第29話 真域

 大型車同士が正面衝突したような、重くしかし甲高い音を鳴らして、辺りへと散らばっていく無色の衝撃。

 敵を打倒する為に極限まで威力を凝縮していたにも関わらず、炸裂した一撃はそのあまりに大き過ぎる威力のせいで、周辺に破壊の嵐を巻き起こす。

 豪奢な白亜の宮殿、その柱が幾つも砕け折れていく。壁は巨大なハンマーで殴られたように幾多もの穴が空き、床や天井の一部は次々と弾け飛び崩壊し続ける。

 そんな、かろうじて建物としての形を保っている宮殿の、最上階。すっかり風通しの良くなったその場所は今、衝撃によって巻き起こった砂埃ですっぽりと覆われ、目隠しされたように視界不明瞭に陥っていた。

 やがて衝撃が収まると、一拍遅れるように吹いた風が余計な幕を取り払う。露になったのは、至近で立ち会う二つの人影。


「う、あ……」


 呻き声が漏れる。

 嫌に静かな謁見の間で、小さく響くその声は、低く細い男のもの。


「くぅあああああああああああああ!!」


 次いで、張り上げたような絶叫が先程と同じ口から放たれた。血を流し、よろけ、後ずさる――ガレオスの、喉から。

 彼の姿は、衝撃の前後で大きく変貌していた。誰とて、それこそ幼児とて一目で分かる程の、明瞭な変化。


「私の、腕が……っ!」


 そう。右腕、その肩から先が丸々無くなっていたのだ。

 白い骨と真っ赤な血肉が覗く断面から、鮮血が迸る。それを残った左手で押さえ込むガレオスは、脂汗を滲ませた顔で、己が身体の一部を消し飛ばした元凶を見やる。

 拳を振り切った体勢で、鋭い目を向ける少年がそこに居た。


「……常に、あんたの力を超える事は出来てないが」


 腕を引きながら、少年――コオヤが、口を開く。


「一撃。それだけなら、超えられるらしい」


 しっかり体とくっ付いている右腕を眺めながら、彼は満足げに目尻を吊り上げる。

 ただ、必ずしも無事かと問われれば、そうでは無い。何故なら彼の右腕は、半ばからあらぬ方向へとひん曲がっていたのだから。

 右腕複雑骨折。それが、ガレオスの右腕を消し飛ばした代わりに彼が負った代償だった。


(かなりばらばらに砕けてやがんな。おまけに肉も相当千切れてる。こりゃ、直ぐには使えそうもないか)


 まるで粉砕機にでも掛けられたような右腕の惨状を見れば、使うという発想が出てくる時点でおかしいのだが、そこはそれ。コオヤの脳内に今あるのは、まだ続いている戦闘に役立つか、という点のみである。

 そう、続いているのだ、戦闘は。フェリナから教わった絶技は確かにガレオスの右腕を消し飛ばしたが、奴自身を倒した訳では無い。おまけに此方の右腕もこの惨状では、一概に有利になったとも言えないだろう。


「まあ、それでも。ずいぶんましにはなった、か」


 断面に力を集中させ、止血を施すガレオスを注視しながら、呟く。

 そうして気付いた、彼がじりじりと下がっている事に。治療の為に距離を取っている――いや、違うな。


「逃げる気か?」

「っ!」


 びくり、微かに身体を震わせたガレオスへと厳しい目を向け、続ける。


「それも悪く無い判断だろうさ、普通なら。けどな、俺にはお前を逃がす気は毛程もないんだ、残念ながら」

「……良いのですか? 貴方とてその腕、相当な重症のはず。戦闘継続は困難でしょう? 直ぐに治療した方が――」

「下らん事言うなよ」


 遮って、更に続けた。奴の思い違いを正すように。


「たかが右腕一本だろ。命を賭けて戦う中で、腕一本。まだ左腕があるし、両足だって、頭突きだって、体当たりだって、幾らでも戦う方法はある。一々この程度で仕切り直しなんてしていたら、何度戦ったって決着なんて付かんだろうよ」

「とんだ戦闘狂ですね。私には理解出来ません」

「かもな。まあ理解されようがされまいが、結局やる事に違いは無い」


 構える。右腕は動かないから、左腕を引き絞り、何時でも跳び出せる体勢に。

 此方が本気だと悟ったのだろう。ガレオスが憎憎しげに眉を歪めて、迎撃の構えを取った。


「愚かな。先程の技以外では私の方が優っているという事実に、違いは無いのですよ?」

「それで? なら――こうするだけだ」


 一直線に加速したコオヤが、その左腕をガレオスへと打ち放つ。

 鏡の様に放たれたガレオスの左腕と激突した拳は、数瞬の拮抗の後に弾かれ――


「がっ……!?」


 衝撃で幾らか体勢を崩したガレオスの側頭部に、拳が突き刺さった。


(馬鹿な、何が……!?)


 吹き飛ばされながら、混乱し横目で見た先には――右腕があった。最早動かぬはずの、コオヤの右腕が。


「しょ、正気では、無い」


 たたらを踏みながら着地したガレオスが、信じられないような目を向ける。

 その先に居たコオヤは、向き直りながら何でもないように、言った。


「そんなに驚く事か? 確かに右腕は動かんが、身体を捻った勢いを利用すれば、武器の代わり位にはなるだろ?」


 コオヤのした事は至極単純だ。身体を横に捻り、その勢いを使って右腕を鞭の様に標的へと叩き付けた。ただ、それだけ。

 だがそれがいかに狂気的な行動なのかは、彼の腕の状態を見ればすぐに分かる事だろう。触れるどころか風に撫でられるだけで激痛の走る患部を、光を捻じ切るような勢いで相手へと叩きつけるのだ。

 まっとうな人間ならばしようとは思わない。思っても実行しないし、したとしても躊躇い大した威力も出せぬまま、絶叫の声を上げて蹲る。

 そんな狂気の沙汰を、眉一つ動かさず実行する人間――この時ガレオスは漸く理解した。こいつは狂っているのでは無い、その更に先に居るのだと。


「狂う、などと生温いものでは無い。何処までも強く、自身の決めた事、自らの信念、己の思いに殉じる、その心。真域に、至りし者」


 これが、コオヤという人間か。

 馬鹿なのでは無い、愚かなのでも無い。彼は何処までも、そう生きている。ただそれだけの人間なのだ。

 飛び抜けた力や才能は、所詮彼にとっては付随物。きっと、それらが無くとも……彼は、同じ様に行動するのだろう。


「さあ、決着を付けようぜ。もう外の戦いも終わっているみたいだし、な」


 一度外へと視線を流し、しかし直ぐに顔を戻して、コオヤは一歩踏み込んだ。

 呼応するように、ガレオスが一歩後ずさる。気圧されている――分かっているが、だからといってどうにか出来るものでもない。


(このまま行けば、敗北する……っ)


 迫り来る結末が、ガレオスには良く理解出来ていた。

 気圧されたからというだけでは無い。勿論それもあるにはあるが、そう判断したのにはもっと明確な理由がある。

 己のスタミナ不足。それが、この土壇場で彼に決定的な敗北を意識させたものの正体に他ならない。

 そも、ガレオスは六戦将随一の『力』を持ってはいるが、それは決して飛び抜けた『体力』を持つ事とは比例しない。

 むしろ策略を第一とし、己の肉体で戦う事を忌避する彼の体力は、六戦将の中で最も低いと言っても過言では無い程だ。

 当然、これだけ打ち合い、全力まで出したとあっては、疲労も色濃く溜まってくる。今は何とか表に出さないように取り繕えているが、それが長続きしない事は自分自身が一番良く分かっていた。

 体力が切れれば、自然振るう攻撃の威力は下がる。満身創痍の身体ながら、始めからまるで衰えた様子の見えないコオヤに対し、それは勝敗を決定付ける致命打だ。


(彼は恐らく、最後の最後まで力が衰えたりはしないでしょう。スタミナが切れても、意地だけで百パーセントの力を維持する。そういう突き抜けた手合いです、あれは)


 常識も何もあったものでは無い。が、己のその考えを、ガレオスは素直に受け入れた。

 そう考えた上で対策を練らなければ、この状況は打開できないと頭の芯が訴えていたからだ。

 全身から気迫を漲らせ、コオヤが歩く。脳を全力で稼動させ、ガレオスが後退する。互いの距離を維持したまま、徐々に二人の位置だけがずれ続けて。


「しかしそれでも、勝つのは私です」


 ガレオスが、唐突に手を振り上げる。

 無視して歩みを進めるコオヤを見据え、その腕を振り下ろし――


 次の瞬間、コオヤの全身を衝撃が駆け抜けた。


 血飛沫が舞い、ただでさえボロボロだった彼の身体が更に傷付いていく。触れられる距離では無かった、衝撃波を飛ばした訳でも無い。ならば、何故なのか。


「カウントラスト。忘れた訳では無いでしょう?」


 ぽたり。血が、落ちた。


「此処は私の根城です。侵入者への備え位、常に用意しています。……この宮殿の壁や床、調度品に至るまで、あらゆる場所には私のカードが仕込まれているのですよ。意思一つで、何時でもカウントを始められるようにね」


 どろり。脚を伝った紅血が、地を濡らした。


「貴方に対しては、この力は弾かれ無効化されてしまうはずですが……どうやら今のボロボロの状態ならば通るのでは無いか、という私の予想は当たっていたようです。流石に効果がそのまま発揮される、とはいかないようですが」


 びしゃり。血の塊が、床に水溜りを作り上げた。


「しかし、それでも十分なダメージにはなります。このまま削っていけば、幾ら貴方でも――」

「それで?」


 その全てを、コオヤは無視した。

 歩く。歩く。歩き続ける。足は止まらず、握る拳は緩まない。

 それを見たガレオスがまた腕を振るい、発動した能力によって再度身体が傷付くが――気にも留めず、ただひたすらに歩き続ける。


「仕込がこれだけだとは、思わないで頂きたいっ」


 ガレオスが、すっかり穴だらけの天井へと目を向ける。

 瞬間、残っていた天板の一部が開き、丁度コオヤの真上から小さな人影が落ちてきた。


「さあ、殺りなさい!」


 落下する影には、猫のような耳と尻尾が生えていた。

 十に成ろうかというそのカリオンの少女の手には、一本の剣。それもただの剣では無い、その身に矛盾を内包する事であらゆる存在を崩壊させる人滅兵器、『アプシロン』。

 発生器たる小さな筒を命一杯握り締め、少女は先から伸びる魔力の刃を、落下と共に眼下の標的へと突き立てる。


「――っ!」


 ずぶり、と嫌な音を鳴らし、白色の刃がコオヤの肩へと沈み込む。

 万全の状態であれば、彼にこんな攻撃が効く筈が無い。しかし今の彼には、この矛盾の刃でさえ身を傷つける凶器足りえるのだ。

 常人ならば発狂するような傷を受け、それでも倒れぬ彼へと、ぶら下がるように柄を持つ少女は必死で歯を食いしばり、与えられた指令を遂行する為に刃を更に深く押し入れて――


「これで、お前は自由だ」


 そっと左腕を背に回され、抱き留められた。同時に、首に嵌められていた黒く頑丈な輪が砕け散る。

 呆然と目を瞬かせる少女を床に降ろし、コオヤは、


「行きな。家族が待ってる」


 虚空に開けた、次元の穴の先を指差した。

 穴の向こうには、突然開かれた道に戸惑う猫の獣人達の姿が見える。謁見の間に飛び込む前、救助されたカリオン達の一部だ。


「ニム!」


 母親と思しきカリオンが、少女の名を呼ぶ。

 戸惑いながらも此方を見上げた少女に、今度は顎だけで穴の向こうを指し示しながら、


「ほら、行けって」


 そう言ってやれば、少女は何度か家族と此方との間で視線を往復させた後、勢い良く穴の向こうへと駆けて行った。


「あ、あの……ありがとうございますっ」


 穴が閉じる直前、深く腰を曲げて頭を下げる少女と家族の姿が、目に残った。

 直後、全身を衝撃が襲う。


「……ちんけな策は通じないって、言ったはずだがな」


 新たな傷を身体に刻まれながらも、気にする事無くこの場の主へと向き直る。

 改めて見た彼の姿は、やけに年老いて見えた気がした。


「もう、良いか? お遊びは。あんな子供まで兵に仕立てて、いい加減満足出来たか?」

「挑発のつもりですか? なら――」

「挑発してんのは、お前だろ」


 ぐい、と右脚を前に出す。

 そこで、ガレオスは気付いた。


(彼……限界が、来ている?)


 進むその速度が僅かに――それこそ、千分の一秒程――低下し、身体が数ミリほどふらついている。

 力強さこそ変わらないものの、その挙動はコオヤという人間が限界に程近い場所に立っている事を示唆していた。

 押せば、倒れる。判断するが早いか、手を忙しなく動かしカウントラストを発動させていく。


 ――この時、もっと落ち着いて距離を取っていれば、あるいは違う決着もあったのかもしれない。けれど自分では冷静だと思っていても、心臓の裏側に粘りついた意地の塊と、見えた勝機に皮一枚分だけ浮ついてしまった気持ち。それらにどうしようもなく掻き立てられていた彼は、後ろに退く事もせずただ己が能力の発動だけに力と意識を割いてしまった。

 それが、決定打。退く事は決して敗北でも何でも無い、この場面では下がる事こそがガレオスという人間本来の行動・考え方だというのに。

 だから、気圧され本来の自分というものを見失った時点で。彼の敗北は、決定していたのだろう。


「俺がこんなになってまでお前に挑む理由はな、簡単だよ」


 気付けば、目の前。呼吸の音さえ明確に聴こえる程至近で、互いの視線が交差する。

 咄嗟に残った左腕の拳を放つガレオスに応じるように、コオヤもまた左の拳を抜き放つ。

 衝突。拮抗。今度は、何秒経っても弾かれない。

 最早飽きる程繰り返された驚愕を超えた驚愕に、ガレオスの思考が凍え固まった。


「気にいらねぇんだ。フェリナの事、俺の周りの奴等を狙った事、俺を舐め腐ってた事。その他諸々、何もかもひっくるめて、お前の全てが気に入らない」


 ぎり、と何かを握り締める音が聞こえる。

 はっとしたガレオスが目を向けた先には、しっかりと閉じられた右の拳と、ぐちゃぐちゃになりながらも弓のように引き絞られた血まみれの右腕。

 動かないはずのそれが、動いていた。纏う血化粧を蒸発させる程の熱量を持って、確かに稼動していた。


 ありえない――幾ら強大な力を持っていたとしても、あの腕が動く訳が――


 理解した気になっていただけで、ガレオスは正しく認識していなかったのだ。そんな、『不可能』を『可能』にするものこそが、狂気を超えた先にあるもの。心の真域なのだ、と。

 均衡する左手も、地を踏み締める両足も、動かせる状態ではない。もし下手に動かせば、そのまま彼の左腕が突き刺さる事は自明の理であったから。

 そして、迫り来る次弾に対応する為の右腕は……今の自分には、もう無い。


「そんな――」

「だから、死ね」


 己の心臓に突き立つ腕を、ガレオスは微動だにせず眺める事しか出来なかった。


 ――戦いが、終わる。

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