第4話 ナナシ

「おう、その木材はあっちに持っていけ! それが終わったら、次はこいつだ!」

「まだそんなにあるんすか~。辛いっすよ~」


 昼過ぎを迎えた、ローレンド聖王国首都レンタグルス。

 その街の一角、祭りのメインルートとなる通りの隅に、若いエルフ達の声が響き渡った。

 彼等は、明日の戦勝祭の為の出店や大道具の建築を行っているのだ。

 大勢の人員と、魔法による補助のおかげで瞬く間に完成していく出店を見ながら、まとめ役の親方エルフは満足げに腕を組む。


「よーし、これなら残りも余裕で間に合いそうだ。他の班も順調みたいだし、問題は無さそうだな」


 せっかくのお祭りなのだ。自分達の不手際で華が欠ける、何てのは勘弁だった。まして今回の祭りは戦争で無くなった者達への慰霊も兼ねているというのだから、尚更だ。

 気合を入れ、親方は指示を出す。そうして、サボっている奴は居ないかと周りを見渡して――気付く。


「……綺麗だ」


 少し離れた所に立つ、薄紫色の天幕で覆われた建物。恐らくは今回の祭りに合わせて作られたのであろうそれの前に、一人の女性が立っていた。

 美しい、実に美しいエルフだった。妻も子供も居る親方が、思わず見蕩れ目を離せなくなってしまう程に、魅力的な女性。

 まず目に入るのは、深い紫色の髪。絹よりも滑らかなそれに沿って視線を落とせば、男を誘惑する為にあるような身体に意識が自然と吸い寄せられる。

 張りのある胸部、細くくびれた腰つき、形の良い臀部。地に着きそうな程長いスカートを履いている為脚部は分からないが、この分ならば細く長く美しいだろう。

 数秒その肢体に目を奪われた後、導かれるように顔を上げれば、今度は可憐な横顔が目に入る。

 切れ長の目、整った眉、瑞々しい真っ赤な唇。鼻も高く、何よりその全てが、黄金比と言える程にバランス良く顔の上に並べられている。

 こんなに美しい女性を、俺は今まで見た事が無い――そう断言出来る程、女性の美しさは常人から掛け離れていた。


「? ……ふふ」

「っ!」


 此方の視線に気付いたのだろう。女性が振り向き、優しく笑う。

 それだけで、心臓が爆発しそうな程高鳴った。身体は指の一本までも動かず、最早呼吸さえ定かでは無い。脳髄が、今にも蕩け出してしまいそうだ。

 どれ程、そうしていただろうか。親方にとっては数時間にも感じられたが、現実には恐らく一瞬。小さく頭を下げ、礼をした女性は、たおやかな所作で目の前の建物へと入ると、そのまま姿を消してしまう。

 それでもまだ、親方の身体は硬直したままで――


「運ぶ終わりましたよー。って、どうかしたんすか?」

「っ!? あ、ああ、いや。何でも無いんだ」


 部下の暢気な声に、漸く意識を取り戻す。

 もう一度先程の場所に目を向けるが、やはりそこに女性は居ない。見蕩れていたせいか記憶も何処か朧げで、本当に彼女が実在したのか、親方にはいまいち断言出来なかった。


「確かめに……いや、止めておこう」


 あの建物を訪ねれば、女性に会える。そう分かっていながらも、いや分かっているからこそ、彼は確かめない。

 行けば、この心は今度こそ奪われる。そんな確信があったから。

 妻や子に申し訳が立たないと、親方は誘惑を振りきり、作業に戻る。


「しかしあんなエルフ、この街に居たっけか……? まあ、祭りに合わせて近くの村から来ただけか」


 抱いた一抹の疑問を、瑣末事と投げ捨てて。


 彼等エルフからすれば人間は、自分達を見下し、蔑み、虐げる存在である。

 だから、思いもしないのだ。そんな『人間』が、唯一の差異とも言える尖った耳を真似し、偽装し、自分達の下に潜り込むなどと。

 糞の真似をして肥溜めに飛び込む者など居ないと、誰もが思うように。人間が自分達の姿を真似るとは、露ほども思わない。

 故に――誰もが目を奪われながら、誰も彼女を疑わない。


「……ふふふ。明日のお祭りが、楽しみね」


 天幕の中で。女が、笑った。


 ~~~~~~


 レンタグルス一の豪邸である、コオヤ邸。その高い屋根の天辺に、白銀の鎧を輝かせ、一人の騎士が立っていた。

 傷だらけの鎧に、冬を間近に控えた冷たい風が吹きつける。降り注ぐ陽射しでその冷たさを相殺し、騎士はじっと動かず、ただ眼下の街を見下ろした。

 良い街だ、と思う。広さや乱雑に並んだ建造物の多さだけではない、市井に活気が溢れている。

 一度踏み躙られ、絶望に堕ち、それでも這い上がってきたエルフ達。彼等は種族すべての力を束ね、自分達の復興に、そして帝国との闘争に励んでいるのだ。

 今まで、多数の帝国の街を見て回ってきたが、此処まで住人に活力のある街など見た事がない。長く続き、安定しすぎた平和に支えられたものではない、何時崩れるかも分からぬ不安定な状態だからこそ出せる、がむしゃらに前に進もうという心。

 それが、この街……延いてはローレンド聖王国そのものを支える、原動力なのだろう。


『……明日は、祭りか』


 フルフェイスの兜の奥から、くぐもった声が出る。

 判然としない、ぼやけた男の声だった。辛うじて幼子や老人ではない事が分かる、そんな声。

 忙しなく動くエルフ達を眺め、無意識に漏れたその呟きに、しかし言葉を返す者は存在する。


「祭りはお嫌いですか? ナナシ様」

『いや。どちらかと言えば、好きだよ』


 振り返った騎士の目に映ったのは、吹き荒れる風に赤髪を押さえる、己が従者の姿であった。

 竜の特徴を持つ種族、ドラゴニックの女性、ア・カイムだ。縦に割れた金の双眸と、身体の各所を覆う真紅の鱗。そして太く力強い尻尾が特徴の、女傑でもある。

 真っ直ぐぶれのない、騎士のようなその出で立ちと声音に、緩んでいた気が引き締まる。


(いや……騎士は、俺か)


 声も出さず、ナナシは笑った。傍から見れば、自分は騎士以外の何者でもあるまい。

 自分ではそんな気はないのだが、強さを求める内に自然とこの格好になっていたのだ。先人の知恵は確かなもの、という事だろう。

 だが同時に、ナナシはこの格好があまり好きではなかった。まるで、自分の弱い心を鎧で覆い、必死に隠しているようであったから。


 この様では、何時まで経っても強くなんて成れないな――そう、兜の中で自嘲する。


 そんな此方の思いに気付いたのだろうか、後ろに控えていた従者が意を決したように隣に並び、そっと手を握ってくる。


「ナナシ様は、お強い方です。それは、私達が良く知っています」

『……ありがとう』


 篭手越しだというのに、その手は火傷しそうな程温かかった。

 ぎゅっ、と強く握り返す。


『正直に話すと。俺は、迷っているんだ』


 そうして感じた一層の温かさに、心が緩んだのだろうか。

 気付けばナナシは、己の心に巣食う悩みを従者へと打ち明けていた。


「迷い、ですか?」

『ああ。……今、この国は帝国と戦争している。それも侵略なんて生易しいものじゃない、互いの種族の存亡を賭けた、生存競争だ。それこそ人間と他種族、どちらかが滅びなければ止まらないような』


 それは、戦争が始まった時点で決まっていた、当然の未来であった。

 他種族にとって、人間とは不倶戴天の怨敵である。過去されてきた事を考えれば、和解での終結はまず望めないだろう。

 そして人間側もまた、応じるつもりは無い。彼等にとって他種族とはゴミ屑以下の存在であり、それが常識なのだから。


『以前までは、実際に反抗した者だけを処刑し、残りは生かしてきた帝国だが……今回はそうはいかないだろう。此処まで大規模な反乱を起こされ、かつ領土の多くを取られたとなっては、確実に他種族を潰しに掛かる』


 後の脅威を取り除くには、それしかない。

 詰まり決着は、どちらかの滅びでしかありえないという事だ。だからこそ、ナナシは苦悩する。


『分かっているんだ。ずっと他種族を虐げてきた帝国、そして人間が悪いことは。生きる為、自分達の尊厳の為、戦争を起こした聖王国が正しいことは。だが……同時に、こうも思ってしまっている。全ての人間の命が奪われる事、それは果たして正しい事なのだろうか、と』

「ナナシ様……」

『皆には悪いと思ってる。けど、俺は……割り切れないんだ。どちらか一方が滅びなければならない、そんな未来が、認められないんだ』


 俯き、繋いでいない方の手をきつく握り締めながら、絞り出すように思いを吐露する。

 他種族を、助けたいと思う。これまでずっと虐げられ、地獄の中に居た彼等彼女等が生きる為に、自分も協力したいと思う。

 けれどそれは同時に、人間を滅ぼす手伝いをするという事だ。そんな事をしてしまって良いのか……ナナシの弱い心は、中々判断を下せずにいた。


『情けない話だな。こうして聖王国に与する形を取っていながら……未だに俺は、決心がついていないんだ。自分の弱さに、涙が出そうだよ』

「……ナナシ様。失礼を承知で、申し上げます」


 繋がる手に、力が籠もる。

 顔を向ければ、従者は強い瞳で、じっと此方を見上げていた。


「それは弱さではありません。優しさ、と言うのです」

『優しさ……』

「そうです。貴方は、優しすぎる。人間でありながら他種族の私達を救ったのがその何よりの証拠。その心は、誇りこそすれ、疎むものではないはずです」


 それは主を勇気付けようとする言葉であると同時に、揺らぐ事なき本心でもあった。


 ――ア・カイムがナナシと出会ったのは、今から約八年前。

 当時、彼女はかつてのエルフ達がそうであったように、帝国の街、その一角に仲間と共に隠れ住んでいた。

 今とは違いまだ幼く、体も貧相で、風が吹くだけで折れてしまいそうな程ひ弱な少女。それが、八年前のア・カイムという女性だったのだ。

 事件が起きたのは、彼女が近くの森林へと木の実を取りに行った時のこと。生きるだけでギリギリの彼女等にとっては子供であろうとも働かなければならず、街中と違って比較的人間と遭遇し難い森林での採取活動は、子供に優先的に与えられる仕事であった。

 獣や人間と会わぬよう、細心の注意を払いながら木の実をボロボロの布袋に詰め込んでいく。途中、空腹に耐えかね一・二個つまみ食いしながらも、二時間が経つ頃には袋は食料で一杯になっていた。

 そうして己の戦果に満足し、帰ろうとして――そこで、油断してしまった。

 思いのほか良く木の実が取れて、調子に乗っていたのだろうか? 或いは、この仕事に慣れてきたせいで、心に慢心が生まれていたのかもしれない。

 何れにせよ、その油断が生んだ結果は……人間との遭遇、という形で現れる事になる。


 ――に、人間!? ど、どうしよう――


 焦った彼女は即座に逃亡しようとしたが、もう遅い。

 距離が近かった事、彼女がひ弱だった事、相手が屈強な男であったこと。三つが重なり、彼女は瞬く間に捕らえられてしまった。


 ――このままじゃ奴隷にされちゃう。逃げなきゃ――


 抵抗する彼女を、男は何度も殴りつけた。

 それでも必死で抵抗する彼女だが、絶え間なく続く暴力に、次第に気力も体力も尽きていく。

 やがて、動かなくなった彼女を。男は土嚢でも持つように担ぎ、街へと向かって歩き出す。


 ――私、奴隷にされちゃうんだ――


 上機嫌な男の漏らす独り言から、彼女は自分の未来を確信した。

 契約の魔法を掛けられ、奴隷にされ、売られる。それが、この先に待つ末路だ。


 ――そんな事になるくらいなら、いっそ死んだ方が――


 そう思うも、まだ幼い彼女に自分の命を絶つ決断など出来るはずもなく。

 絶望に打ちひしがれ、運ばれるがまま、森を抜けようとした時だ。


 ――彼が、現れた。


 突然だった。木の陰から飛び出してきた青年が、男に体当たりをかましたのだ。

 衝撃で手放されたア・カイムを青年は抱えると、素早く森の中を走り出す。男が怒号を上げ追いかけようとするも、青年は巧みに木々の間を走りぬけ、あっという間に男を視界から振り切ってみせた。

 それでも安心せず暫く走り続け、森の奥まで来た所で青年は漸く止まると、そっと草の上にア・カイムを横たえる。

 ぼやける彼女の視界に映った青年は、どう見ても人間の姿であった――。


 それから八年。今ではア・カイムは、彼に付き従う従者の地位についている。

 ナナシが望んだ訳では無い。むしろ彼は、自分に付いてくるなど馬鹿な行為だ、と拒否したほどだ。

 それでも彼女は、そして他の従者達も、彼と共に居る事を強く望んだ。その熱意にナナシが折れる形で、今の関係が築かれているのだ。

 それは、恩返しというのもそうだが……何より、支えたいと思ったからだろう。この、優しく、傷付きやすく、それでも諦めようとしない人間を。種族の壁を超えて、支えたいと思ったのだ。


「ナナシ様の優しさは、私達が一番良く知っています。貴方が人間だというのに、虐げられる他種族達を救おうと一人戦ってきた事も。私達に出来るのは、ほんの少しのお手伝いかもしれませんか……それでも、頼ってください。私達はその為に此処に、貴方の傍に居るのですから」

『……ありがとう』


 強く、握られた手を握り返すナナシ。

 こう言ってくれる人が居る。それだけで、心が軽くなった気がした。


(人間なら人間の側に付けと、きっと多くの人はそう思うのだろう。けど、俺には出来ない。こうして話し、共に過ごし、心を通わせる事の出来る相手を……ただ種族が違うからと、虐げるような真似は)


 それは、異端な考えなのかもしれない。それでもナナシは自分の心を、感性を、間違っているとは思わない。


(正しい答えは、まだ分からない。だから、見つけよう。これから此処で過ごす中で。俺の歩むべき、いや、歩みたい未来を)


 その為にこの聖王国に、そして彼の傍に来たのだから。

 そう心の中で呟いて、ナナシは街の喧騒に静かに耳を傾けた――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天より高く キミト @kimito

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ