第28話 一+一=二

 コオヤとガレオス。戦闘開始から小一時間が経過した今となっても尚、二人の闘争は激化の一途を辿っていた。

 僅かに心の何処かにこびりついていた慢心や余裕、傲慢な驕り。それらを欠片も残さず排除したガレオスの本気の拳は、未だ百パーセントに至らぬ状態でさえ無窮の星星を容易く砕き、数多ある連なる次元を硝子のように粉々に粉砕する。

 その暴力的な力を前に、大半の小細工など意味を成さない。どれほど凝った防御策を張り巡らせた所で、そういった瑣末な理屈・理論を崩壊させるだけの力が、彼の拳には宿っているのだから。

 それでももし、ガレオスがその攻撃力しかない人間であったのならば、コオヤも此処まで追い詰められるような事は無かっただろう。だが容易く手折れそうな老人が持つのは、決して単なる『破壊力』ではなく、純粋な『力』。

 力は、全ての基点だ。強大な力があれば世界を疾走し、自らの肉体をひ弱なそれとは比べ物にならぬ程豪気に稼動させ、また敵手から身を守る為の防護とする事すら可能と成る。

 攻撃にも、防御にも、回避にも。全てにおいて万能の効力を発揮するもの、それこそが純然たる力である。勿論一概に力さえあれば良いと言えるものでは無い、だが力があるという事はそれだけで強者であるのだ。

 故に、傑出した強者しか存在せぬ六戦将の中でも比類なき『力』を持つガレオスは、まごうことなき強者であった。

 その絶対的な自信が、これまで積み上げてきた実績が、ガレオスに芯の通った風格を与えている。何処にでも居そうな禿げた中年男性が、その威を発した時にだけ、一国を統べる王に見える。

 世界を歪ませる程の、王に相応しき覇気を全身に滾らせて。ガレオスはまた次元をも砕く拳を振るい、愚かな反逆者の拳を弾く。

 一体今日何度目だろうか。記憶力には自信があるが、元より数など意識していなかったので詳しくは分からない。ただ、間違いなくこれ程までに拳を合わせた経験は長い人生の中でも初めてだと、そう断言して良いだろう。

 そんな、現在進行形で無二の闘争を繰り広げている相手を厳しい目で見詰め、ガレオスは内心一人ごちた。惜しいものだ、と。


「……どうやら、限界のようですね。貴方の成長が、著しく鈍化しています」


 出会い、戦い始めた頃とは全く別の感情を言葉に乗せる。ほんの数分前まであったはずの苛立ちは今は無い、有るのは純粋に彼の人間を惜しむ心だ。


「現在の私が発揮している力は、全体の九十四%。残り六%、届きませんでしたが……大したものです。素直に賞賛を送りましょう」

「はっ。どういう風の吹き回しだ? あんなに俺を毛嫌いしていた癖によ」


 全身の裂傷から血を垂れ流し、肩で大きく息をしながら吐かれたコオヤの言い分も、最もだった。

 先程までとはまるで態度が違う。酔っ払った迷惑なサラリーマンから、大企業の社長にでもクラスチェンジしたかのような変貌ぶりだ。


「別に、疑問に思う程の事ではありません」


 彼の挑発的な問い掛けにも眉一つ動かさず、ガレオスは答える。


「どうやら先程までの私は、策を散々に潰され少々頭に血が上っていたようです。ですがその熱が引いた今、思うのですよ。貴方をこのまま始末するのは、非常に惜しいとね」


 見詰める瞳にも、紡がれる声音にも嘘は無い。

 浮つき、狼狽する男の姿は既に無く――広大な領地を統べる六戦将として相応しき統治者の姿が、そこにはあった。

 これがきっと、この男本来の姿なのだろう。コオヤは認めるように、心の底からそう思う。

 恐らくは長い平和が、彼の男からその本質を遠ざけていたのだ。己と比肩する者こそ居る者の、競い合う事もなく、満足な敵も無く、夏の泥沼のように生温かい粘ついた平穏が、ガレオスの心を覆う膜を形成していたのだ。


(俺との殴り合いで、その膜が剥がれたってか?)


 敵の覚醒を手伝っていた、という推測に思わず自嘲する。きっと今ガレオスは、まどろみから目が覚めた気分なのだろう。レストに惨敗し、ジンカーの覚悟を目にした時の自分も似たようなものだったから何となく分かる。

 厄介なもんだ。まぁ、だからといって負ける気は無いが。

 敵がどれだけ強くなったところで、する事は変わらない。何時だってそう、俺はひたすらに戦い、殴り抜ける事しか出来やしない。

 息を整えようと幾らか鋭く呼気を重ねるコオヤへと、油断無き瞳を向けながら、ガレオスが続ける。


「私の手駒も減らされてしまいましたし、補充もかねて貴方を部下としたいのですが……了承は、しないでしょうね」

「当たり前だ。誰かに従えられるなんて、俺は御免だね」


 素気無く切り捨てても、ガレオスに落胆の色は無い。そうだろう、と既定の事実を認めるように頷いて、


「ならば、殺します。例え命乞いをし、やはり部下に加えて欲しいと訴えてきたとしても、殺します。貴方は、生かしておくには危険過ぎる」

「もう勝った気とは。俺を舐めすぎじゃねぇの?」


 軽口を叩くが、ガレオスは乗って来なかった。

 以前の彼ならば、戯れに生かしておいてあげましょう、何て挑発的に言ってきてもおかしくなかったというのに。相当此方を評価してくれているらしい。

 最も、評価された所で嬉しくは無いが。


「舐めてなどいませんよ。貴方の力は私に届かなかった、それは確かです。しかし、不意を撃てば私を殺せる、それだけの力はある」

「だから生かしておけない、って?」

「そうです。危険因子は可能な限り排除する。それが、最も安全な生き方ですので」


 じゃり、と音を立ててガレオスの靴が前に進んだ。

 不用意な距離の詰め方をするつもりは無いらしい。堅実に、確実に、一切の遊び無く相手を追い詰め安全に刈り取る。全く、面倒な戦い方だ。


「……なる程。思っていたよりもずっと、やる人間だったらしいな、あんた」


 じりじりと近づいて来るガレオスへと、賞賛の言葉を投げかける。

 それでも表情筋一つ動かさぬ彼へと、コオヤはようやく整った息を軽く吐き、続けた。


「だが一つ、勘違いしてやがる」

「勘違い……?」


 そうだ、と頷くその間にも、互いの距離は少しずつ縮まっている。

 既に彼我の間は二十メートルを切った。彼等にとっては一歩で詰められる射程圏内で、けれどコオヤは焦りもせず、


「俺の成長が止まったのはな、そこが限界だからじゃねぇ」


 確信があった。底など分からぬ自分の、限界点は此処では無いと。

 ならば何故成長は止まってしまったのか。少し考えれば、答えは容易に出た。


「お前を倒すには、これで十分だからだよ」


 言い捨てて、右の拳を握りこむ。

 此方の態度と台詞に、警戒心が刺激されたのかガレオスの脚が止まり、窺うように目を細める。


 ――目を覚ましたってのに、そういう慎重な所は変わらねぇのな。まあ、今はそれがありがたいが、よ。


 薄く笑って、コオヤは右腕を胸の前に小さく掲げた。腰を落とし迎撃の構えを取るガレオスに見せ付けるように、その右肘へと広げた左手を添えながら、言う。


「悪いな。俺はあんたと違って……一人じゃ、無いんだ」


 両腕に、在るだけで空間を歪ませる程の力が集束する。決して外には出ていないはずなのに、存在だけで世界に影響を与える、それは正に現在のコオヤが扱える限界点。

 けれど、そんな集束の限界を超えるからこそ――これは単なる技術ではなく、『業』なのだ。

 添えた左手から、右腕へと集めた力を注ぎ込む。当然、力は溢れかけ――しかしそれを己が気力と理性と本能、そして伝えられた技で押さえ込む。

 腕は悲鳴を上げるが……それでも感じる温かさに不安は消え、コオヤは不敵な笑みを維持し続けた。


 そうだ、恐れるな。信じろ、自分を――彼女を。


 コオヤの左手が、右腕に沿いゆっくり上へとスライドして行く。

 注ぎこまれる力は終わりが見えず、左手が通り過ぎた場所には、絡み合う蔦のような美しい紋様が浮かび上がっていく。

 やがて、肘から拳の先まで。左手が道を通り終えたその時には紋様もまた、肘から拳の先まで広がり、一つの美しい芸術をこの世に誕生させていた。


「レストの奴が何だか不穏な事を言うもんでな。戦争に出る前に、とあるメイドに教わっておいたんだ。最も、流石にあいつほど上手くは出来ないが」


 右腕が放つ輝きにか、それとも籠められた力の強大さにか。瞠目し体を強張らせるガレオスを真っ直ぐ見詰め、コオヤは告げる。


「お前が追い詰め、泣かせた女の業だ。――逃げるなよ?」


 絶技が今、形を成す。


 ――ガレオスとの戦いに集中するコオヤにはあずかり知らぬ事ではあったが、実はこの時、もう一つの戦場でもこれと同じ輝きが現実に形を成していた。

 数多のゴーレムとの戦いを継続する、聖王国軍。やって来たカリオン達の協力を得て、既にほとんどの小型ゴーレムを制圧し破壊しながらも、未だ止まらぬ大型ゴーレムと懸命に戦う彼等の中で、一際気高く立つ彼女。

 狐族のカリオン、フェリナ。大きく手を振り上げ、前へ前へと這い進むノックンステアの進路に立ち、退かず構える彼女の右腕には美しき紋様と極光の輝きが。


 踏み込みは、同時だった。

 異なる戦場に立つ二人。けれどどちらも一歩目は、力強く出した左脚。


「……良いでしょう。来なさい、そして自分の無力さに絶望しなさい」


 ガレオスが腰を落とし、右手を引いて、迎撃の構えを取る。

 彼が迎撃を選んだのは、何も慢心からでは無い。力でこそ優っているものの、速さでは己が僅かに負けている、という事実を正しく認識していたからこそ、回避は困難だと判断したのだ。

 あの輝きが彼の決め手である事は間違いないが、だからといってそれが一度拳を振るうだけで霧散するものとは限らない。むしろ現状を鑑みれば、外したとしても何度かそのまま振るえると見るのが妥当。

 となると、速さで優る彼から無理に逃げ出すよりも、己が優る力で以って迎撃した方が、余程勝率は高いだろう。そう、ガレオスの冷徹な脳は答えを弾き出したのだ。


 ――少なくとも、彼としては非常に妥当な、冷静な判断を下したはずだった。だが、相対する少年の、コオヤの何処までも愚直な熱さに煽られていないかと問われれば……きっと、ガレオスは即答する事は出来なかったであろう――


 また一歩、コオヤとフェリナが脚を踏み出す。激しい戦いによって傷付いた身体で、それでもその動きに乱れ無し。その決意に乱れ無し。

 ぎちりと、筋肉が脈動し地が罅割れる程強く、軸足に力を籠めて。二人は同時に、地を蹴った。

 跳び出す身体。縮まる距離。迎撃の為拳を振り上げるガレオスと、前に進む為巨椀を空へと伸ばすノックンステアへ、二人は共に引き絞った右腕を解き放つ。


「「弧王流檄――」」


 極光が、瞬いた。


「「二埜神ふたのかみ!!」」


 振るわれた枯れ枝のような右腕と、空を見上げるゴーレムの巨大な額へ。二つの絶技が今、轟音と共に炸裂する――。

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