第27話 生き方

 立ち尽くす二人の姿を傍から見れば、一体どちらが有利に見えるだろうか。

 片や、不敵に笑う精悍な青年で……しかし全身傷だらけ、特に双拳からは夥しい程に血を垂れ流している。

 片や、焦燥した顔で警戒を露にするやせ細った壮年の男性で……しかしその五体に損傷は無く、体力も十全に有り余っている。

 この状況をどう見るかは個々人の感性によるだろうが、しかし。そもそも、それ程までに伯仲した状況という事それ事態が、まず異常なのだ。

 なにせつい先刻まで、戦況は完全に一方的なものだったのだから。やせ細った壮年の男――ガレオス――が余裕顔で、精悍な少年――コオヤ――を圧倒し続けるという、常理からは外れた形での。

それがたった一つ。少年が笑っているというそれだけで、こんなにも判然としない状況に早変わり。

 その事実は、ガレオスの脳を著しく刺激する。


「……まさかとは思いますが。一撃、たった一撃偶然にも拮抗した。それだけで、私に追いついたつもりですか? だとすればそれは愚かなる思い上がりで――」

「偶然だと、思うか?」


 言葉は続けられなかった。遮り放たれたコオヤの声に含まれる自信が、後を続ける事を拒絶させたから。

 何故、あの男はこんなにも堂々と立っていられる? 今にも倒れそうな位ぼろぼろなはずなのに、何故そうも自信満々に笑っていられるんだ。


「気に入りませんね。嫌悪を通り越して、憎悪を抱く程に」


 握り締めた拳に一層の力を籠め、踏み込み。


「教えてあげましょう。私の本当の、本気を」


 思い切り振り上げた拳を、コオヤへと叩き付けた。

 呼応し、少年もまた引き絞ったその腕を解き放つ。

 放たれた二つの凶撃は丁度中間で激突し合い、数瞬拮抗した後――


「分かりますか? これが、力の差です」


 コオヤを数十メートルに至るまで、大きく押し飛ばした。

 ざりざりと地を削りながら体勢を維持する彼へと、取り戻した余裕と共に現実を突きつける。お前では私には勝てないのだという、絶対的な現実を。


「先程までの私は、全力を出してなどいなかったのですよ。当然でしょう? 戦う時は常に、一割から二割の力を残しておくもの。常に十割の力を出していては、緊急事態に対応する為の余裕が消えてしまいますからね」

「一割から二割、ね」

「そうです。そして今私は、先程までよりも一割、力を解放しました。幾ら馬鹿な貴方でも理解出来るでしょう? これによって生まれる、差が」


 淡々と、事実を語り聞かせてやる。それこそが、何より相手を絶望に落とすのだ。

 けれど逆に、コオヤは希望に満ち溢れたような明るい顔で、


「じゃあ、残ってたとしても後一割って事だな。お前の、余裕は」

「……何?」

「安心したよ。そんだけなら、追いつくのにそう時間は掛からなさそうだ」


 ――正直に言おう。今、俺の身体には余裕なんて全く無い。

 対して相手はまだ一割の力を残していて、かつ押されているのが現状だ。

 だがそれでも、心が絶望に染まる事などありえない。何故か――別段、希望がある訳じゃない。成長力の差、何て言ったが、そもそも相手に追いつける程成長出来るかも分からない。

 だが、それでも戦う。己の勝利を信じ、突き進む。それが俺の生き方であり、変えられない、変わらない、性根というやつなのだ。

 もし此処で、力及ばず命尽き果てるとしても。後悔する事などありえないと、そう断言しよう。

 何故ならそれが、俺なのだ。レストとの闘争を経て得た、俺自身なのだ。


「……本気で言っているのですか? 私に追いつけると。その確証が、貴方にはあると?」

「いいや。確証なんてもんは無い。俺は、俺自身の才能に賭けているだけだ」

「狂っていますね。才能に賭ける、何て都合の良い事を言っていますが、実際その才能とやらはどれほど信じられるのです? 私に届く前に限界を迎えたとしたら? 諦めるのですか、そこで?」


 ガレオスの言い分はもっともだ。確かにコオヤは類稀なる戦闘の才を持っている、それは疑いようが無い。そしてその底がまだ知れない、というのもまごうことなき事実だろう。

 しかし、ならばその才能が果たしてガレオスに届く程のものなのか? と聞かれれば断言出来る者など居ない、これもまた事実。その時になってみなければ、人の才能の底など確かめようが無いのだから。

 その点で言えば、コオヤの選択はあまりに危険な賭けだった。届くかも分からない才能に賭け、他の選択肢を排除する。努力も、満足な作戦立てもせず、ただそれ一点に命を乗せる。

 馬鹿で、愚かで――しかし迷う事なく、コオヤはその道を選び出す。

 何故ならそれが、自分だと。そう断言できる『心』の強さを、今は持っているから。


「諦めたりなんぞしねぇさ。最後の最後まで、抗って……その結果及ばず死ぬのなら。まあ、俺の才能はそこまでだった、って事さ」

「納得するのですか? 自分の敗北を、死を」

「ああ。あの時こうしていればとか、もっと努力していればとか、そんなみみっちい事は言わないし思わねぇよ。そこが、俺の才能の限界だと言うのなら……俺は、喜んでその才と心中しよう」

「ふん。下らない、結局は努力し考える事の出来ない、怠惰な愚者の言い訳でしょう」


 そう、ガレオスはコオヤの言葉を切って捨てる。

 才能にかまけ、思い上がり、油断する。何という愚か者の生き方か。

 ガレオスだけではない、誰だってそう思うだろう。持っている才能を努力で磨いてこそ、世の中で戦えるのだ。どんなに優れた才能を秘めていたとしてもそれだけで行ける所など高が知れている、終幕は才に溺れて自滅するか、才を持ちかつ努力を重ねてきた人間に打ちのめされるかのどちらかであろう。

 そしてそういう人間に限って、負けると駄々をこねたり、認めないと現実から逃避したりするのだ。少なくともガレオスは、そういった愚者達を飽きる程見てきた。


「貴方も結局は同じです。才及ばず、私に敗北し……何故こうしなかった、何故ああしてこなかった、という失意と後悔。そして、何で俺が勝てないんだという理不尽な怒りを抱いて、あの世へと落ちて行く。それが、貴方の終わりですよ」

「残念ながら、そうはならんよ。言ったろ? 俺は自分の才と心中すると。それに――勝つのは、俺だしな」


 まるで空が青い事を語るような、自然な口調だった。

 その揺るがぬ態度が、ガレオスの脳髄を刺激する。あまりに異なる価値観を抱く彼へと、憎悪が音を立てて侵攻していく。

 それはもう、本能的な拒絶感。水と油よりも反発する、絶対的な敵対者。


「ならばやってみなさい。そして、知ると良いでしょう。現実は貴方が思っている程、都合良くは出来ていないと」

「知ってるさ、都合良く無いこと位。その不都合な現実を都合良くなるように殴り飛ばすのが、俺と言う人間だとも、な」


 互いに拳を構え、身体の隅々まで力を巡らせる。

 問答は終わりだ。後は、どちらの言い分が正しいか……実際に戦って、示すのみ。

 無言で同時、跳び出し。二人の拳が、またぶつかり合った――。


 ~~~~~~


 ゴーレム――ノックンステアが、地に落ちる。

 無数の攻撃魔法を喰らい、頑強なはずの身体をボロボロと砕き散らせ、図太い脚を折り膝を突く。

 己を支えるその足さえ、数多の魔法によって穿ち抜かれ……巨大な振動と地響きを起こし、赤茶けた城壁はうつ伏せるように地に横たわった。

 魔法の一斉射が終わりを告げる。巻き起こった数多の爆炎・粉塵が晴れた時、そこにあったのはただの巨大な岩の塊であった。


「倒れてくれた、か」


 安堵するように、トラッドは呟く。

 あの魔法の一斉射でも倒せるかは定かでなかった相手だが……どうやら自分達は、賭けに勝ったらしい。

 目の前で動かなくなったゴーレムを一瞥し、辺りに散らばる兵達へと視線を飛ばす。

 誰も彼もが傷ついていた。当然だが、無傷の者など誰も居ない。後方に控える魔法部隊ならば傷の少ない者も居ようが……彼等は彼等で、身の底から魔力を振り絞り、大きく疲弊している事だろう。


「無事ですか? トラッド殿」


 隣に降り立った狐族の少女、フェリナにああ、と一言頷いて返し、大きく深呼吸。

 戦いの興奮を少しだけ収めたトラッドは、次の行動へと思考を移す。


 ――この時完全に戦闘体勢を解かなかったのは、トラッドの指揮官として、戦場に立つ者としての素養の高さが故だろう。そしてその本能的判断は、彼等自身を救う事になる。


「よし。後は、コーテンクノアを制圧して……っ!」

「? トラッド殿、どうかしましたか――」

「総員、戦闘体勢! まだ戦いは終わっていないぞ!」


 魔法を通じて、怒号にも等しい命令が聖王国軍へと染み渡る。

 咄嗟に武器を構えた兵達の前で――砕けたはずのノックンステアの破片が、動きを見せた。

 バラバラの破片達が結集して再び一つに成った、のでは無い。それぞれが僅かに形を変え、人間大のゴーレムへと変貌したのだ。

 ずんぐりとした胴体に、低く太い頭。無骨な四肢を備え付けた石人形の数、総勢三百以上。

 数だけ聞けば、二万近い数を誇る聖王国軍の敵では無いと思うかもしれない。だがその全てが矢も剣もほとんど通らない防御力を誇っているとなれば、状況は違ってくる。


(こんな手も残していたとは。どうする、数で押し潰すか?)


 幾ら高い防御力を持っているとは言っても、無敵では無い。包囲殲滅すれば、勝利は間も無く此方の手に落ちてくるだろう。

 だがそんなトラッドの計算を、響く地響きと動き出す巨体が突き崩す。


「な……! あの巨人、まだ動けるのか!」


 驚愕する彼の目の前では、倒したはずのノックンステアがその体をぎこちない動きで稼動させ、残った右腕を使い這うように移動し始めていた。

 赤子のような挙動、しかし四十メートルを超える巨体がそれを行うだけで、児戯は圧倒的な質量による暴威と化す。

 岩の津波と化した巨人が向かう先は、先程己を打ちのめした魔法の源。


「魔法部隊を狙っているのか……! まずいっ」


 がりがりと地を削り動く巨人の速度はそう速くは無いが、だからといって楽観視出来るものでもない。長時間の戦闘によって此方の消耗も激しい、この先のコーテンクノアの制圧、そして来るであろう援軍への対処を考えれば、早期に決着を着ける事が望ましい。

 巨人は勿論、小型のゴーレム達までもが魔法部隊を目指し進軍している現状は、トラッド達に早急の対処を迫らせた。魔法部隊はその性質上近くに寄られれば弱い、だが同時に戦争という多数と多数がぶつかる戦いに置いて、中核となる火力を持っている。

 あの部隊の壊滅は、戦争に置ける圧倒的な不利状況の形勢に繋がるのだ。唯でさえ数で負ける帝国軍との戦い、唯一此方の誇れる点である優秀な魔法使い達の損失は、趨勢を決める決定打にさえなってしまう。

 石人形達の無情な行進を、何としても止めなければならない。総指揮官としてその手段を模索するトラッドだが、


「部隊が遠過ぎる。ノックンステアを警戒し距離を取っていた事があだとなったかっ」


 肝心要の兵達との距離が、遠過ぎた。

 兵達が居るのはゴーレムを挟んで魔法部隊と丁度真逆、しかも前述の通りその距離は遠い。追いつくことは出来るだろう、しかしもしその防御力を盾に此方を無視し、魔法部隊へと一直線に進まれたら。


(奴等を倒しきるには、時間が足りん)


 数の差を利用して、無理矢理動きを止める事も考えたが……恐らくは無理だろうと判断する。ゴーレムはその性質として常人を遥かに超えた膂力を持つ、拘束しようとしても非力な自分たちではほぼ不可能であるし、此方の被害が余計に増えるだけだ。


「どうするのです、トラッド殿っ」

「魔法部隊による攻撃魔法の再斉射……間に合うか!?」


 しかし、それしか手は無いとも理解していた。

 小型大型問わず、火力で纏めてなぎ払う。最も有効的で、最もリスキーな作戦。


(魔法の準備をしている間、部隊は動けん。間に合わなければ……壊滅するだけだ)


 部下達に魔法で連絡を取り、合流してゴーレムの足止めを行うよう指示を出しながら、トラッドは考え続ける。

 中々浮かばない名案に苦渋を呈しながら、一先ず馬を走らせ距離を詰めていく。どうすれば良い、そう思考の袋小路に詰まりかけた、その時。


「トラッド殿、あれをっ!」


 隣を走るフェリナに促され、指し示された先――ゴーレムの向こうを見やった。

 そうして、驚愕する。


「あれは……カリオン!?」


 そこには、大地を駆ける獣の大群の姿があったのだ。

 総数約二千、群を成し正しく秩序を守って突き進むその姿は間違いなく彼等がただの獣ではなく、その特徴を持つ種族、カリオンだという事を示している。

 そんな彼等の先頭を走る人物に、フェリナは見覚えがあった。


「シーネア殿!? 何故此処に」

「人質の避難が終わったんでね。私達も戦いに来たのさ」


 疑問をそのまま投げ掛けながら素早く跳び出し、熊の獣人――シーネアの横へと並べば、彼女は脚を動かしながら気楽に答えた。

 周囲のカリオン達も、同意するように頷いている。かと思えばゴーレムの軍団と接敵すると同時、強靭な脚力を活かして次々と飛び掛っていく。


「私達が奴等を止める。その間に軍を集結させ、魔法の準備をしな!」


 配下に続き跳び出したシーネアの豪腕が、小型のゴーレムを激しく打ち据えた。破壊こそ叶わなかったものの、熊の特性を活かした強靭な拳はゴーレムを踏ん張り空しく地面へと押し倒す。

 エルフと比べ圧倒的に身体能力で優り、数でもゴーレムを大きく凌駕するカリオン達の一気呵成な強襲。その効果は押して知るべしであり、知恵も無い石人形達は見る間に無力化されていく。

 勿論、地面に引き倒し押さえつけた位で安心出来るものではないし、大型のゴーレムまでは流石に止められない。だがそれでも、後方の聖王国軍が追いつき、魔法の再チャージを完成させるには十分過ぎる希望、時間的余裕は生み出せる。


「我らは一人……いや、一種族ではない、か」


 先程までの焦りから一変、好転した状況に安堵しながら、トラッドはカリオン達に続いてゴーレムへと剣を叩き付けたのであった。

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