戦闘は蹂躙のように

 荒事屋────ウルベスでは珍しくない、イギリス本土では裏稼業の職業だ。マフィアやギャングの鉄砲玉として、酒場や風俗店の用心棒として、はたまた秘密結社の戦闘員として、戦いに関わることならピンからキリまでの連中だ。

 実力行使請負業『Call of Cthulfu』も言葉は変えてあるが、本質的にはほとんど同じだ。たまには探偵まがいのことや、一般人が便利屋として仕事を頼むときもあるが、基本的には荒事がメインなのだ。

 従業員はたったの二人。社長であるサイファー・アンダーソンとヘンリエッタ・ウェントワースであり、二人は新たなる社員となるであろう人物であるフレデリカ・エインズワースのアパルトメントに来ていた。

「もぬけの殻で、争った形跡はないな」

 しゃがみ込んで玄関を検分しているサイファーの目は鋭い。誘拐犯の痕跡を探ろうと、隅から隅まで目を光らせている。が、目に見える痕跡はないが、鼻につくニオイがあった。甘いニオイだ。

「クロロフォルムでも嗅がせたかな?」

 彼の推測は来客を装ってフレデリカを玄関に呼び、ドアの隙間から彼女に向けてクロロフォルムを吹き付けた、というものであった。争った形跡がないこと、漂う甘いニオイから導き出された推理だ。クロロフォルムは気化すると甘いニオイがするのだ。霧吹きか何かで吹き付けたとなれば、普通よりも気化しやすい。

 そのまま部屋の中に進んでいく。未だに梱包が解かれていない荷物があることから、引っ越したばかりとサイファーは睨む。

「ヘンリエッタ、状況を確認すると、お前さんは僕に直接会わせるために呼ぼうと思い、電話をかけたが繋がらず、不審なニオイを感じて、このアパルトメントに行ったら中には誰もいなかった。そうだったな?」

「ああ、鍵は開いたままだった。あの子は鍵を掛け忘れるような子じゃないよ」

 ふむ、と顎に手を当てて考え込むと、部屋の中を歩き回る。

 だが何も事件に結びつくものはなかったのか、銀色のシガーケースから葉巻を一本取り出して火を着ける。吐き出された紫煙が、奇妙な形を描いて漂った。

「僕は誘拐の線が濃いと思う。玄関に人間じゃ、ほとんど分からねえレベルだが、気化したクロロフォルムのニオイがした。となると犯人の動機が気になる。恨みを抱いていた人間がいたのか、はたまた身代金目的の誘拐なのか…………心当たりはあるかい、ヘンリエッタ?」

「そうだな…………大学時代まで遡るが、ベアトリクスという女性がフレデリカを恨んでいたよ」

「なんだと?」

 マーカス・クルーガーをけしかけた、ベアトリクス・ブルツェンスカ・フォーレンシルトとでもいうのか。フレデリカの店に転がり込む数日前に、バーで独り酒していたところを誘われたが、袖にしてやった。

 すべての男は自分の手のひらの上で転がせられる、というどす黒い考えが見え見えで、なんとなくあしらっていたが、ベアトリクスも手慣れたものでホテルの前まで行かされることになった。そして、これ見よがしにドレスの胸元を開けての誘惑に及んだが、「他の男のキスマークだらけの胸に、興味なんてモンは欠片もねえ」とバッサリ切り捨てた。

「もしかしてベアトリクス・ブルツェンスカ・フォーレンシルトってヤツか?」

「────!? 知っているのか?」

「ン、さっきの決闘で相手方をけしかけたのさ。多分、少し前にホテルに誘われたのを断ったせいだろうな。ブッ壊してぇくらいには、イイ女だと思ったな、見た目だけだが」

「ありえない話じゃないな。彼女はあまねくすべての男は自分の思い通りになると、本気で思っているような人間だからな」

「…………冗談じゃねえな」

 それから部屋を出て、フレデリカの足取りを探るために聞き込みを始める。手っ取り早いのは近隣住民から聞き出すのが一番だが、相手が何らかの方法で口止めをしている可能性もある。

 場合によっては金はかかるが、信頼できる情報屋にでも頼んで、足取りを掴んでもらうことも念頭に入れておかねばならない。それだけ人攫いの類は面倒だが、有能な人材のためには仕方ないだろう。

 三時間かけて聞き込みを続けたが、誰もが知らぬ存ぜぬを決め込んでいる。やはり口止めされているらしい。

「ブルツェンスカ……フォーレンシルト…………ああ、なるほど、ドイツの大貴族様だったか」

 フォーレンシルト大公家。かのビスマルクとも親交があるという、由緒正しき貴族であり、イギリス政府も彼らについては無視できないだけの実力があるらしい。おそらくベアトリクスは、そこの令嬢なのだろう。

 ヘンリエッタの話からして実家の恩恵は受けていないだろうが、社交界に顔が利くのだろう。彼女単独でも充分に生きていけるだけの人脈があるのかもしれない。それが表裏問わずなら、たいていの人間なら何も出来ずに泣き寝入りコース直行だろう。

 ただ、ここはアーカム。オイタが過ぎる世間知らずのお嬢様は、何もかもむしり取られて物乞いコース直行だ。

 サイファーの目が凶悪な光を宿し、口元には不適な笑みが浮かぶ。

「ヘンリエッタ、今回のヤツは大物だ。心してかかれ。働き次第じゃ、減俸二ヶ月は無しにしてやらんでもない」

「全力を尽くさせていただきます」

「あとは…………ンオ?」

 薄暗い裏路地に続く、建物と建物の間。小国一つ分くらいあるアーカムだが、裏路地の入り組み具合は常軌を逸している。公共事業で作られたのではなく、ならず者やマフィアが際限なく作り続けた結果だ。

 その入り口に独りの男が立っている。金髪を後ろで束ねた、碧眼の美男子だ。濃紺のインバネスコートを着込んで、光を宿さぬ瞳で二人を見ていた。

 普通ではない、身の上も、おそらくは身体も。発達した機関技術は、数式機関限定なら肉体に埋め込んで、筋力や神経の強化、数多の特殊能力を得る術となる。二人を見ていた男も、そういう存在なのかもしれない。

「ヘンリエッタ、追うぞ、着いてこい」

「な…………ま、待って! 待ってくれ!」

 サイファーが駆け出した途端、金髪の男も裏路地へと消えていった。

 あわててヘンリエッタが後を追おうとした時には、サイファーとの距離は三メートル近く離されていた。体格以上の健脚としか言いようのない速さだ。

 対する金髪の男も全く距離を縮められていない。やはり機関技術で身体強化を施しているようだ。そうでもしなければ、たちまちサイファーに捕まってフクロにされるのがオチだ。

「待てやテメェコラァ! 逃げてんじゃねェぞォ! おとなしくボコられやがれェ!」

「極東のマフィアのようだ…………」

「オイ、ヘンリエッタよぉ足止めの一つや二つ、すぐにやれェ!」

 返答する気概さえないのか、ヘンリエッタが腕を払うように振ると、そこから銀色の何かが飛んでいった。刃渡り十センチほどのスローイングダガーで、それは男の膝関節に突き刺さる。もんどり打って正面に、金髪の男は転んだ。

 それを待っていたような絶妙なタイミングで、サイファーは大きく跳躍すると、金髪の男に馬乗りになると、顔面を中心に殴り始めた。所謂タコ殴りというものだ。身長二メートルを上回る、体格も相応に良い男にやられるなど、同情を禁じ得ない上に合掌するしかない。

 五分も経つと金髪の男がぐったりし始めた。ヘンリエッタは止めに入りつつ、男が五分も保ったことに、ある意味で驚きを禁じ得ない状態だ。並大抵の人間は一発だけで、泣くわ垂れ流すわで大騒ぎだ。それだけサイファーの拳はダメージを抑えつつ、より大きな苦痛を与えるように出来ているのか、などと思ってしまう。実際に間違っていないのが恐ろしいところだ。

「オイ、お前さんは何で僕らを見ていた? 何で僕らがお前さんの方を見たら逃げた? 僕は読心術なんて心得てねえし、ベーカー街の探偵でもねえから、お前さんが話してくれなきゃ、何一つとして分からねえんだ」

 男の返答は沈黙だった。

「ナメてんのかテメェコラァ! 簀巻きにして海放り込んだるぞォ!」

 サイファーの剛拳が腹部にクリーンヒットした。内臓が破けたのか、血と嘔吐物のブレンドが噴水めいて口から吐き出される。男は瀕死だったが、サイファーの追求は勢い衰えることなく容赦ない。

「なぁ、何でもいいんだぁ、何か話せや。女でも、金でも、酒でも、あるいは機関改造にかかった費用のことでもいい。だがなぁ、話さなきゃ、十秒ごとに一発は殴る」

 そして十秒のカウントダウンを始める。

 男の口は鉄だ。万力のごとく閉じきって、開く気配はない。

 ──カウントが0になった。

 灰色のコートからデカい植木バサミを取り出した。そんなものを、何故持っていたかは野暮というものか。

 開いた刃を左手首のあたりにあてがうと、何の躊躇いもなくハサミを閉じた。鮮血が噴き出して、裏路地の地面と壁に赤い世界地図を作る。

 見も世もない絶叫が、裏路地に響き渡った。

「勘違いすんなよォ、一発は殴る、僕はそう言ったが殴る限定じゃないからね。僕のサディスティック・レパートリーに則って、お前さんの口を割るだけだ」

 ヒッ、と男の口から悲鳴が漏れた。

 その原因が何なのか、十中八九はサイファーの浮かべる嗜虐精神の為せる、凶悪な笑みだろう。笑みとは本来は野獣が獲物を前にした、そういう状況の表情に浮かべるものに近い、つまること攻撃的な表情なのだ。

 サイファーはまさしく原初の笑みを浮かべてみせたのだ。一切の不純物的感情の籠もらぬ、純粋な殺気だけの笑いを。

 カウントダウンを始めた──と思わせておいて、カウントを十から三まで一気に端折った。金髪の男は面食らった顔をして、口をパクパクさせている。

 ──カウントが0になった。

 長い、長いナイフが姿を現した。木目のような模様が刀身にあることから、おそらくダマスカス鋼で作られているのだろう。刃渡り四〇センチは確実にある、分厚く黒っぽい刃のボウイナイフであった。

 順手に持っていたのを、鮮やかな手並みでクルリと回し、逆手に持ち替える。

 それを男の右手の指めがけて、一気に突き立てた。人差し指、中指、薬指がまとめて宙を舞い、それぞれの切断面から黒血が滲み出てくる。

 理性など微塵もない、獣そのものの悲鳴を上げて、男は身をよじった。転げたくても、サイファーに押さえられているせいで、それさえも叶わないらしい。

 おまけのつもりなのだろうか、男の右側頭部に向けてナイフが閃いた。血にまみれて薄汚れた金髪と、男の右耳が切り離されている。常軌を逸した残忍さだと、もはや沈黙するしかない。

 男はようやく理解した。

 情報を聞き出せるか、聞き出せないか。それはサイファーな問題に変わっており、今はどれだけ男を痛めつけるかに、全ての思考のベクトルを向けている。脳の血液が凍っていくような錯覚を、彼は感じていた。

「次は鼻を削いで、右目をくり抜いてカタワにしてやるか」

 逆手に握っていたボウイナイフを順手に持ち替えると、高々と振り上げる。ややくすんだ色合いの刃が、ギラリと光を跳ね返した。

「やめろ! やめろ! やめてくれぇ! あのフレデリカって子は、第四港湾の倉庫に閉じこめてある! だからナイフを下ろしてくれ!」

「それはホントのことか?」

「そうだよ! そうだよ! 嘘なんて言うわけないだろぉ! だからナイフを下ろしてくれ!」

「ご協力、感謝痛み入るね」

 サイファーはナイフを下ろした。

 ──男の眉間に。

 一度だけ身体を痙攣させて、男は事切れてしまった。

「言ったとおりに振り"下ろして"あげたけど、何か文句の一つや二つあるのかい?」

「草葉の陰で舌噛み切ってるんじゃないか?」

「ヘンリエッタ、死者は二度は死なんよ」

「あなたなら二度三度殺しそうだが」

「買いかぶりすぎだ。それと僕は死を二度三度与える趣味はないから、一発で未練ごと殺る」

 なんとも酷く殺伐とした内容の会話だ。これでも二人からすれば、まだ序の口と言えるほどだ。血だまりに沈む金髪の男は、死体故に口なしだが、もしも喋る口があったなら罵詈雑言の雨霰だろう。

 壁の染みが赤黒くなった頃には、二人の姿は消え失せていた。



 ◇◆◇◆◇



 酷い頭痛がした。

 眠気が尾を引いているし、なんとなく吐き気のようなものも感じる。体を起こそうと思ったが、上手くいかずに身体が転がってしまった。

 冷たい倉庫の床に、フレデリカは両手を後ろ手に縛られて、無造作に転がされていた。どうやら誘拐されたらしい、と彼女の聡明な頭脳は感づいた。

 壁を上手く使って何とか、寄りかかるように体を起こすことが出来た。だが両足も縛られているようで、立ち上がるのは望むべくもないだろう。

 白のブラウス、紺のベスト、ベージュのスカートは、ここに転がされる前の服装のままであった。身体に違和感もなければ、服を脱がされた形跡も見当たらない。どうやら意識を失っている間に不貞を働かれてはいないらしい、そうフレデリカは結論づけると明かりもない室内で溜め息をついた。

 バタバタと頭上で複数の足音がするのを、聞き逃すわけがない。そこから自分がいる建物は二階以上で、自分の身は明かりもないことから地下室だと察した。

「ベアトリクス…………ですかね」

 下手人として濃厚な線がある、自らのトラウマである女の名を呟いた。

 助けは来ないものと割り切ってはいたが、数少ない望みを捨てきれずにはいられない。もしもベアトリクスなら、数年前よりも酷いことをされるのは明らかだ。

 きっと輪姦に次ぐ輪姦の末に、犯されていない場所などないぐらいのボロ雑巾にされて、どこかの娼館にでも売り飛ばされるのだろう。確かベアトリクスの手下の男には、高級娼館のオーナーまでいたはずだ。

 ──そうなったら、お客さんには困らないかもしれませんね。

 自嘲も込めた呟きが虚しく壁に響いた。

 自分の見た目がどれほどのものか、フレデリカは自覚しているが、可能性の濃厚な未来で生かされることになるのは、正直言ってゴメンなのだ。

「ヘンリエッタ……来て欲しいな」

 思い浮かぶのは腕っ節の強い、女傑という言葉がこの上なく似合う麗人。大学卒業後は荒事屋の道を志したと聞いたが、実際はどうなのだろうか。案外まともな職業に就いているのかもしれない。実情を知った彼女がどんな反応をするかは、少し後の話になるだろう。

 蹴破るように部屋のドアが開けられた。本当に蹴破ってあけたらしく、足をハイキックのまま上げた状態で筋肉隆々の、幾重もの髪の毛の房を持ったヘアスタイル──ドレッドヘアー──をした身長二メートル近い黒人の男がいた。チノパンを履き、素肌の上から軽鎧を身に付けている。

 その脇から絶対に会いたくなかった彼女が現れた。紛れもないアーリア人の顔立ちで、長い金髪を丁寧に巻いている。碧眼がフレデリカを見下ろし、赤と桃色で彩られた、フリルたっぷりのドレスはデコルテのデザインによって胸元が強調されている。身長は一七〇センチを超えるだろうか。

 彼女こそベアトリクス・ブルツェンスカ・フォーレンシルトであった。その瞳の光があまねく全ての男は好きに出来る、という傲慢な意志を如実に物語っている。そして唯一噛みついてきたフレデリカに対する、激しく燃え上がる憎悪の炎も。

「会いたかったわ、フレデリカ」

「…………私は会いたくなかったですよ」

 ベアトリクスが目配せすると、新たに二人の男が現れたかと思いきや、脇からフレデリカを抱え上げて、無理矢理立たせた。

 次の瞬間、黒人の男が裂帛の気合いを発して放った正拳突きで、まるで枯れ枝のように吹っ飛ばされた。唇が切れたというレベルに留まらず、前歯も奥歯も吹っ飛んだ。壁に叩きつけられて、肺の中の空気が無理矢理押し出された。

「う、ぐぅっ」

 床に落ちると意識が闇に沈んでいく感覚がしたが、冷たい感触によって引き戻された。冷たい水をかけられたようで、服に染み込んだ水が、低い地下室の気温が、体温を容赦なく奪っていく。

 ベアトリクスが髪を掴んで、フレデリカの顔を引き上げさせた。恐ろしいまでに怒りに歪んだ顔をしている。どれほどに鬱屈した感情を持てば、これほどの表情が出来るのか、などと思ってしまう形相であった。

「あなた……自分の立場をわかっているの! ねえ! どうなのよ!」

 揺さぶられる度に色々な所が痛む。

 もう一度立たせられると、今度は顎を蹴りで打ち抜かれた。壁ではなく天井にぶつかった。ある意味でレアな経験かもしれないが、この状況ではブラックジョークにもなりはしない。

 たった一発ずつの正拳と蹴りで、目も当てられぬほど変形したフレデリカの顔を見て、ベアトリクスは清々しいまでの高笑いをする。

「そうよ………………そうよ! そうよ! そうよ! そうよ! そうよ! その顔なのよ! もっと苦しめてあげるわ! さぁ、やりなさい!」

 黒人は何も言わず、フッと息を吐きながら、脇腹へと蹴りを放った。繊維質の野菜を何本か束ねてへし折ったような、聞きたくもない骨折の音がフレデリカの左腕からした。

「ひ……ぅっ!」

 苦鳴が漏れたのをベアトリクスは聞き逃さない。立たせている男に命じて、ブラウスとベストをひん剥くと、どこから取り出したのか茶色をした乗馬用の鞭を取り出して、それを病的に白く細いフレデリカの肢体に向けて振るったのだ。

 鞭は容易に音速を超える武器であり、それはベアトリクスの膂力でも成し遂げられることだった。何度も鞭が肌の上で弾け、その度に絹を裂く悲鳴が漏れた

 鞭の音が数十回を回った頃には、フレデリカは床の上に倒れ、ベアトリクスは息が上がっている。二種類の吐息が混ざり合って、部屋の中へと溶けていく。

「少しは気が紛れたわ。後はあなた達の好きになさい」

 そう言い捨てると、黒人と二人の男がズボンに手をかけた。

 それと同時に憔悴しきった男も、部屋の中に飛び込んできた。走ってきたのか相当に息が荒い。

 三人は興醒めといわんばかりの表情で、飛び込んできた男の方を睨みつけた。エサを突然お預けにされた犬にも似た、そんな表情から長い間ご無沙汰だったのだろう。

「変な女が突然やってきて、滅茶苦茶暴れ回ってやがる! 俺たちじゃ手に負えねえ!」

「へぇ…………もしかして、この女?」

 二本の指で挟んでいる写真はヘンリエッタが移っているものだ。男は千切れんばかりに首を縦に振る。その様は滑稽さに溢れており、黒人が口元を吊り上げた。

「機関銃を使いなさい。アレはそのために用意させたのだから。フレデリカを連れてきなさい。目の前で蜂の巣にされるのを、見せつけてあげましょう」

 顎で二人の男に命じると、足の縄を切らせて立たせた。黒人が後ろからフレデリカの背中を小突きつつ、早く歩くように急かしている。

 歩き続けて一分もしない内に、倉庫の一階に辿り着いた。

 荷物が何もないためか広く感じられるであろう空間は、スローイングダガーが身体中に刺さっていたり、どこかしらの骨を折られて苦悶する、男たちで埋め尽くされており、どうにも狭苦しく感じる。

「フレデリカを返してもらおうか」

 毅然とした物言いでヘンリエッタは告げた。

 それをベアトリクスは鼻で笑った。無駄だと、馬鹿馬鹿しいと、愚かだと、目が語っている。

 エメラルドの双眸に怒りの炎が宿り、三本のスローイングダガーが握られた。

 大学時代から護身用として使っているものだと、フレデリカを初めとする数々の友人は知っている。それが銃弾以上の速さを持っているのも。

「やっぱり来たわね、そんな気はしていたもの。だから、こんなものを用意したわ」

 男たちが運んできたのは、奈落のように大きな銃口を六つも持ったガトリング機関銃だ。毎分二四〇〇発もの連射スピードは、未だにイギリス軍が正式採用を続けているだけの火力がある。

 対するは弾丸以上の速さがあるとはいえ、一度に投げられるのは両手を使っても八本までのスローイングダガー。

 勝敗は火を見るよりも明らかだ。

 ヘンリエッタは沈黙するしかない。ガトリング機関銃が一つなら銃弾の嵐をかいくぐれるが、二つにもなると厳しい。五発以上の被弾は目算に入れないと、相手するなんて思考に至らない。

「まったく…………フレデリカは知り合いの娼館に送るとして……あなたはこの女たちと同じ末路を辿ってもらおうかしら?」

 ベアトリクスの背後には、鋼鉄の箱がある。きれいな立方体で、高さも縦横も五メートルくらいか。どういうわけか荒事屋を志していたヘンリエッタの嗅覚は、並の鉄火場も足元に及ばぬほどに濃い血のニオイを感じ取っていた。

 取り巻きの男に命じさせて、その中身が明らかになると、理由がすぐに分かった。

 ────死体だ。

 無造作に女の死体が積み上げられている。どれもが手足のどこかが欠けていたり、顔が分からないほどに殴られていたり、グズグズに腐乱していたりするが、共通しているのは股間の痛み具合だ。とてもじゃないが直視に耐えうるものじゃない。

「私の可愛い子たちの性欲のはけ口よ。みんなして力が強いから、五体不満足になっちゃうのはしょうがないのよ。おまけにとびっきり苦しいみたいだし」

 口元に手を当てて、ベアトリクスはフフと微笑んだ。

 悪魔だ。

 悪魔の所行という言葉が、実にしっくりくる。

「こっちは私に逆らった子たち。死んだ後は肉屋にも卸せないから、見せしめで死体はとってあるの」

 女たちの死体を収めた鉄箱の隣にある、同じ大きさの鉄箱を開けようとした、そのときだった。

「ォォォォオオオラアアァァァァァ!!」

 大砲を百発ぐらいまとめて撃ったような、とても声とは思えない声がしたかと思えば、鉄箱を吹っ飛ばして彼が現れた。

 テンガロンハット、膝以上の丈を誇るロングコート、シャップスにゴツいブーツという風体は、ローンレンジャーとでも言うべき、空気を放っている。

 鉄箱が落ちたことで舞い上げられた風が、橙に近い色の髪をなびかせる。鈍い光を宿す銀灰色の瞳が、ベアトリクスを睨みつけた。

「こんガキャァ、マジでブチ殺し犯すぞォ、このドグサレアマァ! 覚悟出来てんだろォなァ、イ○ポ野郎共ォ!」

 現れたのはサイファー・アンダーソンだが、ラ行発音がドエラいレベルの巻き舌だ。根底に英語が根付いているせいで、何か新種の言語のようにも感じる。まるでラ行巻き舌で話すような人間が、流暢な英語発音を身に付けると出来上がる、そう思わざるを得ない。逆も微妙に可能性があるが。

 これは極東のマフィアである『ゴクドー』や『ヤクザ』と呼ばれる無法者特有のものだが、なぜサイファーがそれを話せるのか。そして何故英語で実践したのかは、全くもって謎としか言いようがない。

 便宜的に名称を付けるなら『Yakuza English』とか『Gokudo English』と言うべきか。

「一人残らず蜂の巣だァ、覚悟しろやァアマチャン共ォ!」

 どこから調達してきたのか、あるいはベアトリクスが予備として用意しておいたのか、全く同じガトリング機関銃を片手で撃ちまくっている。システム全体と弾薬を含めれば六〇キロは下らないが、現に撃ちまくることに成功しているあたり、このサイファーという男は只者ではない。

 その隙にフレデリカの脇を固める二人の男に、今までの最高速でダガーを投擲した。

 眉間と喉に命中し、男たちは後ろにひっくり返った。

「とりあえず命は無事みたいだね」

「ヘンリ、エッタ…………ですか?」

「今、うちの上司が彼らの気を引いているから、その隙に逃げるよ」

 そしてサイファーの方を見て────即座にフレデリカへと戻った。高笑いしながらRとLの発音をしっちゃかめっちゃかにしつつ叫ぶ上司や、男たちが死々累々である光景など見なかった。正確には見なかったことにした、だが。

 ベアトリクスは右往左往しているのか、こちらには気づいていない。

 連れ出すのは簡単だった。あとはサイファーを回収するだけだが、怒り心頭の彼は動く者がいなくなるまで撃ちまくっているだろう。

 さて、どうするか────と考えた矢先に何かが鼻先を掠めた。バク転の要領で避けると、カウンターにスローイングダガーを投げた。

 だが恐るべきことにダガーは握りつぶされた。ヘンリエッタの前方に黒人の男が立っていた。フレデリカを数発でボロボロにした、見るからに武術の達人という佇まいである。

「厄介そうな相手だな」

 獣じみた絶叫を上げて、黒人がつかみかかってきた。

 側方宙返りで華麗に回避すると、スローイングダガーを逆手に持って、躊躇いもなく首に突き刺した。

 傷口から空気が入ったのか、血の泡を吹きつつも、拳を固めて正拳突きを繰り出す。当たれば弾丸を食らうよりも、大きいダメージを受けるのが伺いしれる一撃だ。

 それを手の動きと、腰の回転で受け流すと、喉にもう一本のスローイングダガーを突き刺す。刀身には縦線のようなものが刻まれており、数秒後に眩い光を放つと黒人は氷漬けになっていた。

「ヘンリエッタ…………これは?」

「ケルト神話系を調べる中で身に着けた、ルーン魔術だよ。あのナイフに氷を意味する『イス』を刻んでおいた」

「…………すごい」

「驚かないのかい?」

 科学とは違う超常現象をフレデリカは『すごい』と感想を漏らし、恐れる様子は皆無だ。

 このルーン魔術はミスカトニック大学在籍時に、ケルト神話と北欧神話を研究する中で、魔術の秘法に触れたせいで使えるようになった。

 まだ詳しい原理は分かっていないが、少なくとも命を糧とするような悪趣味なものではない。

 「Call of Cthulfu」に就職してからは、主戦力とするために、必死になって腕を磨いた。ルーン魔術はルーン文字の解釈の仕方でも、かなり効果が変わってくるために、その辺は苦労したものだ。

 だが仕事で使う度にアーカムの人間でさえ、悲鳴を上げて逃げてしまうのがほとんどだった。

「ちょっとビックリしましたけど、ヘンリエッタが使うなら怖くありません」

「すごい子だよ、フレデリカは」

 ふとサイファーの方を見るとベアトリクスを残して、全員蜂の巣であった。

 ガトリング機関銃の弾薬帯は百発近くも残っており、銃口を彼女の方に向けると、一気にハンドルを回し始めた。

 弾丸はベアトリクスにギリギリ当たらないレベルの寸止めで、彼女の周りに全弾撃ち込まれている。コンクリートの床が弾丸で砕け、細かい粒子となってドレスを汚しているが、それ以上に涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃであった。

 それでも溜飲が下らないのか、フレデリカの店でも使った白銀の拳銃を左手に、それと同じ形をした漆黒の拳銃を右手に構え、ガトリング機関銃顔負けの連射をお見舞いした。

 さすがに許容範囲を超えたのか、何も言わずにパタリと気絶してしまった。

 ヘンリエッタとフレデリカの元に戻ったサイファーは、

「ちょっとはスッキリした」

 と言うとフレデリカの方を見た。

「また会ったな」

「はい、ありがとう、ござい……」

 今度はフレデリカも限界を超えたらしい。あ、とだけ声を漏らすと、一気に崩れ落ちてしまった。

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