第25話 一対二万

「動きを止めるな! 確実に間合いを取れ!」


 コーテンクノア外部、広大なる平野にて。

 未だ、聖王国軍二万と一体の巨大で重厚なゴーレムによる戦いは、終わりの色を見せていなかった。

 トラッドの指示に従い、軍が一つの生き物のように滑らかに形を変える。魔法による連絡によって部隊間の即時連携が可能であるという点は、勿論あらゆる戦いにおける最重要事項ではあるのだが、特にこの戦いにおいてはそれが顕著だ。

 ほんの少し指示が遅れる、それだけで致命傷になりかねない。天に届こうかという巨大な圧力に対抗する為には、二万の力を一つに束ねなければ到底叶わないのだから。


「固まるな、歩兵は分散し、距離を離した上で包囲しろ! 魔法の用意が整うまで、時間が稼げれば良い!」


 頑強なゴーレム……ノックンステアに対し、聖王国軍の取った戦略は極限まで高めた魔法の一斉射による、完全破壊である。

 かの人滅兵器は元より頑強な、特殊な石材で出来た城壁を変形させたものであり、弓や剣による攻撃はあまり意味が無い。ちまちまとした魔法で攻撃しても、また同じだ。

 だからこそ、後方に控える射撃魔法を得意とするエルフ、約二千の力を束ね、確実な砲撃を喰らわせてやらねばならない。


(だがあれを破壊するとなると、相当な時間が必要だ。それまで、果たして前線部隊が持つか――)


 内心の苦渋をおくびにも出さず、トラッドは部下へと指示を出す。

 指揮官は常に、堂々としていなければならない。そうでなければ部下が付いて来ず、余計な疑念を抱かせる。

 それが、彼の考える指揮官の在り方の一つである。だからこそ崩れ落ちる家屋を皆で支えるような、極限を超えた綱渡りの中で尚、その内心の弱さを微塵も外へは出さないのだ。


「くっ……総指揮官、矢がほとんど効きません!」

「構わん、撃ち続けろ! 魔力を纏わせた矢なら、見えない程僅かかもしれないが、確かに削れている。我らには奴のような巨体も暴力も耐久力も無いが、代わりに数があるのだ。一本では一ミリしか削れなくとも、一万本あれば……!」

「は、はいっ!」


 動揺する部隊長を嗜めるように、檄を飛ばす。

 幾らこの後魔法による一斉射が待っているとはいえ、少しでもダメージを与えておいて損は無い。何せ本当にその魔法で倒せるとも限らないのだ、此処で与えた僅かな損傷がこの戦いの勝敗を分けることも十分ありえるのである。

 指示に従い、断続的に放たれ続ける幾千もの木矢達。それらは全て頑強な身体に弾かれるが、それでも少しずつ、ほんの少しずつあの石壁を削っている。


「っ、まずい、第三部隊が……!」


 と、ノックンステアが大きく歩を進め、右翼に展開していた第三部隊との距離を一気に詰めた。

 あまりに大きな一歩一歩は、歩兵が駆けるよりも遥かに速い。このままいけば第三部隊は潰され、そこからなし崩し的に他の部隊も壊滅する事になるだろう。


「危険だが……第一騎馬隊、お前達に行ってもらう。良いな?」

「勿論ですっ」


 命令でありながら最後に問い掛けたのは、危険すぎる場所に部下を送り出す事への罪悪感からか。

 ともかく、上官の指示に一片の躊躇いもなく応え、騎馬隊は一直線にゴーレムへと突っ込んだ。


「総員、恐れるな! 所詮はでかぶつ、我らの速度を見せてやれ!」


 隊長の指示に従い走る精鋭揃いの第一騎馬部隊、総数六十。

 突出する彼等の存在に気付いたのか、ゴーレムが歩を止め振り返り、そのビルのような腕を大きく振りかぶる。

 その動作を見た時には、既に騎馬隊の隊長は部下に指示を出していた。


「想定通りか……散開っ!」


 彼の指示に従い、部隊が二つに別れる。

 部隊長が指揮する三十の騎馬兵は右側へ。副隊長が指揮する三十の騎馬兵は左側へ。

 それぞれ散った二組の騎馬達は、大地を揺らし深いクレーターを作り上げた石壁の巨椀を見事にかわすと、ゴーレムの懐に潜り込む。


「攻撃っ!」


 再び放たれた指示に従い、騎馬隊はすれ違いざま、一斉にその手の剣でゴーレムの脚を切りつけた。

 横一文字に刻まれる側面の傷。それは、一騎だけならば単なる落書きに過ぎないが、三十の兵が全て同じ場所をなぞればかすり傷程度には進化する。

 四十メートルを超える巨体。丸太すら比較にならない程太い両足。そこに付けられたのは深さ二十センチにも満たない浅い溝だが、しかしそんな塵のような攻撃の積み重ねが勝利へと繋がるのだ。

 切り抜けた騎馬隊を追う為、ゴーレムが反転する。しかし小回りの効かないゴーレムの動きは遅く、振り向いた時には既に騎馬隊はその腕の射程の外まで逃れていた。

 そうして隙を晒した背中に、またも殺到する矢の嵐。更には十分な距離を取った左右の部隊からの斉射も加わり、少しずつ、その巨体を削り取っていく。


「良いぞ! 奴の思考ルーチンは単純だ、右に行こうとすれは左が、左に行こうとすれば右が、注意を引くように攻撃を加えろ! それでも駄目ならば騎馬隊がかく乱する、安心して時間を稼げ!」


 トラッドの言葉が皆に伝わり、その心を落ち着かせていく。

 威圧感の塊とも言えるあの巨体を前にして、未だ乱れる事もなく集団戦闘を継続出来ているのは、間違いなく彼のおかげだろう。


 しかしそれだけで対処出来るようならば、ガレオスがこの人滅兵器を文字通り最後の砦とする訳が無い。


「何だ、動きが変わった……? まさか、此方に突っ込んで来る気か!?」


 これには流石に、トラッドも焦燥を隠せない。

 幾ら左右の部隊が攻撃を加えても、騎馬隊が突撃しても、ゴーレムはその狙いを変えず真っ直ぐ己の下へと突っ込んで来るのだ。


(事前に出された指示や思考形態に縛られているものかと思ったが……よもや、途中での変更も可能だったとはっ)


 気付いた時にはもう遅い。急ぎ指示を出し部隊を散開させるが、それらにも一切目をくれず、ノックンステアはただトラッドを――この軍の総指揮官を目指しひた走る。


(下がるか……!? 否、駄目だ!)


 迫る赤銅色の巨体を前にして、けれどトラッドは退かない。嫌、退く訳にはいかない。

 己の後方には魔法部隊が居るのだ。此処で後ろに退けば、奴を倒す手段を失う事になる。

 かといって左右に逃げるだけでは、その長大な腕でなぎ払われる。活路があるとすれば――


「前かっ!」


 馬の腹を叩き、トラッドは迫る巨体へと逆に突っ込んだ。

 騎馬隊がそうしていたように、足元を走り抜ける作戦だ。


(敵が此方の狙い――魔法部隊による、一斉射――に気付く前に、出来るだけ距離を離さねばっ)


 その為ならば、自身を囮とする事も厭わない。元よりその程度の覚悟は抱いている、なにより此処は戦場だ。


「指揮官だからといって、後ろで怯える事しか出来ない訳では無い!」


 決死の突撃。その判断の潔さと素早さが、彼の命をかろうじて救った。

 振り下ろされた巨人の腕は、トランドの後方へと落ちて行く。足元を抜けた彼は、一先ずの無事にほっと一息吐き――


「――!」


 巨人の足が、円を描く。

 左脚を軸に、反転しながら、右脚が地を削る。所謂脚払い、しかし常人とは規模が違う。

 ガリガリと削岩機のような音を鳴らしながら側面より迫る壁を、トラッドは目を見開いて見詰める事しか出来なかった。

 全力で馬を走らせてはいるが、明らかに間に合わない。今から反転してもまた同じだ。


(逃げ切れないか――)「総員! これより先の指揮は副長が取る! ……後は任せたぞ」


 咄嗟の指示だった。これより先聖王国軍が勝利するため、余計な混乱を避ける為の指揮権の譲渡。それが、死が目前に迫る中トラッドの脳が弾き出した、最後にするべき行動だった。


「総指揮官!」


 副長の声が聞こえる。沢山の部下達の声も。

 けれどそれにも応えず、せめて最後に一太刀喰らわせてやろうと、トラッドはその腰の剣を抜き放ち――


「諦めるのは早いぞ、トラッド殿!」


 決意を引き裂いたのは、凛々しき女性の声。はっとして顔を上げれば、巨大なゴーレムの腕を、一人の少女が駆け昇っている。

 この軍唯一のカリオンであり、特別遊撃兵でもある少女――フェリナだ。彼女はその優れた身体能力で以って一瞬で巨腕を駆け上がると、振り返るゴーレムの目の前へと跳び出した。


『なあコーヤさん。一つ、質問しても良いだろうか?』


 大きく右腕を引き絞る彼女の脳内に過ぎるのは、つい先日の記憶。己の問題が解決した後、早朝の鍛練に主が来てその頼みを受けた時、代わりに聞いた事。


『何だ? よっぽどおかしな質問じゃなけりゃ、答えてやるが』

『いや……どうやったらコーヤさんのような力強い拳が打てるのか、それが気になってな。勿論貴方の力が規格外に強いのは知っている、だがそうではなくて……なんというかもっと別の強さがある気がするのだ、貴方の拳には』

『んな事言われてもなぁ。俺はただ殴ってるだけだし……ああ、でも一つだけ』


 彼の答えは、脳内に刻み込まれている。それを今、思い出す!


『「どんな相手だろうと、絶対にぶっ飛ばす。それを、心の底から拳に籠める!」』


 解き放たれた右腕は、ゴーレムの顔面を真芯で捉えた。

 拳に伝わる、堅く頑丈な石の感触。その痛みにも負けず、フェリナは拳を思い切り振り切る。

 途端――爆薬の炸裂にも似た衝撃を受け大きく揺らぐ、ゴーレムの身体。

 ぐらり、急速に上体が逸れ、人の数十倍はあろう巨体がたたらを踏んだ。そう、攻撃に使うはずだった、右脚をも使って。

 打撃を受けた顔面こそ、幾らか欠けただけだったが――確かにあの巨大なゴーレムが、ちっぽけな人間大のカリオン一人に押し止められていた。

 その光景に驚愕し。しかし同時に、自嘲するようにトラッドは笑う。


「これも、若者の力というものか」

「トラッド殿! 今の内です!」


 着地しながら呼びかける彼女に従い、トラッドは馬を走らせた。

 全くあの少女といい、その主人である少年といい、最近の若者は随分と力強くなったものだ。


(ならば今度は、我らエルフの力を示してやらねばな)


 カリオンや人間に負けてはいられぬ。そう意地を張りながら首だけで振り返った先、ゴーレムの向こうでは、いよいよ限界まで高まった魔力が空を歪ませ立ち昇っている。


「さあこっちだ石人形。墓場まで連れて行ってやる!」


 皆に離れるよう指示を出しながら、ノックンステアを適切な距離と位置へと誘導する為、トラッドは疾走する。

 その間にもカリオンの少女は適宜攻撃を加え、追いつかれないように足止めをしてくれていた。

 その少女にも離れるよう魔法で告げ、馬を止めると、遠方のゴーレムを真正面から見据え、片手を上げ深呼吸。


「撃ち放てええええええ!」


 風。炎。水。雷。光。闇。

 振り下ろされた腕と、力強き号令に応え解き放たれた魔法の渦達が、無防備な石人形の背中へと殺到した――。

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