第2話 どうしてこうなった?

 どうしてこうなった、と思った経験が、皆さんにはあるだろうか。

 多分ほとんどの人間は、己が人生の中で何度もそうした想いを抱いた事があるだろう。それはそうだ、世の中には自分の想像を超えた事象や展開が、嫌って程溢れ返っているのだから。

 これは最早、逃れえぬ一種の世界法則と言っても良い。いや、或いはそれさえ超えた、神に匹敵する程の強大な意思。

 そしてそんな理不尽な意思から逃れる事は、パンチで世界さえ砕くこの男にも、まだ出来ないようで。


「第一回!『勝つのは誰だ!? 灼熱の他種族料理対決!』開催ッ! パチパチパチー!!」


 混沌の渦中と化した食堂の一角で、コオヤは頬を引くつかせながら呟いた。


「どうしてこうなった……?」


 ~~~~~~


 事の始まりは朝早く、まだ空が白み始めた頃の事。

 思ったよりもはっきりと目が覚めたコオヤは、二度寝する気分にもなれず、欠伸を浮かべながら顔を洗うため洗面所へと続く廊下を歩いていた。

 ふと、立ち並ぶ二階の窓から外を見下ろせば、中庭に一人の従者の姿が見える。いつもの鍛練なのだろう、汗を掻きながら身体を動かす狐族のカリオンを数秒、何とはなしに眺めた後、彼は再び欠伸と共に脚を動かした。

 そうして洗面所に着き、顔を洗って、ついでに跳ねていた髪を軽く整えた後。喉が渇いたな、と思い立ち、彼はその足で食堂へと向かった。

 ぎぎぎ、と小さな軋みを上げ、重厚な扉が開かれる。長大なテーブルには誰も着いておらず、しんと静かな雰囲気に何処か物寂しさを感じながら水を得る為厨房の中に入り、


「何やってんだ? イリア」

「あ、コーヤさん」


 おはよう御座います、と小さく頭を下げる、エルフの少女と出会ったのだった。

 可愛らしい桃色のエプロンを付けたその姿に、若干の懐かしさを感じる。この屋敷を手に入れ、同居し始めた当初は、彼女が此処の食事を一手に引き受けていたのだ。

 最近はメイドを雇った事で、彼女が厨房に立つこともなくなってしまったが……その光景は、やけにしっくりと似合っているように思えた。

 握っていた包丁を横に置いた彼女が、言う。


「実は、ちょっと料理の練習を。最近、していなかったので」

「練習? それはまた急に、どうした?」


 イリアの料理の腕は、中々に高い。決してプロの料理人という訳ではないが、お袋の味というか、何処か人をほっこりとさせる温かさがある。

 別段、練習などしなくても十分な味が、彼女の料理にはあるのだ。にも関わらず、趣味ではなくわざわざ練習でこうして料理を作るという事は、何かしら理由があるのだろう。

 素直に疑問をぶつけてみれば、彼女はあはは、と頬を掻く。


「その……二日後の戦勝祭に向けて、です」

「戦勝祭に? 何だ、お前も出店でも出すのか?」


 昨夜聞いた話だが、戦勝祭は祭りというだけあって、大量の出店が展開されるらしい。ガレオス領を占領して食糧事情に大幅な余裕が出来た事もあって、今回のお祭りは相当に『食』に溢れるものと予想が付いた。

 そうなれば、国王の娘という謂わば『主催者』に近い立場のイリアが、何かしらの店を出すこと自体はおかしな話ではないのだが。


「いえ、そういう訳では。ただ、その、お弁当を作ろうかと思って」


 少し気恥ずかしそうに、彼女は理由を語った。

 せっかく皆で出かけるのだから、お弁当を作ろうと思い至ったと。けれど最近料理をしていないし、人に振舞うには自信が無い。だから、こうしてこっそり特訓していたのだ、と。

 最後に勝手に食材を使ってしまった事を詫びて、イリアの語りは終わった。

 ああそれは良い、と軽く手を振って謝罪を跳ね除ける。


「どうせ金なんて腐るほどあるんだ、管理もカルナやお前に任せてるし。まして所詮は転がり込んできただけのあぶく銭、遠慮せずに好きに使ったら良い」


 最悪全てを持ち逃げされたとしても、コオヤはきっと気にしないだろう。それは、管理を任せた自分の落ち度だ。

 それに、そもそも信頼出来ると感じているからこそ、彼女達にこの屋敷の運営や資金管理を任せているのである。だからこそ、信用出来ないフェリナには任せていないのだし。

 断っておくが、彼女自身を信じていない訳ではない。ただ、あのカリオンはどうにもお金に関してずぼらな所があるらしかった。此処最近で露呈した、彼女の欠点だ。


(嬉々とした表情で幸運が訪れる、とかいう高額な壷を買ってきた時は、眩暈がしたな。こいつ、こんなにアホだったのか? と)


 純粋、という言葉で誤魔化すのは憚られた。良くあの性格で、この過酷な世界を生きてこられたものだ。家族と、しっかりした親友のおかげか?


「まあ、とにかく。その位でとやかく言ったりはしねぇよ」

「ありがとう御座います。それから、あの……ついでというか、一つお願いがあるんですけど」

「お願い?」


 珍しい、何時も控えめ(暴走する時はあるが)な彼女が願い事とは。

 足りない食材の買出しだろうか。或いは調理器具? まあなんにしろ、イリアには普段世話になっている。それ位の頼みなら喜んで引き受けよう。

 面倒くさがりな彼にしては珍しく、素直に頼みを受けるつもりで待っていると、彼女は意を決したように言葉を紡ぐ。


「はい。実は、味見役をお願いしたいんです」


 何だ、そんな事か。確かに、自分一人じゃあ上手く出来ているか判断し難いしな。

 そう、軽い気持ちで受けてしまったのが、多分間違い。後の後悔の、発端である。


「良いぜ。その代わり、ちゃんと上手い飯を作ってくれよ」

「勿論です。任せて下さい!」


 ぐっと握りこぶしを作り、気合を入れるイリア。

 この時のコオヤには、予想も付かなかった。この後自分に降りかかる、数多の苦難が。


 今日は少し、曇りそうである。


 ~~~~~~


 で、それから数分後。

 食堂の椅子に座り、コオヤが厨房から聞こえる調理の音に耳を済ませている時。ギギギ、と小さな音が部屋に響いた。


「あれ? まだ朝食には早いと思うんだけど、何やってんのコーヤ?」

「むしろそれは俺の台詞だ。こんな朝早くに一体どうした、クラン」


 入って来たのは、小柄なエルフの少女。良く屋敷に来るとはいえ、こんな時間の訪問はそう無かった為、思わず眉を顰め聞き返す。

 すると少女は、あからさまに気まずげというか、何かを隠すように目を逸らした。


「べ、別に。私も一緒に朝食を摂ろうと思って」

「何だ、何時ものたかりか……と、言いたい所だが。まだ朝食には早いと言ったのはお前自身だぞ。見え見えの嘘を吐くな」


 そう指摘してやれば、彼女はうっ、と呻いた後冷や汗を掻き始める。

 どうも、此方に言い難い理由で屋敷を訪ねてきたらしい。しかも食堂、或いは厨房に用がある。


(まさか……)


 そこまで考えて、コオヤは一つの可能性に思い至った。

 多分、平常時であればこんなに直ぐには分からなかったかもしれない。けれどつい先程、『こっそりと厨房を使う』必要のある用事について、話をしたばかりだ。

 状況は、これ以上無いほどに整っていた。半ば確信と共に、尋ねる。


「もしかしてだが。お前も料理の練習か、クラン」

「な、何で分かったっ……って、お前も?」

「ああ。今、イリアが練習してる。今度の戦勝祭で用意する、弁当の為にな」


 そう告げた途端、クランの目が大きくなった。

 しかし直ぐに気を取り戻すと、顔を顰めて何やら考え出す。

 どうやら、図星だったらしい――と、そこで生まれた新たな疑問にコオヤは首を傾げ、未だ無言のままの少女へと率直に問い掛けた。


「なあ、一つ疑問なんだか」

「? 何よ?」

「どうして料理の練習をするのに、ここに来たんだ? 自分の家でやれば良いじゃねぇか」


 瞬間。クランがまたも気まずそうに視線を逸らす。

 その態度から、コオヤは理由を漠然とながら察し取った。


「お前……練習の為の食材まで、俺にたかる気だったのか」

「うぐっ! い、いや別に、たかるとかじゃないし! 家も余裕ある訳じゃないから、此処の食材を使わせてもらおう、何て思ってないし!」

「本当か~?」

「ほ、本当よ! ……ただちょっと、食事を代わりに作ってあげよっかな~って。ほら、此処に来る度、食べさせてもらってるしさ。その結果私の料理の腕が上がっても、それは別に何の問題も無いでしょ!?」


 必死で弁明するクランを、コオヤはじっとりと白い目で見詰めていた。

 が、やがて諦めたように首を振る。


「構わんがよぉ。せめて、一言位俺かイリア辺りにでも断っておけよ」

「そ、それは……」

「俺やあいつに言い辛いなら、カルナでも良い。流石にこの屋敷の住人が誰も把握していないんじゃあ、混乱が起きるだろ」

「うぅ……わ、分かったわよ」


 渋々頷くクランに肩を竦めながら、背もたれに深く身を預ける。

 そんな此方の様子に気まずそうにしていたクランだが、次の瞬間には何かに気付いた様子で厨房へと駆けよって行った。

 思わず、首を傾げる。


「何だ? あんなに急いで」


 この時、厨房へと様子を見に行っていれば。彼の苦労は、まだ少なかったのかもしれない。


 ~~~~~~


「で。結局、どうしてこうなった?」

「それは勿論、戦勝祭に出かける際、誰がお弁当を作っていくかで彼女達の間で争いが起き。じゃあ一番美味しい料理を作れた人が権利を得る、と決まったのが原因だよ」

「お前には聞いてない、レスト」


 隣の席で妖しく嗤う金髪の美丈夫に、顔を歪め突っ込む。

 やはりというべきか、場所は食堂。時間はもう、お昼を過ぎていた。

 場には自分達の他にも、犬族のカリオンであるカルナ、相変わらず真っ白な鎧に身を包んでいる騎士、そしてその従者達が揃っている。

 中でも、従者の一人――水晶のように透き通った肌と、宝石のような瞳を持つ鉱石系種族エルテシア――の少女は、積極的に音頭をとって今回の勝負を煽り立てている有様だ。

 彼女がその硝子細工のように美しい唇を動かして、言う。


「司会は私、ナナシ様が従者の一人、『マーマット』がお送りします! ドンドンパフパフー!!」


 無駄な喧しさだった。どうにかならないのか、という意思を籠めて、彼女の主である騎士を睨む。


「…………」


 が、騎士は無言。出会った時から変わらず、一言も喋りやしない。


(従者から伝えられた名前も明らかに偽名だしなぁ。そんなに、正体を明かしたくないのかね)


 彼がこの屋敷に滞在してから数日後、従者の一人がやって来て、彼の名を伝えてきた。

 ナナシ――即ち名無し。どう考えても偽の名前である。恐らくは、呼び名がないと不便だろうと考えて、即興で考案したものなのだろう。

 信用していない、というのとはちょっと違う。そもそも、そうだったのならばこの屋敷に転がり込んで来たりはしないはずだ。

 全く、家に転がり込んでくる奴は、厄介ごとを抱えている法則でもあるのかね――そう、どこぞの狐を思い出していたコオヤの思考は、またも喧しいマーマットの声によって遮られた。


「では、二日後の戦勝祭での『お弁当を作る権利』を賭けて戦う、選手たちを紹介しましょう!」


 彼女が右手を横に伸ばす。そこには一直線に並ぶようにして、三人の少女が立っていた。


「まず一人目! 大本命、褐色のエルフ少女、イリアーー! その母性溢れる味で、審査員のハートを掴めるかー!?」

「が、頑張りますっ!」


 気合を入れる参加者その一、イリア。

 頑張る前にこの状況がおかしいと思わないのか、と言いかけたコオヤだったが、寸でのところで思いとどまった。味見をすると約束した以上、彼女のやる気に水を差す訳にもいくまい。一応、単なる料理対決ではあるのだし。


「そして二人目! 対抗馬、金色のエルフ少女、クランーー! 良く母を手伝い料理をしているという彼女、意外性で隙を突けるかー!?」

「ちょ、何でそんな事知ってんのよ!?」


 思わず突っ込みを入れる参加者その二、クラン。

 どうせ適当に雑談している時にでも話したんだろう、とコオヤは内心溜息を吐いた。存外お節介な性格のせいか、彼女はナナシの従者達ともそれなりに親しい。屋敷に住んでいる訳でもないのに、この屋敷の誰よりも、だ。大方、そこからマーマットまで話が伝わったのだろう。


「それから、三人目! 大穴、カリオンの少女、フェリナーー! 毎日屋敷の食事を作っているその腕を、果たして存分に発揮出来るのかー!?」

「任せてくれ。皆を驚きと感動の渦に落としてみせよう!」


 ぎらぎらと目を輝かせて宣言する参加者その三、フェリナ。

 正直コオヤは、此処が一番不安だった。司会が言うように、彼女は毎日のように食事を作っており、その腕は確かなはずだ。はずなのだが、どうにもこういう場面で失敗しそうというか、そこはかとない不安を感じさせるポンコツさが、彼女にはあるのだ。


(最も、それはあいつに限らんか)


 ぐるり、改めて三人を見回す。

 それぞれピンク、水色、黒のエプロンを身に付けた彼女達は背後に炎が見える程気合を滾らせていたが、それが逆に不安を煽る。

 無駄に暴走して空回りする未来が、誰に対してもありえたからだ。そう感じる位には、コオヤは三人をポンコツだと思っている。


(唯一まともなカルナが参加していないのは痛いな。果たして、まともな飯は喰えるのやら)


 この勝負の為に、昼は勿論朝食まで抜かされたのだ。喰える物が一品も無かったら、軽く切れて暴れまわっても文句は言わせない。

 そんな、若干の苛立ちと大きな不安を抱くコオヤを余所に、紹介を終えたマーマットは勢い良く腕を振り上げて厨房を指差し、


「それでは時間ももったいないので、早速勝負に移りましょう! ルールは単純、一人二品の料理を作り、それを審査員に食べさせて、もっとも総合評価の高い人が勝ち! 調理時間は一時間です! では、調理……始めっ!」


 宣言と共に、少女達が一斉に厨房へと駆け込んだ。

 二品だけとはいえ、一時間という時間は中々に短い。味に拘るのならば、かなり手際よくこなさなければならないだろう。

 と、冷静にコオヤがそう思った瞬間。


「ぎゃー!? この魚まだ生きてるー!?」「わわわ! 火、火が……!?」「必殺、百連微塵切り! ……ああっ、まな板が!?」

「……頼むから。屋敷を壊さんでくれよ……」


 爆発落ちだけは勘弁だぞ。そう思い、密かに身構えるコオヤであった。

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