第26話 譲れぬもの

 ゴガン、と巨大な鉄球同士をぶつけたような、重く苦しい音が白亜の宮殿に響き渡っていた。

 それも一度や二度では無い、何度も、何度も。


「……はぁ……はぁ……」


 そんな、すっかり荒れ果て原型も分からなくなった謁見の間で息を荒げ、正面を見据えるコオヤ。

 彼の身体は傷つき、ボロボロで、至る所から血を垂れ流している。

 対するガレオスは、ほぼ無傷。幾らか服が破れたり、かすり傷のようなものは負っていたが、ダメージらしいダメージは見当たらない。


「ふん。いまいち理解出来ませんね」


 そんな余裕綽々のガレオスが、疑問気な顔で問う。


「どうして私と、わざわざ打ち合うような真似をするのです? 『力』で敵わないと分かったのなら、他の手段で戦えば良いものを」


 疑問に思ったのは、先程からの少年の戦闘行動についてである。

 ガレオスが六戦将一の『力』を持つとばらした後。彼は、真正面からの殴り合いを挑んできた。

 互いに拳をぶつけ合い――その結果が、今だ。

 右拳も、左拳も、両足も、敢えて鏡のようにぶつけ合い、その力を比べ合い。その全てに、コオヤは敗北していた。

 拳と拳が当たれば、コオヤの拳だけが弾かれて。脚と脚が組み合えば、コオヤの脚だけが弾かれて。

 出来た隙に更なる攻撃を叩き込まれ――ボロボロの少年が一人、出来上がったという訳だ。

 だからこそ、ガレオスは不可解だった。彼の狙いが全く読めない。

 戦闘とは基本、互いの強みの押し付け合いであるとガレオスは考えている。相手よりも優れた部分をぶつける事で、自身を有利とする。それが戦法というものだとも。

 その点でいえば、目の前の人間の戦い方は自身の価値観のまったく逆に位置するものだった。力をぶつけ合っては勝てない、ならば速度でかく乱するなり、技で対抗するなり、なにかしら新たな手を考えるべきだろうに。

 敵の方が絶対的に有利であり、敗北の確定した土俵で戦う。これほど愚かな事が他にあろうか。


「ふざけた事、言ってんじゃねぇよ」


 傷ついた体で一歩踏み出し、コオヤの唇が三日月を形作る。

 その姿は、確かに愚か者で――しかし何処か、輝いて見えた。


「お前は真正面から殴り倒すと、そう決めてんだ。今も、同じ。だから、この俺の拳でお前の拳を砕いた上で、しっかりとぶち殺してやる。それだけの、シンプルな話だ」

「なる程。貴方なりのちっぽけなプライド、と。……そんなものに拘って命を落とすからこそ、愚かだというのに」


 心底見下した目で、ガレオスは吐き捨てる。

 馬鹿な話だ。自分にだって策謀に拘るというプライド染みたものは存在するが、それもこうして危機となれば捨てるに限る。

 生きていればこそプライドを再び掲げる機会も来るというもの、死んでしまっては何の意味も無い。

 ――そう、ガレオスは考える。正に、コオヤと真逆に。


(逆だ、逆だ、逆なんだ)


 声には出さず、内心だけでコオヤは紡ぐ。


(下らない意地や、ちっぽけなプライド。それで良いんだ。その為に命を賭ける……それで、良いんだ。その、生存本能にも逆らうような馬鹿な理性こそが、人間の強さ。生命の限界を超えるからこそ、何よりも強く……輝いて、見えるんだ)


 それが分かっていないから、お前は高が知れてるのさ。

 心で思い、薄く笑った。そうしていぶかしむガレオスへとまた、真っ直ぐに距離を詰めて行く。

 握り締められた拳はお前を殴るという意思表示。揺るがぬ歩調は決して逃げないという決意の証。


「飽きない事で。なら、これでどうです!」

「っらあ!」


 大きく振りかぶられ、放たれたガレオスの拳に合わせ、右拳を打ち出す。

 ぶつかり合う拳と拳。二つは一瞬だけ拮抗し、しかし此方の拳だけがまたも弾かれる。


「はは、それが貴方の限界なのですよ!」


 揺らぐ体に追撃を掛けるように、ガレオスが左腕を引き絞った。

 その拳が解き放たれる――よりも早く、浮きかけた両足を踏ん張り、左腕の筋肉を酷使して、左拳を高速で前方に打ち出す。

 またもぶつかり合う二つの拳。またも一瞬拮抗して、またも此方の拳だけが弾かれる。


「無駄な行為だと、いい加減気付いたらどうですか!?」


 愉悦と共に嗤い、繰り出されたガレオスの拳に、更に自身の拳を重ね合わせる。

 何度も、何度も、弾かれる度にまた穿ち、一歩も退かず、ひたすらに。

 既に拳は、己の血で真っ赤だ。コンクリートの壁を全力で殴りつけたような、その万倍は酷い痛みを抱えながら、それでも殴りあう事だけは決して止めない。


「ほら、ほら、ほら、ほら! どうしました、もっと強く打ち込んでみなさい!」


 霞む拳がぶつかる度、汗よりも濃く飛び散る鮮血。

 傍から見ればきっと、誰もが彼の行為を無駄だと断じるだろう。勝利する為に、もっと有効な手立てを考えるべきだ、と。

 けれどそうしないからこそ。コオヤという少年は、不可能にも手が届く。


「むっ……?」


 嬉々として殴り合いを行っていたガレオスの表情が、僅かに曇った。

 ほんの少し、そうほんの少しだけ、押された気がしたのだ。相手の攻撃を思い切り弾いた瞬間、今までとは違い数センチだけ、己の拳が後退した。


(少々気を抜きすぎましたか。気をつけなければなりませんね)


 緩んでいた気を引き締める。

 ガレオスはコオヤの事を愚か者と見下してはいるが、同時に自身と戦えるだけの実力を持つ強者だと認めてもいた。

 だから表面状は余裕ぶっていても、内心では油断していない。強すぎる力を持つが故に寿命というものを超越し、何百年と生きてきた彼の長年の経験の賜物だ。


(いい加減、野蛮な闘争にも嫌気が差して来ました。一気に終わらせましょう)


 そう思い、繰り出した拳。けれどそれはまた、数センチだけ後退する。

 眉を顰めながら、今度は蹴り。それは、鏡合わせに振るわれた少年の脚を弾き――またも、数センチ後退する。

 おかしい。やっと、ガレオスは気付く。

 よもやこのギリギリの状況で、余力を残していたという事はあるまい。先程までの攻防は、間違いなく彼の全力であったはずだ。

 ならば、此方の力が弱まっている――? 否、それも無い。自身の状態はきちんと把握している、特別な干渉を受けていもないし、体力が切れた訳でもない。

 ならば、何故。そう思いながらも振るった拳は、今度は十センチ以上も後退した。

 思わず、驚愕と困惑を宿した瞳で少年を見詰め――咄嗟に、二十メートル近い距離を跳び退いた。


「……どうした。急に下がったりして」


 何故なら。微かに見えた、少年の顔が――笑っているように、見えたから。

 断じて、死地に追い詰められた人間のする表情ではなかった。あまりに不気味で、壮絶に過ぎる顔だった。


「来ないのか? なら……こっちから、行くぜ」


 地を砕き、コオヤが跳び出す。

 その体勢から右拳による拳打だと予想し、対抗する為自身もまた二歩素早くステップを踏んで勢いを乗せ、ガレオスは右の拳を一気に打ち出す。

 最早何度目かも分からぬ、ぶつかり合う拳と拳。所詮は同じ結果だと、ガレオスはそう嘲ろうとして、


「――っ!」


 離れぬ拳の感覚に、思わず目を見開いた。

 いつもならば刹那と間をおかず弾かれるはずの拳が、そこにあった。六戦将一の力を誇るはずの己の拳と、確かに拮抗していた。


(馬鹿な、こんな――)

「おおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 気合の咆哮。渾身の力が籠められた少年の拳は、やはり弾かれ。

 同時に、ガレオスの拳もまた、大きく後ろに弾かれていた。


「な、何故……」


 理解出来ず、よろけるように数歩後ずさるガレオス。

 震えさえ混じるその声に、はっきりと返してやる。


「何故も糞も無い。成長期の少年と、衰退期のおっさんと。その成長力の差、って奴さ」


 軽口を叩き。コオヤは吹くように、細く息を吐いたのだった。

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