紫電、天よりの御使いを貫き
結局のこと回復が間に合った。
酩酊感が抜けきっていないのは否めないが、フレデリカは一応の戦闘行動が可能なくらいには回復していた。どちらかといえば間に合ってない方が良かった。これから起こる血生臭い争いには参加したくないのが正直な気持ちだが、サイファーだけ参加するというのも変な気がするのだ。
これから自分たちが追う麻薬の件と引き換えに受けた仕事だということだから、彼だけが鉄火場に飛び込むのは道理に合わないと思い、半ば義務感に近い感情を抱いて参加する意思をサイファーに伝えた。
驚いた表情で『いいよ』と返ってきたが。
それとデリンジャー・ファミリーに行く車内でのパートナー云々の話も蒸し返されて、またドギマギする羽目になってしまったが。
ただ、『体調と相談しながらでいいし、キャンセルも自由でいい。危険が及ばないくらいにカバーするから』と言ってもらえたのは、少しだけ純粋にうれしかった。天邪鬼なように思えることは多々あっても、優しさを忘れていないのは美点だと思うのだ。
そうして二人は下層でも比較的明るい通りのダイナーにいた。
仕事前の一服ではなく、すでに仕事に入っている。待ち伏せしているのだ。
黒い戦闘用の工夫が凝らされているゴシック調のドレスが一人、コートを着たガンマンは二人いる。ドレスはフレデリカ、ガンマンの片方はサイファーだ。もう一人の男はコールというデリンジャー・ファミリーの戦闘員で、抜き撃ちの速さはファミリーでも下層でもトップクラスである。
ジョン・デリンジャーの傍らにいた若い男も参加している。隠してもいなかったトンプソン短機関銃を傍らに立てかけて、通りのベンチに座って新聞を読むふりをしている。彼は名をケリーという。
反対側の路地には煙草を吹かして一服しているふりをした男がいた。変装してはいるが、よく見るとジョン・デリンジャーであることが伺えた。情婦の敵討ちは自分でカタをつけるといい、武器を持ち出して現場に出てきたのだ。
これなら悪徳の限りを尽くす下層の荒くれたちも泣いて逃げ出す。
それほどの面子が見つめるのは――一人だけ頬を染めて、なるべく見ないようにしている――一台のガーニーであった。車内の広い箱型の車体が特徴の、中流階級では比較的流通している代物で中層の辺りまで幅広く使われている。
それがサスペンションの限り上下左右にガックンガクンしている。想像力豊かだったり、同じことをやった人間ならわかる。そういう経験が皆無なフレデリカは俯いて、時折横目で見ては、また頬を赤く染めて俯くという流れを繰り返している。
「かれこれ二時間になる。ヤツはそこまで精力があったっけ?」
なんて頬杖ついて退屈そうなサイファーがぼやけば、
「何が悲しくて他人の情事を車越しに見なけりゃならんのだ」
愛用のリボルバーをガンスピンさせながらコールは愚痴り、
「二時間……二時間は長いんでしょうか? でも、ここに来たときから車は揺れてて、そうだったら、もっとたくさんやっているわけで。でも一般的な長さって、どのぐらいでしょうか? 準備とかいろいろ考えたら一時間でしょうか。だったら二人とも疲れ切って……」
頬を真っ赤に染め上げながら、頭をフリフリして暴走状態のフレデリカにサイファーが横から、
「ちなみに言っておくが車の揺れ具合から人数がわかる。確実に女は三人いるね」
「さ、三人!? いったいどうやって!?」
「両手とモノがあれば簡単だぞ」
フレデリカは机に突っ伏した。どうみても頭から湯気が出ている。耳も首も真っ赤なのだから完全に赤面状態なのは確実だ。
ただ両手とモノを使えば確実、ということだけでフレデリカはナニを考えたのか。そこに切り込んでいくような男が、一人この場にいた。
「サイファー、てめえの女はずいぶんとむっつりなんだな? 一体ナニを想像したんだか」
「コール、次そんなことを言ったら両手の指を全部詰めてやるからな。直せないように二ミリごとに刻んでから豚のエサにする。実際にやってる光景でも想像したんだろ。恋愛小説に見せかけたドロドロの官能小説をたまに読んでることがあるからな」
「む、むむっむっむっむ、むっつり違う! それと、な、ななななぜそれを知ってる!?」
「フレデリカ、普段の言葉遣い見失ってるから。小説の件は著者が僕の友達だから、たまに読んだ感想を聞かせてくれということが、ちょくちょくあってだな。たまたま覚えているタイトルの本を読んでいたからな」
「マジでむっつりだな」
「実際にそういう話題になると、ほのめかされるだけで真っ赤になるくらい耐性ないんだけどねぇ」
ふぅ、と二人してため息をついた。フレデリカはオーバーヒートでも起こしたように、異常作動で過稼働を起こした蒸気機関のように湯気がもうもうと立ちのぼっている。
「それで小説の内容は覚えているか?」
コールは容赦なかった。
この二人はすでに知己の間柄だ。似たもの同士とでもいえばいいか、それとも類は友を呼ぶというのか、このガンマンも人をからかって弄ぶ悪癖があるらしい。
彼の狙いを察してかサイファーも、
「そうだなー、男二人に女三人でくんずほぐれつでカっ飛ばして、ドロドロでぐっちゃぐちゃだったなー」
「も、もうやめてください!」
半ば泣きながら懇願した。これ以上やると帰ってからの食生活に影響が出るかもしれないので、ここが潮時と考えてサイファーはガーニーの監視に戻った。コールも察してリボルバーを無言で弄り始めた。
それから十分が経った頃だったか。
デリンジャーの手にはコルトM1900
デリンジャー・ファミリーはこれらの下層用の銃火器が上に行かないように、流通を見張る役目もシノギの一つだった。おかげで中層の統治局保安課もデリンジャー・ファミリーを嗅ぎまわらないようにするという便宜を図っている。
癒着だといえば糾弾は容易だろうが、下手に凶悪な威力を持つ下層用の銃器が氾濫してしまえばアーカムの全てが下層と同じ魔の領域と化し、さらにはウルベスすべてがそうなってしまう。
そしてイギリス本国もいつかは同じことになる。
このギリギリのバランスを保つために統治局保安課とデリンジャー・ファミリーは協定を成した。この煤煙の大機構に築かれた魔都を人の手が及ぶ範囲に保つために。
デリンジャーが拳銃を抜いたことが合図となった。
コールも愛用のコルトM1860UAの撃鉄を起こした。
ケリーの持つトンプソン短機関銃もアーカムの技術で改造を重ねられた特別製だった。ただ彼の意向で
「フレデリカ、少し力み過ぎだ。せっかくの新しい二挺を暴発させたくないだろう」
もう気持ちを切り替えたのか、マウザーに似た『All In One』のハンマーをコックした。
「…………大丈夫です、いけます」
「無理だけはしてくれるなよ」
サイファーがその言葉と同時にぬいた『Howler In The Moon』が、眼前で雷鳴が炸裂したかのごとき咆哮をあげた。
ガーニーは一発で横転したのを皮切りに、掃射が畳みかけられた。
フレデリカの握る『All In One』も重厚な銃声を連発させ、通常ではありえない威力を示す弾丸を吐き出していく。拳銃弾ではありえないほどガーニーの車体が凹んで、無数の射入孔がまき散らされたようにあけられていく。
それは他の銃とて同じか、少し劣る程度だった。
弾丸の初速は超音速が基本で、弾頭重量はオーバー二五〇グレイン。重量高速弾の雨霰を叩きこまれては、いくらガーニーに防弾装甲を施そうと無駄だ。さらに規格外の威力で猛威を振るうサイファーの『Howler In The Moon』があれば敵なしだ。
掃射はケリーがトンプソンの
だが気を抜いたものはいない。
コールは銃のニップルを抜いて銃身と機関部に分けると、そこに装填済みのシリンダーをリロードする。これはコルトM1860に代表される手早いリロードの方法だ。コールはコートの下に同じ銃を三挺、装填済みのシリンダーを十八個も隠し持っているのだ。
デリンジャーもコルトM1900UAをリロードするとレマット・リボルバーを抜いた。シリンダーを保持する軸が散弾銃の銃身となった複合拳銃だが、その光景が普通のものよりも大きいのは口径が通常の十二ケージであることを物語っている。右手にM1900UA、左手にレマットを握り込んでいる。
フレデリカも『One In All』を握っていた。やたら攻撃的なデザインだが、ここでは非常に心強く思える。この二挺は原型も口径も違うが、二挺でそろって一つであり『
全員が警戒を解いていなかった。
もうもうと破損した蒸気機関から煤煙を噴き出しながら、横転したガーニーからは人の気配も生の気配も一切感じられないのに。
にわかに車の扉が開く。横転しているので天に向かって開いたのだが、そこから蠱惑的な仕草と艶っぽさを孕んだ美女の腕が出てくる。そして余韻を味わう間もなく、一糸まとわぬ二〇代半ばの裸婦が現れた。腰まで届くブロンドに、グラマラスな体型は非常に男好きするだろう。
デリンジャーに容赦はなかった。
コールに目配せで指示を出す。
以心伝心。ガンマンはファニング・ショットでシリンダーの全弾を撃ち込んだ。
裸婦が仰け反ったが、射入孔はなかった。弾丸は皮膚を貫かず、へしゃげてむなしく地面に落ちたのだ。弾丸の炸裂した箇所には白磁のごとき白い肌に、濃緑色の斑点が浮き出ている。
「
それは空から降ってきた超技術。アーカム下層に住まう異形の甲殻生命体ミ=ゴの使う、生体組織と完全に一体化し、使用者の危険を察知して表層に浮き出て防御する。だが真の持ち味は物理的干渉を完全にシャット・アウトすることにある。魔術・妖術の心得がない人間であれば攻めてのほとんどを奪ってしまうのだ。
裸婦がコールに飛び掛かる。
その蠱惑的な肢体を存分に使うかのように、ガンマンに向かって抱き着こうとする。
コールの長身が後ろに倒れ込むや、裸婦が思い切り吹っ飛んだ。距離にして五メートル近く、綺麗な放物線を描いて横転した車を飛び越える。それでも裸婦は何もなかったように起きあがったあたりから、生体装甲の凄まじさが伺える。
割り込んだサイファーの蹴りは強烈の一言であったが、生体装甲を貫くには足りないらしい。
「生体装甲のほかにも、いじってる部分はありそうだ。触れられただけで死ぬと思え」
デリンジャーの言葉に全員がうなずいた。
決して物の例えではない。それだけの手段がアーカム下層には存在する。
「試し撃ちですが……効いて!」
『All In One』がフルオートで発射された。およそ毎分一〇〇〇発近い連射であったが、反動を持て余すようなことはない。
超音速――およそ秒速一二〇〇メートル――もの弾丸が胸部と頭部に炸裂した。少量の爆薬が炸裂したように、乾いた音が一つに連なるようにまとまって響き渡る。
左手の『One In All』も撃つ。こちら超音速弾であっても四五口径もの重量弾であるため、裸婦に直撃した瞬間、小型の砲でも直撃したような威力を発揮した。
それでも裸婦は揺るがない。
毛一つとして損なうことなく、しなを作りながら佇んでいた。
「フレデリカ、ここは僕の領域だ」
「す、すいません」
灰色のロングコートの右そでが黒く染まる。鋭く尖った刃が現れたかと思えば、それは生き物のようにしなりながら鞭のごとく迅速であった。フレデリカは知っている。知己のデリンジャーも知っていた。
自分を語らないサイファーが有する、人ならざるものを砕き、人智を超えるものを凌辱する、破壊の権能であることを。それに狙われたものは与えられる破壊を無力に受け入れるほかないのだ。
生体装甲と闇の鞭がぶつかり合った。
凄まじい衝撃が周囲に走る。それは人が出せる領域を超えていると確信できる。
生体装甲は一度は絶えた。だが闇の鞭は螺旋を描き、宇宙より来るものが作り上げた盾を貫かんと鎌首をもたげるのだ。
「耐えてみせろ」
挑発もそこそこに放つ。闇が一筋の矛となって、生体装甲を貫徹した。濃緑色に変じた皮膚を、直径十センチもない闇が穿っている。さらに能動的に動き回るや、裸婦の肢体になど何の価値もないと言わんばかりに様々な箇所を貫く。痛覚を飛ばす何かを受けていたのか、悲鳴の一つもあげずに息絶える。
それでも足らんといわんばかりに闇は裸婦を締め上げて――一気に爆ぜさせた。
何もなかったように女は消えた。残ったのは周囲に飛び散ったおびただしい血と、わずかながらに残った肉片だけ。
「やっぱりミ=ゴじゃ一度耐えるくらいのものを作るくらいが限界か」
「まだいますよね?」
「確実にあと二人はいる。ベンジャミンも普通じゃないかもな」
サイファーは野太刀を鞘ごと虚空から抜く。東洋龍の彫像が巻き付いた鞘から、五尺近い優美な曲線を描く刃が解き放たれる。芸術性と戦闘力が見事に融合したフォルムは、幾万もの生命を斬り捨てた妖しさを刃のぎらつきに秘めている。
「来いアバズレども。まとめてなますにしてやる」
ガーニーから一気に四人もの裸婦が飛び出した。全員が一糸まとわぬグラマーな肉体で、顔かたちはどれも目を見張るほど麗しく艶やかである。
豊満でありながら華奢な肢体からは想像もつかぬ、四メートル近い人外じみた跳躍に、サイファーは野太刀を下段に構える。瞳は獲物を見据えた野獣のごとく獰猛で、真正面から見たものに死の幻影を焼き付けるだろう。
白刃が閃いて、血華が毒々しく咲く。
銀髪の女が下段からの切り上げで股間から頭頂まで、薄紙を裂くように一気に真っ二つになった。大仰でダイナミックな動きから繰り出された一閃は女一人を軽く両断したが、そこを付け込まれぬわけがなかった。
身長一七〇センチは優にある裸婦が、その長身を生かして腹部への前蹴りを見舞う。回し蹴りとは違う実戦に即した隙の少ないストイックな技。野太刀の柄頭が足の甲を打って軌道をそらしつつ、女のバランスを崩す。
「吹っ飛べ」
サイファーは野獣の笑みを浮かべていた。
野太刀を握る右手。反対の左手には愛用の規格外に巨大なリボルバー拳銃が握られている。雷鳴に等しい銃声と共に、女の見目麗しい顔も肉付きの良い乳房も跡形もなく根こそぎ吹き飛んだ。饐えたような悪臭を立ちのぼらせ、痙攣している下半身に目もくれずにバネ仕掛けのごとく左腕が跳ね上がる。
――雷鳴が轟いた。
裸婦が迫っていた。そこをサイファーは狙おうとしたのだが、飛び上がりながらの足刀が左手の甲を捉えたのだ。普通であれば武器を取り落す。この裸婦の一撃に至っては手の骨をすべて砕かれるだろう。
だがサイファーは動じなかった。ただ狙いだけが斜め上に逸れて、銃弾は明後日の方向に飛んで行ってしまった。
豊満な胸の谷間に長大な刃が突き入れられる。
ほとんど予備動作はなかったといっていい。実際は見えないほどに行動が迅速すぎただけで、それを物語るように裸婦の表情は変わらない。そのまま前へと倒れ込むように倒れた。表情は最期まで変わらない。
最後の女は半狂乱と化した。
ヒステリックな叫びをあげた瞬間に蠱惑的で美しい肢体が、グロテスクなほど肥大化した。
「改造手術か。ずいぶんと手をかけているらしい」
アーカム下層に流入したイギリス本国の最新医療技術は、下層の特異な環境にあてられ、狂人たちの知恵によって人が人智を超える手段の一つへと変貌した。それは人工的な進化とさえ形容され、下層民たちが日々を生きるための力として機能している。
「いや、武装娼婦か? どっちにしても大層なご趣味をされてるようで」
常に傍らに侍らせておき、非常時には戦闘員として機能する娼婦。武装娼婦の可能性も捨てきれなかったが、敵に回れば殺すまでだ。
野太刀を八双に構え直す。二メートルを超える巨体と、五尺近い刃の長さがいやでも強調される。
身の丈二メートルをはるかに超えた巨人と化した女が駆け出した。
拳を握りしめるや、びっしりと血管が浮き出る。鼓膜を破るほどの空気の唸りを生じながら、女なのは顔だけとなった巨人が殴りかかる。
八双に構えた野太刀を地面と水平に構え直す。そこから放たれるのは渾身の力を込めた突きだ。
拳と刀が激突する。
猛烈な勢いが衝撃波に変換されて、あたり一帯にまき散らされる。
拮抗したのはわずかな時間だった。女の肥大しきった肩の筋肉から、野太刀の切っ先が突き出た。サイファーの一刀は女の拳を串刺しにしたのだ。肉体が肥大化したせいか、発せられる悲鳴は女口調ながら並の男よりもグッと野太い。
「痛いだろ? もっと感じさせてやる」
突き刺したままの刀を一気に振り抜いた。女の上半身がずれたかと思えば、黒血が一気に霧となって噴き出したがコートにもテンガロンハットにも、飛沫は一つとしてかからなかった。
「奴さん、別の勢力についたかな?」
「ベンジャミンにそんな胆力があるようには見えんがな」
「だとしたら変わったのさ。お前が出資した恩を忘れて、情婦を嬲って、別の傘下に入れるクソ度胸がつくぐらいに」
ベンジャミン・アルバーティンの営む花屋にデリンジャーは出資したことがある。
情婦に買う花はすべて彼の店から購入し、のろけ話が過ぎる時も多々あったが世間話もする仲ではあった。
だが彼は裏切った。デリンジャーの部下ではない者の殺気が、あたり一帯を取り囲むように発せられている。
「どちらでもいい。裏切り者の恩知らずには、死でさえ甘美な報いをくらわせてやる」
「同感だな」
二種類のリボルバーが横転したガーニーを照準する。
レマット・リボルバーは散弾を発射する準備が出来ている。引き金を引けば出てきた瞬間に、ベンジャミンの頭を跡形もなく吹き飛ばせる。
殺気の塊が動き始める。
ケリーがトンプソンを構え直す。
彼は気配の動きを察し、そこに向けてフルオートで四五口径弾をばら撒く。
血しぶきと共にブローニング自動小銃が飛んだ。遅れて人の倒れる音。
「ボス! 周りはアルバニアンの鉄砲玉で囲まれている」
ケリーは宙を舞った自動小銃の銃床に刻まれていたアルバニアン・マフィアの刻印に気付いたのだ。下層の利権をデリンジャー・ファミリーから奪おうと躍起になっている連中で、激しい銃撃戦を繰り広げるほどに険悪なのだ。
周りから銃を持った男たちが現れる。人種も、持っている銃もバラエティに富んでいる。組織に重用されている殺し屋でないことは明白で、即席で殺しのノウハウを叩きこまれた鉄砲玉だろう。
コールの手が霞む。瞬時に三発の弾丸を撃つトリプル・ショットのテクニックを応用して、敵を三人セットで射殺する。だが悲しきは彼のリボルバーはサイファーの持つそれとは違い、下層の技術を用いて作ったコルトM1860に過ぎない。
装弾数の少なさと、再装填の時間が長いのはこの場では致命的だ。
アルバニアンの鉄砲玉は、わんさといるのだから。
「コールさん、伏せて!」
フレデリカが飛び込みながら二挺を撃ちまくる。
大量生産のペッパー・ボックス・ピストルで狙っていた男が蜂の巣になったのを、コールは黙って見ているだけだった。
着地と同時に軽やかに前転する。膝立ちの状態で右手の『All In One』を薙ぎ払いながら連射する。
敵の怯みを『One In All』は逃がさない。数か月前の彼女であれば不可能なほど正確で、恐ろしいほど残酷に弾丸を撃ちこんでいる。血潮が迸り、肉片がぶちまけられる様を目の当たりにしてもフレデリカは平静であった。
そこに霞がかかった。
花の香りに近かった。天上の大庭園の芳香ともいうべき香りが周囲に漂い、この場にいた全員の精神に浸透していく。コールとケリーはすでに昏倒している。アルバニアンの鉄砲玉も死体のごとく横たわって、顔には恍惚を浮かべている。
これに近い匂いをフレデリカは嗅いでいた。
サイファーを娼館から連れ帰った日。そこで通った酒場で酔っ払いが変異した、翼だけが綺麗だった粘液上の怪物が発していたものと似ている。だが比べ物にならないほど濃厚で、脳の平静に大打撃を与えてくる。
頭を強く振って、フレデリカは頭の霞を払う。
横転したガーニーに誰かが立っていた。それは一七〇センチ前半くらいの美丈夫といっていい男だ。栗毛が腰まで伸びており、端正な顔立ちも考えればきざったらしい印象がついて回る。だが、彼に抱く第一印象は芸術や美術を見るような、『美しい』という感想だけ。それが背中から生える天使のごとき純白の翼のせいかは不明だ。
彼は薄笑いを浮かべながら、眼差しは慈しみをたたえているようにさえ見えた。
「いつ天使に転職した? シスターをハメたくなったからか? きっと今のお前なら貞淑さも何もかもかなぐり捨てて股を開くだろうよ。天使と交われる幸福に身悶えしながらね」
あくまでサイファーは普段の調子を崩さない。
確実にフレデリカと同じ匂いを嗅いでいるにもかかわらず。その程度でどうにかなるほどヤワではないということか。隣に立つデリンジャーも平気そうであった。
「アレは使えそうか?」
デリンジャーを見下ろす形の目配せに、彼はフンと鼻を鳴らすだけで応じた。
「このために残しておいたんだ。お膳立てを頼むぞ」
「私も……手伝います」
目の前の美丈夫に恐怖が吹き出しそうなのを、フレデリカは必死になってこらえる。
「ベンジャミン、お前が何をやって、そうなったのかは聞かないでおく」
人間的な光を宿さない瞳が、人ならざる”何か”に変じたベンジャミン・アルバーティンを射抜く。その恐怖は近くにいただけのフレデリカにも否応なしに伝わる。これが下層に秩序をもたらす者が放つ、感情のあふれるままの殺気なのか。
「お前は確実に殺す。その血肉を以て、彼女の鎮魂と我が怒りを鎮めさせてもらおうか」
わずかながらに天使が身じろいだ。
それでも、天使に変じたベンジャミンは両腕を軽く広げたままの姿勢でいる。そのまま翼が羽ばたくと、彼の身体は重力の縛りから解き放たれた。横転したガーニーから六メートル近く浮いている。
それよりも高みにサイファーは飛んでいた。
降下するときの勢いと、超人的な膂力を合わせて一刀を振り抜いた。
鈍色の軌跡と白い軌跡が交差したとき、黒白は反発し合って爆ぜた。
サイファーが七メートルも離れた民家に吹っ飛ばされて壁を突き破ったのを確認するや、フレデリカは今回の仕事を遂行する上でもらったものを放った。それは黒い卵ともいうべきものであった。ピンの刺さった雷管を抜けば、五秒後に半径十メートルもの範囲を加害する手榴弾だった。
放物線を描いて飛んだ手榴弾がベンジャミンの頭上に着た瞬間、黒い卵をフレデリカは撃ち抜いた。発射されたのは『One In All』の四五口径の炸裂弾だ。着弾の衝撃でのみ弾頭内部の炸薬を激発させ、通常の大口径では収まらない破壊力をたたき出す。
炸薬の爆発が手榴弾を誘爆させ、ベンジャミンは爆炎に飲み込まれる。
フレデリカもデリンジャーも飛びのいた。あの爆炎に飲み込まれれば七〇〇〇度もの高熱と、数万もの爆圧をくらってあの世行きなのだから。人間の領域から脱したフレデリカなら耐え切れるかもしれないが、ここで試す理由は存在しない・
おそらくガーニーは木端微塵になっただろう。
少しずつ晴れてきた煙ごしの景色に、用を成さなくなった車はなかったのだから。
あったのは白い羽毛で出来た繭。ベンジャミンは翼で自分の身体を包み、手榴弾の高熱と高圧の暴力を難なく凌ぎ切ったのだ。
「この程度か?」
ベンジャミンが初めて口を開く。いやに響く、いつでも聞いていたくなる声であった。
「この程度なら私だけで下層を塗り替えられそうだな。あの博士には感謝してもしきれない」
「あの器も度胸もタマも小さい花屋が、ずいぶん大口をたたくじゃないか」
民家の瓦礫を勢いよく吹き飛ばして、サイファーが立ち上がる。コートの汚れを払いながら、もう一方の手には規格外の大きさを誇る、あのリボルバーが握られてベンジャミンを照準している。
「あー、一応言っておこうか。デリンジャーは
言うが早いか、雷鳴が轟いた。
それも一発だけではなく、十数回にも及んだ。拳銃としては規格外の象狩り用ライフル弾や重機関砲弾に等しい弾丸が、脳天と胸部にめがけて十発以上も撃ち込まれようとしている。
飛来する弾丸は絶対の破壊をもたらそうとしていた。
「へぇ」
思わず嘆息する。
サイファーの一刀をも弾いた何かが、十発以上に及ぶ巨弾を幾重にも切り裂いて無力化した。
それは長く鞭のように伸びた羽の一枚。全体に何らかの力場を帯びながら、恐ろしいほどの柔軟性に反した精密性で迅速に動き回る。動きが一気に霞んだかと思えば、動き回る羽は十数枚にまで増えた。
細身の剣のごとく鋭く、鞭のごとき迅速で柔軟な動き。人の手として扱い得れる武器として世に送り出した暁には、その武器のためだけに向こう百年の安寧を約束される武道さえ発足するだろう。それが大嵐と化してサイファーに迫りくる。
石畳を削り、立ち込める砂煙から迫る殺人羽を黒い何かが弾く。
改造された娼婦を屠った、あの黒い鞭だ。物質ではない、存在しない何かで構成された森羅万象を砕く権能の顕現。サイファー・アンダーソンが『実力行使請負業』を名乗ることができる、その力の一端であった。
灰色のロングコートは袖から裾、襟に至るまで同じく黒に染まっている。
そこから羽と同じ本数だけ”力”が展開している。
競り合いは熾烈を極めていた。弾丸など比べるまでもない、亜光速にまで迫る攻防をデリンジャーは右手を伸ばしたまま、じっと”機会”を窺うだけであった。
一方のフレデリカは双眸の異様な反応を感じていた。ぶつかった瞬間だけが、かろうじて見えていたはずなのに、競り合いの全てが手に取るように分かり始めてきたのだ。ベンジャミンの手繰る白き羽が単調に速度と柔軟性と鋭さに任せたものに対して、サイファーの黒い鞭は縦横無尽に同等の動きをしながらもフェイントを織り交ぜながらベンジャミンを押している。
そして七〇口径という規格外の巨銃が、六発しか入らないように見えて実は二十四発という火力を有したシリンダーを黒く染め上げて、ベンジャミンの眉間を照準しているのだ。そのプレッシャーは天使と化してから薄笑いだった彼が、表情を焦燥に変えて冷や汗を流していることから言わずもがなであった。
「どうした? 動きが単調だぞ」
「……ほざけ。お前もデリンジャーも
「そうか…………欲をかき過ぎたよ。おかげで最後に残っていた情けを捨てられそうだ」
その言葉が引き金だった。
轟音が炸裂する。その回数は六回。
七〇口径もの機関砲弾に等しい弾丸は黒く染まった状態で発射され、ただでさえ規格外の威力をもたらす巨弾の威力を跳ね上げる。熾烈な競り合いを繰り広げる黒と白の間を絶妙にかいくぐり、ベンジャミンの背中から生え出る翼に着弾する。手榴弾以上の爆発が起こり、終わった後には翼を砕かれ、徹底的に肉体の表層を焼き尽くされたような肉塊が。
「特級の弾丸だ。絶対に外すなよ」
「それほど耄碌はしてないつもりだがな」
リボルバーを握る右手、反対の左手は親指を立てた状態で止まっていた。サムズアップではなく、コイントスの要領で”あるもの”を放っていたのだ。
右手を伸ばすデリンジャー。その左手はどす黒く瘴気さえ放つ七〇口径の弾丸を、二本指で挟み取っていた。その弾丸をあろうことか右手に押し付けるや、服さえ通り抜けて右手は弾丸を吸い込んでいったのだ。
肉体が複雑に変化していく。着込んでいたコートもシャツも押し破って、右手はグロテスクな筋肉繊維の赤を覗かせながら、まるで大型の兵器のごとく形態を転換しているのだ。
それはデリンジャーが下層に秩序をもたらすと決めた時に施したもの。
いまだ独立戦争の敗北以来、
その原理は電磁誘導によるローレンツ力。生体砲身には内部に細胞と完全に融合した伝導率と耐熱・耐摩耗に優れた金属のレールが上下に配置され、弾帯はそこを亜光速で駆け抜ける。
そして、いま。生体砲身は盛大に紫電を放ちながら、破壊の権能を込められた弾丸を撃ちださんと唸る。
その魔砲の名は――
「耐えてみせろ」
紫電は白光と化して、辺り一面を染め上げていった。
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