第32話 窮在戦将
クレセント帝国、帝都リグオン。
帝国の心臓部と言えるこの場所で、今、一つの会合が終わりを告げた。
帝国最上級幹部、六戦将による円卓会議。本来ならば六つの席が用意されているはずのそれは、しかし今は四つしか埋まっていない。
静かに開く、議場の扉。新たに欠けた同士、ガレオスについての話し合いを終えた彼等は、以前とは違い何処か堅い雰囲気のまま部屋を出て行く。それは今回の事態が彼等の想定の範疇を超えた、予想外の展開に終結した事を示していた。
そんな中、いつものように最後に議場を出た少年――シュナエルは、これまたいつも通りに待っていたメイド達とのやりとりを終え、取りとめもない話をしながら廊下を歩き、
「あれ、珍しいですね」
「なんだい。私が居たら、おかしいかい?」
ふと視界の端に入った人影に、脚を止め瞠目した。
染み一つ無い壁に寄りかかるように、妖艶な美女が立っていた。身に付けている薄手のドレスは足元が大きく裂けており、細く白い脚が惜しげも無く外気に晒されている。
スタイルは、いっそ行き過ぎと感じる程女性らしく、かつ顔の造形も歴史ある芸術品にも優るほど美しい。
切れ長の目、整った長い眉、瑞々しい真っ赤な唇。頭頂部から降りる深い紫色の髪の毛は、それ一本でさえ高値で取引されるだろう艶と色香に満ちていた。
十人どころか、千人いれば千人が振り向き見蕩れる容姿。加えて、呼吸一つ、所作一つにさえ滲む、本能を刺激する異常なまでの妖艶さ。男であれば、欲情せずには居られない――そんな『性』の化身なような存在がそこには居たのだ。
彼女こそ、六戦将が一人。『窮在戦将』、ナルレニア。
「んー、そうですね。ナルレニアさんに限った話じゃありませんけど、普段は皆さん会議室を出たら、すぐに姿を消しちゃうじゃないですか」
「こんな所に居たってしょうがないからねぇ。美しい城だとは思うけど、いい加減見飽きたもの」
肩を竦める。その動作一つとっても、並みの男ならば前屈みになるだろう。
だが子供であるせいなのか、シュナエルは顔を赤らめる事すらなく、極自然に彼女と会話を継続した。
昔はそんな彼の態度に腹を立てていたナルレニアだが、今となってはむしろ好意的だ。自分と相対した人間は、半分が欲情、半分が嫉妬に駆られるのが常なのだから。こうして平常通りで居られる者は、宝石よりも遥かに貴重なのである。
「それで? わざわざ待っていたという事は、僕に用があるんですか?」
「そうなるわね。……単刀直入に聞こうか。ガレオスの件、どう思う?」
それは、つい先程終えた会議で散々話し合ったはずの議題であった。
必要な事は、とうに語り終えたはずで。けれど改めて数秒、考えた後シュナエルは口を開く。
「ガレオスさん本人についてなら、残念です、としか言えません。ガレオスさんを倒した相手についてなら……脅威、と答える他無いでしょう」
何時ものように無邪気に見えて、その実目だけは笑っていない。
率直な意見を聞き、ナルレニアが顎に手をあて、なにやら考え込む。その唇が動き出すよりも先に、シュナエルが再度口を開いた。
「やっぱり気になりますか? 次は恐らく、貴女の元に来るでしょうし」
「……ええ。レストだけならともかく、ガレオスまで倒したとなれば、流石に私も警戒するわ」
それは、必然とも言える予測であった。
ガレオスが倒れた今、彼の領土はそう遠くない内に聖王国、そして解き放たれたカリオン達によって占領されるだろう。頭を失った帝国軍の弱さは、旧レスト領における一連の流れではっきりしている。
他から援軍を送れば別だろうが、生憎とそれも難しい。ガレオス領の隣にあるのは、シュナエルの領土。しかし彼は、間も無く始まる聖誕祭に向けた準備で忙しく、戦争をする余裕は無い。まさか祭りの手を抜き、皇帝の勘気に触れる訳にもいかないだろう。
加えて、六戦将は同士であっても仲間では無い。自分の領土を、余所の軍隊が通過する事を由とはしないはずだ。特にシュナエルは自領の安定に力を注いでいるのだから尚更だろう。
となると、残るは中央の帝都を通過する案だが……これも、却下だ。祝うべき日を前に、物々しい軍隊を皇帝のお膝元に近づければ、気を害される畏れがある。
敵対者が脅威であるのは分かっている。だが彼等六戦将にとって最も恐れるべき事象は、皇帝の意を損ねる事に他ならないのだ。
「そして、ガレオス領の平定を終えた彼等が次に狙う場所は、レスト領と隣接している貴女。ナルレニアさんの領土でしょう」
「まあ、そうでしょうね。ガレオスの統治のせいで、あそこは『荒れ』が酷い。まずは防備を固めて、領内の安定を目指すはず。となるとその先まで攻め込む余裕は無く、かといって周囲から援軍の殺到する帝都に攻め込む訳にもいかず。順当にいけば、私との戦争になる訳だ」
聖王国軍は、今乗りに乗っている。今回の戦争で、此方の軍の脆弱さにも気付いたはずだ。
加えて帝国の台所であったガレオス領を手に入れた事で、食料の心配も無くなった。きっと相手は、この勢いに乗って攻め寄せる道を選ぶだろう。
「どうするつもりです? どうやら相手の力は、まぐれでも奇跡でもなく本物だったようですけど」
「んん。そうねぇ……」
腕を組み、再度考え込むナルレニア。
ただでさえ胸元の開いた服装の上、腕に押し上げられた事で尋常じゃない位に強調された豊満な胸部に、シュナエル御付のメイド達が嫉妬で揃って顔を歪めた。
――いいんだ。羨ましくなんか無い、シュナエル様に褒めてもらえさえすればそれで――
自分達の胸に視線を落とし、次いで主を見やる。幸い、あの暴力的な脂肪の塊にも惹かれた様子はなく、ほっと一安心。
従者達が勝手に一喜一憂しているその間に、考えを纏めたらしいナルレニアは、血のように真っ赤な唇で答えを返す。
「とりあえずは」
「とりあえずは?」
「帰ってストレッチ、かしらね」
ぱちぱち、と一行が目を瞬かせる。
が、直ぐに気を取り直したシュナエルが即問した。
「それは、ガレオスを倒した『彼』と戦う為、ですか?」
「まさか。この美しさを維持する為よ」
ひくひく、と一行の頬が盛大に引き吊る。
――ああ、そういえばこの人はこういう人だっけ。
内心納得する少年を余所に、善は急げとばかりに壁から身を離した美女は、颯爽と背を向け去って行く。
その後姿を眺めながら、まあ良いか、とシュナエルは一人ごちた。
「やる事はやってくれるでしょうし。ですよね? ナルレニアさん」
「ええ、勿論」
「「――っ!?」」
突如背後から聞こえた蠱惑的な囁きに、メイド二人は驚愕と共に振り向き身構える。
そこには、ついさっき真逆の方向に歩いて行ったはずの、ナルレニアの姿があった。此方の反応を楽しんでいるのか、くすくすと小さく笑みを浮かべている。
回りこまれた? でも、いつの間に――警戒を強めるメイド達。が、シュナエルは分かっていたように一拍遅れて振り向くと、苦笑い。
「貴女の能力は知っていますが、あまり驚かさないで下さい。僕のメイド達は繊細なんです」
「私は繊細じゃないみたいな言い方ね。別に良いけど」
構えるメイドの間を抜け、先程と同じ様に去って行くナルレニア。
去り際、『それじゃまた~』と言って一度手を振った後、彼女の姿は緩やかに廊下の向こうに溶け消える。
その背に暢気に手を振り返す主の姿を見て、漸く緊張が解けたらしいメイド達は、大きく安堵の息を吐いたのだった。
~~~~~~
シュナエル達と別れた後。王宮の廊下を歩く『二人目』のナルレニアは、先を行った『一人目』の自分と合流し、並んで歩を進めていた。
徐に、一人目が虚空に手を伸ばす。その先に現れたのは、顔よりも二周り程大きな、魔力で出来たウィンドウ。
遥か遠き場所の光景を映す魔鏡を見て、二人は笑う。
「「楽しみね。特にこの、金色の娘は」」
画面の中には、一人の少年に突っ掛かる、エルフの少女が映し出されていた――。
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