのはためく灰色のロング・コートも意に介さず、その銀灰色の双眸を以て暴挙の下手人を見つめるのだ。

「自分で言うだけあって、本当にしぶといヤツだ」

「この列車の行き先を知ってるか?」

「知らん。だから乗っている」

「俺様とアンタとの…………決着への直行便なんだよーッ!」

 あろうことか、ジョンは列車の最後尾に思い切り自分の剛力をかけて、力任せに列車を止めたのだ。

 その暴挙たるや。それを叶える怪力。

 これが新大陸最強、とまで言われる男の力か。

「さぁ……さぁ、さぁ、さぁさぁさぁさぁさあ! 俺様をぶっ殺してみろォ!」

「言われなくても、お望みどおりに」

 跳ね上がり傾斜のついた車両群を一気にジョンは駆け上がる。

 応ずるサイファーは野太刀を抜き放つ。

 刃がぶつかり合った瞬間――――地表まで弾け飛んだ。

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

 閑静な住宅街。人々は普段通りの日常を過ごしている――――少なくとも今は。

 それを打ち破る瞬間は唐突にやってくるのだ。例えば――Now

 大通りの十字路の中央が、一気に隆起した。大量の土砂が大穴から噴水めいて飛び出す。その高さは六メートルにも達した。それと一緒に現れたのは機関車に直結された貨物列車群。

 鉄の塊は緩やかに放物線を描きながら、地表に失墜した。

 しかし、いまだに空中にいるものが二つ。灰色のロング・コートを翻しながら飛ぶ巨躯の男。もう一つは体にフィットしたような黒づくめのパンク男。

 通りを挟んでアパルトメント群の屋根に降り立った。

「こうだ、こう来なくっちゃあ。おもしろくねえんだよォ」

「ひどいことしやがる。ロンドンが大混乱だ」

「ンなことはどうでもいい、どうでもいいんだよ。アンタを味わって、そんで楽しめりゃ万々歳だ」

「自分に正直だな。悪く言えば、自己中心的ともいえるけどね」

 その言葉に反応したように、ジョンはアーカム45を構えた。横内の構えは狙いづらいが、とにかくよく映える。

「それで結構。誰かの顔を伺いながら、誰かを気遣いながら、誰かのために生きるなんて、そんなの俺様の生き方じゃない。いつか死ぬその時まで、人生を抱きしめていたいんだよ」

「じゃあ、今この場で殺してやるよ」

 巨銃を抜き放つのは一瞬。撃鉄が起きてから、発射まではコンマ〇・一秒以下だ!

 『Howler In The Moon』が砲火を上げた。巨大な回転式拳銃の体裁をとった、ほとんど個人携行の回転式大口径火砲リボルビング・カノンだ。銃口とマズル・ブレーキから青白い砲火が上がり、アパルトメントの屋根に着弾した途端、大人一人を飲み込むほどの大爆発が起こる。

 もはや何らかの乗り物に搭載して運用するべき、という思いを禁じえない威力をサイファーは片手で連射する。装填されているのはホーレス謹製の爆裂弾だった。

 五発も発砲すれば、アパルトメントの屋根には大穴があく。元々は人ならざる幻想生物や重機関兵器に対抗するためにあつらえた弾丸だ。少なくとも人間相手に使うべき代物ではないのだ。

 そこまでさせたのは一つの疑惑。

 勘だけで推測した一つの疑念。

 もし当たっていたのだとしたら。

 ぽっかりと空いて、周りが焦げ付いた屋根の大穴のふちにサイファーは降り立った。通り一つ分挟んで向かいの建物の屋根の上にいたというのに、ここまで来れたのは一足飛びにここまで跳躍しただけだ。別に特別なことではないが、野次馬根性のある連中が、屋根の上を見上げて言葉を失った状態で口をパクパクさせている。

 大穴からアパルトメントの一室が見える。粗末なフローリングだけで、家具や調度品の類は一切なかった。空き室だ。

 降りようと思って、一歩を踏み出そうとして――――銃口を真上に向ける。

 炸裂音は一つ――いや、わずかにズレて二回分になっている。サイファーはその場から飛び退く。つい先ほどまでいた位置にジョンが降ってきた。両手に握られた二刀は深々と、フローリングを貫いていた。

「まさか僕の弾丸をぶった切るとはな」

「見えたからなァ」

「にわかに信じがたいな」

 それは一種の確認であった。巨大、武骨、重厚の三拍子そろった『Howler In The Moon』が強力なバネ仕掛けではね上げたように、一瞬でジョンの眉間に照準する。弾倉にはいまだに爆裂弾が装填されているから、直撃すれば身体部位の一つさえ原型をとどめるかどうかさえ怪しい。ただのボロくず同然の血肉だけが残るはずだ。

 青白い発射炎は銃口とマズル・ブレーキのスリットから噴射され、濃厚な硝煙の中から70口径もの巨弾が一直線に三件へと飛ぶ。

 ジョンは左手の太刀を口に咥えるや、両手で右手の太刀を構える。弾丸が食い込んだ瞬間に、一気に振り抜いた。

 巨弾は二つに分かれた。ジョンは壁を背にして立ち、壁には窓があった。二つになった弾丸は運動エネルギーを失うことなく、窓を粉砕して向こうの建物に着弾して爆発した。

「イかれてるぜ!」

「よく言われるさ!」

 サイファーは野太刀を水平に一閃する。狙いはジョンの首だ。

 意外なことにジョンは防御も回避もしなかった。サイファーは自身も当たると確信できるほどの速さを以て振り抜いたが、身じろぎ一つしないのはさすがに妙だった。

 長大な刃は首筋に食い込み、そして通り抜ける。あとは宙に生首が飛ぶだけ――そのはずだった。

 ジョンは健在だった。首筋には傷一つない。

 サイファーは二の太刀を見舞う。ジョンの右肩から左腰へ向けての袈裟掛け一閃。

 ぴっちりとした漆黒のパンク服が斜めに切れただけだ。チッチッチッと連続した舌打ちをしながら、人差し指を左右に振る。

「拍子抜けだよ。アンタなら俺様をぶっ殺してくれると思ったのに」

「そっか……じゃあお望み通りに」

 おもむろに『Howler In The Moon』の弾倉から爆裂弾を排莢した。ここまで撃った弾丸は七発だから、未使用の弾丸は十七発にもおよぶ。たった六発装填するのがやっとと言える大きさの輪胴から、合計二十四発に及ぶ薬莢と弾丸が排出されるのは圧巻されるものがある。

 ジョンも口笛を吹いた。ぴゅう、という音はよく通る。

 新たな弾丸を装填するのか――そう思った時、サイファーの手が霞んだ。

 ジョンの舌が感じ取ったのは鋼の味。

 ジョンの頬が感じ取ったのは鋼の質量。

 遅れて響く、顎への打撃。アッパー・カットだ。

 サイファーはジョンの口に弾丸を突っ込んだのだ。今しがた取り出した爆裂弾を五発も。そこからノン点が揺れるほどの勢いでアッパーを叩き込む。

 弾丸の雷管が作動する。

 ジョンの顔は爆散した。青白い爆炎のブラストは上半身に至るまで加害したはずだ。事実、腰から上はほとんど肉片も同然で、ずたずたになって引き裂けていた。ここまで凶悪な攻撃を叩き込んでおいてなお、サイファーは『Howler In The Moon』に新たな弾丸を装填している。今度は散弾だ。

 無残な状態のジョンを見下ろしたまま、立ちすくむこと、およそ五秒。撃鉄を起こそうとして――――そのまま背を向けた。

 だが、ふいに背筋に氷の針でも差し込まれたような悪寒を感じ、振り返った。

 ジョン・ドゥがそこにいる。ずたずたの上半身のまま、自らの足で立っている。残った筋と皮だけの無残な両腕は、気づいた時には骨という名の芯が通り、それに巻き付くように生皮を向かれたままの筋肉繊維が復活していく。どこに置いてあったのかアーカム45を、復活した両腕で握り込んでいた。

「嘘だろ、オイ…………」

 ぎりり、と歯ぎしりしたのに反応した。そう思ってしまうほどの速さと目敏さで、頭部が下あごだけ復元された。表皮など皆無な、赤黒い筋肉をむき出しにしたままの。そこから骨、筋肉、そして虚空から眼球が復活した。焦点の定まらぬ双眸は、あっという間にサイファーの銀灰色の双眸を捉えた。

「地獄の底から舞い戻ったよォ?」

「もう一回送り返してやる」

 巨銃が火を噴いた。放たれた散弾は殺意の幕となって、ジョンの身体を粉砕する。

 しかし、散弾によって引き裂かれたはずの肉が、潰された内臓が、砕かれたはずの骨が。散弾が身体を貫いて、体外へと抜け出た途端に復元する。悪い冗談としか思えなかった。見方によっては身体をすり抜けているように見える。

 対してジョンの弾丸は全弾命中したものの、コートの防弾効果によって止められる。だが衝撃を完全に殺しきれたわけではなかった。

 わずかに、たたらを踏んだ隙を見逃すはずがなかった。

 サイファーの腹にジョンの前蹴りがぶち込まれた。並みの重蒸気機関を全開で稼働させ、その全てを打撃力として割り振ったとしても、このパンク男の膂力を上回ることはないはずだ。重蒸気機関一つで二〇〇メートルクラスの戦艦一隻を賄える出力を超えるわけがない、眉唾だと思うことはないはずだ。

 水平に吹っ飛んでいったサイファーがアパルトメントや民家に商店、およそ十四もの建物をぶち抜きながら700メートルも飛んで行ったのだから。

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

「ひどい目にあった」

「あのジョンって人……サイファーさん以上にメチャクチャかもしれません」

「言えてるかもしれない。そして規格外にメチャクチャなツー・トップが閑静なロンドンの街並みを、数百年前の遺物に変える勢いで暴れまわっているとしたら」

「止めるのは義務ですよね」

 ジョンが空けた大穴から地表へと這い上がってきた二人に、頭上から瓦礫が降り注いできた。幸いにも当たるものは小指の先程度が、肩にかかったぐらいだが。

 見上げれば通りを挟んで並び立つアパルトメント二軒に、何かが通り抜けていったような跡があったのだ。

 見ようによっては、人の姿に見えなくもない。

「誰かぶち抜いていったのかな?」

「ジョンさんでしょうか?」

「あー、簡単に想像できちゃうなあ」

「追うよ、追うよー。俺様はアンタを追っかけるよぉ!」

 屋根から屋根へと飛んでいくジョン・ドゥの姿を見て、フレデリカとヘンリエッタは固まった。吹っ飛んでいったと思われるのはサイファーのほうだろう。正直言って意外だった。

「あの男、新大陸最強と呼ばれるにふさわしいようだね」

「ガーニーか何かを調達しないと、追いかけるのは骨ですよ」

「そうなんだけど……運転免許なんて持ってないんだよ」

「…………それは、私も同じなんですけれど」

 沈黙するしかない。どうしようか、と途方に暮れかけたとき、ガーニーのブレーキ音が響く。

 大型のゴツい警察用のものだ。まさか自分たちを捕らえに来たのか。そう思って身構えたが、見知った顔が出てきたおかげで一安心する。

 剣呑な目つきをした、白髪交じりの男。善人でも悪人でも、目が合えば背筋が凍る。正義感溢れるならず者保安官。ワイアット・アープその人であった。

「なんで、このロンドンの真っただ中にいるんだ?」

「サイファーさんの仕事です。こっちは……」

「ヘンリエッタ・ウェントワースだろ? 知っている」

 やっぱり面識があったかと紹介しようとしていた口を閉じる。

 自分も引き合わされたのだから、きっとヘンリエッタも同じようにされたのだろう。襲撃があったかどうかは別だろうが。

「バケモノみたいな二人が暴れていると市民から通報があってな。たまたまアーカムから出張していたせいで来る羽目になった。片方はサイファーのようだが、もう一人はどんな奴だ」

「ジョン・ドゥ、そう名乗っていたよ」

 ヘンリエッタが答える。秘密地下鉄でのサイファーとジョンのやり取りを聞いていたのは彼女だけだ。

「なに……『死なずの自由人ネバーダイ・フリーマン』のジョン・ドゥか?」

「ああ、新大陸最強だと言われてると、本人の口から聞いた」

「くそっ…………世界の終わりグラウンド・ゼロまで一時間の気分だ」

「いまはサイファーさんのほうが押されているみたいですけど……」

「どっちにしても、ロンドンが更地になるまで十分とかからんだろう。何かしらの手を打たないと、本気でマズい」

「とりあえず二人はあっちのほうへ飛んで行った。ガーニーか何かで追いかけるのが先決だと思うんだけど」

 ヘンリエッタの人差し指はサイファーとジョンが行った方向へ、視線はワイアット――を通り過ぎてガーニーに注がれている。

「ガーニーに乗れ! 急いで追いかける!」

 話のわかる人だ、とヘンリエッタもフレデリカも同じことを思う。

 警察用らしくガーニーの動力機関は力強い駆動音で吠え、車輪の回転の源となるピストンの回転を瞬く間にサイ台まで引き上げる。シートの背もたれに押さえつけられるほどの加速で一気に走り出す。

 警察が交通整理をしているのか、行き交う車はひどく少ない。走っているガーニーも警察関係の車両がほとんどであろう。パニックになった市民も鎮火し、今となっては地面に空いた大穴とそこから出てきた機関車を見に野次馬となっている。

「んん……?」

 警察の交通整理が行われている区域を抜け、サイファーが飛んでいったほうへと車は急行する。その中でフレデリカはすれ違ったり、後続車両の中に違和感を感じ取る。

 敵意とも、殺意ともいうべきか。

 後続車両の一台から、拳銃を構えた男が身を乗り出した。

 ガーニーの後部ガラスが撃ち抜かれる。思わずフレデリカは身を伏せた。

「後ろ! 誰かに追われています!」

 ヘンリエッタが後ろを見たときには、サン・ルーフからトンプソン短機関銃を構えた男が上半身を出していた。

 フレデリカたちの乗るガーニーに強装弾であろう四五口径弾が嵐となって襲い掛かる。その衝撃はガーニーの重い車体が軽く跳ね上がるほどだ。

 両手に二挺を握り、車上射撃ドライブ・バイに乗り出した。

 しかし、相手方のガーニーも装甲仕様だったのか、撃ち放たれた弾丸は表面をわずかに削って弾かれた。

「防弾車です! それも複数が撃ってきています!」

「お前たち、一体何に首を突っ込んだ! どう見ても連中は戦闘のプロとしか思えんぞ!」

 ワイアットはS&WのM3を抜いた。SAAは銃身が長すぎるから、取り回しの良い四インチ銃身のM3が適役だ。愚痴を叫びながら、バック・ミラーだけを頼りに照準した弾丸は見事にタイヤを撃ち抜いた。バランスを崩した後続のガーニーが横転していく。

 フレデリカも負けていられない、と言わんばかりに車窓から身を乗り出そうとしたとき、一台のガーニーが速度を上げて横に着いた。そのまま車体で体当たりを仕掛けてくる。

「うわわっ!」

「容赦ないな……これは私も一肌脱がないと」

 ヘンリエッタはそう言うや否や、ガーニーの屋根に手をかけると新体操めいた動きで屋根に上がった。

 右手にグルカ・ナイフを構え、体当たりを仕掛けてきたガーニーへと飛んだ。屋根に飛び移るや、グルカ・ナイフの湾曲した刃を生かして逆手に握ったナイフで運転手を狙う。曲がった刃は運転席を狙うのには都合よく、運転手の側頭にあっさりと突き立てられた。

 そのままヘンリエッタはガーニーが運転手の死によって暴走スタンピードする前に、次のガーニーに狙いを定める。生身の人間とは思えない、猛獣めいた跳躍力をいかんなく発揮して飛びながら、スローイング・ダガーを別のガーニーに投げる。刃に刻まれた炎のルーンが発火し、ガーニーのエンジンをオーバー・ヒートさせる。ボンネットから爆発同然の勢いで白煙を吐き出し、スピンしながら脱落していった。

 軽業の見世物のようにガーニーからガーニーへと飛ぶヘンリエッタの姿を認めつつも、フレデリカは精密射撃向けの『One In All』を両手で握り込む。狙うはサン・ルーフからヘンリエッタを狙う連中だ。射撃は精確そのもので、銃声が鳴るたびに脳漿と頭蓋が飛沫となってぶちまけられる。

 ワイアットはM3での精密にして迅速な射撃を以て、ガーニーのタイヤを撃ち抜いていく。精密射撃には向かない重い引き金のダブル・アクションで、さらにバック・ミラー越しの射撃だというのに弾丸は一発も外していない。フレデリカにもヘンリエッタにもない経験という名の武器が本領発揮している。

 五分もしないうちにガーニーはすべて片づけられた。

「『死なずの自由人ネバーダイ・フリーマン』にさっきの連中……ただごとではなさそうだな。そうなってくるとお前たちじゃおれに何も話せない事情があるだろう。サイファーも何も言わないだろうな」

「すみません……」

「構わない。守秘義務というものは、守らねばならんからな」

「どのみち、あなたたちも無関係ではいられないと私は思うけどね」

「悪い冗談はよしてくれ、ヘンリエッタ」

 そろそろサイファーの飛んで行った場所に着くころだ。フレデリカたちがそう思った時だった。

 とてつもない衝撃がガーニーを襲う。まるで真横で爆弾でも炸裂したように感じられる。ひとたまりもなく二転三転勢いで横転した。なんとか車外へと這い出てみると、塔と思わしき建物の屋根が近くに突き刺さって、深い窪地に変わり果てていた。あと数メートルずれていたら、確実に乗っていたガーニーに直撃していただろう。

「メチャクチャだ……一体、どんな戦いをしているんだ!?」

 ワイアットも落ちてきたであろう塔の屋根、その残骸を見つけたらしい。

 そしてヘンリエッタがようやく這い出たときだった。

 人の気配が感じられないほど静まった一帯。周囲の建物はすべて無人と化しているのだろう。

 その外壁に無数の斬線が走ったのを、フレデリカの双眸は捉えた。人智を超えるもの、人界のことわりからはずれたものを捉える黄金の双眸が!

「逃げてください!」

 フレデリカの叫びと同時に建物が一気に崩落した。斬線に沿ってズレるや、自重で一瞬のうちに形を失った。

 立ち並んでいた建物は半径五〇〇メートルもの範囲にわたって斬り刻まれ、瓦礫の山と化していた。さらにいかなる方法を用いたのか、逃げ遅れた人々は存命のまま、瓦礫の上にへたり込んだ状態でぽかんとしている。常識を超える現象と目まぐるしい状況の変化が、脳を一種のショック状態に陥れたに違いない。

 おそらくは狙った生命以外を傷つける目的はなかったのだ。

 サイファー・アンダーソンが狙ったのは、ジョン・ドゥただ一人。

 瓦礫と化したモルタルづくりの建物が地面に成り代わった中で、自分たち以外が死に絶えても刃を交え続けてきたとしか思えない凄惨な空気をまとっている。

 ジョンは二振りの太刀で二刀流の構えをとり、歯をむき出しにしたすさまじい狂気の笑みを浮かべている。

 対するサイファーは異様としか言えなかった。灰色だったロング・コートは漆黒に染まり、黒いモヤを纏っているよう。そして半顔は同じように黒く染まって、深紅の亀裂が三つ目を形作っている。燃えるような眼を、三つ。左手で鞘に納めたままの野太刀を握り、銀灰色の眼と深紅の燃える眼の四つでジョンを見据えているのだ。

「やっぱすげえやアンタ。俺様でも、こんなに燃えたのは久しぶりだよォ」

「おしゃべりな口は、そろそろ閉じておくべきだ」

 二人の刃が、ぶつかり合った。

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