第24話 正体

 すっかり荒れ果てた白亜の宮殿に、ぱたぱたと音が鳴る。

 それは、血の音だ。罅割れた床に落ちて行く命の源、その鮮血のしただる音色。

 そして、その血を流しているのは――誰を隠そう、コオヤである。


「これは、驚きました」


 だが、驚きの声を発したのは、彼では無い。必殺の能力を叩き込んだはずの、ガレオスの方だ。

 これまでの戦闘のように大きく後退した彼の目に映るのは、しっかりと両足で立つ敵対者の姿。

 その、身体の前面に大きな袈裟懸けの傷を受けた少年は、しかし実に軽い調子で言う。


「何だ。案外、大した事はないな。あんたの能力」


 自らの傷をなぞる。表面状は確かに切られている、だがそれだけだ。

 深い所までは至っていない、単なる軽傷。あのカードの絵のように二つに別たれてなどいないし、戦闘にも支障は無い。

 結論から言えば、コオヤは無事と形容して差し支えない状態であった。


「自らに纏った力で、此方の能力を相殺した――要するに単なる力押し、なる程蛮族らしい対抗法です」

「別に良いだろ? カードに描かれた現実を押し付けてきてるあんただって、似たようなものだしよ」

「……一緒にしますか。この私と、愚か者の貴方を。その罪、極刑に値しますっ!」


 ガレオスが、天を仰ぐように両腕を広げた。同時、空中に大量のカードが現れ、螺旋階段のように渦を巻く。


「手加減は終わりです。一枚ならば弾けたかもしれませんが……これだけの数と力の奔流ならば、どうです?」

「直接手で掴んでいたのは、遊びだったって訳かい。――舐めてやがんな。むかつくぜ、そういうの」


 怒りに呼応し、吹き出る力。それを身に纏い、コオヤはガレオスへと距離を詰める。

 ゆっくりと、歩いて。


「……? 何のつもりですか? 既にカウントは始まっているのですよ?」

「そうだな。ただし、逆だ」


 逆? と首を傾げるガレオスに、告げる。


「俺が歩くこの一歩一歩が、お前の終わりまでのカウントダウンだ。零は、お前の目の前。それまでは精々好きにカウントを刻めば良い」


 ガレオスの顔が、驚愕に染まった。

 詰まり彼はこう言いたいのだ、お前の能力なんぞ効きはしないから、存分に足掻けと。

 過ぎた挑発とありえない自信に、顔を激昂で真っ赤に染めながら、ガレオスは叫ぶ。


「……良いでしょう。そんなに死にたいというのならば、今すぐ死ねっ!」


 カードのカウントが、一斉に進んだ。けれど怯まず、ペースも変えず、コオヤはただ歩く。

 まるで散歩でもするような軽快さで、一歩。ガレオスが拳を握り締め、カウントがまた一つ進む。

 途端、発動した幾枚かのカードの効果が、コオヤを襲った。片目を抉られるカード、耳を切り落とされるカード、脚を折られるカード。

 その全てを、彼は何をするでもなく、一蹴する。


「ば、馬鹿な……」


 呻くガレオス。力漲る少年の身体には、新たな傷は一つも無い。

 また一歩、彼が歩みを刻み――発動したカードの効果が、再度弾かれ消え失せた。

 彼が一歩踏み込む度、ガレオスもまた一つ行動を起こし、カウントが一つ進む。その度にカードの効果が発動し、しかしそれは迫る少年に何一つ傷害を与えない。

 まるで無意味。まるで無効。

 ガレオスの能力の全てを無視した、有り得ざる正面突破の光景が、そこには存在していた。


「こんな、こんな事が!?」


 一歩進む、能力が発動する。一歩進む、能力が発動する。一歩進む、能力が発動する。一歩進む、能力が発動する。一歩進む、能力が発動する。

 そんな行程を幾十と繰り返し。気付けば、コオヤはガレオスの前に立っていた。既に塞がった初めの傷意外、怪我らしい怪我は見当たらない。

 絶対強者。そんな言葉さえ浮かぶような、圧倒的な戦闘――これを戦闘と呼べるのならばだが――だった。

 相手の仕掛けてくる全てを破砕し、突き進む。正に強者にのみ許された戦闘法である。


「で。ちんけなマジックショーはもう、終わりか?」

「く、う、まだですっ!」


 焦り、咄嗟に新たなカードをその手に出現させるガレオスだったが、それは悪手だ。

 何せ既に彼は目の前、逃げる以外の動作をする暇など無いのだから。


「これで――」

「遅いんだよ」


 一撃。ほぼノーモーションで放たれた前蹴りが、ガレオスの腹部を打ち抜いた。

 声にならない悲鳴を上げ、王だった男が吹き飛んで行く。自らが座るはずの玉座を蹴散らし、破壊し、壁に突き刺さるまで。

 一瞬貼り付けになった後、ずるりと壁を擦り落ち頭を垂らすガレオスを眺め、コオヤは軽口一つ。


「目の前の敵に、時間の掛かる手を使うアホがいるか、間抜け」


 止めを刺す為、再びその距離を詰めていく。

 ガレオスは、動かない。新たなカードを現出させる事もなく、ただぐったりと罅割れた壁に寄り掛かり、死んでしまったようにぴくりともしない。

 が、そんな死んだふりなどコオヤに通じる訳がなく、気配で生きている事を感じ取ると、その身に纏う力を緩める事無く、再度ゆっくりと歩み寄った。

 余裕に溢れているように見えて、その実隙が無い。完全無欠に叩き潰す――それだけを考え、ただ歩く。


「く、くぅ……」


 と、己の行為の無意味さを悟ったのか、呻きと共に立ち上がるガレオス。

 ただしその両足は震え、両手を膝に着きかろうじてという有様ではあったが。

 フルマラソンを走りきった後のように中腰で俯いたまま、前さえ向けないガレオスだったが、だからといって容赦する心などコオヤは持ち合わせては無い。

 目と鼻の先に立つ強者に見下ろされ、自分はその爪先しか見れないという現状を、果たしてガレオスはどう思っただろうか。少なくとも、彼の人生において一・二を争う屈辱である事は、間違いないだろう。


「レストのように、生かしてはやらんぜ。お前は、外道が過ぎた」


 握る拳に、力が籠もる。言葉通り致死の一撃を振りかぶり、コオヤは禿げ散らかした男の頭を見下ろした。

 何とも情けなく矮小で、しかし憐憫も同情も感じない。この男のしてきた行為には、それだけの罪がある。


「わ、私、は……」

「じゃあな。あの世に行って、そしてもう二度と帰って来るな」


 振り下ろされる右の拳。宇宙一つ、世界一つ砕く程の力を籠めて、止めの一撃を解き放ち、


「ああ、本当に嫌なものです」

「――っ!」


 それよりも先に、繰り出されたひょろい右腕が、コオヤの腹に突き刺さっていた。

 当然、その腕の主はガレオスだ。そして普通なら、そんなものは下らない抵抗でしかなかっただろう。

 何せ今のコオヤに油断は無い、こんな細腕による殴打など、身に纏う力だけで幾らでも無効化出来る。

 だから何が悪かったのかといえば。彼と同様、六戦将という存在もまた、普通では無かったという事だろう。


「がっ……」


 吹き飛んで行く。先程ガレオスをそうしたように、今度はコオヤが。

 異常過ぎる程に強大な衝撃に、踏ん張る事さえ出来ず、宙を舞った。いや、その軌道は最早曲線ではなく唯の直線であり、それだけで彼の受けた衝撃の大きさが窺える。

 床に突き刺さり、二・三度バウンドを繰り返して。壁に巨大な皹を刻みつけながら動きを停止したコオヤを見下ろして、しっかりと立ち上がったガレオスは、不愉快そうな顔で言う。


「全く嫌だ嫌だ。こういう事が嫌いだから私は、策謀で片を付けたかったのですがね。仕方がありません、今回は私の見積もりが甘かったという事で、素直に負けを認めましょう」


 敗北を口にしながらも、その顔には全く敗者の色は無い。あるのはただ、自分の行いに対する嫌悪感のみ。

 先程までの震えも何処へやら、たっぷり八時間は睡眠を取った後のような活力を携え、ガレオスは血を流しながら立ち上がるコオヤを見下ろし、告げる。


「そうだ。もう知っているかもしれませんが、改めて名乗っておきましょうか」


 軽く掲げられた右腕で、筋肉が隆起する。ガレオスの忌避する力押しの象徴には、想像を絶する程の力が宿っていて――


「私の名はガレオス。『豪撃戦将』の名を持つ、六戦将随一の『力』の持ち主です」


 戦いはまだ、終わらない。

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