想いは同衾で芽生えて
妙な温もりに包まれて、まどろみの中から目覚めたフレデリカは、温もりの源を意識した瞬間に赤面した。
腕の中だ。
サイファーの腕の中にいた。
フレデリカの目の前に白いシャツに覆われた、彼の逞しい胸板がある。
彼女の服は昨日に食事に行ったままで、シワになっているか、どうか、気にする余裕は皆無だ。そこそこに値の張る品であったことを、思い出せる余裕も、また然りだ。
今の彼女は背中と腰に手を回されて、がっちりと抱きしめられている。異性の腕の中にいることなど、初めての経験か、思考が全く回らないのだ。
身長差があるので顔と顔が至近距離にいるという事態は免れたが、もしそうなったら声もなく睡眠とは別方向で、フレデリカの意識は闇に落ちていっただろう。胸板に顔を埋めている現状が、気絶せずに済んでいる最大の幸運と言うべきか。
んん、と唸り声が聞こえてきたかと思えば、銀灰色の双眸が見下ろしてきた。サイファーの方は、さして慌てる様子もない。異性との同衾はおろか、ベッドインから一夜を過ごすなんてことも慣れているのか。
「おはようさん、とりあえず昨日は大変だったな」
フレデリカは何も言えずに、顔に血が集まっていくのを感じた。耳まで真っ赤になったのを、サイファーは腰に回してある右手を頬に添えた。
何をするのか分からないが故の恐ろしさか、両目をつむって歯を食いしばる。身体は小刻みに震えて、思考はホワイトアウトしたように真っ白になっている。
「ナチュラルな動機で、しなだれかかられたのは、僕の人生でもないんだよな」
「しなだれ……かかった?」
薄目を開けて、恐る恐るといったフレデリカに、サイファーは笑って返した。
「ああ、昨日のダイナーもどきから帰った後、僕とお前さんで一杯やっただろ?」
「はい……確かに、アナタと飲みましたね」
「酒が入ってるから、分かんないのかな?」
「いえ、覚えています、全部、覚えていますから」
──だから私は、昨日の記憶を引っ張り上げる。お酒のせいで、混沌とした記憶の泉から。
◇◆◇◆◇
帰ってきてから、私はサイファーと顔を合わせづらかった。彼の言った『可愛い』という言葉が渦巻いて、妙な気分にさせられる。多分、相手によっては『綺麗』に変わるのかも。
定番の口説き文句なのだろうか。その言葉を何人の女性に向けてきたのか、私にも、ヘンリエッタにも分からないのだけれど。
でも、言葉では言い表せない、なんとなくの部分で、むず痒い感じがしてならない。理由はないけれど、はっきりと分かる、この感じ。
今までに味わったことがない。
今まで経験したことがない。
そして、生まれて初めての感覚。
胸のあたりを苛むように締め付けられるという、こんな感じで形容できる。
恋愛小説では、決まってと言っていいほどにある、恋する女に起こる現象が、私に起こっているのか。
否定したいけど。
強く、否定したいけど。
──でもサイファー自身はイヤじゃない。
成人女性に分類される程度の人生だけど、それでも彼が本質的に優しい人だって、よく観察すれば分かると思う。
それを隠そうとして、非道い人間の仮面を被っている、不器用だけど優しい人。本当に非道い人なら、泣いてしまった私に胸は貸さないもの。
思わず泣きついてしまったけど、誰も咎めないでしょうし、それぐらいのことは許されても良いと思う。そうじゃなかったら、きっと世界は生きづらくて息が詰まると思う。
今サイファーはリビングのテーブルに、グラスと酒瓶を広げて、機関式冷蔵庫から氷の入った器を出している。ボトルのデザインからして高級品だ。クリスタルガラスで作ったボトルに、裸婦のレリーフを施しているなんて。少々アレとしか言いようがないけど、男性にとっては嬉しいものなのかもしれない。
お酒好きな人なのだろうか。そうだったら私とは話が合わない。あの独特の芳香を放つ液体に、私の身体は脆弱すぎる。簡単に言ってしまえば、私は下戸だった。一杯だけでも飲めれば良い方で、二杯目になると翌朝は確実に二日酔いになる。ヘンリエッタから貰って、一本だけ飲んだクラレットは美味しいと思えたけど。
「フレデリカ、一杯どうだ?」
その申し出は無碍には断れないような感じがして、高級酒というエサにも釣られてしまった。安酒の恐ろしさは身を以て知ってる。二日酔いどころか三日酔いだったもの。
自分でも意志が弱い部分があると自覚してはいるけど、思わず首を縦に振って快諾してしまった。
真紅の液体に満たされたグラスを、彼は手渡してくれた。赤ワインを飲むのは初めて──というよりワインを飲んだのはクラレット以来だった。
「いただきます」
「なんかな、一人で飲むばかりじゃ、なんか味気なくってね」
「隣、いいでしょうか?」
「ああ、好きな椅子に座ればいい」
座ったのはいいけれど、隣にいる彼の存在が大きくて、目の前にあるグラスをどうすればいいのか、分かっているはずなのに、どうしようもなくって。そう、こんなに近い距離にいるのを初めて、初めて、私は意識している。
透明の器に満たされた赤い液体。それだけなのに見たこともないような高級感を放って、私の唇が触れるのを待っている。そんな気がしてならない。あくまでも気がするだけだが。
ほんの一口だけ含んで、月並みな表現──芳醇な香りと濃厚な味わい──が良く似合っている、普通の感性なら味わって飲むようなものを、あの人は一気に飲み干して二杯目を注いでいる。
金回りがいいのだろうか。あれだけの力を持っているのなら、仕事だって望んでもいないのに舞い込んでくる、そんな忙しい生活をしているのかもしれない。
ツマミが欲しいな、と彼は呟いて二杯目も空にしてしまった。本当にピッチの早い人だ、きっと恐ろしいくらいに、お酒に強いのかもしれない。おつまみには詳しくないから変なものは作れないし、ここの台所を使うのも気が引けた。台所を聖域としている人だっている。私のおじいちゃんがそうだったもの。
私のおじいちゃん。今までで心から私を受け入れて、ここまで育ててくれた偉大な人。一生忘れることはできない、忘れるなんてことは、おじいちゃんに失礼だから。
「疲れてる? 一口しか飲んでないみたいだが」
「……色々と、ありすぎましたから」
「ああ、ありすぎた。君の年では耐えきれないほどに」
「……私、二十歳超えてます」
お決まりの反応を彼はした。私の実年齢を聞いた人間は、もれなくぽかんと口を開けて唖然とする。ティーンエイジャーに間違えられる、そんな顔を羨ましく思う人間もいるとヘンリエッタは言うけれど、たまに飲みたいと思ったときにお酒がなかなか買えないのは不便だと思う。
その都度、私は望む人間には与えられず望まない人間に与えられている。そんなことを思ってしまうのだ。与えられるものが容姿や才能ならいいけど、運命まで与えられてしまうのは少しだけ違うと感じる。
予定説を掲げているカルヴァン派も、天国に行けることを信じて努力せよということを説いているのだから、あらかじめ決まっているなんて努力を否定するに等しいもの。
私がここで飲んでいるというのも決められていた、なんてことになったら、せっかくのお酒の味も分からなくなってしまう。
「世の中、わからないもんだねぇ」
「私もこうやって晩酌をするなんて、思いもよりませんでした」
「事実は小説より奇なり、とは誰の言葉だったか」
「バイロン、だったはずです」
「そいつに限らずだが、こうやって後世に残る名言や格言の類を言える人間って、いったいどんな頭脳をしているのか。どういう人生を送れば、そんな言葉が出てくるのか。僕はいつも疑問に思うんだよ」
「私は、その"何か"は同じものが一つとしてないから、こうやって残るのだと思います。私たちは"何か"に気付けるほど生きてないのか、あっても気付かずに通り過ぎてしまった、そういうことなんでしょう」
「全ては経験、か。僕らもまだまだということかな」
「私も弱いですから」
そう、私は弱い。
情けないほどに脆弱だ。
本当に強い人間ならベアトリクスの件だって、その取り巻きに囲まれたって、何らかの手段で切り抜けられる。
それなのに私には自分の力も周りの力も、足りなさすぎて小さすぎる。風前の灯火と言っていいほどに、世の中の不条理に対して無力だ。
だから──だから。
サイファー・アンダーソンという名の、強く、不器用だけど優しさを持っている彼が、たまらないほどに眩しくて、その都度、自分が情けなくなってくる。
だから──だから。
すがりつきたくなった。情けない人間が決まってやるように、頼るのではない、一方的な依存めいて、しなだれかかっていた。
気付かない間に私の
膝に置かれていた、グラスを持っている手とは逆の、大きな左手に身体を預けていた。
どんな顔をしているのか、一方的にすがりついて、彼の反応が返ってくるのが、たまらなく恐ろしいものに感じてしまう。
けれども、けれども。
左手を通して伝わってくる温もりは、私の固まってしまったもの全てを、溶かして、ほぐしていくようで、いつまでもこうしていたかった。
悪い女だと胸中で愚痴ってしまうけど、同時に弱い女でもあるから、自覚してしまっているけれど。だから支えてくれる、依存の対象とも言うべき人間が必要だけど、でも共依存の関係はごめんこうむる、そういうズルくてワガママで卑怯な女。それがフレデリカ・エインズワースという女の本質かもしれない。
だがそう思ってしまうと不思議と彼に預ける身体は、さらにサイファーを求めてしまう。
だから──反応できなかった。
「辛かったんだろ?」
頭に置かれた、大きな手の温もりに。
「頼りたいときは、遠慮せずに頼ればいい」
違う。
違う。
全然違う。
これは頼っているのではないの。独りよがりで自分勝手で一方的な依存。
だから、あなたの手が私の頭に置かれて良い理由ではないの。むしろ忌避されるべき、唾棄されるべき、孤独を埋めるだけの行動なのに。
なぜ、なぜ、なんで。
あなたはそんなに、私に優しくするの?
やめて、やめて、その優しさが私の心を焦がして、蝕むような鈍痛を植え付けるから。
だから、お願いだから手をどけて欲しいの。
「違うんです……違うんで、す……違うん……で、す。頼って……いるんじゃ、ないん、です。だから、優しく…………しないで、くださ、い」
涙と嗚咽が悲しみによって絡められて、震える声での吐露となって、私の口からこぼれ出て行く。
顔を上げられない。どんな顔をしているのか、それを知りたくないから。アナタが困った顔をしているのか、それとも憐れみなのか、いや違う。本当は見るということ自体ができないから。
「……っ、今だけ、私の……そばに、いてください」
「今だけでいいのか?」
ずっと。
そう言いかけて慌てて口をつぐんだけど、もしかしたら見透かされているのかもしれない。ヘンリエッタや他も友達が言うには、今ぐらい感情が高ぶっていると、人一倍いろんなものが出てくる、そういう人間らしいから。
彼とずっといられれば、きっとそれほどに楽なのか。溺れてしまうには、この人はちょうど良い人なのだと思う。
ぶっきらぼうだけど優しくて。
きっとピンチの時には、すぐに駆けつけてくれる。
そしてどこまでも頼りなる、それほどに強い人。
「そばにいても……いいん、ですか? こんな私、でも」
「気が済むまで、愛想が尽きるまで、その時がくるまで、ずっといればいい」
「ありがとう……ござい、ます」
その時になって、私はようやくサイファーの顔を見た。
困った顔をしているわけでも、哀れみの表情でもなかった。私に向けられているまなざしの正体は、気遣いだった。
しがみつくように、いつの間にか腕を回していたけれど、彼は嫌がる様子も見せないで、私の身体を抱き寄せた。
温かい。
暖かい。
そして──熱い。
サイファーが触れている部分が熱くて、それがじんわりと全身に広がっていって、心地よさと恥ずかしさに近い何かに挟まれて、回している腕に力が入る。
もっと身体で、心で、魂で、彼の全てを感じたい。私を受け入れる、そう言ってくれた彼を。
俗っぽい言い方をするなら、私はチョロい女とでも言われるのだろう。いや、十中八九、その烙印を押される。でも、彼に向ける想いが一過性のものか、末永く続いていく真実のものかは、まだ分からないから。
だから、今はそばにいて見極めるの。この想いは胸に封じて、彼を見続けるために。
「今日一晩中、寂しくないようにしてやる」
「やっぱり、アナタは優しいです」
返ってきたのは、照れ隠しの大声ではなかった。
「お前さんなら、優しくしてやってもいいかもな」
その言葉がどういうわけか、たまらないほどに嬉しくて。顔にどんどん熱が集まっていく感覚が、はっきりと分かるくらいに強くなっていって。
全てはお酒のせいなのだろうか。と思ってしまったけど、実際はお酒はただのきっかけにしかすぎなくて、晩酌に付き合ってから抱いた想いの全ては、私の内に眠っていただけなのかも。
「そろそろ一日の終わりにしようか?」
「そうですね…………私も、眠たくなってきました」
襲ってきた睡魔に瞼をこすって、思わずあくびが出そうになる。すんでのところで止めたけど、私の睡眠時間は子供並だから結構な時間になる。もう少しだけ彼にすがっていたかったけど、それも終わりにしないとサイファーに悪い。
手を引かれるままに連れて行かれたのは、黒檀の重そうな扉。Bedroomと真鍮のような金属のプレートがある。
ベッド、寝所、言い換える言葉はいくつもあるけれど、二十歳を超えた男女が、同じベッドの上ですることが、少しでもそういうことを知っていれば、すぐに出てくる。
悔しいことに私はその方面の話題に弱いから、そういう状況になってしまったら、ひっくり返って気絶してしまう自信がある。妙な自信だけども。
煙草のニオイがするサイファーのベッドルームに、私は連れてこられて、抱え上げられたかと思えば、抱きしめられたまま横たわる。
「おやすみ、フレデリカ」
何度も聞いていたくなる、甘い声で就寝の言葉に、
「おやすみなさい……」
私も同じように返して、その日のことは終わったのだ。
これは純粋に床を共にしているだけで、その…………情交に及ぶというわけではない。そんなことを思い浮かべてしまうのは、きっと色々なことが、暴力的で陰惨な、このアーカムに渦巻く悪意の為すものを短期間に受けすぎたから。
それから私は、彼の腕の中で目を閉じる。
人生で初めてだと思う────まだ分からない恋物語の始まりを、感じて。
それが良いことなのか、どうなのかは分からない。
この私の想いだって、恋心とか、恋慕に分類できる感情や想いなのかも、よく分からない。
でも──悪い気だけは、しなかった。
◇◆◇◆◇
──思い出した、というよりは思い出してしまったと言った方が良いかも知れない。恥ずかしくて、顔から火が出そうになるというか、全てはお酒のせいだ。
紅潮させた顔をサイファーの胸板に埋めて、慌てて離した。それを見たサイファーは頬をゆるめて、穏やかに微笑んだ。
花も恥じらう「可愛い」と「綺麗」の二つが同居する、十七歳という見た目は、フレデリカが元から持ち合わせている外見の美しさも相まって、相当な破壊力を生んでいる。
そんな彼女が羞恥に頬を染めているのは、眼福以外の何物でもないのだろう。
「とりあえず起きようか。じゃないと、一日が始まらない」
「そ、そうですね、あ、朝ご飯はどうしましょうか?」
「作ってくれるのか?」
「料理は人並み以上、そう昨日言ったはずですけど」
「そうだったな、じゃあ頼むよ」
脱兎のごとく早足で去っていったフレデリカを目で追ったが、にわかに顎に手を当てたサイファーは思い出したかのように、ぽつりと呟いた。
「…………料理なんてやってなかったな」
それすなわち、まともな食材など入っておらず、酒類にツマミとなる出来合いの総菜。二本ほどのバゲットと調味料に、数個ほどの卵があるだけだった。あとは飲みかけの牛乳があったはずだ。
キッチンに向かっていったであろうフレデリカは、きっとどんな反応をしているのか、考えるとそれはそれで楽しいような気もするが、これでは人を苦しめて楽しむ悪癖が丸出しも同然だ。
きっと「信じられない」とでも言っているのだろう。戦闘能力はアーカムでもトップクラスだと自負しているサイファーだが、その家事能力は最底辺の領域なのだから、料理技術など望むべくもないために、冷蔵庫には食材がほとんど入っていない。
我が家の管理は実力行使請負業で稼いだ金が人間の一生では使いきれないだけあるのだから、それで雇った家政婦に掃除や選択をさせていた。
「さて、海坊主のところは開いているかな?」
行きつけの喫茶店でモーニングセットをいただこうかと、リビングを訪れると砂糖の甘い匂いがした。いや砂糖だけではない、牛乳の要素もあるだろう。優しい甘さという表現がしっくりきた。
「あの……あるだけの材料で、フレンチトーストのようなものを作ってみたんですけど……?」
「さしずめフレンチバゲット、かな?」
バゲット一本分を斜めに切ったものに、フレンチトーストのようにして焼き上げたのだろう。ご丁寧にコーヒーと紅茶まで用意してあるあたり、気が利いていると言えた。
椅子に座ってバゲットを一つ口に運んで。
今までに味わったことのない、優しくも薄すぎない甘さに衝撃を覚える。
──なんだ、コレ?
──なんだ、コレ?
──バゲットはこんなウマいモンだったか?
瞬く間にフレンチバゲットを平らげると、フレデリカの方に向き直った。用意されていたコーヒーを一気に飲み干して、
「コレ、メチャクチャうまかったわ」
「ありあわせのもので作っただけだったんですけど、お気に召していただけたなら、とても嬉しいです」
「もっと食いてえな、たくさん、色んなものを」
はにかんだように笑った。
ありあわせで作ったものでも、喜びの感想を貰ったことに、フレデリカも笑みがこぼれる。
「あなたが望むだけ作りますよ。そうやって喜んでもらえば、私は嬉しいんです」
「なんか…………同棲するみたいだな」
同棲、と呟いてから数秒後、爆発したようにフレデリカは耳まで真っ赤になった。何を考えたのかは言及しない。主に彼女の名誉のために
「昨日もプロポーズめいた言葉も聞いたし、清楚で純粋に見えても、実際のところは大胆なのかな?」
「あ、あれはお酒のせいで…………」
「本当は本心から出たんだろ?」
「ち、ちち違いま……っ!」
「あーあ、真っ赤になっちゃって」
「一体、誰のせいだと思ってるんですか!?」
「耳年増なお前さんだろう? 同棲という言葉だけで何を考えたのやら」
「う~! う~~!」
このサイファーという男、女性をからかって楽しむあたり、実にド級のサディストである。ド級の称されるあたりに、その趣味の悪さが凄まじいのが分かる。
「しばらく出かけるから、留守番を頼む」
「帰るのは、いつになるんですか?」
「午後には帰ってくる。この家にあるものは好きに使っていい。ソファの間には護身用の拳銃が隠してあるから、いざという時には躊躇うことなく使え」
「え? そ、そんなものが」
「あと、この金は好きにしろ。冷蔵庫に入れる食材を買ってもいいし、お前さんの良識のままに使ってくれ」
渡されたものを見て、思わずひっくり返りそうになった。五ポンド紙幣が五枚、一ポンド紙幣が十枚、十シリング紙幣が三〇枚もある。計四五枚の女王陛下が、フレデリカの細腕にある。
これほど大量の女王陛下の束など、フレデリカは生まれて初めて手にした。その重みに例えようもない、何かの貴金属めいた重圧のようなものを感じた。割と貧乏性な部分もあるのだから、大金を渡されても持て余すのがオチだ。
気がつけばサイファーは、いつものロングコートにテンガロンハット、ジーンズに足の大部分を覆っているシャップスという、ガンマンめいた出で立ちに変わっている。
「いってらっしゃい」
玄関に歩き出した背中に、金鈴を転がしたような声が届いて、思わず振り向いた。
昨日の外出着の上からエプロンを着たフレデリカが、微笑を浮かべて手を振っていた。
「いってきます」
ドアの蝶番が軋んだ。
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