Action~伏魔の領域は地の底に~
銃声が響く。
――何度も。
――何度も。
会館から人々が逃げていく。どれも一般人だ。
入っていくものは明らかに普通の人間ではない。裏に身を置く、暴力が飯の種という人種だ。
乱暴言わなくても、フレデリカにヘンリエッタと同じ人種ということになる。
「さっそくやらかしたようだね」
「人が二人も二階から降ってきて、さらに機関銃並みの連射で発砲。どう考えても増援が来ますよね」
「わかりやすい合図だね。では所定の位置に着こうか」
ヘンリエッタは近くの建物の水道管を足場に、周囲の目を引かないように登っていく。長身のわりに細身なおかげで身軽なのか、危なっかしさは一切感じられない。あれよあれよという間に屋上に上り、そこから一足飛びに建物との間を飛んで会館の屋上に陣取った。
フレデリカも裏のほうへと回る。これだけの騒ぎにもかかわらず、警察が動いている気配は感じられない。サイファーが事前に根回しでもしているのか。そう思いながら裏口へ回れば、拳銃で武装した黒服が入り口を固めている。
身を躍らせて、狙いを素早く定める。フルオートで弾丸をばらまけば、男たちは不可視の巨人が剛腕を振るったように吹っ飛んでいく。
体当たりで裏口の扉を吹っ飛ばす。左にいた男に鉛弾をぶちこんだ。散弾銃の引き金に指をかけていたのだから、まったくもって当然の対応だ。
マウザーC96めいた形状の『All In One』を横に構える。フロアに大勢いる拳銃をこっちに向けている男たちに、発砲の反動を生かしながら薙ぎ払うようにバラ撒く。そのまま勢いを利用して踏み込むと、近くの柱に身を隠す。
撃ち漏らした敵が火線を展開する。隠れ場所と遮蔽物を兼ねた柱が、砕かれて粉塵となり、宙に舞う。視界がけぶって、男たちの姿を隠す。
二挺の銃身とスライド、額に当てるように構え、深呼吸する。意識を研ぎ澄ます。
銃声の数――たくさん。
銃の挺数――およそ四つ。
銃の種類――大型リボルバー、中口径自動拳銃、大口径短機関銃、十ケージ二連散弾銃が各一挺ずつ。
――――突破は、容易。
「行きます」
自分に言い聞かせるように、独り言つ。弾倉を箱型の弾倉から、円筒弾倉へ変えた。これで弾数は二倍近くになる。具体的には『All In One』で四〇発、『One In All』で三三発となる。
地面を蹴り付け、側転の要領で飛んだ。回る視界は狙いを付けづらいが、宙を舞うフレデリカに狙いを定めるのは容易なことではない――ただ一つの武器を除けば。
狙うべきは――散弾銃!
上下に二本並んだ銃身、そこから放たれる十ケージもの大口径散弾はロクに狙わなくともフレデリカの身体を射線に捉えるはずだ。よく狙えば必中だ。ホーレス謹製のナポレオン・コートの意匠を孕む黒いコートは、ライフル用三〇口径強装の徹甲弾さえ余裕で防いでしまう。だが衝撃は防ぎきれないから、一発でも食らって姿勢を崩してしまえば、そこから命中弾を雨霰ともらってしまう。今は宙を舞っているのだから、なおさらだ。
二挺の三連射はすべて命中した。頭に二発、胸に一発。脱力した脚は支える義務を放棄し、男の身体は奇怪な踊りのように崩れ落ちていく。すでに遅延された世界の中にいたフレデリカの視界で、それはやたらと際立って見える。
今度は短機関銃を携えた男の眉間に四発も撃ち込んだ。細かい肉片と血飛沫が爆発したように飛んでいく。
最後の残る二人。大型リボルバーの撃鉄はすでに起きている。中口径自動拳銃の引き金には、指がかけられていた。あとは狙いをすまして、フレデリカを撃つだけとなっている。
対するフレデリカは並べるように構えていた二挺の感覚を、少しずつ開けていく。そして、止めた。
着地すると同時に発砲する。両者の発砲は同時だった。フレデリカは二発ずつ、男たちは一発ずつ。
熱い鉛弾が頬を掠め、黄金を紡いだ金髪をなびかせる。そして、男たちは脳天に射入孔を開け、ゆっくりと崩れ落ちていった。
「……増援!? 一難去ってまた一難、ということですか」
列を成してやってきた増援に向かってフレデリカは二挺を構えたまま、全速力で駆け出す。
片膝を着いて、立ったまま、通路をふさぐように様々な姿勢をとった男たちが発砲を始めた。濃密な弾幕は鉛製の死のヴェールとなり、殺気は質量を持ってフレデリカを真正面から叩く。
フレデリカは双眸の力を最大限に使う。不可思議な力を己に与える黄金の双眸は、フレデリカの感覚に干渉し、弾丸の速度を遅延させる。その中で彼女だけが平素と変わらぬまま動くことができる。傍目には瞬間移動と同じように見えるかもしれない。
撃ち落とすべき弾丸には弾丸を以て応酬し、それ以外は射線から己の身を逸らすことで対処した。単純に走っているように見えて、弾幕の中から弾くべきものを弾き、男たちに弾丸を撃ち込んでいく。それだけの高度な戦闘行動を行っているのだ。
男たちが一人、また一人と倒れていけば弾幕は薄くなる。そのまま突っ切れるか、と思った時だった。
新たな男がやってきた。その手には異様に巨大な散弾銃が握られている。ポンプ・アクション方式のシンプル故に堅固な造りの。それは大型の肉食獣を狩るときに使う口径四ケージもの怪物銃だ。対人戦ではまず使われるはずのないものに、ついに自分もここまでされるようになったかと自嘲してしまう。
巨銃が雄たけびを上げる。拡散し、散らばっていく弾丸をフレデリカは飛び越えた。二挺を構えて、姿勢を逆転させた。空中で上下反転したまま、真下へ向けて乱射する。
鉛弾が全身を食い破って、ズタボロにする。フレデリカは反動を生かして、体勢を元に戻す。そのまま正面に向けて引き金を絞る。
通路をふさいでいた男たちも六人になったところで、二挺は沈黙した。両方ともホールド・オープンし、フレデリカを一気に窮地に叩き落す。それでも彼女は慌てることはなかった。着地した衝撃で散弾銃を舞い上がらせ、見事にキャッチした。まだ一発も撃ってないが、四ケージという大口径故に弾数は少ないはずだ。初弾は装填されている。
発砲した瞬間、銃床を通して恐ろしい反動が来て、思わずたたらを踏みそうになる。フォア・エンドをコッキング出来たのは、今までの実戦経験から成せた技か。その反動に恥じない威力で二人もまとめて、散弾は吹っ飛ばした。もう一度引き金を絞って、もう二人を片付ける。三度目は一人だけだった。残る一人が後退したために。
散弾銃の弾は尽きた。惜しげもなく投げ捨てると、残る一人に向けて走る。
レマット・リボルバーの銃口がいやでも視界に移って、ひどく際立って見える。
放たれる八発の弾丸、それから六三口径の散弾までフレデリカは避ける。前蹴りを鳩尾に叩き込むと、そこを支点にさらに上へと飛翔する。側頭部への蹴りを叩き込んだとき、壁にめり込むほど吹っ飛んだ。もうもうと立ち込めるモルタルの破片から生まれた煙が晴れたとき、男は再起不能となっていた。
二挺の弾倉を排出したとき、殺気を感じた。
倒したと思っていたのに、一人の男が立ちあがっていた。その手にはコルト・ドラグーンが握られている。あれは大口径だ。食らえば防弾でも骨にヒビが入る。
一挺だけでも弾倉を込めて、遊底を引いて初弾を装填しなければ。それは時間との勝負、目の前で自分を狙う男との速さ勝負だ。それもフレデリカに相当不利なハンデがある。
照準まで間に合うか。
それはドラグーンが天井に向けて発砲された瞬間に決した。男の眉間にはスローイング・ダガーが深々と握り手のあたりまで突き刺さっている。
「九死に一生だったね」
「ヘンリエッタ!? 屋上のほうは大丈夫なんですか?」
「連中はサイファーのほうに行ってしまったらしい。おかげで楽なものだったよ」
「ケガがなくて、なによりでした」
「フレデリカのほうが屋上のほうに行ったほうがよかったんじゃないかな?」
冗談めかして、はにかみながら言った言葉にフレデリカは同じように返した。
「私、スカートですから。あんなふうによじ登っていったら、見えちゃいます」
「そうだね。あんな清純な雰囲気に反して、けっこう布地の面積が少ない白のレースなんて見られたら憤死モノだ」
フレデリカは一気に真っ赤になった。いつ見られていたんだ、と思ったがリッツ・ロンドンでは同室だったから見られていても仕方がない。ただヘンリエッタのどこか見透かしたような笑みが、妙に引っかかるだけだ。
「さて、あんなのを誰に見せる気なんだか」
「そ、そんな人いませんから!」
否定すればするだけ怪しまれる、とはよく言うが否定せずにはいられなかった。
◆◇◆◇◆
黄金メッキ・長銃身のアーカム45を二挺携えて、サイファーは講堂から飛び出した。
左右から殺到する男たちに、クロス・ファイアの四五口径を連射する。弾倉内の弾丸を撃ち尽くすほどの勢いだ。それでも連射は途切れることなく、ホールド・オープンしたころには全員が物言わぬ状態となっている。両方まとめて弾倉を排出すると、右手の一挺を口に咥え、左手のほうに弾倉を込め、スライド・ストップを開放して初弾を装填する。そして口に咥えているほうを、そのままの状態で装填し、持ち直してから同じように初弾を装填する。
二挺拳銃のスタイルをとる以上、再装填の問題はどこまでもついて回る。
フレデリカは割と細かく弾数管理を行っているのか、それとも臨機応変に戦っているのか、弾切れで困ったようなことを一度も言ったことはない。気を遣っているだけかもしれないが。
しかし、サイファーは本来であれば色々と規格外の超巨大リボルバーを用いるのが常だから、二挺だとどうしても調子が狂う。とはいえ『Howler In The Moon』はアーカムの中や人外相手だからこそ使用ができるようなものであり、ロンドンの街中でぶっ放す気にはなれない。
「さて、地下はどこにあるのかなぁーっ、と」
廊下を曲がったところで待ち伏せていた男に、六発もぶち込んだ後、雄たけびを上げて突っ込んできたナイフを両手に携えた男に回し蹴りを叩き込んだのちに、脳漿が吹き飛んで世界地図を描くまで撃ち込む。
「こっちだ、こっちにいるぞ!」
「来るぞ来るぞ!」
慌てた様子で増援を呼ぶ男たちに、
「行っちゃうよー」
そう軽い調子で返す。
大挙してやってきたのは拳銃で武装した男たちだ。ずいぶんとなめられたものだ、と嘆息する。
複数の銃から放たれる濃密な弾幕、それらが頬を掠めてもサイファーは涼しい顔だ。死と隣り合わせの状況、ギリギリの立ち位置というものを楽しんでいるというのか。なかなか倒れないサイファーに反して、男たちは着実に数を減らしていく。
「まったく、こういうペテンたちは烏合の衆をかこっているのが定石だが、ここまでお決まりだと笑えてくるぜ」
「機関銃だ! 機関銃を持ってこい!」
持ってきたのは水冷式のジャケットを銃身に装備した、三脚架に据え付けられた機関銃。どこまで伸びているのかわからないほどの弾薬帯を機関部から伸ばし、あとは引き金を引かれるのを待つだけとなっている。
ヴィッカース重機関銃だ。最近になって大英帝国の陸・海・
「こりゃヤバ……うおっと!」
首を傾けた途端、顔のあった位置をライフル弾が通り過ぎる。男たちも武器を変えたらしく、名称もわからない安物のリボルバーや自動拳銃から、M1911やブローニングM1900に加えてリー・エンフィールド小銃まで持ち出してきた。本気になってきたということか。
しかも、通路には身を隠せるような場所はない。一本道だ。
二挺を仕舞う。右手を広げると渦巻くような闇が展開し、サイファーはそこに手を突っ込む。現れたのは愛用の野太刀だ。黒塗りの龍の彫刻がされた鉄拵えの鞘、赤銅の柄頭と銀に光る鍔の彫金は生唾を飲みそうになる。
それをサイファーは抜き放つ。刃渡りおよそ五尺という野太刀だが、この男が振るう分には妥当な気がしないでもない。それほどの長物を構えて、挑発する。
「来いよ」
その言葉と同時に一斉に発砲された。中口径拳銃弾からライフル弾までバリエーションに富んだ弾丸が、サイファーの命を奪わんと一気に迫る。その大量の死の御使いをどう捌くというのか。
抜き放たれていたはずの長大な刃はかすんで消える。その名残はサイファーの目の前で火花を散らして叩き落される弾丸によって存在を主張している。野太刀は高速回転して盾となり、数多の弾丸を叩き落としているのだ。
「…………化け物かッ!」
「その通り。心して相手してくれよ」
吐き捨てた男の首が宙を舞う。認識をはるかに超える速さでの縮地からの抜刀斬り。返す刀での二撃目は男とヴィッカース重機関銃を真っ二つにする、
瞬く間に総崩れとなったが、あまりにも遅すぎた。一番遅い者は振り返る暇もなく斜交いに一閃され、一番早い者でも心臓を一突きにされて、そこから振り上げる一刀で両断された。ぶつ切りになった死体は凄惨さだけを場に残す。
チン、と小気味よい鍔鳴りを立てて納刀する。
「なんだ、あっけない」
失望をたっぷり含んだ声はむなしく響く。
「さて、背負い太刀は趣味じゃないんだが……そうも言ってられんか」
サイファーにとっては片手で持てる野太刀だが、その刃渡りの大きさからかなりかさばる。背負い紐で普段から野太刀を扱っている右手とは逆の、左肩から柄が来るようにして背負う。こうすれば腕の関節だけではなく、肩の関節も使えるのでスムーズに抜刀することができる。練習は必須だが。
それから地下を目指して、いくつもの階段を降りた頃。とっくに窓はないことから、完全に地表の下に来たことは間違いないと踏んでいる。
地下三階――その表示を見たときに、確信に変わる。
地下鉄のプラット・ホームを彷彿とさせる場所だ。現に線路はあるが列車が存在しない。まだ来ていないというのか。
場所はかなり広い。これだけ広ければ、人も貨物も積み込むのには苦労しないだろう。サイファーの視線はホームの真ん中あたりを射抜いていた。
「いるのはわかってる。おとなしく出てこい」
空間が歪む。ねじくれて、かきまぜたように歪んでいく。
現れたのは黒い長衣の男たちが三人。その手には凶悪な輝きを放つ両刃の
「数式迷彩か。こりゃわかんなくなってきたな」
そう言いつつサイファーは三人に向けて発砲する。両手のアーカム45での連射は機関銃の掃射に匹敵する。相手が常人であれば死は免れない――常人であれば。
弾丸は何も傷つけなかったのだ。男たちも周りの地面も。
三人一斉に剣を握っていないほうの手を開く。へしゃげた弾頭がむなしく地面に落ちた。弾丸すべてをつかみ取った手は黒ピカリする、鋼で覆われているように見える。だがサイファーはそれが籠手の類ではない、正真正銘のうでなのだという確信があった。
「最新式の機関兵士か。ほとんど人間と変わらないところまで来るとは…………やっぱり世の中は面白いことで溢れている」
そう目の前の三人は人であって人ではない。総身は肉をほとんど捨て去り、高度な精密機械に置き換えられている。その所作が筋肉繊維ではなく、蒸気圧駆動のピストンとギアとカムの組み合わせだと誰が気づこうか。それほどの滑らかな動作に反して『ベッド・ルームまでついていける蒸気重戦車』とまで言われる戦闘力を秘めている。
鋭い両刃の剣を構えだすと同時に、サイファーはコートの裡から愛銃を取り出す。あまりにも規格外に巨大な七〇口径もの魔銃『Howler In The Moon』を抜いたのだ。ここは地下の上に、相手は人をやめた存在。ためらう理由は存在しない。アーカムと同じようにぶっ放すことができる。
「少しは楽しませろ」
機関兵士は地面が抉れ飛ぶ勢いで踏み込んだ。音を優に置き去りにするほどの速度に乗せて放つのは、両刃剣による乾坤一擲の突き。それがタイミングをずらしての三連撃となって襲い掛かるのは、悪夢と言ってもいい。ただ、それは空を切って、何の手ごたえも彼らに返さなかった。
二メートルを優に超えるサイファーの巨躯は、見た目に反した身軽さで三人を飛び越えたのだ。そこから巨銃を三連射するも簡単に躱されてしまう。装甲と馬力に重点を置いた機関騎士とは違い、機動性と反応がウリなのだろう。これを捉えるには機関銃群による一斉掃射ぐらいしか手がない。
「なかなか面白いじゃないか」
今まで右手で持っていた『Howler In The Moon』を左手に持ち替えると、右手と巨銃を握ったままの左手で器用に野太刀を抜刀する。抜き身の刀身に黒いモヤがかかり、晴れたときには鈍色の刀身は漆黒に染め上げられていた。
今度は一人ずつ連携をとって、サイファーに突貫する。
真正面から真一文字の振り抜き、左側面からの切り上げ、右後方から跳躍しての大上段。前者の二つは同時に、遅れて最後の飛び上がりの大上段が叩き込まれる。
それをサイファーはどう迎え撃つのか。
漆黒に変じた刀身は片手半剣の刃二つを、ほぼ同時に弾き返す。厚さ三〇ミリもの装甲すら叩き切る一閃を、片手で弾き返す膂力を巨躯に秘めているというのか。
遅れて打ち込むはずの三人目は空中で致命的な隙を晒す。宙に飛んでしまった以上、もはや身動きは取れないと言ってもよかった。彼に向けられたのは『Howler In The Moon』の奈落を思わせる銃口。とっさに剣で防御の構えをとる。
巨弾は片手半剣に直撃した。その衝撃で地下の天井に彼は激突し、一切の行動を封じ込められる。無防備に落下しようとした瞬間、漆黒の闇が一閃となる。
一刀両断。頭頂から股間まで一息に、あまりにも呆気なさすぎると感じるほど真っ二つになる。わずかながらの血肉とおびただしいほどの生命維持に所作・動作をつかさどっていた精密部品がばらばらになって、瀑布のごとく降り注いだ。
「まずは一人目、と」
銀灰色の双眸が残る二人を見据える。
その時だ。はじめて機関兵士が言葉を紡いだのは。
「シャトレ式数式図、起動」
歯車の擦れ合うような、耳障りな声を発すると同時に、黒の長衣に青白く数式が輝く。基底現実で起こっている様々な事象に、いかなる数学的過程があるかを解明。緑鉱石と赫鉱石を用いて超常現象を起こす基本原理はダフィット・N・ヒルベルトが考案し、それをさらに発展させたのはエミリー・デュ・シャトレの血族ともいわれている。
こうして数式を目の前で扱ったのだから、おそらく機関兵士は超常の理に身を置いたはずだ。
手に握る片手半剣も何かが違う。
サイファーは『Howler In The Moon』をコートの裡に仕舞い込む。野太刀を納刀し、抜刀術の構えをとる。
機関兵士の踏み込みは消失と言っていい。一瞬で視界から消え失せ、音速突破の証拠である衝撃波と円錐雲を生じさせながら、複雑な三次元機動で肉薄せんと迫る。
「いいぜ、まとめてぶった切ってやる」
猛烈な勢いでの踏み込みからの居合。本来であれば納刀状態からの素早い対応、さらなる連撃という非常時の技術だがサイファーの場合は違った。納刀により総身の力を溜め込み、抜刀によって解き放つ特異の一閃となるのだ。それは両手で太刀を握り込み、大上段からふった時の剣速をはるかに超える。
無論、既存の居合というものが連撃を重ねるという思想のもとに成り立っているのであれば、サイファーのそれも準拠する。ただし、重ねられた太刀がいかなる軌道で、どれだけ振るわれたのかを窺い知ることはできない。刃渡り5尺物の太刀はわずかに見える漆黒の剣閃だけを残して、尋常の世界から姿を消したのだ。
機関兵士はぶつ切りだった。両腕を失い、下半身とも別れを告げたほうが渾身の力で言葉を紡ぐ。
「まさか…………剣のほうが、得手だった……のか?」
「まぁね」
さも当然と言わんばかりの返答に、機関兵士は目を剥きながら絶命した。
まさかガンマンとしか思えない風体でありながら、実際は剣士だとは誰も思わないはずだ。銃の腕も一流なのがそれに拍車をかけているが、ひとたび剣を握ったとなると超一流の実力を示す。
「しかし、機関兵士に数式技術…………一体、何を相手にしてるんだ?」
あごに手を当てて思案してみても、ほとんど何もしないに等しかった。
全容どころか輪郭も、尻尾も捉えられない巨大な組織の影を、サイファーはひしひしと感じているのだった。
◇◆◇◆◇
それから十分ほど経った頃。
バタバタとした足音が地上のほうから降りてくる。人数はおよそ二人。
自分が下ってきたほうに視線を移せば、見知った二人が降りてきた。
「僕が一足早かったらしい」
「ここを探すのに、ちょっと迷ってしまって」
「誰かさんが暴れてくれたおかげで、移動は楽だったけれどね」
「僕の専売特許だからな、暴れるのは」
フレデリカとヘンリエッタがやってきたのだ。その間、サイファーはほとんど待ちぼうけみたいなものだったが。2人は、この地下空間の大きさに気圧されているようだった。無理もない話だ。女王陛下のお膝下、大機関議会の統治下にあるロンドンで極秘裏に地下鉄を通すなど正気ではない。
フレデリカはバラバラになっている機関兵士の死体に気づいた。
「サイファーさん、あれは……」
「身体のほとんど精密機関に置き換えた、機関兵士ってやつだ。たぶん最新型だな」
「敵は国家レベルかもしれないということかい?」
「僕もお前さんたちが来る間、ずっとそれを考えていたんだ。どこかの国が諜報活動しているのか、それとも獅子身中の虫というやつなのか、皆目見当がつかん」
「裏切者がいる、ということですか?」
「あくまでも可能性。0じゃなければ、なんだってあり得るんだ」
「とりあえず地下の探索に移ったほうがいい。ここで止まっていても、らちが明かないだろう」
「賛成。どこから調べようか」
その時だ。蒸気を噴出させながら、巨大な鉄塊がやってくる。車輪を線路に軋ませながら、目を見張らいたように前照灯を灯して疾走する。蒸気機関車だ。陸運の主流である。煙突からの排煙は空調機関によって、人知れず地表に排出されているのだろう。
列車の構成はほとんどが貨物車だ。鈍色のコンテナを積み込んでいて、それを守るようにトンプソン短機関銃やブローニング自動小銃といった強力な火器で武装した男たちが守っている。
無論、彼らが三人に気づかないわけがなかった。
「散らばれ! 散らばれ!」
サイファーのかけ声がなければ反応はきっと遅れたはずだ。
一斉に撃ちかけられたのを回避できたのは、奇跡的な確率だった。
人並みの体格を持つヘンリエッタとフレデリカは、何とか弾丸を凌げる遮蔽物に身を隠せたものの、サイファーだけはどうしようもなかった。迫りくる弾丸をどう捌くというのか。
野太刀を抜き放つや、霞んで見えなくなるほどの剣速で振り抜く。火花が散り、真っ二つになった弾丸が落ちる。それは斬撃による結界だ。仇なすものを切り捨て、身を守る攻撃の守りなのだ。
それを維持したままサイファーは突っ走っていく。片手で振るには長すぎる野太刀を器用に右手一本で手繰りながら、左手に黄金に輝く長銃身のアーカム45を撃つ。走りながらでもある程度の命中率を維持しているのは、射撃技術の高さからくるのだろう。
――あれは!
貨物のコンテナ、その上から一人の男がサイファーを狙っている。あまりにも大きなライフルだ。きっと四五口径ないし、五〇口径はくだらない。機関部が見えるから、きっとボルト・アクション方式ではない。ガス圧利用のセミ・オート方式だろう。
フレデリカは『One In All』を構える。この銃は見た目こそ長銃身のM1911だが、中身はガス圧利用方式だ。銃身は機関部に固定されているから、狙い撃つにはこっちのほうが都合がいい。
『All In One』のようなショート・リコイルの反動利用方式では。
銃身が、動く。
狙い撃つには、不都合だ。
「――あげっ」
聞くに堪えない断末魔だ。右目の下あたりに撃ち込まれた弾丸によって、頭蓋を吹っ飛ばされる。ぽっかりと欠けた三日月のように頭が残って、血と肉の飛沫を散らして息絶える。
そのまま両手で銃把を握り込んで、精密射撃の構えをとりながら戦闘要員を片付けていく。『Song For Fog』をかさばるからということで置いてきたが、無理をしてでも持ってきたほうが良かったかもしれない。
ぼやいても仕方がない。冷静になって、アイアン・サイトに捉えた男たちに銃弾を送っていく。今まで隠れているだけだったフレデリカが反撃に転じたのは、ヘンリエッタが前に出る機会を生むことにつながった。
どこから取り出したのか黒い艶消しの加工がされた、大振りのグルカ・ナイフを右手に。左手には三本のスローイング・ダガーを握り込む。
左手を一振りすれば三人の男が倒れる。ナイフ一本につき、一人。投擲という狙いづらいものだというのに、ほとんど百発百中だ。ある意味では銃よりもすごいものかもしれない。
サイファーはすでに六人も斬り捨てていた。その五尺もの長大な野太刀の刃には、血潮の一滴もついてはいない。
地下鉄を守っていた男たちが、全員片付くまで時間はかからなかった。
死屍累々の中をサイファーは無遠慮に進んでいき、運行を司っているであろう機関士のいる場所まで進み――――そして固まった。
ヘンリエッタが後に続く。
「嘘だろ、オイ」
人間はいなかった。おそらく機関車の制御系に歯車とカムとピストンで直結されていたのは、幾何学的な歯車の塊。ゆるゆると回りながら、次の発車の時を待っている。それは解析機関だ。この大英帝国が誇る世界唯一の情報処理機関。歯車の運行によって記憶されているのは、この地下鉄を動かすためのプログラムか。
サイファーは鈍器で頭を殴られたようだった。機関兵士のみならず、これだけの情報処理機関まで保有するほどの存在。それに自分たちは挑もうとしていることに。まるで風車の群れに挑むドン・キホーテのようだ。単体の、強大な相手であればサイファーが手段を選ばずに片づけられる。
しかし、強大な規模の、多大な人数を要する組織となると一気に手強さは増す。個人はいつだって、組織というものに踏みつけられるのだ。それは、きっとサイファーとて例外ではないのかもしれない。
「敵は思った以上に、デカい上に力も技術もあるということか。それとも、やっぱり獅子身中の虫、クーデターを目論んでるバカがいるのか」
「らしくないな」
「こんだけデカい組織となると、さすがの僕も気が滅入る」
「全員殺して終わりにしようとか、そんなことを考えてはいないだろうね?」
「ヘンリエッタ、そんなに僕の考えてることは筒抜けなのか?」
「わかりやすいんだよ」
すっかり話し込んでる二人のもとに、フレデリカは駆け寄ろうとした。
その背後より声をかけられる。
「オォイ、お嬢さん」
なんだ、このパンキッシュな服装は。そう思った瞬間、一瞬にして呼吸を奪われて、吹っ飛ばされる。誰かに受け止められたような感覚と、気遣うような声。視界は明滅して、胃から何かこみ上げる感覚がする。たぶん、おなかを蹴られたのだろう。
こみ上げてきたものを吐き散らす傍らで、そう思っていた。
地下鉄が汽笛を吹き鳴らす。それは発車の合図だ。
「なァんだ、天下の実力行使請負業『Call Of Cthulhu』もたいしたことないんだなァ、ええ、おいィ?」
「冷やかしにしては、うちのカワイ子ちゃんに結構なことをしてくれたな。アーカムの市場でぶっ放しまくるやつは、考えも違うらしい」
「おおッ、わかってたんだなァ。俺様はうれしいぜ」
歓喜に震えるのは二〇代くらいの男。逆立てたアッシュ・ブロンド、アクセサリーを大量に身に付け、ピアスも同じくらい開けている。全身をぴっちりとした黒いレザーのジャケットやブーツで包み、犬歯をむき出しにするほどの笑みを浮かべている。
そのアメジスト・カラーの双眸を三白眼にして、爛々と輝かせている。アーカム中層の市場で凶行に及んだ男だ。
「アンタは、やっぱり一味違うのかなァ? ちょっと食わせてくれよォ」
「腹壊しても、知らねえからな」
凶獣、ここに相対した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます