第三章 輝け、心よ

第1話 平和な始まり

 ――もう、随分と昔の事のような気がする。


 思い返した過去の記憶、その全てには隙間なんて無い位沢山、色んな出来事が詰まっていて。もう、一生分生きたような気さえする。

 けれど冷静に数えてみれば、十年。全ては、たった十年間の出来事だった。

 沢山のものを、見てきた。沢山のものを、救おうとしてきた。沢山のものと、戦ってきた。


 そして――沢山のものを、取りこぼしてきた。


 何時からだろう。次第に『諦め』が、心の中に巣食うようになったのは。

 抗う事は、続けているつもりだ。けれど何処かで、どうせ無駄だと、そう訴えている自分が居るのも、また事実。

 敵は大きすぎて。救いたいものは、多過ぎて。どんなに必死で抗っても、救えるものなど極僅か。

 そして、救ったものとは比較にならない程多くのものを――俺は、見捨ててきてしまった。

 仕方が無いのかもしれない。一介の人間に出来る事などたかが知れている、全てを救うことなど土台不可能なのだ。

 俺は、神では無い。分かっている、そんな事は。


 それでも――救いたかったのだ。どうしようもなく、心から。


 傷付く事は恐ろしい。抗う事は恐ろしい。戦う事は、恐ろしい。

 何もかもが、怖くて怖くて溜まらなくて。でも諦める事は、もっと怖くって。

 だから、自らを鍛え続けた。少しでも救いたいから。まだ、諦めたくはないから。

 その為に苦しむ事は、苦ではなかった。血反吐を吐き、筋肉が千切れ、死が見えても――それで少しでも皆が、救えるならと。

 だけどそれでも、敵はあまりに強大で。どれだけ歯を食いしばっても、届く未来は見えなくて。

 どうしようもない無力感が、己を支配した――そんな、時。


 そう、そんな時。彼に、出会ったのだ。


 どうしようもなく、真っ直ぐで。何処までも、自分らしくて。どんな困難も、こじ開けて乗り越えて。

 ああ成りたいと思った。ああ、成りたかった。

 無理だと、分かっている。自分のような人間では、彼のようには成れないのだと。

 それでも――俺は、成りたかったのだ。

 この心を、曲げる事無く。この手の平から、零れ落とす事無く。皆を助けられる――そんな、理想のような存在に。


 だから、俺は。今日も儚い夢を見て、脆く拙い剣を振るう。

 遠すぎる夢に、軋みを上げる心を、抱えながら――。


 ~~~~~~


「戦勝祭?」


 徐々に季節も移ろい、木々の葉が落ち始めた頃。

 漸く復興を終え、活気を取り戻してきたローレンド聖王国首都、『レンタグルス』。その一角に存在する豪邸に、疑問気な声が静かに響いた。

 声の主は、この屋敷の現持ち主。何の因果か、現代日本から完全ファンタジーな世界に転移して来てしまった(自分の意思で来たので、この言い方が正しいのかは分からないが)少年――コオヤだ。

 何時も通り黒い学生服に身を包んだ彼は、柔らかそうなソファーに身を沈め、小さく欠伸。顎を手で支えると、目の前の少女に目を向ける。

 テーブルを挟んだ向かいのソファーには、流れるような金糸の髪をツインテールの形に纏めた、一人の少女エルフが座り込んでいた。

 此方の疑問を受けて、彼女――クランの張りのある唇が、そっと動き出す。


「そう。あんたが六戦将の一人、ガレオスを倒した戦いから、そろそろ一ヶ月が経つじゃない?」

「そうだな。カリオン達の解放も順調に進んで、今じゃ奴の領土の大半は聖王国のもんだ。いや、正確に言えば聖王国に属するカリオン達のもの、か?」


 聖王国は元々、人間に虐げられていたエルフ達が反旗を翻し、集結して出来上がった国である。

 発足間もない頃から同胞達の解放の為、人間の国家――クレセント帝国との戦争を行っていたが、つい先日その手は遂に、自分達以外の種族の下まで伸びるに至った。

 即ち、獣の特徴を持つ種族、カリオンの住む地域――ガレオス領である。

 帝国の最上級幹部であり、姦計を得意とする『豪撃戦勝』ガレオス。彼は多数の兵や罠を仕掛け、聖王国軍を迎え撃った。

 だがその全てを打ち破り、コオヤ、及び聖王国軍は、見事勝利を収める事に成功したのだ。領主であるガレオスは死亡、彼の配下の軍も壊滅状態。

 更に、囚われていたカリオン達を解放し仲間にする事で勢いを増した聖王国軍は、やって来た援軍を次々と撃破し、領土を併合していった。帝国の台所とも呼ばれるこの肥沃な土地を手に入れた事は、自国の強化という意味でも、帝国への打撃という意味でも、想像以上に効果は大きい。

 そして、そんな聖王国軍の長である国王――ジンカーは。手に入れた土地を、元々の持ち主であるカリオン達に返還する、と発表した。

 自分達が苦労して勝ち取った土地を、他者に明け渡す。当然、反発はあるはずで……しかし実際の所、ほぼ反対なしで、この案は可決される事になる。

 理由は単純だ。エルフ達の誰も、この世界の支配など望んでいないからである。

 彼等の目的はあくまでも人間に虐げられる同胞の解放、そして自分達を害する帝国を打ち倒す事なのだ。

 この決定に、解放されたカリオン達はいたく感動し、共に戦う事を誓ってくれた。また、自分達もあくまでも聖王国の一員であり、種族を超え我等は一つなのだ、とも。

 こうして、この世界誕生より初めて。多種族による統一国家が誕生する事となったのである。


「それで。そんな一連の出来事を祝って、皆で祭りをする事にしたらしいのよ」

「ふ~ん。祭り、ねぇ」

「そう。首都である此処は勿論、他の大きな街でも、同時に行うらしいんだけど」

「ど?」


 言葉短く、コオヤは聞き返した。

 戦勝祭が行われる、それは理解した。が、恐らくクランは、それを話したかっただけではないだろう。先程から妙に落ち着きの無い彼女の様子を見れば、一目瞭然だ。


「え~と、その……」

「なんだよ。言いたい事があるなら、さっさと言え」


 更に端的に、促す。

 彼は、回りくどい事が嫌いなのだ。言いたい事があるならずばっと言う、それがコオヤという人間の基本である。

 催促されたクランは、それでも何度か躊躇い、視線を右往左往させた後、


「だ……だから、そのっ! 戦勝祭に、私と一緒に――「邪魔するぞ、コーヤさん!」」


 何か言いかけた所で、勢い良く扉が開いた。

 二人の視線が、揃って入って来た一人のメイドへと向けられる。


「どうした、フェリナ。ノックもせずに」

「ああ。実は、屋敷の事でちょっと話があってな」


 ミニスカートのメイド服に身を包んだ彼女の名は、フェリナ。紆余曲折あってコオヤに仕える事になった、狐族のカリオンだ。

 彼女は薄茶色の耳と尻尾をちょこちょこと動かしながら、ソファーの傍に寄ってくると、用件を話し出す。


「……な~る程。ま、そこら辺はお前らの好きにやってくれ。俺は別に、住めりゃ構わねぇよ、この屋敷については」

「そうか。話の途中で悪かったな、では私はこれで」


 そう言って、彼女は部屋を出て行く。

 その様子がやけに怪しげで、冷や汗まで掻いていた気がしたのは……まあ良いか、とスルーする事にした。

 彼女を見送り、改めてクランへと向き直る。


「すまんな。続けてくれ」

「あー、えーと」


 話の腰を折られ、意気を萎ませるクラン。だが、大きく一度空気を吸って気合を入れると、再度その唇を開き、


「わ、私と一緒にっ! 「コーヤさん、ちょっとお話が!」」


 またも、開いた扉に遮られ、硬直する。

 今日は来客が多いな、と思いながら振り返ったコオヤの目に映るのは、この世界で最も付き合いの深い同居人。


「何だ、イリア。お前まで、ノックもせずに」

「あはは、その……おじいちゃんから、伝言が」


 透き通るような青色の長髪を持つ褐色の少女、イリア。国王であるジンカーを祖父に持つ、エルフである。

 彼女はそそくさとソファーの傍に近寄ると、祖父からの伝言を話し出す。


「――以上が、おじいちゃんからの伝言です」

「分かった。後で顔を出す、って返答しといてくれ」

「はい。……それじゃあ、私はこれで」


 必要な事を伝え終えると、彼女は早足に部屋を出て行った。

 その様子がやけに挙動不審で、やはり冷や汗を掻いているように見えたのは……とりあえず、置いておこう。


「全く、なんなんだどいつもこいつも。お前もそう思うだろ?」

「そ、そうね。は、はは……」


 同意を求められたクランは、乾いた笑いを浮かべるしかなかった。

 どう考えても、偶然では無い。あのあからさまな態度、冷や汗。絶対わざとだ。


(くっ、でももう邪魔する者は居ないはず)


 自分の『敵』と言える存在は、あの二人だけのはずだ。

 犬族のカリオンであり、フェリナの親友であるカルナは、コーヤに『そういった想い』を抱いていない。最近この屋敷に暮らすようになった、騎士やその御付ご一行も同様だろう。

 と、そこまで無意識に考えて、クランは顔を赤くする。


(そういった……? そういったって何!? 私今、何を考えて……っ)


 気付いていない訳もないだろうに。どうにも、素直に成れないのがこの少女の気質であった。

 自分のそんな性質を認める訳にもいかず、誤魔化すように口を開く。


「と、とにかくコーヤ! 今度の戦勝祭、私と――「邪魔するよ」今度は誰よーーーー!?」


 思わず叫んでいた。ちょっぴり涙も流れていたかもしれない。

 こうなったら、散々文句を言ってやる。そう思い、血走った目と剣幕で扉へと向き直って……そのまま、固まる。


「やあ、コーヤ。一緒にお茶でもどうかな」

「そんな理由でわざわざ来たのか、レスト」


 そこには、貴族めいた服装に身を包んだ、金髪の美丈夫が立っていたのだ。

 彼の名はレスト。コオヤに敗北を喫して以来この屋敷に住み着いている、元帝国最高幹部……六戦将の一人である。

 どうにも掴みどころのない飄々とした青年であり、元々の立場や実力も相まって、流石のクランでも文句を付けるのは躊躇われる相手であった。

 頬を引くつかせ硬直するクランを置いて、三度振り返ったコオヤは呆れと共に、ぼそりと。


「理解したよ。道理で部屋の前で何を騒いでいるのか、分からない訳だ」

「仕方ないだろう? 頼まれたんでね。彼女達に」


 二人、小声で語り合う。

 コオヤとしてはいつの間にそんなに仲良くなったんだ、と文句の一つも付けたい所であったが……どうせ、言っても無駄なのだろう。こいつは、そういう男だ。

 仕方なく、苦笑する青年を手を振って追い払う。


「茶はいらん。お前一人でしばいてろ」

「そうかい。それは残念だ」


 存外呆気なく、レストは退いた。当然か、彼自身にそこに拘る理由は無い。

 一方、未だに部屋前に留まっている二人の少女からは、もっと粘れというオーラが漂っていたが……それを気にする彼ではなかった。

 肩を竦めて、するりと部屋を出て行く。残ったのは、またもコオヤとクランだけ。


「面倒臭い奴等だ、全く」


 思わず、ぼやく。

 クランが自分に何を言おうとしているのか、そしてイリア達が何故それを阻止しようとしているのか、コオヤは既におおよそ察しが付いている。

 付いているが、それにしてもやり方が回りくどい、というのが正直な感想だった。クランはまだしも、イリア達は特にだ。


(別に祭りに誘うくらい、大した事じゃあないだろうに)


 恋する乙女の気持ちなど予想は出来ても理解はし切れないコオヤは、心の中でそう断じる。愛の告白をする訳でもないのだ、もっと気軽にすれば良いのに、と。

 すると、そんな彼の気持ちを察した訳では無いだろうが、クランが脱力した様子で言う。


「あーもう、疲れた。ねぇコーヤ?」

「ん?」

「私と一緒に戦勝祭、行かない?」


 ぽん、と、驚く位自然にその言葉は出た。

 言ったクラン自身が、後から誘った事実に気付く程、極自然に。

 誘われたコオヤは、此方もまた若干脱力した様子で答えを返す。


「ああ、良いぞ。どうせ俺も見て回ろうと思っていたしな」

「そう。じゃあ、祭りは三日後だから――「「ちょっと待ったぁぁあー!!」」……何よ、イリア、フェリナ」


 次の瞬間、扉をぶち破る勢いで飛び込んできた二人に、クランが唇を尖らせた。

 もんどりうって倒れた少女達は、急いでコオヤに詰め寄ると、揃って捲くし立てる。


「コ、ココココココーヤさん!」

「何だ、鶏みたいな声出して。お前は狐だろ」

「そ、そそそそそそその、お祭りの事なんですけど!」

「落ち着けよ。目が泳ぎ過ぎて何処見てるのか分かんねぇぞ」


 どうも、イリア達は混乱の極みにあるようだった。

 多分、コオヤがこんなにもあっさりとOKを出すとは思っていなかったのだろう。普段の、屋敷でだらだらと寝て過ごし自分勝手な生活を続けている姿を散々見ていれば、無理もない予想ではあるだろうが。

 一応断っておくと、コオヤは引きこもりでは無い。むしろどちらかと言うと、積極的に外で活動するタイプの人間だ。

 そんな彼が何故現在、屋敷の中で大半の時間を過ごしているかといえば……単純に身体がだるい。それだけの理由である。

 一ヶ月前、自分を上回る『力』の持ち主であるガレオスと正面から殴り合う、という無茶をした後遺症は、まだ彼の身体に残滓としてこびり付いていた。

 傷自体はとっくに治っているのだが、芯にまで染み込んだダメージが抜け切っていないのだ。特にミンチ寸前まで行った右腕は今も違和感を感じる程であり、積極的な使用は彼をして自粛するほどである。

 コオヤ自身は明言していないものの、そんな彼の状態に薄々勘付いていたイリア達は、てっきり彼が祭りへの誘いを断ると思っていたのだ。それでも妨害行為を仕掛けていたのは、複雑で心配性な乙女の心が故か。

 とにかく、だからこそ彼女達は此処まで驚き狼狽し。同時に、ならばと猛烈なアタックをコオヤに掛ける。


「やっぱりほら、お祭りって皆で行った方が良いと思うんですよ!」

「そうだな! イリアの言う通りだ、賑やかな祭りの場に二人というのも寂しかろう! せっかくならもっと人数を用意するべきだ!」

「……詰まり? お前らは何がどうしたいんだ?」


 一応、聞いた。答えは、聞くまでもなく分かっていたが。


「「私達も一緒に、お祭りに行っても良い(です)か!?」」


 案の定だった。

 ちらりとクランに目で問いながら、コオヤは答える。


「俺は別に構わんがよ。もう一人が何て言うか」

「……良いんじゃない、別に。下手に断って、また変な妨害されても困るだけだし」


 後半は、半分諦めの入った妥協であった。

 今回の行動を鑑みれば、二人で行った所で間違いなく邪魔は入る。ならばいっそのこと、始めから仲間に入れてしまった方がまだマシだ。


「あ、あははははは、妨害なんて何の事やら」

「そ、そうだぞ。ただ私は、従者として常にコーヤさんの傍にだな」

「はいはい。分かったから、もう良いから」


 分かり易い誤魔化しを口にする二人を、ジト目で睨み。クランは小さく、溜息を吐いたのだった。


 戦勝祭まで後三日。まさかこの祭りが自身の人生を大きく動かす切欠になろうとは、この時のクランには想像も付かなかった。

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